パウロは一世紀の初め、キリキアのタノソスで生まれた。今でいうトルコの南岸の近くにある。ギリシア語を話すユダヤ人の社会で育った彼は当初、キリスト教に強い憎悪をいだいていたという。トップ画像

三人の生涯

本表紙
サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

三人の生涯

「その男は新しい教えを説いていた。奇妙で人類にとって破滅的な教えだった。彼は、結婚を否定した。
 そう、すべてのものの源であるあの結婚、人間の本質の根源となっている結婚を否定したのである」

 5世紀に書かれた聖テクラに関する伝記に、ある人物の言葉が引用されている。こう語ったチミュリスという若い裕福な男は、テクラの夫になるはずだった。ここで彼が、婚約者に純潔の教えを吹き込み彼を捨てさせたと非難しているのは、他ならぬ聖パウロである。

 生涯純潔を守ることについて情熱的な言葉で語るパウロは、こうやっていくつもの婚約破棄の原因を作った。

 小柄で剥げていて蟹股で。鼻は長く眉毛と眉毛つながっていたという聖パウロ。この人物が初期のキリスト教に多大な影響を及ぼした。
 彼が地中海地方の住民たちにあてた手紙は説得力にあふれ、やがて新約聖書に収録されることになった。彼の教えは、人の心をがらりと変えた。キリスト教ではなくパウロ教と名付けるべきだったという人もいるくらいである。

 パウロは一世紀の初め、キリキアのタノソスで生まれた。今でいうトルコの南岸の近くにある。ギリシア語を話すユダヤ人の社会で育った彼は当初、キリスト教に強い憎悪をいだいていたという。

 使徒行伝によると、若い頃は神の使徒を弾劾する演説をしていたという。それだけでなく、キリスト教の最初の殉教者ステファノを石打の刑に処することを支持し、ユダヤ社会の当局に、異端者を見つけたら追い詰める権利を求めたという。

 そしてその使命を帯びて、古代の国際都市ダマスカスを訪れたとき、彼は突然改宗したのだった。
 やさしく説得されたわけではなく、イエスの姿をその目で見たのである。使徒伝記によると、ダマスカスの近くまで来たとき、突然天の光が彼に降り注いだ。地に伏すと、声が聞こえた、サウロ、サウロ、なぜ私を苦しめるのか。すると彼は驚き震えながら言ったというのだという。

 主よ、私にどうせよとおっしゃるのですか?〔サウロは誕生時につけられたユダヤ名〕
 パウロの与えられた使命はもちろん、福音を説くことだった、そして彼は、かつてそれを弾劾した時と同じ情熱をもってその任務に当たった。だが残念ながら彼は、仲間たちのようにキリストの教えをきちんと理解する気がなかった。なにしろ急いでいたのだから、それに、イエスじきじきの命令を受けて任に当たっているのだ。必要ならイエスが直接教えてくれるだろう。

 こうしてパウロは、頭の中の声に耳を傾けた。だがそこから聞こえてきたのは落ち着いて明瞭なイエスの声ではなく、当時地中海を支配していたローマに流れ込んできたありとあらゆる宗教の雑多な不協和音だった。

パウロは自分の主観に基づいていい加減にあれこれの思想を混ぜ合わせた

 様々な思想が入り乱れる中で、パウロは自分の主観に基づいていい加減にあれこれの思想を混ぜ合わせた、キリスト教の説く慈悲。ギリシアの新プラトン主義。そしてユダヤ風「産めよ、増やせよ」。それはキリスト者としての使命というよりは、自分の過去の体験に基づいたものであった。

 イエスと同じように、パウロも純潔を賞賛した。だがイエスと違ってパウロは純潔を守り通すことを、結婚して子どもを育む以上の聖なる美徳にまで押し上げてしまった。

 自分の考えを正当化するために、彼はイエスの教えを新プラトン派風の二元論と結びつけた。精神こそが人間の高貴な部分であり、それが肉体という滅びゆく物質に閉じ込められているとする考え方である。そして地上の喜びを捨て精神を研ぎ澄ますことが、究極の目的を達する道であるという教えである。

 だが幸いこう説きながらも、パウロには彼の継承者より現実的な感覚があった。大多数の人間にとって、完全な禁欲は難しいということは知っていたのである。キリストの再臨は近いと信じていた彼は、できるだけ多くの信徒を集めたがっていた。

 そのためには、地上の欲望にも多少道を譲らなくてはならなかった。そこでのちにキリスト教徒にとって性と結婚の土台となるあの有名なコリント人への手紙の中で、パウロは少し妥協する。

 もちろん結婚するよりも純潔を守るほうが望ましいが、欲望に身を焦がすよりは結婚した方がいいと言ったのである。

 けれどもユダヤ社会の価値観にも合わせるために、パウロはこれ以上の性生活を禁じた。イエスが再臨し、信仰のあつい人々をその胸に抱くときにも、同性愛者や自慰に耽る者。あるいは姦通を犯す者は列の後ろに並ばせなくてはならないと言った。

みだらな者、偶像を崇拝する者、姦通する者、そして人を悪くいう者は、神の国を継承できない

「欺かれることなかれ」とパウロはコリント人に警告した。みだらな者、偶像を崇拝する者、姦通する者、そして人を悪くいう者は、神の国を継承できない、と。

 ほんの20年ほどの間に、パウロは寛容というキリストの教えを跡形もなく消し、どれだけ性を放棄しているかが神聖さと関係してくるのだと主張し、ピラミッド型のヒエラルキーを作ってしまったのである。

 この純潔のヒエラルキーはキリスト教の特徴となり、その後二千年にわたって影響力を振るうことになる。だがこのピラミッドを考案したのがパウロだとしても、土台を現実に築いたのは、聖ヒエロニムスだった。

 パウロが教えを説いていたころ、キリスト教はユダヤ人にもローマ人にも憎まれていた一種のライフスタイルだった。実際一世紀や二世紀には、多くの信徒が競技場に連れていかれてライオンの餌食にされたのである。

 ところが312年、キリスト教は突然、ローマ帝国で公認される。マクセンティウスとの戦いに敗れることを恐れた皇帝コンスタンティヌスが、勝ち抜くことができればキリスト教に改宗すると誓いを立てたためである。コンスタンティヌスは勝ち抜き、そして改宗した。そこから西洋の歴史は、がらりと変わっていくのである。

 ヒエロニムスという名の若い男が教えを説き始めたのは、こうしてキリスト教が敬意を勝ち得た時代だった。ヒエロニムスは、競技場での殉教が多くの人を引き付けたことを知っていた。ある意味でそれは、恐ろしいことだった。だが別の意味では、いい宣伝になってくれた。

 死に瀬しいても平静を保ち、痛みを恐れない殉教者たちの姿に、競技場の中で失った信徒の数を上回る改宗者を、キリスト教は客席を得たのである。
  つづく 31、宗教アスリート 

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