再婚マーケットの現状はどうなっているのだろう?
 そもそも男にとって「不便だから」が理由の再婚は、男の側によほどのカネ、資産と収入がないかぎり、女にとっては魅力がない。トップ画像赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

この先、「おふたりさま」になる可能性は?

本表紙 上野千鶴子著

この先、「おふたりさま」になる可能性は?

このところ男性向けの雑誌が、「男の向老学」特集を組むようになってきた。そのひとつ、『週刊ポスト』2009年2月6日、小学館が、わたしに「誌上特別指南」をせよといい、著名人のなかからモデルになる「おひとりさま」に登場して頂こうという企画を立てた。

 最終的に「個別事例」として野末陳平、呉智英、岸部四郎の3氏が実名で登場してくれたが、担当者にわたしがたずねたのは、”打率”取材を申し込んでも、「いや、それはちょっと」「かんべんしてほしい」と何人もの候補に逃げられたという。

 やっぱり、予想通りだった。「おひとりさま」を宣言してしまうことにためらいがあるのは、いずれまたおふたりさまに、という下心があるからだろう。

 とはいえ、再婚マーケットの現状はどうなっているのだろう?
 そもそも男にとって「不便だから」が理由の再婚は、男の側によほどのカネ(資産と収入)がないかぎり、女にとっては魅力がない。

 だいいち、「不便」が理由で再婚などされた日には、妻は「セックス付き家政婦」。女をいったいなんだと思っているのだろう、と言いたくなる。

 それに離別男性はともかく、死別した男性と再婚相手に選ばない方がよいという説もある。死んだ妻を美化されがちで、事あるごとに元の妻とくらべられてイヤな思いをするからだ。

 心配しなくていい。再婚マーケットは男性にとって著しいく狭くなっている。
この先ふたたび「おふたりさま」になる可能性は低い、と覚悟して、これからの老後プランを立てた方が現実的だろう。このところ65歳以上の再婚率はじりじりと上昇傾向にあるが、それでも低位で推移。女性の再婚率は、男性の再婚率よりさらに低い。

《男性の多くは「再婚したい」》

 死別シングル女性は、結婚は一度でたくさん、と思っているし、夫の残してくれた資産と遺族年金が入るから、再婚ニーズがそもそも低い。日本の年金は結婚したら夫が妻を養うもの、という前提で組み込まれているので、もし死別の女おひとりさまが再婚したら、遺族年金受注を失う。年金が自分についている女性は、みすみすそれを失う選択などしないものだ。

 そのうえ、再婚したらふたたび介護要員になる将来が待っていると思えば、よほどラブラブでなければ再婚には踏み切らないだろう。それに前妻やその子たちとのトラブルを避けたいと思えば、事実婚を選ぶほうがよい。事実婚は、上手くいっている間は続くが、そうでなくなれば解消されやすいリスクが高い。

 離別シングル女性が再婚願望を持つのは、ほとんどが経済的な動機。離別男性と離別女性との再婚願望を比較した調査では、男性の多くが「できれば再婚したい」と希望しているのに対し、女性の多くが「もう結婚はしたくない」と思っていることが解っている。

 この落差は、離婚以前の結婚生活のクオリティに、男女で大きく差があったことを想像させる。経済的理由でなければ、離別女性の多くは再婚したいと思ってはいない。それともボーイフレンドがほしい、という希望は別である。

 経済力と「妻」という地位で女性を縛ることができないとなれば、離別女性とつきあう男性は、女性ウケルことを目指すしかない。

 離別女性には子どもがついている場合が多いから、夫になるには、新しい妻の子どもの父親になる覚悟もいる。”再建”家庭はややこしい。それに離別シングル、男性の場合には、別れた家族に養育費を送ったりして経済的負担があったり、自分の子どもとの関係は切れないから、こちらもややこしい。よほどの資産としゅうにゅうがなければ、再婚の可能性は低い。と承知すべきだろう。

 それなら初婚の若い女性がいる、と思うあなたは虫が良すぎる。
 アラフォー世代から下の世代は、少子化の影響でまず絶対数がすくないだけでなく、「まけいぬ」が増えている。このメス「負け犬」族は、結婚願望が高いのに、条件を落とさないばっかりに一日のばしに結婚を先に延ばしにしてきた”なしくずしシングル”だ。めったな条件では落とせない。

 この人たちがこの先、結婚する可能性は低いと見なければならない。昔のように、戦争で男が払底していたり、結婚が「永久就職」と呼ばれたて、結婚する以外に女が食べていく道がなかった時代とはちがうのだ。「だから女が図にのるようになって…・」と嘆いても、もう手遅れだ。

《増えている父子家庭》

離別シングルの男性には子ども連れがいる。このところ、母子家庭だけでなく、父子家庭も徐々に数が増えている。

 日本の離婚では、子どもの親権が約8割、妻側に行く。歴史的に見ると、夫側から妻側に子どもの親権が移行したのは1960年代。ちょうど核家族化の進行とみあって、家にじいさんおばあさんがいなくなる時代に対応していた。

 離別した男性は、子どもを引き取っても自分で育てていたわけでない。自分の母親に育ててもらっていたのだ。妻側への親権の移行は、夫だけでは(再婚でもしない限り)子どもを育てられないことを意味していた。
 死別男性がすぐに再婚する傾向があったのも、子育て要員を確保する必要からだ。

 先述の春日キスヨさんの著書のひとつに『父子家庭を生きる』1989年がある。
 春日さんによれば、死別・離別がきっかけで子どもを残された夫のうち、再婚せずに父子家庭を維持している男性たちには、次のような共通点があるという。

 第1に、父子家庭になった途端ほとんどの男性は子育てを放棄しい、自分の子どもを実家の親に預けるか、施設に送る傾向がある。

 本人が選択するだけでなく、地域の民生委員などが、ご親切にも「あんたじゃ育てられないから」と児童養護施設へと送るように勧めたりする。事実、今日児童養護施設に入所している子どもたちの多くは、孤児でなく親がいるが、親に育てる意志や能力のない子どもたちだ。

したがって父子家庭を維持している父親は、子どもを預ける実家の女手がないか、施設に子どもを預けることを選択しなかった子ども思いの男性たちである。

ダ2に、彼らは再婚の意志がないか、あってもできないひとたちである。かつてのように子どものいる死別・離別男性を周囲がほっておかず、あれこれと「再・婚活」の世話を焼いて後添えを見つけてくれるような時代には、父子家庭になってもその期間が短く、あっというまに再婚家庭になってしまうので、統計のうえでは父子家庭は増えなかった。

昔は生活のために後添えの道を選ぶ女性たちもいたが、今はそうではない。仮に男性の地位と収入が高ければ、多少のハンディのある再婚でも相手を見つかったことだろうが。

《シングルパパは草食系?》

 父子家庭の彼らが再婚しないでいるのは、再婚するための資源や相対的に低いから。死別はともかま、離別で父子家庭になった男性たちの場合は、妻が子どもをおいて出て行ったケースが多い。その理由の多くは、「別の男つくって」というものだ。

 女も男も、性愛の前には子どもより自分がかわいいエゴイズムになる。そもそも妻が見限ってほかの男に乗り換えたくらいだから、彼らが恋愛・結婚市場での資源に相対的に恵まれない男性たちだろうと想像がつく。

 だから、父子家庭のシングルパパたちは、子煩悩の心優しい、たぶん「肉食系」ではない男性たちなのだろう。

 学会で春日さんがこの報告をしたときのことだ。質問者の某大学教授が立ち上がって、父子家庭のパパたちをたたえ、「自分には到底やれそうもない」と屈折した賛辞を寄せると、春日さんはきっぱり、「あなたが父子家庭になる可能性はほぼありません」と言い返しました。

 大学教授という地位と収入を持っている貴方は、たとえ父子家庭になっても、ただちに再婚できるだろうから、というのがその理由。いまから20年前のこと。大学教授の値打ちも、最近では相当下がっているだろうか。

《オス負け犬ですが、それがなにか?》

非婚シングルの女おひとりさまがいれば、その裏側に非婚シングルの男おひとりさまがいる。同一年齢では、男性人口のほうが女性人口よりやや上回ることがわかっているから、オス「負け犬」こと非婚の男おひとりさまのほうの数が、メス「負け犬」より多い。

 2005年の国税調査にもとづく人口学的なシミュレーションによれば、現在、30代後半の男性は4人に1人、30代前半と20代後半の男性では3人に1人が、生涯非婚を通す可能性が高い。

 この男性たちが、女性経験の少ない「非モテ」系であることもデータからわかっている。
これまで人生の半分近くを非モテ系で過ごしてきた男性が、これから先、モテ系になる可能性は低い。

 だったら無理に「おふたりさま」になろうとせず、「おひとりさま」のままで生きていけばいいではないか、とわたしなどは思うが。

 秋庭原で通行人の無差別殺傷事件をおこした加藤智大被告は、「非モテ」を気に病んでいたという。女が自分についていさえすれば、学歴コンプレックスも、カネがないことも、派遣切りにあいそうにないことも、何もかもひっくるめて一発逆転できると思っていたらしい。

女一人を「所有する(モノにする)」ことがなければ男として一人前ではないという「男らしさ」の神話を、加藤クンも信じていたのだろうか?

女が女であるために「男に選ばれる」という証明は必要ない、と考えてきたように、男が男であることを「モテ」で証明する必要なんてない、とこのひとたちが思ってくれたらよいのだが。

非モテ系の男性のなかには、しろうと女性のセックスよりプロのサービスのほうがよいと感じたり、肉体を持った現実の女性よりは二次元のヴァーチュアルな女性の方に“萌える”人たちもいる。

セックス産業の消費者の中心はこの世代であることがデータからはわかっているし、それも“本番”以外のメディア系にどんどんシフトしている。これだって、本人が不自由を感じていなければ、それでいい話だ。

酒井順子さんのベストセラー『負け犬の遠吠え』(講談社2003年)では、夫なし・小なし・30代以上を「負け犬」と定義して自己卑下してみせたあげく、「わたし、負け犬ですが、それがなにか?」というパフォーマンスがあった。

オスの負け犬の世界でも、「彼女いない歴40年ですが、何の不自由も感じていません。それがなにか?」という“常識”が通用するようになれば、男性たちにもよほどラクになるだろうに。

「ふがいない」と歯ぎしりするのは、旧人類の肉食系男だけ。結婚していなければ男は一人前でないという呪縛から、男たちはいつ解かれるのだろう。

生涯非婚率が3人に1人になる時代には、そんなことを言っていられないと思うのだが。そのうえ、いったん結婚してさえ、リストラやキャンセルがある時代なのだから。
つづく 第2章 下り坂を降りるスキル