サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
いい父親、悪い男
それでも疑問は残る。なぜ、そんな冒険を冒すのだろう? 繁殖に必要な一連の過程――妊娠し、出産し、授乳し、子育てすること――それ自体が大きなリスクで、浮気などしたらその可能性を高めてしまうだけのように思われる。どっちみち精子はたくさんあるのだし、嫉妬に狂った男は怖い。
それだけでも、浮気を思いとどまる十分な理由になるように思える。だが、情事は決してなくならない。女性はいい遺伝子を残す可能性のためならば、浮気がばれるかも知れないリスクをものともしないようである。いったいどうしてだろう?
男性が相手のバラエティを求め、しかも女性よりずっと簡単に親になれる以上、女性は決定的に分が悪いように思われる。生き延び、子育てをするために女は、生活の糧を必要としている。だが生活の糧を持っている男が、つねに最良の遺伝子を持っているとは限らない。女性たちは、すべてを兼ね備えている男を見つけるのには難しいと言って嘆く。
これは、時代を下って、生活の糧をえるための資質がたんなる腕力や知恵ではなくなったとき、より複雑な問題になってきたのだろう。だが、これは常に大問題だった。誰を選べばいいのか? 誠実で信頼できる大黒柱になってくれそうな男? それとも、生活力はないけれど胸をときめかせてくれる男?
もちろんその昔は、生活の糧を豊富にくれる男がすなわちいちばん大きく、いちばん強く、いちばん健康で、しかもいちばん魅力的な男だった。だが、だからといって女が悩まなかったわけではない。
いい遺伝子を持った男はそうでもない男よりもさらに、一人の女性と添い遂げる気はない。より良い遺伝子を残せる相手をつかむために激しい知恵を振り絞って戦わなければならないのは、男だけではなかったのである。
ただ女の戦いは、男ほど暴力的ではなかったことだけの事だ、ハーレムでの生活は、専制君主にとっては楽しいものだっただろう。だが女たちにとっては、権力を、富を、そして命すら賭けた一日として気を抜くことのできない戦いだった。
これくらいなら、ごく普通の男に養ってもらうほうがましだと思ったかもしれない。しかも、行きずりの男とさらに優秀な遺伝子を残せる可能性もある。
これは男性の性的戦略を、ある意味で踏襲しているように思われる。パートナーを探し、落ち着いて何人か子どもが育つのを見届け、そしてあまり手のかからそうな関係を家庭の外に求める。男にも女にも進化の過程で、こういう選択肢を選ばせ似たような余裕があったのだろうか?
男が女を選ぶときには大いに妥協することであることを確かめたが、女たちもまた、多少は目を瞑ることがある。
あった、とデイヴィッド・バスは言う。短期のパートナー選びと長期のパートナー選びについて研究していたとき、男が女を選ぶときには大いに妥協することであることを確かめたが、女たちもまた、多少は目を瞑ることがある。
男は女を、“娼婦”に分け、それに沿って長期的なパートナーとつかの間のパートナーを使い分ける。セックスのためなら男は、女には考えられないところまで基準を下げる。これはすべて、男性は性欲が強く女性は控えめであるせいだと思われてきた。
そして男性がセックスに熱心で女性はえり好みするからだと。だがよく研究してみると、女性もまたつかの間の相手を選ぶとき、男性と同じ方法を選んでいる。男を“よい父親”と“悪い男”に分けているのだ。
バスはこのように説明している。男はセックスのためなら相手に求める基準を下げるが、女性のほうが親になるために多大な犠牲を払う以上、女性が同じように、つかの間の情事だけを目的にするのは得策でない。
女性はつかの間の相手を探す理由にはほかにある。それは手っ取り早く生活の糧をえるため、長期的な関係に踏み込んでいいかを試すため、そして相手のいない男から襲撃を防ぐためである。
だからつかの間の恋の相手に何を求めるかと訊かれると女は、とにかく派手にお金を使ってくれることと答え、最初からけちな男を責めるのである。
だが理由はほかにもあると思わせる実験結果もある。そしてその中には、一般の傾向とは逆のものもある。女は男より相手を求める基準が厳しい。つかの間の相手に対してさえ厳しい。
そして男と同じように、長期的なパートナーに求めるほうが多い。これはもちろん、どちらの性にとっても理にかなったことである。週何時間かのつき合いの方が、一生を共にするよりずっと気楽だろう。
だが奇妙なことに、フィジカルな魅力に関しては、女性はこの選択のパターンをひっくり返す。たとえば肉体的な強さは、一生の相手に対する方が高い。これは女性自身の一般的な選択パターンとも違うし、もちろん男性とも違う。男性はつかの間の相手に関してなら、ルックスに関して求める基準を下げる。
だが女性たちはこう言っているように思われる。もし“投資”なしで私とベッドに行きたいのなら、すごくいい男じゃないとダメ。ここで話は、ダイエット・コークの色男に戻る。
女性は遺伝子と生活の糧を測りにかける。
そしてときには、遺伝子に軍配が挙がる。ところがバスが最初に強調した生活の糧の確保に関してさえ、驚くような結果が出た。女性はつかの間の相手が貧乏だろうと教養がなかろうと野心がなかろうと気にしないのである。
生涯のパートナーにこういう要素があれば、大きなハンディキャップと見なすに違いないのに。その上女性たちは“いい仕事についている”、“仕事ができる”、“安定した仕事を確保している”といった一生の相手に求める利点を、つかの間の相手に対しても半分以下しか求めていない。
若くて貧乏な男にも、チャンスはある。相手の女性がすでにどこかで生活の糧を確保しているのなら。
こうした研究のおかげで、女性の性衝動に新たな光が当てられるようになってきた。研究者これまで、女性をマドンナと娼婦の二種類に分け、根本的な間違いを犯したのだ。その二人を両立させず、マドンナが娼婦になることも、娼婦がマドンナになることは無いと思っていのである。
おそらく男たちは二元論で論じれば、女性が扱いやすくなると思っていたのだろう。たとえその二元論では、実際にあらわる現象の半分が、説明できないとしても。女がマドンナなら、欲望を叶えてやる必要などない。
女が娼婦なら、過ちを犯さないように方策を取ればいい。そのようなやり方は正当なものなのだから。だが女がマドンナでありかつ娼婦だとしたら――気分や月経のサイクルのいつに当たるか、あるいはどんな男に会ったかなど様々な要素でマドンナにも娼婦にもなるとしたら――男はいったいどうすればいいのか。
まったく、どうすればいいのだろう? 進化は、男と女を平和に仲良く暮らせるようにはつくってこなかった。男も女も隙あらば自分の遺伝子をできるだけ広く残そうとしているからである。
そして男の性と女の性は根本的に違う。
子育てとられるエネルギーの違いを考えれば、男はできるだけ多くの女を得ようとして、女は一夫一妻制を守ろうとするという考えをずっと信じてきたことも納得できる。
だが、それは間違いだった。進化の途中で男と女は利害をぶつけ合い、そのたびに軍備拡張を続けてきたのである。資源が限られ、エネルギーが限られ、しかも競争が激しい世界では、性の間の戦いを避けることはできない。
だが戦いを繰り広げる双方には、共通点がある。双方とも、生物として避けられないハンディキャップを背負っている。男は子どもが自分のものだという確信を持てない。女にとって妊娠・出産は命を賭ける大仕事である。
そして男女ともに、こうしたハンディキャップを押しのけて子孫を残すための衝動が組み込まれている。男にはバラエティ豊かな相手にできるだけたくさん精子をばら撒きたいという欲望が、女にはオーガズムと母性が与えられているのである。
そして両方とも、長期の相手と短期の相手を選びわける心理メカニズムを与えられている。
いかに事実が受け入れ難くとも、いかに異性が理解不可能な存在と思えても、男と女のセックスに関して結局は、同じパターンに落ち着いた。長期的な愛を誓った相手と子どもを育み、刺激を外に求めるというパターンである。
つづく
17、第2部 世間・神様・道徳 セックスと社会
やがてヘレナは知る。妻同士の間にはつねに緊張が漂っていることを。一度などは新入りの妻が森で夫と過ごしあと帰って来ると、棒を持って待ち構えていた年上の妻に殴られた。
こういった争いはしばしば起こり、流血沙汰になることがよくあった。夫はそばで傍観していることがあれば、喧嘩に加わり片方の、あるいは両方の妻を殴ることもあった。