上野千鶴子著
妻に先立たれるとき
配偶者に死に別れあとの平均生存期間は、妻が約10年間、夫が約3年間。夫の方が圧倒的に短い。とはいえ、男性シングルと有配偶者をくらべた平均寿命をみると、
夫婦そろっているほうがシングルより長生きすることが解っている。
生活のうえでも、情緒のうえでも、妻のいる男性は、シングルの男性より、ずっと安定したストレスの少ない状態にあることを各種のデータは示している。
その反対に、女性の既婚者はストレスを抱える傾向があるようだ。調査を見てみると、「夫がストレスになる」と答える妻は約6割。となると、男性は妻がいるほうが長生きし、女性は夫がいない方が長生きするのだろうか。配偶者が死別したあとの、男女の平均生存期間の長さの違いは、そんなところにも原因がありそうだ。
《叶わなかった母の願い》
私の父は、子どもの目からみても、200%、母に依存していた。
生活のうえでもタテのものをヨコにしない男だったし、感情のうえでも「お友だちいない系」だったから、家族だけが人間関係のすべてのような暮らしをしていた。
偏屈で狷介(けんかい)な男だった父に対して、母は常日頃、「お父さんみたいな人と一緒に居られるのは、私ぐらいなものよ」と言い続けていたものだ。兄と弟、それにわたしの3人の子どもたちは、一日にでもよいから母が父より長生きしてくれることを祈るように願っていた、父がひとりでこの世に残されることを想像するのは(もちろん本人がいちばんそれを恐れていたと思うが)、子どもたちにとっても、あまりに恐ろしかったからだ。
ただしこの「心理的依存」は、愛情と同じとは限らない。父が母に依存していたことは100%たしかだし、本にはそれを「愛」だと思っていたかもしれないが、母の方はそう思っていたかどうかは分からない。
そこが「愛」の非対称性の摩訶不思議なところだ。
母にとっては、それはたんに父の執着や支配の別名だったかもしれない。子どもの目には、彼ら夫婦が「愛し合っていた』とは、どうにも思えなかった。その証拠には、母のほうが、「お父さんより一日でもいいから長生きしたい」と願っていたからだ。
そのココロは、「お父さんのいない、天井の抜けたような青空を一日でもいいから経験して死にたい」ということだった。
彼女は35年間にわたって気の強い姑に仕え、姑を見送ったあと、しばらく虚脱状態に陥ったが、その後は重しが取れたようなはればれとした顔で暮らした。父が亡くなっても、同じように2番目の重しがとれた、と感じたかもしれない。だが、残念ながら、母の願いはかなわなかった。
《息子に弱音は吐けない》
子どもたちは父より母が長生きすることを希望し、母自身もそれを望み、誰よりも父がそれを切望してたのに、現実は無情だった。
母は70代半で乳がんがもとで死亡。母の死の前後の父の混乱と悲嘆は、並大抵のものではなかった。母が死ぬことにいちばん動転していたのは、彼だと思う。
わたしたち子どもは、父の余命が長くはないのではないかと案じたが、おっとどっこい、彼はそのあと10年もひとりで生きた。触れたことのない電気釜でご飯を炊くことを覚え、ゆで卵を5つまとめて茹でてはひとつずつ温め直して食べる、という生活技術を身に着けて。
いやあ、人間いくつになっても変われるものだ、と感心したものだ。ゆで卵ひとつずつ茹でるのはめんどうなもの。まとめて茹でることまで誰でも考えつくが、冷蔵庫に保存して冷たくなった卵を食べるのはわびしい。
茹で卵をそのつど暖め直す、というワザは父から初めて聞いた。
問題は、こういう暮らしのディテールを事細かに報告するのが、兄や弟たちではなく、私に対してだけであったこと。つまり、彼は彼なりのやり方で、娘の私の童女を買っていたんだすね。
でもこういう弱音は、ついに息子たちには吐かなかった。だって兄弟たちはこのエピソードを話したら、「そんなこと、聞いたこともない」って言ったから。息子に対してはプライドがあったのだろう。
もうひとつのエピソード。母が死ぬまで病室にしていた部屋を、生前のままの状態にしておき、眠れぬ夜に起き出しては部屋の扉を開け、闇に向かって、ママー、ママー」と妻を呼んで泣いていたという話も、彼は娘のわたしにしかしなかった。
《雨戸を閉めて引きこもりの日々》
「おひとりさま」の父の10年は、孤独と引きこもりの日々だった。常に雨戸は固く閉じて、来客の声にも応えず、お正月の家族の集まりにも出てこなかった。
金沢の冬は、雪が深い。ひと晩で数十センチの積雪があると、玄関から道路までじょせつしなければ、表には出られない。それさえしないで、父は――除雪するだけの体力もなかったのだが――冬眠同様の冬ごもりをした。
近くに住む兄や兄の妻が心配して、食べ物を持って訪ねても、雨戸を開けずに追い返したりさえした。頼みこんでよその方にお手伝いに来ていただこうとしたら、玄関に仁王立ちになっても「お断りします」と言い放った。
いまから思えば、高齢期引きこもり、老年うつ病の典型だったような気がすが、子どもにしてみれば、扱いにくいことこの上もなかった。こういう性格だから、3人の子どもがいても、どの子どもとも同居の選択はなかった。
わたしにしてからが、あの親と同居はするのだけは、ぜーったいイヤだったものね。カワイソーだけど、自業自得でもある。同居していたら、必ず親子の葛藤と対立から、憎しみが生まれていた。
大変だったけど、愛情をもちながら介護できたのは、遠距離介護ならではのこと。これがもし残ったのが母だったら、子どもたちのうち誰かが同居を申し出ていたかもしれない。
つづく
《生き抜いた妻に恥じないように》
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