
サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
1、男たち
200年ほど遡る1790年、人の住まないこの島で新たな生活をつかもうと、15人の男と13人の女がやってきた。
最後に残った船乗りジョン・アダムズは、自分の仲間とポリネシア人たちが引き起こした悲劇にただ呆然とするばかりだった。彼のただ一つのなぐさめは、流血の日々を無傷で生き残った10人の女と、今や彼が1人で面度を見ることになった20人の子どもたちの存在だけだった。
ニュージーランド沖3千マイル「約4800キロメートル」太平洋のただなかにピトケアン島という小さな島がある。縦に2マイル、横1マイル強のこの島は、一応イギリス領である。
今もこの地に住む50人の住人は、ある実験の結果ともいえる。そう、男性の性的衝動がどういうものかを暴きだす実験が、はからずもかつてこの島で行われた。
200年ほど遡る1790年、人の住まないこの島で新たな生活をつかもうと、15人の男と13人の女がやってきた。男たちのうち9人は、ブライ船長ひきいるバウンディ号で反乱を起こした面々だった。あとのメンバーは、ポリネシア人の女たちとその伴侶だった。
一党を率いるのはフレッチャー・クリスチャン。かってはブライ船長の信奉の厚きよき友だった。
船で反乱が起きて以来9ヶ月、彼らは乗っ取った船と日増しに気の立っている船員たちを休ませる場所を探し、海を漂っていた。ピトケアン島の入り江に船を進めたとき、クリスチャンは思った。ここだ。
土壌は肥沃で気候は温暖、おまけにごつごつした海岸線は、よほど決意の固い人間以外近寄る気にはならないだろう。それにどの地図を見ても、ピトケアン島は実際より2百マイル東に記されていた。
意気揚々と船乗りたちは上陸した。この地を発見したことに、心を昂らせていた。岩を昇っていくと、緑の平地が広がっている。
山には樹木が並び、野生の果物が実っている。女たちもいるし、周囲は地図に載っていない海。クリスチャンとその仲間はきっと、地球初めての人類になったような気がしたころだろう。
ここでなら、この新たなエデンなら、宗教にも政府にも煩わされず新たな世界を築ける。荒くれ者の1人に、家が、女が、畑が与えられる。そのうえ法律に縛られることも、欲望を無理に抑えつけることもない。
誰もが思いのままにふるまえる。そして、実際彼らはそうした。男たちは言い争い、戦い、殺し合った。こうして男たち数はどんどん減り、その男たちが女たちを分け合うことになった。
最初に事を起こしたのは、バウンディ号の鍛冶屋のジャック・ウィリアムだった。
鳥の卵を集めている途中崖から落ちて死んだ妻の埋め合わせをするため、ポリネシア人のタラロという男の恋人をさらったのだ。これを受けて、6人のポリネシア人の男たちが反撃に向かった。
最初の反撃は失敗に終わり、ポリネシア人2人が死んだ。だが2度目の襲撃は、かなりの成果をもたらした。ポリネシア人たちは船乗りの4人の頭の皮をはぎ、その結果として、彼らの4人の女が手に入ることになったのだ。だがポリネシア人たちは、その中のテラウラという女をめぐって争う。
どうしてもテラウラを手に入れたいテイムアという男がテラウラに求愛の歌を歌い始めと、ミナリイという男がそうはさせまいとマスケット銃を手にし、テイムアの脳みそをぶっ飛ばした。
残りふたりのポリネシア男のうち、1人は殺害されたブラウンという男の未亡人の寝床にもぐり込もうとして斧で頭を割られ、もう1人は怒り心頭に発したエドワード・ヤングという男に追いかけられた挙句殺された。
その後4人の元船乗りたちはそこそこ公平に女たちを分け合ったが、ここでの生活にうんざりしたクインタットという男が飲み仲間のマッコイを亡くしたとき(崖から身を投げて自殺したのだ)やけになってヤングは2人目の妻、マウアッアをさらおうとした。
ヤングはもう1人の生き残りアダムズと手を組み、腰が立たなくなるまでクインタットに酒を飲ませると、斧で叩き殺した。
1790年この島に上陸した15人の男のうち、結局新世紀を迎えられたのは2人だけだった。そうして1800年、ヤングが喘息で死んだ。10年の間に、12人殺され、1人が自殺し、もう1人がいま最後の1人に埋葬されようとしていた。
最後に残った船乗りジョン・アダムズは、自分の仲間とポリネシア人たちが引き起こした悲劇にただ呆然とするばかりだった。彼のただ一つのなぐさめは、流血の日々を無傷で生き残った10人の女と、今や彼が1人で面度を見ることになった20人の子どもたちの存在だけだった。
人類本来の姿とは?
ピトケアンの逸話のほかにも、人間が自然の中に置き去りにされて欲望のままに振る舞えばどうなるのか教えてくれる話は後を絶たない。
人々が『ロビンソン・クルーソー』や『蠅の王』に一種独特な魅力を感じるのも、人間というものにたいする根源的な問いに応えてくれるからだろう。
厳しい自然の中出の暮らしを余儀なくされ、しかも宗教や指導者や法律、踏襲されるべき習慣などから自由になると、人間はどのような姿をさらけ出すのだろう?
悪いことをしても誰にもとがめられなく、いいことをしても誰にも讃えられることもなければ一体どうなるのだろう? それとも隙あらば社会の大切な掟を破ろうとするのだろうか?
作家たちが、哲学者たちが、そして最近では社会科学者たちが、この問題に関して様々な事例を取り上げてさまざまな理論を繰り広げてきた。
けれどもこの議論が最高に熱を帯びたのはおそらく18世紀の、そう、ちょうどバウンディ号が運命の航海を始めたころのヨーロッパのサロンだろう。
まずはイギリスの哲学者、トマス・ホップスに同意する一派がいた。人間とは本来利己的、攻撃的な生物であり、文明社会の力によってその欲望を規制しなければならないとする意見を持つ一派である。社会的規則がなければ人間は孤独で野卑であり、早死にするだろうとホップスは言った。
誰もが「命を奪うほどの危険」に絶え間なく晒されることになると。
一方フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは、人間は善きものだと強く信じていた。そして文明が、人間本来の姿、すなわち「高潔な野人」を隋落させたのだと。
そして文明の影響を取り除き人間本来の姿に戻ることができれば、悪しきものはすべて取り除かれ、人は無邪気に、幸せに生きられるはずだと説いた。
19世紀初め、バウンディ号の反乱者たちの運命がイギリスまで聞こえるようになったとき、ルソーの一派は衝撃を受けた。それを広く伝えた聖教者トマス・ボイルズ・マレーの著書『牧師の目から見たピトケアン島』の描写が鮮やかだったのでなおさらであった。
ベストセラーになったこの書によると、ピトケアン島に上陸したのはごく普通の男たちで、ただ「本来邪悪な人間に課されているあらゆる抑制を取り払った結果どうなるかということを示している」のだという。
陰謀。嫉妬。そして殺し合い。醜い争いと絶え間ない暴力の応酬。征服と弱き者の搾取。そしてそのすべての根底に、男たちの性をめぐる競争でもあった。
平和より繁栄よりも、いや、生命そのものよりも、男たちにとってはできるだけ多くの女を手に入れることのほうが大切だった。この島で起こったことは、ルソーの主張とはまったく逆であり、ホップスの主張よりも陰鬱な出来事だった。
胸の悪くなるようなこの出来事は、本当に起こったのだろうか?
つづく
2、生命の誕生
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。