感情に煩わされることもなく、ジェンダーの区別もなく、セックスもない存在に。この世にいるときからそれを模倣しようとしたメンバーは、男女の区別のない服装をし、純潔を守り、中でも8人の男が去勢を行ったという。 

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宗教の中のセックス

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サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

宗教の中のセックス

1997年3月26日水曜日、サン・ティエゴ郡コミュニケーション。センターが、次のような通信内容を記録した。

発信者 もしもし
オペレーター もしもし
発信者 匿名でお願いしたいんですが
オペレーター わかりました。どうしたんですか?
発信者 集団自殺です

 二分後 G・リップススコーム警部補がパトカーに乗り、ランチョ・サンタ・フエ地区のコリナ・ノルテ18241に向かった。ドライブウェイに車を寄せると。一ダースほどの窓が開いており、モスリンのカーテンが風になびいているのが見えた。車を降りて念のために裏口から入っていくと、中には目を見張るような光景が広がっていた。

 ベッドにソファーにも廊下にも、遺体が横たわっていたのである。みなきちんと服を着て、両腕は身体の横に揃えて伸ばし、足もきちんと揃えて死んでいた。

 どの顔の上にも、紫色の四角い布が置かれていた。死に顔は穏やかで、何か目的を持って死んだようにさえ見えた。まるで、これからどこかに向かっているのか知ってでもいるように。

 そう、彼らは自分たちの行き先を知っていた。集団自殺だということを確かめたあと、警察はビデオテープを一つ手に入れた。リップススコームがその間を歩き回った遺体の人々が生きていたころ作ったそのビデオテープによると、彼らは『ヘブンズゲート』と呼ばれる過激なカルト集団のメンバーだということだった。
 
 この集団の人々は、自分たちが宇宙から魂を救うために遣わされたのだと信じており、まうすぐ、地球が大災害に見舞われ壊される前に、ヘルポップ彗星が迎えに来て天界の世界に戻ると思い込んでいたのだ。天界に戻ると、彼らは“人間を超えた”存在になれるというのである。

 感情に煩わされることもなく、ジェンダーの区別もなく、セックスもない存在に。この世にいるときからそれを模倣しようとしたメンバーは、男女の区別のない服装をし、純潔を守り、中でも8人の男が去勢を行ったという。

宗教的カルト集団

人々が大きな不安を感じる時代に現れた宗教的カルト集団は、これまでもたくさんあった。貧乏人に強く訴える(物質的な豊かさより精神を重んじる)ものも。虐げられた人々に訴える(来世の幸せを説く)ものも、方向を見失った人々に訴える(正統的ではないにせよ、救済のための明瞭な方法を説く)ものも、これが初めてではない。

 彼らの教祖マーシャル・アップホワイトはインターネットで説教し、英独自の言葉を使った。だか『ヘブンズゲート』の主張とそれが信者たちに与えた影響は、二千年ほど前に生まれた過激な宗派とよく似ている。

 違いは一つ、『ヘブンズゲート』が大海の一滴に過ぎなかったのにたいし、もう一つの宗派のほうは、世界の半分の人々のセクシャリティをある型にはめてしまったということである。

坩堝の中の預言者

始まりは悪くなかった。
 紀元前一世紀の頃、西洋社会のほとんどは、家父長制のもとにあった。ローマ帝国の支配下にあり、それに先立つ偉大なるギリシアの知恵を人々が重んじていた時代である。ローマもギリシアも一応は一夫一妻制の社会だったが、男性には妻以外の性のパートナーを持つことが許されていた。

 このため少なくとも富裕層の男たちは奴隷や妾、売春婦や若い男娼などとのセックスを重ねてきたのである。だが女性たちの毎日は、これほど楽しいものではなかった。ギリシアの女性たちは、自分の部屋に閉じ込められ、外に出て活動することはほとんどなかった。
 その生活はつねに父や夫や息子など、男たちの支配下にあった。

 ローマの女性たちの運命はよりましだったが(たとえば離婚する権利があった)、父から夫へ財産のように取引されることには変わりなかった。父は娘を富や不動産を得るための取引材料に使い、夫は妻を単なる子宮と見なしていたのである。

 中東のパレスティナ近辺にも、同じように男性が支配力を握り、拡張路線をとっている社会、すなわちユダヤ人社会があった。ユダヤ人たちは人種としての純潔にこだわりながらも、“約束の地”を占められるくらいに、人口を増やそうとしていた。

そのためにユダヤには、女性が夫のために、そして夫だけのために、できるだけたくさんの子ども産むことを確約させようとする律法が制定されていた。子をなさない女には、一方的に離婚を通告できる。姦通を行った女は、石打の刑に処する。

 こう見てみるとユダヤ人は、ローマ人やギリシア人と同じように、性に積極的だったように思える。実際、性は広く奨励されていた。複数の妻を持つことも、子どもをできるだけたくさん作るためにとあらば勧められていた。

妾を持つのも普通のことだった

厳格なラビ(ユダヤ教の牧師)たちはよきユダヤ人のためにセックスの回数まで決めていた。富裕層は一日一回。労働者は週二回・ロバ飼いは週一回。船乗りは年二回といった調子である。

 ただしその一方で、小作に結びつかないセックスは厳しく弾劾した。男のろう出した体液は汚れていて、ホモセクシュアルはもってのほかであり、動物とのセックスは絶対に禁止だった。とにかく、性の対象は子どもを産む女でなければならなかった。

 紀元前一世紀、ローマは領土を広げ、ユダヤ人の故郷を含む地中海東部の大半を併合する。その結果、違った民族がせめぎ合う緊張したこの坩堝の中に――男性優位を信じ、しかも多産を重んじる人々の住む地の一隅ベツレヘムに、ひっそりと生まれた男がいた。ナザレのイエスである。紀元前四年から七年の間の出来事だった。
 つづく 29、 イエス 
 福音書に記されている聖マタイの言葉によれば、イエスの誕生はなんら特別なものではなかったようである。父ヨセフはダビデの時代まで血統を遡る敬虔なユダヤ教徒で、母も信心深いごく普通の女性だった。

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