
上野千鶴子著
《生き抜いた妻に恥じないように》
ジャーナリストの田原総一朗さんは、最愛の妻をガンで失った。闘病中に『私たちの愛』(講談社、2003年)という、まるで相聞歌(そうもんか)のような夫婦愛の本を共著で執筆。
妻には「ぼくはきみが死んだら、すぐに後を追うよ」とあった。節子さんが亡くなっても、総一朗さんは死んでいないではないかと揶揄(やゆ)する向きもあるようだが、わたしはそういう気にはなれない。
節子さんは、ガンと共に、生き抜いた。テレビの創業時代、美貌アナウンサーだった節子さんが「容貌の衰え」を理由に番組から降ろされたのが、30歳のとき。それを不服として、会社を相手取り裁判に訴えて闘ってきた筋金入りの働く女性だ。
総一朗さんはそんな節子さんを愛し、最初の妻の死後に再婚した。
節子さんは、ガンになってからの生き方も素晴らしかった。多くのがん患者と出会い、自分でも病に苦しみながら、彼らの力になった。これほどの生き方を示してくれた妻の後を追っては、妻に申し訳ないだろう。残されたものの務めは、生き抜いてた彼女に恥じないように、なにがあっても自分も最後まで生き抜くことしかない。
総一朗さんは、そう思い定めたように思える。わたしは田原さんに政治的な信条をともにしないが、これほどの夫婦の同志愛は見事だと思える。
《女のほうが立ち直りは早い》
死別おひとりさまが、男か女かは大違いだ。女性のほうは、男性ほどの喪失感に苦しまないようだ。もちろん配偶者を失って、打撃から立ち直れなかったり、うつ状態になる女性も何人もいる。おもしろいのは、それが必ずしも仲が良かった夫婦とはかぎらないこと。
会うたびに夫のグチをこぼしていた女性が、夫に先立たれて虚脱状態になったり、端が羨むようなおしどり夫婦だったカップルの妻が夫を失ってから、からりと明るく生きていたりする。夫婦ってホントにわからない。
夫に死別したばかりで、茫然自失していた60代の女性が、書店でわたしの『おひとりさまの老後』(法研、2007年)を手に取った。これは自分のために書かれた本だと感じて、読んだら元気が出た、とお便りをいただいた。
そういうおたよりをくださった読者のひとりが、NHKの「ニュースウッチ9」に搭乗していたが、前向きに生きようと決意したのが、夫の死から三日月後。女の立ち直りは早い、というべきか。
《妻の死を認められないだだっ子》
妻に先立たれた作家の城山三郎さんに、『そうか、もう君はいないのか』(新潮社、2008年)という妻恋いの記がある。
娘の井上紀子さんが妻を失ったあとの城山さんの日々を書きとめている。
「暗い病室で静かに手を重ね合い、最後の一瞬まで二人は一つだった。温もりの残るその手を話す時、父は自分の中で決別したのだろう。現実の母と別れ、永遠の母と生きゆく、自分の心の中だけで」
「この直後から父は現実を遠ざけるようになった」と、紀子さんは続ける。たとえば「通夜も告別式もしない、したとしても出ない、出たとしても喪服は着ない。
お墓は決めても、墓参りはしない。駄々児のように、現実の母の死は拒絶し続けた」
城山さんは、仕事場に引きこもったまま、妻と過ごした“終の棲家(ついのすみか)”にも帰らなくなったという。
こういう「現実否認」は、男性に多い。わたしの父も、あれほど妻の死を嘆いたのに、妻の納骨に立ち合わず、最後まで妻の墓参りを拒絶した。言い分は「ママは、あんな所にはいない」‥‥・別に唯物論者だったわけではない。新井満さんの『千の風になって』が流行するより、ずっと以前のことだ。どこにいるかっていうと、城山さんと同じく彼の「心の中」だけにいたのだろう。
娘さんが書く「家族も本人さえも想像つかぬほどの心の穴」は、城山さんや私の父のような男性が、妻以外に社会的な人間関係を持ってこなかったことによるのではないだろうか。
作家の城山さんは自宅と仕事場を往復するせいかつをしていた。編集者の出入りはあっただろう。組織人としての生活は早めに辞めている。わたしの父も自営業でお山の大将だった。
その逆、妻が夫の死に際して、これほどの現実否認をするとは思えない。こうした現実逃避は、妻への愛の深さゆえなのだろうか。それならその逆が少ないのは、妻から夫への愛がそれほど深くない証拠だろうか。
どうもそうとは思えない。わたしには妻への「依存」がそれほど深いからだと思えてしかたがない。その「依存」は、たまたま「愛」と一致することもあるし、そうでないこともある。
そして、そうやって「依存」された相手が、それを歓迎していたか、それとも迷惑に思っていたかはわからない。
城山さんが世捨て人のような引きこもり状態から脱して、娘夫婦と同居するきっかけになったのは、娘婿からの次の一言だった。
「一人の親の身を案ずるというだけでなく、「城山三郎」という作家の側にいる者の責務として、何より一読者としてお願いしているのです」
再三再四にわたる娘からの懇請には折れなかった城山さんが、この一言で急に態度を軟化させたという。
感動的なエピソードはあるが、男は死ぬまで公人なのか、私人としての愛だけでは不十分なのか、と思わされてしまう。
娘さんの夫いう人は「男心」のアキレス腱がよくわかっている。だがこの手は、職場去って久しい男性には効かないし、もちろん多くの女性には使えない。
《“命綱”を失った喪失感》
各種のデータからわかるのは、妻に先立たれた夫の喪失感が深いこと、それが心身にダメージを与えること、家事能力がないから直ちに不便になるだけでなく、心理的な依存度が高いから、それを埋め合わせることができないこと、などなどがある。
配偶者の死を埋め合わせるものは、なにもない。人生の中で誰よりも時間と経験、そして感情をともにしてきた重要な他者であり、子育ていう人生最大の事業を共にした同志であり、場合によっては自他分かち合い難いほど互いに食い込んで相互依存関係をつくってきた相手だからだ。
とはいえ、夫の喪失感の深さは、ほかに人間関係資源をもたないことにもよる。ほとんど妻だけが“命綱”みたいだ。妻の代わりはだれにもきかないだろうが、それでも慰めてくれたり、思い出を共有してくれる家族や友人の誰かかれが傍らにいれば、孤立やうつ状態に陥らなくてもすむ。
そうなれば、この喪失感と打撃の大きさは、妻以外にどんな人間関係も築いてこなかったツケ、と言えるかも知れない。
《妻の一周忌が過ぎたあたりから》
ところが、このかけがえない妻という「重要な他者」を、てんに「便利な他者」と考えて、取り換え可能だと思う人(ほとんど男性)も多いらしい。
50代の終わりに、突然、妻を失ったミノルさんは、妻の一周忌が過ぎたあたりから、友人たちの態度が変わったのに気がついた。彼は決まってこう言う。
「もう、そろそろ、いいだろう?」
なにがって、再婚しては? という探りだ。その気があるなら、だれか紹介してもよいが、というオファーとき。「なにかと不便だろ」という親切心からである。
DINKSを通してきたミノルさんは、ピアニストだった妻との間に、かけがえのない思い出がたくさんある。1年や2年で急に「もういいだろ」という気分にはなれない。さみしいのは確かだが、さみしさを埋め合わせるにも、女ならだれでも、というわけにはいかない。
「不便だろ」という理由で再婚をすすめる友人たちだれかれの顔を思い浮かべながら、彼らにとって結婚とはその程度のものだったのか、と憮然(ぶぜん)たる思いがある。その程度の理由で後添えに選ばれる女のほうも、たまったものではない。
つづく
この先、「おふたりさま」になる可能性は?