サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
量より質
前章で、すべての生物の内にある進化の理論について解き明かしてきた三人の生物学者をご紹介した。ジョン・メイナード・スミス、ジョージ・ウィリアムズ、そしてロバート・トリバースである。
この三人目のトリバースの研究が、男性・女性の性の本質についての理解を進める上で影響が一番大きい。
トリバースはこう言う議論を展開していた。受胎し、胎内で子どもを育み、養育する――このプロセスの間、より大きな犠牲を強いられるほうの性が、相手を選ぶ基準が厳しい、と。人類の場合、男性も多大な犠牲を払うことがある。
パートナーが妊娠している間ずっと保護を与え、子どもが誕生してから何年も子育てをする。だがこれまで見てきたように、つねにこうだったわけじゃない。むしろ人類が地球上に誕生してからこれまでの大部分の時期は、男によって最良の繁殖手段は、何人かの適子を大事に育て、家庭の外でも女性とつがうことだった。
これが可能なのは、男はいざとなれば実に簡単に子を作れる精子というパッケージと性行為のための短い時間以外、何も差し出す必要がないからである。
だが女には、こういうオプションはなかった。まず女性の体が作る卵子は男性の体が作る精子よりずっと少ないし、胎児をきちんと育てるため、卵子に栄養を備えておかなくてはならない。この9ヶ月の妊娠期間が待っている。
この9ヶ月を、胎児はあらゆる面で母親に頼って命をつないでいく。母親は体内に胎児を保護し、胎児に栄養を与え、24時間胎児の安全を見守りつづける。そのために有害なもの虚誕に敏感になるのが、つわりの原因の一つなのである。
そして子供が生まれると、子どもにとって大事な栄養、すなわち母乳を与えるのも母親の役目である。生後何か月も授乳は続き、その間は排卵は抑制され、新たな子供を妊娠しないようになっている。
このように、いったん受胎すると女性が払う犠牲は実に大きいのである。
避妊の技術が進み
勿論こんにちでは避妊の技術が進み、女性もセックスするたびに9ヶ月妊娠することを覚悟しなくてもよくなった。史上初めて、セックスと繁殖が切り離されたのである。けれども歴史が始まってからほとんどの時期、女性にとってろくでもない男とのただ一回の過ちは、数年を無駄にすることを意味したのである。
だから、女性がパートナーの数より質を重んじるようになったのは不思議なことはない。
それはどのような精神のメカニズムが、女性の性衝動を作ってきたのだろう? それを探るために、キャンパスに戻ろう。
男性の性衝動について考察した際、男性にはできるだけバラエティ豊かな受胎可能な女性と性交したいという欲望がプログラムされていることを確認された。ラッセル・クラークとエレイン・ハットフィールドの実験では、魅力的な女子大生に声を掛けられた男たちが、すぐにセックスできそうな申し込みであればあるほど興味を示すことが解った。
デートをしようと言われて承知したのは50%。部屋に来てと言われ誘いに乗ったのは69%、そして、すぐにセックスすることを同意した男性は75%もいた。だが、話はここで終わりではない。
クラークとハットフィールドは、同じ実験を女性に対しても行った。男子学生をキャンパスに送り、通りかかる女性に同じ質問をさせたのだ。男子学生がきちんとした人間に見えるように、女性が怖がることのないように、実実験には念入りな注意を払った。
結果ははっきりしたものだった。デートを承諾した女性はほぼ半数に上ったが(これは男性向けに実験の場合と同じ割合)、男性の部屋について行くと言った女性はわずか6%だったし、すぐにセックスしようと言われて承知した女性は一人もいなかった。
さらに、男性、女性それぞれのノーという答えを分析してみると、男女にははっきりした違いがあることが解った。男性はどちらかというと後悔を表すことが多いのに対し、女性は軽蔑を表明する。
男性は、「今日は無理だけど、明日なら‥‥・」というような答えをすることが多く、女性は「ふざけないで!」といった反応が多い。
クラークとハットフィールドは、もちろんすべてを進化論で説明することはできないという。女性が男性ほど機会に飛びつかないのは、女性はそう言う申し出を断るはずがないという伝統的な女性観に影響されているのかもしれない。それにいくら男性がきちんとしていても、見知らぬ人と一緒に過ごすことに対する不安はぬぐえないだろう。
だがもっと詳細な調査を行い、もっと単刀直入な結論を出す研究者もいる。
その一人がディヴィッド・バスである。1990年代の初め、彼は148人の男性と女性にアンケートを行った。知り合ってどれくらいたつ相手なら(そこそこ欲望を感じる相手だとして)セックスできるか質問したのである。男も女も、5年たつ相手ならセックスしていいと答えた。
だが、知り合ってから期間が縮まるごとに、女性は男性よりセックスに難色を示した。知り合って一週間ではどうかという質問には、男性の多くがイエスと答えたのに対し、女性は消極的だった。一時間となると、男性もためらいを見せ、女性はそんな相手とセックスするのは一切考えられないと答えた。
それからバスは、これからの一定期間、何人くらいのセックス・パートナーがいればいいと思うか、男性と女性に尋ねた。たとえば、今後一ヶ月では、今後一年では、今後五年では、今後十年では、そして今後死ぬまでなら――という調子である。どの期間をとっても、女性はセックスのパートナーが少なければ少ないほどよいと思っていることがわかった。今後一年なら一人、今後五年でも二人以下、今後死ぬまででもせいぜい四人から五人というのが平均的な答えだった。
一方男性は、今後一年少なくとも六人のセックス・パートナーが欲しいといい、今後死ぬまでとなると、十八人というのが平均的だった。
もちろん個人差はあるし、研究グループによっても結果の差はあるが、バスはこうした数々の実験の結果を下した。女性は男性ほど、セックスの相手の数とバラエティにこだわらない。
これも、進化によって形成された心理である。だが数にこだわらないなら、質はどうなのだろう? 女性は男性より、セックスする相手の質にこだわるのだろうか? それともその気になったとき、たまたま側にいる相手でよしとするのだろうか?
この点を調べるため、ダグラス・ケンリックは同僚たちと一緒に、人の長所を24集めてリストにした。“やさしさ”、“知性”、“稼ぐ能力”、“外見的な魅力”、“友情”や“創造力”などである。
そして男性女性双方に、デートする相手、セックスする相手、長期間付き合う相手、あるいは結婚する相手にそれぞれの長所の何パーセントくらい求めるかを尋ねた。結果を見ると、どの様な関係であっても、女性の方が男性より愛に多くを求めていた。
行きずりのセックスの相手への求め方だった
だがいちばん違ったのは、行きずりのセックスの相手への求め方だった。女性が46%だったのに対し、男性は、わずか35%だったのである。
ディヴィットバスはケンリックの研究を踏まえ、さらに一歩それを推し進めた。セックス・パートナーとなりそうな相手の長所だけでなく短所についてどう反応するか、解き明かそうとしたのである。学生の協力を得ながら、彼は男女どちらにとっても魅力的でない短所を61集めた。
そこには“愛情がない”、“傲慢”、“退屈”、“貧相”、“不誠実”、“息が臭い”、“間抜け”などが並んだ。そして彼は男性、女性双方に、その一つ一つの性質が“非常に望ましい”から“非常に望ましくない”までの段階のどこに置かれているかを尋ねた。
予想した通り、四分の三以上の短所に対し、女性は男性より強い嫌悪感を示した。
特に「精神的な虐待をし、バイセクシャルで、人に嫌われていて、大酒の飲み、頭が悪く、教養がなく、ギャンブル好きで、年寄りで、口うるさく、節操がなく、自己中心的で、自分勝手で、ユーモアセンスがなく、セクシーでなく、背が低く、受け身で、暴力的で、弱虫」な相手には我慢がならないという答えが多かった。
女性のクオリティ・コントロールが厳しいことが解ると同時に、男性が性に対して貪欲なのもわかる。男性にとってこうした短所は、望ましくはないが絶対に忌避すべきほど悪いことでもないのである。
やはりトリバースの言う通り、子育てに多大な犠牲を払う方の性が相手を慎重に選ぶようだ。進化心理学者たちによれば、女性は男性ほどセックスの相手を物色して歩いたりはせず、申し出を受けても承知する可能性は男性より低く、知り合ったばかりの相手とはベッドに飛び込んだりしない。
セックスの相手には高いクオリティを求め、短所は厳しく排除する。ならば、女性は男性ほど性欲が強くないということなのだろうか? あるいは、たんに性欲の種類が違うだけだろうか? この問いに答えるためには、キャンパスを離れて実験室に向かわなくてはならない。
つづく
11、セックス・チェア
主力装置が“ヴァギナ・ウォッチャー”で、ヴァギナの中にこれをつけておくと、生殖器周辺の小さな振動や収縮をたちどころに捕らえるのである。
この椅子には、意識上の興奮を測る装置を備えつけられている。たとえばレバーは、被験者が見せられている刺激的なシーンに対してどの程度興奮しているかを示すものである。だが、これよりは見過ごされがちな、小さな興奮が引き起こす身体的反応も、この椅子は逃さない。