サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
女性にとっては、意識の上での性的興奮のほうが、純粋に肉体的な興奮よりずっと大切だ。では、どんな条件が女性の意識に導くのだろうか?
セックス・チェア
この椅子には、意識上の興奮を測る装置を備えつけられている。たとえばレバーは、被験者が見せられている刺激的なシーンに対してどの程度興奮しているかを示すものである。だが、これよりは見過ごされがちな、小さな興奮が引き起こす身体的反応も、この椅子は逃さない。
そのための主力装置が“ヴァギナ・ウォッチャー”で、ヴァギナの中にこれをつけておくと、生殖器周辺の小さな振動や収縮をたちどころに捕らえるのである。
この椅子はアムステルダム大学が所有している。運営する学者一人に、エレン・ラーン博士がいる。ラーン博士は女性の性衝動について画期的な研究を行い、この分野でもっともホットな(そして最も若い)学者の一人として注目されている。
科学者たちはホルモンと性衝動には深い繋がりあるのではないかと考えてきた。
1920年にホルモンの存在が確認されて以来、科学者たちはホルモンと性衝動には深い繋がりあるのではないかと考えてきた。人がどれくらいの頻度で、どのように性的興奮を覚えるか、どんな相手に惹かれるかまで、ホルモンの力に左右されているのではないかと言うのである。
これまで見てきたように、男性の性欲は主としてテストトロンのレベルが保たれていることによって引き起こされる。このホルモンがあるから男性は、出来るだけ多くの相手とできるだけたくさんセックスをしようとするのである。かたや女性の性欲には、非常に異なる三つのホルモンが複雑に混ざり合って影響を与えている。
この三つのホルモン
三つのホルモンが正確に言えばいつどのように影響しているかをめぐって、ここ50年ほど議論が繰り広げられてきた。伝統的に女性に課せられてきた社会的プレッシャーに比べると、ホルモンの影響などないに等しいと主張する一派もいる。また、ホルモンの影響を受けているかどうかは一人一人異なり、一般論には意味がないという一派もいる。
また、ホルモンと性欲関係を探る研究は始まったばかりなので、はっきりした結論を出す段階ではないと主張すること人もいる。
実態はまだはっきりとしているとは言えないが、そろそろ仮説を立てるくらいなら許される段階に来た。そこでとりあえず、今の段階で解っていることだけまとめてみよう。
女性の月経サイクルとホルモンの満ち干はどういう関係があり、それはどのような心の動きを生み出すのだろうか。
エストロゲン
まず、エストロゲンについてみてみよう。このホルモンはいつでも生産されているが、排卵の直前に特に多くなる。セックス・セラピストのテレサ・クレンショウはこのホルモンを“マリリン・モンロー・ホルモン”と名付けている。“そばにきて私に触って! 私をあなたのものにして!”と訴えるホルモンだからである。女性を駆り立てるのも、このホルモンの仕業である。
テストトロン
二番目のホルモンはテストトロンである。女性の場合、このホルモンの量は男性よりずっと少ない。だが排卵期前後はぐっと量が増え、男性と同じ効果をもたらす。夜、相手を求めてさまよったり、タッチダウンを求めて走ったり、ビジネスで契約をまとめたり、何かを積極的に追い求めたり、戦いをものにしたりする背後には、テストトロンの働きがある。
このホルモンは、セックスにも関係がある。ふと立ち止まり考えずに前に進むのは、テストトロンのせいなのである。
プロゲステロン
三つ目のホルモンはプロゲステロンである。このホルモンはいわば“意欲に水をかける”ホルモンで、女性が家に溜まって家族の中に閉じこもりたくなるのはこのホルモンの働きなのである。
このホルモンの働きが強い人は、積極的・攻撃的な行動を取るよりもむしろ何かを育み、守る傾向が強い。また女性の月経サイクルの最後の方や妊娠期には、このホルモンは大量に生産される。
このように多様なホルモンが補い合って作用しあい、満ち干きを月ごとに繰り返す。これを理解すると、女性の性衝動に関してこれまでよりはずっと真実に近づける。
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もう一度ウィーンのクラブに遊びに来ていたゾフィの例に戻ろう。
報告書によるとゾフィは26歳、長く付き合っているボーイフレンドがいる。彼女がクラブにやってきたあの夜、ボーイフレンドは家にいた。ボーイフレンドは疲れているので家で休みたいと言ったが、その夜のゾフィはなぜか落ち着かなかった。
セクシーなドレスに身を包み
そこでセクシーなドレスに身を包み、一人でクラブにやってきたわけである。
男漁りする気などなかったが、とりあえずそのための服装は整えてきた。来るとすぐに何人もの男が近づいてきたし、彼らと遊んでもいいかな、という思いがあるちらりと頭をよぎった。
研究者たちが彼女を見つけたとき、彼女はフル・スイング状態だった。頭をのけぞらせ、ドレスはめくりあがり、目には危険な光が宿っていた。
ゾフィに質問する研究者たちにとっては、これはなじみのパターンだった。決まった相手がいながら一人でクラブに来る女性たちは多かったし、彼女たちの服装や振る舞いにも共通するものがあった。
ゾフィの唾液を分析してみると、エストロゲンとテストステロンが両方とも濃い。排卵期だったのだ。
ゾフィのドレス、ホルモンの状態、そしてクラブに来るまでの経過から研究者たちになじみのパターンをまとめてみよう。ゾフィはその夜、妊娠可能な状態にあった。そしてボーイフレンドから離れ、一人でここにやってきた。
そして、クラブにいる他の女性、排卵期でない女性よりはずっとセクシーなドレスを選んで着てきた。報告書には、ゾフィがその夜ボーイフレンドではない男性とセックスをしたかどうかは記録されていない。
だが、それはどうでもいい。ホルモンの影響で、ゾフィはあの夜、もっとも妊娠する可能性が高い夜、そういう行動をとった。ここで疑問が出てくる。いったいそれはなぜだろう?
女性が男性より性欲が弱いかどうかを探る
ラーンは考えた。女性が男性より性欲が弱いかどうかを探るとき、これまでされてきた質問事項に問題があるのではないか。これまでの実験では、男性なら興奮すると思える状況に女性をおき、男性ほど敏感に反応しないからといって女性の性欲が低いと決めつけてきた。だがこれでは、女性の性欲の本質を確かめたことにはならない(むしろ刺激の質を確かめるための実験である)。
本質に近づくためには、もっと刺激の種類を慎重に選ばなくてはならない。そこでラーンは、この椅子を使って二種類のポルノに対する女性の反応を研究することにした。
一つは男性の監督が男性のマーケット向けに作ったフィルムであり、もう一つは、女性を興奮させることを念頭において女性の監督が作ったものだった。女性の性欲が男性と違うものならば、この実験によって、男性とは性欲の強さが違うのか種類が違うのかがはっきりすると思えたのである。
男性向けのポルノは
地元のレンタル・ビデオ店で一番興奮度が高いとされているものを借りてきた。ラーンによるとその内容はこうである。「明らかに売春宿のような場所で、男が見知らぬ女から奉仕を受ける。前戯はまったくない。セックス以外の要素は最小限に抑えられている」。
それに対して女性向けのフィルムは
ポルノスターだった元女優が、男性主体の制作にうんざりして自らメガホンを取ったものだった。ここでの舞台はエレベーター。この中にお互い惹かれたふたりがやがてキスをし、愛撫をはじめ、服を脱がせ合うという設定である。
ラーンは年齢層や性格、宗教の違う被験者を50人セックス・チェアに座らせた。二つのフィルムを見せていくと、結果は徐々に現れた。まずラーンが予期していた通り、女性たちの反応は様々だった。
今までポルノを見たことのない女性は、ポルノに馴染んでいる女性より興奮の度合いは低かった。そして年を取った女性の方はが、どちらのフィルムに対しても生殖器の反応は低かった。(心理的な反応はほぼ若い女性と同じだった)。
こうした個人差を除いても、そこにははっきりした傾向があった。
一つは、生殖器のレベルでは、女性は見知らぬ人との乱暴なセックスに対しても反応は示している。ところがレバーの実験は、それとは全く違う結果を呼んでいる。意識の上では女性たちは、男性の作ったポルノより女性の作ったポルノにより強く興奮していたのである。
女性の作ったポルノを形容するには「エキサイティング、セクシー、すてき、わくわくする、ずっといい、現実的でどきどきさせる」等の言葉を使い、男性の作ったポルノに対しては「ひどい、荒っぽい、わいせつ、乱暴、趣味が悪い、汚い」等の言葉が一般的だった。
生殖器の反応の分離は、興味深い事実を教えてくれる。どうやら、意識の上での興奮がすべてではないようだ。男の場合は解りやすい。ペニスの勃起は実に単刀直入で、一目で性的に興奮していることを教えてくれる。ペニスの変化を見ていれば、男性の性衝動について研究するのはたやすい。
だがラーンの研究結果、女性が興奮するときには、脳の役割がずっと大切になるらしいことがわかった。生殖器が感じた興奮を脳が認識するには、ある一定の基準を満たさなければならないらしい。
これまでの女性の性衝動に関する理論は、これに比べると単純だった。積極的か受身かという議論は、的を外していたのである。今や、意識と身体の複雑な相互作用が問題として浮かび上がってきた。
つづく
12、理想の男(ひと)