サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
宗教アスリート
こう言う状況の中で、ヒエロニムスはキリスト教にてこ入れをすることにした。そしてそのために、新しい論理を採り入れた。これまでは他人から科せられていた拷問を、これからは自分たちで科すことにしたのである。新たな敵はローマ人や競技場のライオンではなく、内面にある情熱、なかでも肉欲だった。外の敵と同じように手強く敵意を持ち、こちらを滅ぼしかねない敵である。こうやって「砂漠の教父たち」の時代が始まった。
男女の別もなく狂信的な隠遁(いんとん)者たちが、地上のすべての欲を断ち切って砂漠にこもり、肉体的・性的な自己否定を競い合った時代である。
なかには、二千年後の『ヘブンズゲート』の信者のように、身を焼き尽くす欲望と縁を切るために去勢する者もいた。また自分の抵抗力を試すため、あえて年頃の女性たちの中に身を置く者もいた。この修行には大変人気が出て、9世紀になってもアイルランドの偉大なる聖人スウィジンは、二人の処女と一緒の寝床についていた。
この点を仲間の聖ブレンダヌスから疑われたスウィジンは、ブレンダヌスにも同じ試練を科し、ブレンダヌスもそれに応じた。ブレンダヌスはなんとか処女に手を付けず一晩過ごしたらしいが、一晩中眠れなかったとあとになって告白した。
こうした“宗教アスリート”たちのうちでも際立った者といえば、聖シメオンだろう。彼は自分の肉欲だけではなく、その住拠たる肉体までを責めた。約18メートルの柱の上に30年住んだことで有名なシメオンは、自分の腰の周りにきつく縄を巻き付け膿に蛆(うじ)がたかるのをそのままにしておいたらしい。蛆虫が落ちるとき拾い、自分の膿の中に戻しやったという。
そして、「神が汝に与えたものを食べるがよい」と声をかけたという。
ヒエロニムスより極端な苦行に走る者は他にもいた。だがヒエロニムスほど、苦行に関して熱く語る者はいなかった。今戦っている敵の邪悪さと強さについてたびたび論じ、その戦いの様子を嬉々として言いふらした。375年に体験した苦行についても、次のように語っている。
麻布が私の不格好な足を覆っていた。体を洗っていないため、私の肌はエチオピア人のように黒くなっていた。それでも私は地獄に行くのを恐れ、サソリと野生のケダモノの以外に仲間のいない牢獄に自らを縛り付けていた。
そして、自分が踊る娘たちに囲まれているところを想像してみた。私の顔は青白く、断食のため身体は冷たくなっていたが、心は欲望に燃え、死体のような肉から炎が立ち上がる気がするほどだった。
私は絶望し、イエスの足元にひざまずくと、イエスの足を涙で濡らし、自分の髪で拭いた。抑えようのない肉欲を抑えようと。
まったく肉欲とは、手強い敵である
抑えようとすればするほど、人は肉欲に取りつかれるようである。
否定しようとすればするほど、肉欲は人に鋭い爪を食い込ませてくる。パウロにとって肉欲は、きちんとコントロールすべき自然の力だった。
だがヒエロニムスにとって肉欲は、戦うべき敵だった。その抵抗が大きければ大きいほど、天国での褒美も大きくなる。
この憂鬱な――だがなかなかよくできた――教えを携えて、ヒエロニムスはローマに向かう。そしてそこで。ある人々に狙いをつける。容易に改宗させらせそうで、しかも誘惑に抵抗するのも楽しそうな人々――貴族の若い女性たちである。
ここで彼は、怪僧ラスプーチン(ロシア皇帝ニコライ二世時代の預言者で政務に口出しした)のような存在になる。魅惑的な人柄と巧言を弄して、半分自己否定した生活へと、人々を導くのである。
結婚はいいものである。処女を与えてくるからである
まずは結婚を否定するところから始める。そして、女性たちが当然抱いている妊娠と出産への恐怖を煽るのである。384年、ある追隋者にあてた手紙の中で彼は書いている。「結婚はいいものである。処女を与えてくるからである。棘の中のバラを、地の中の金を、そして貝の中の真珠を」
だが、ならば処女たちのほうはどうなるのだろうか? 人間らしい愛情から閉ざされたさみしい生活を送るのだろうか? そうではない。ヒエロニムスの考え方によると、地上の肉欲を拒否したものには、もっと純粋で神秘的ですべてに優るエロティシズム、聖なる花婿であるキリストの与えてくれるエロティシズムに近づくことが許される。
ヒエロニムスは彼を信奉する若い女性に向けてこう書いている「貴女の孤独な部屋が貴女を守ります。聖なる花婿が貴女の中で踊ります。貴女が祈ると、その声が夫に届きます、貴女が読むときには、夫が貴女に語りかけているのです。貴女が眠りに落ちるとき、夫は壁の穴から手を伸ばして貴女のおなかに触れます。そしてあなたは立ち上がり、こう叫ぶのでしよう。『ああ、胸が痛むほど愛しています』」
ここで注目したい。キリスト教はエロティシズムを否定しながら、非常にエロティックな言葉を使うことが多い。この事が後に、大きな意味を持つようになる。
だが良きキリスト教徒たちをひざまずかせるためにはまず、パウロの作った性を放棄するほど神聖なものに近づくというヒエロニムスの説いた純潔以外のあらゆる状態の否定をさらに超える過激な性の概念が必要になってきた。性があるから、人類そのものが汚れた存在になったという考え方である。
性があるから人間は、揺りかごから墓場に至るまで、この世界が誕生したときからなくなるときまで、呪われた存在になった――このような説を行き渡らせるという超人的な仕事に、ある若い司教が当たることになった、それこそが、聖アウグスティヌスなのである。
原罪
ヒエロニムスに約十年遅れ、354年に生まれたアウグスティヌスは、不幸な子ども時代を送った。母のモニカは敬虔なキリスト教徒で、父のパトリキウスは不信心な放蕩人、妻は自分を自分で苛むような生活をしているのを、気にもしない夫であった。この父母の全く逆の性質は、30歳になるまでアウグスティヌスの魂の中でせめぎ合いを続ける。それが如実に表れたのがあの有名な懇願「貞潔を与えたまえ。ただ、今すぐではなく」という言葉なのである。
十代の頃から、彼は肉欲の罪を犯していた。姦通に溺れたが、そのときでさえ禁欲的な生活に惹かれていたらしく、十七歳でたった一人の恋人との生活に落ち着く。それから極度に禁欲的なマニ教の教えに傾いていく。あらゆる肉体的な欲望は、食べることも飲むこともセックスすることも、悪魔の国の産物であると教える宗派である。
二十二歳を迎えた386年の夏のある日、アウグスティヌスは庭に座り、肉体と精神の分離について考えていた。すると突然泣き叫びたくなり、ふと見上げると、子どものような声が聞こえた。「取れ、読め、取れ、読め」。一番近くにある本を掴むと、そこにはパウロの書いたものが集められていた。その場でアウグスティヌスはキリスト教に改宗した。もちろん、母も喜んだ。
突然独身主義者となったアウグスティヌスは、新入りならではの熱意をもってキリスト教の反セックス主義を振り回した。これまでの聖職者たちと同じように、魂が肉体の中に閉じ込められていると熱く語った。だが彼らとは違って、アウグスティヌスには自分の語っているものの実態がわかっていた。
若い頃放蕩生活を送ったせいで、セックスの魔力は身に染みていたのである。「あれほど強く訴えかけてくる快楽はない」彼はこう書いた(ずっと純潔を貫いている人々は、さぞ好奇心をそそられるだろう)。「興奮が高まると、理性的な思考など麻痺させてしまう」
なぜ全能で慈悲深き神の創ったこの世界に肉欲などというものがあり、それに理性をもしのぐ力があたられているのだろう?
アウグスティヌスは、自分にこう問いかけた。そしてその答えは、途方もなく、しかも人類に大損害をもたらすものだった。
肉欲は神が人間のために用意したものではないというところから
肉欲は神が人間のために用意したものではないというところから、アウグスティヌスは、議論を始めた。おそらくエデンの園のアダムとイブは、ごくたまに情熱のこもらないセックスをするだけだったのだろう。それも、子どもを作るためにだけに。おそらくアダムの熱意のないペニスをイブのヴァギナに何とか押し込み、無理やり意志の力で射精したのだろう。
だが、予期せぬことが起こってしまった。イブがリンゴを食べ、肉欲という手の付けられない怪物をこの世にもたらしてしまったのだ。そしてその怪物は、かつて罪のなかった人間たちにその手をしっかりと捕らえてしまう。
「意志の強さをもものともせず、人間の生殖器を我が物とする」ようになってしまうのである。この考え方によると、肉欲は人間が創造の時に与えられたものとなり、そのために人間はエデンの園から追い出されることになり、その後生まれる世代も汚されることになった。
これ以降、生殖器は恥部と呼ばれるようになる。すべての人間は罪を持って生まれ、性行為は(少しは性欲を伴うものである以上)人間は神に対して犯した罪のうちの、最初にして最大のものである。ゆえに、許しを請わなくてならない。
だが、それだけではなかった。死もまたエデンからの追放によってもたらされたものだから、人間は肉欲によって永遠の命さえ失ったのだと説いた。
こうしてキリスト教は、セックスに強い敵意を抱くようになった。これ以降、キリスト教はつねに(たとえ純潔を守っても)罪の意識を抱えて生きることになった。結婚している男女さえ、後ろめいた気持ちでセックスをした。
そして子づくりを目的とする以外のセックスは(ヘテロセクシュアルであれホモセクシュアルであれマスターベーションであれ)キリスト教世界で一切認められなくなった。
こうしてパウロとヒエロニムスとアウグスティヌスはたった300年の間に、西洋社会の性をがらりと変えた。それ以前一万年、それ以降二千年の思想家が束になってもかなわないほどの影響をもたらしたのだった。
彼らがすみやかに、そして確実に作ったアンチ・セクシュアルリズムのヒエラルキーは、セックスの喜びの源から苦痛の種に変えた。そして肉欲が不死身だった人間を死すべき存在にしたとまで言った。
自然の最たるものであった性と死を、アウグスティヌスは実に不自然な現象だと言った。そして、人間が神とは違う存在であることを示す何よりの証拠だと言ったのである。
つづく
32、女性の変貌
パウロとヒエロニムスアウグスティヌスが処女性の大切さを強調すると、今度はイエスは罪に汚されずに生まれたてきたのだと協調する必要性が出てきた。いわゆる歴史の書き換えが行われた。イエス自身が純潔を守っただけではなく、その母親も生涯純潔だったのだと主張するようになった。
やがて、その主張は単なる伝承でなく、キリスト教の主柱となっていたのである。