サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
一夫多妻制から一夫一妻制へ
歴史を通じて、財産を持つ夫の感じてきた嫉妬に太刀打ちできるのは、プロレタリアートの感じる嫉妬くらいのものだろう。
結婚制度そのものが、愛情というより財産と財産の継承のための制度だった。これまで多くの社会が、上流階級の男に養えるだけの女と結婚することを許されてきた。
そして彼らは、愛人をたくさん囲った。だが裕福な男が何の規制も受けずにたくさんの女を集めると、社会が不穏な空気になることを避けることはできなかった。
一夫多妻制の社会で、豊かな男だけが養えるだけの女を集めるといことは、社会の下層に、妻や子を持つ希望のない男たちが固まっているということである。持てる者と持てざる者との間の緊張は、受胎可能な年頃の女が上流階級の男の周りに集められることでますます悪化する。
豊かな男に威張り散らかされるだけでも面白くない。だがおまけにセックスのチャンスも与えられないとなると、ますます怒りは募って来る。
ヤノマモ族やアボリジニたちのように、この問題を避けるための女の子の小さいうちに結婚させてしまう部族もいる。生まれる前から、酋長の妻にすると決めておく場合さえある。
こういう社会では、若者は三十に、あるいは四十になるまで待たなければ結婚できないこともありえる。またより大きな社会、中央集権の国、帝国などは、トップの男たちが大がかりなハーレムを持つため、貧乏な男たちの先行きはさらに暗くなる。
性的に欲求不満を覚え煮えたぎる思いを抱えた男たちの群れは、社会の安定にとってこれ以上ない脅威になる。
そして、極端な手段を取らざる得なくなる。性的に欲求不満を覚え煮えたぎる思いを抱えた男たちの群れは、社会の安定にとってこれ以上ない脅威になる。
そこで一夫多妻社会の専制君主や主導者たちは、問題を大きくしないための方策を色々と考え出した。中でも効果があったのは、若者たちを徴取し軍隊に入れて戦場へ送り出すことである。
こうすれば故国で問題を起こさないだろうし、もしかすると自分たちの妻を見つけるかも知れない。あるいは、鉱山堀りや船乗りのように。体力を使う危険な仕事に送り込むという手段もある。
だがこうした解決策はみな、一時しのぎに過ぎなかった。もともとの問題を解決しない以上、長続きするはずがない。一夫多妻制は男たちの間の嫉妬や競争を熾烈なものにし、社会から安定を奪った。
これを解決するためには、社会の主導者たちが女を独占するのをやめ、配下の男たちに譲り渡して忠誠と引き換えにしなくてはならなくなった。
インカ帝国の支配者たちは驚くような数の愛人を集めたが、貴族や将軍に手柄の褒美としてセックスのチャンスを与えることに気を遣っていた。皇帝のハーレムには30歳以上の女はあまり置かなかったため、その女たちを分け与えることで、複雑な階級制度を創り出し、秩序のある、微妙なバランスの上に成り立った社会を存続させていた。
皇帝のハーレムには何千人という女がいる。
そして諸国の王はそれぞれ、四百人まで妾を囲ってよい。族長“主要な人材”は五十人まで囲って良い。これは。王国の人口を増やすためである。
属国の主導者たちは二十人の女をあてがわれ、中間の役人には十二人、たいしたことない首領クラスには八人、村の長には配下の男の数に応じて、三人から七人の女を与えた。
そして、インカだけではなかった。時代を経るうちに、ほとんど気づかれないまま性の形が変わっていったのは、専制君主の時代からの権力の集中が緩和された近代社会へ、産業革命を経て、民主主義の社会へ、そうした大きな流れの中で、性というひそやかな領域も変わっていたのである。
しかも、見事に歴史の大きな流れを映し出しながら。
権力が譲り渡されていくとき、女たちも譲渡されていった。一夫多妻制に耐え忍んでいた社会が一つ一つ、ひっそりと、一夫一妻制を採り入れ始めたのである。一人の男には、一人の女を。これを偶然に過ぎないと論じる識者たちもいる。
一夫一妻制へ移った時期は社会によって異なり、共通点がないというのである。
だがハーレムや専制君主に関する研究では他に並ぶもののいないローラ・ベツッィクは、この流れは偶然ではないという。社会が一人の男を――どれほど裕福であろうと――一人の女を。縛り付けたのは、画期的な出来事だという。そしてベツッィクにとって。その理由は明らかだという。一人の男に一人の女、というシステムは、一人の男に一票、という政治システムと直接関係していると彼女は言う。
民主主義が発達していくと、男たちは妻を自分たちで選ぶようになる。
専制君主のようになりたいという野心は、政治の面でも性の面でも捨て去るのである。そして個人の自由という意識が根付いたところでは、一夫一妻制を後押しする要素が他にも表れる。
一神教の宗教(一人の人間に一つの神)、読み書きの能力の獲得、さらにいちばん重要なのは、人々が動き回れるようになることである。ギリシアやローマの奴隷は、いや中世ヨーロッパの農民たちでさえ、主人の下に留まってそのハーレムを見て過ごすしかなかった。
だがそこから立ち上がり、もっと大きな町へ、都市へ、そして新大陸にさえ移り住むことが出来るようになると、一夫多妻制は廃れていったのである。貧乏人も、自分の足で相手を見つけるようになったのである。
一夫多妻制は一夫一妻制より社会の安定をもたらす制度というわけではない。たしかに小さな社会があっという間に人口を増やすには、最強の男たちが多くの女を独占するやり方が手っ取り早かった。
古代ヘブライ人の家長、ヤノマモ族の酋長、そして中国の皇帝――こういう一夫多妻の男たちが歴史を作ってきたのである。だが名もなく貧しい男たちが募らせた欲望も、同じように歴史の流れを生み出した。
そして最後に勝ったのは、負け犬のほうなのである。
今日でも、一夫多妻制を許している社会は数多い。一夫一妻制だけに固執している文化は、全体の五分の一もないのである。だが人口比からいくと、世界の大部分の人々は、つねに一夫一妻制を行ってきた。
力ずくであれ選択の結果であれ、西洋的なものの見方が広がっていくと、一夫一妻制への移行も広がっていく。一夫多妻制がなくなったわけではない。まだまだ力を持ち、廃れるようには見えない社会もある。
だが長い目で歴史の流れを観れば、やがてなくなっていくだろう。
まとめ
この章で私は、迷宮を手探りで進むテセウスのように、世界の歴史と性の文化を辿ってきた。その間、いくつかの拠り所があった。一見彩り豊かに見える様々な文化の中に、普遍的な三つの原則が潜んでいることを知った。
そのうちの一つは、あまりに当然の事なので見過ごされがちだが、男も女も、生き延び、遺伝子を後世に伝えたいという欲求を抱いているということである。
それから、近親相姦と結婚に対する強い思いが見てとれる。近親相姦を避けるために結婚を選ぶ――この目的を遂げるために、人々は努力を重ね、文化を彩って形づくってきた。生き延び、繁栄するには近親相姦を避けなければならない――初期の人類たちはこれに気づき、そのために“女を近隣の集団に送り込む”という解決策を取った。これこそ。結婚の起源であった。
そして結婚制度は、それ以降の集団生活に欠かすことのできない“所有”と“交換”という概念をさらに固めていくことになった。
だが一方で結婚は、たくさんの問題を生み出した。そのうちの“嫉妬”と“暴力”は、人々が定住し“所有”の概念を採り入れるとますますひどくなった。今や作った財産は管理し、子孫に伝えて行かなくてはならない。
そして繁栄し安定した社会を望むなら、これが正当な後継ぎに引き継がれていくことを保証しなくてはならなくなった。
結婚という契約の中で、駒のように扱われてきた女性は、こうして激しい拘束を受けることになった。行動は制限され、受胎しているかどうか、厳しく監視されることになった。
そして文化が、成熟していくと、権力と多くの女を手にした者とそうでない者との間に、亀裂が入るようになった。
その頃女性は一人の男のもとにかき集められ、閉じ込めておくための方法が次から次へと考案されていた。だが主導者たちはやがて気づく。自分たちの権力を支えているのは財産だけではない、支配下にいる男たちなのだ――こうして上に立つ人間が配下の者へ女たちを譲り渡していき、やがて一夫一妻制が――民主主義が――行き渡って今日に至ったのである。
文化の誕生と発達をこうした視点から見ることは、社会学者にとっても目新しい体験である。これまで、歴史におけるセックスはせいぜい人間の奇矯さを表す例として、補足的に扱われてきたにすぎなかった。けれどもここに性を中心に据え、歴史の流れをみる見方が登場した。
性こそが社会を形作った原則であり、世界中の社会が何よりも関心を払ってきた対象であり、社会の起源そのものであるとして論じられているのである。
だが一般的な原則がある一方、それぞれの文化にそれぞれの事情がある。社会を維持していくためにどの共同体も、生殖や結婚、貞操に関してそれぞれの規制を作らねばならなかった。
共通の拠り所があるとはいえ、人間の性行動が世界のどこでもおなじであるはずもない。こうしてそれぞれの文化が、独自の規則を作っていき、それがその影響下にある人々に過激とも奇矯ともいえるセクシャリティを植え付けていったのである。
次の章では、西洋のセクシュアリティを詳しくみていく。
つづく
28、 宗教の中のセックス
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。