もともと家で死ぬのが当たり前だった前近代以降、急速に病院死が増加し、1970年代に在宅死を上回り、最近になって少しずつ在宅死が増える傾向にある。トップ画像赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

家族という“抵抗勢力”

本表紙  上野千鶴子著

家族という“抵抗勢力”

日本では、現在でも在宅死より病院(施設)死が87%(2003年)と圧倒的に多い。
もともと家で死ぬのが当たり前だった前近代以降、急速に病院死が増加し、1970年代に在宅死を上回り、最近になって少しずつ在宅死が増える傾向にある。

病院死では、スパゲッティ症候群(輸液ルート、導尿バルん、気道チューブ、各種モニタなどを身体中に差し込まれ重症患者の状態をいう)といわれる終末期の過剰医療がおきたり、家族の前で心肺蘇生術が行われたり、場合によっては、種ちゅう治療室に運ばれこまれて、家族追い出される場合もある。
これでは別れを惜しんだり、悲しむ場もない。

 韓国の介護施設では、こんな話を聞いた。施設でなくなった利用者の遺体を運び出して病院に移し、わざわざそこで親族のお別れをするのだという。病院死は「近代化」のシンボル。遺族が最後まで全力を尽くしました、というアリバイ工作に使われる。

《入院を決めるのはだれ?》

在宅医療を実践している岐阜市在住の医師、小笠原文雄さんによれば、終末期に病院にかつぎこまれるのには、ほとんどが家族の意思によるとか。小笠原さんは、かなり重度のがん患者の対する緩和ケアを含む在宅医療を地域で実践している。

 過去の事例の中で在宅死亡率は6割。これが現在、9割まで在宅死の比率をおしあげるように変わってきている。日本の在宅死比率はげんじょうでは13%だから、驚異的な数字である。

 昏睡状態になった患者に代わって入院を決めるのは家族である。もし患者本人に意識があれば、この期に及んで入院を希望する人はほぼいないだろう。せっかくここまで在宅で持ちこたえてきたのだから、この家で死なせてくれ、というのがホンネではないだろうか。
 
 死にかけた患者を目の前にしてパニックに陥るのは家族のほう。自分が診ておれないから病院へ、となる。

 小笠原さんは、だから患者本人とだけでなく、その家族との信頼関係を築くのに時間をかける。患者の変化はこういう順番で起こること、へんかはゆっくりだから心配しなくていいこと、何かあったら24時間訪問看護ステーションの看護師が対応するから安心してほしいこと、在宅で看取れば何よりも患者さんの満足度が高いし、それを支えた家族も達成感を味わえることなどをじゅんじゅんと話す。

 1時間以上かけるともあるが、診療報酬にはならない。普段見ているからこそ、患者さんの変化がわかる。パニックに陥る家族は、遠くに離れていて、たまにしか来ない親族の場合が多い。

《死ぬのに医者はいらない》

小笠原さんの信条は、「死ぬに医者はいらない」だ。
 たしかに。
 治療は医師の仕事だが、死ぬのは、死ぬひと本人が成し遂げなければならない、だれにも代わってもらえない大仕事。
 深夜に訪問看護ステーションに電話がかかってきたら、必要と判断されれば医師が往診するが、ほとんどは自宅待機の看護師が対応する。家族とともに看取りをしたら、看護師さんからドクターに、「いま、亡くなられました」と電話がかかってから、夜が明けてからゆっくり出かければよい。

 重度の患者さんを担当しているわりに、小笠原さんは深夜にあたふたすることが少ない。それというのも患者とその家族とのあいだに、日常的に深い信頼関係ができているからこそだ。

 息を引き取った患者さんの多くの場合、家族が看護師さんと一緒にきれいな着物を着せ、送り化粧をする。家族が患者にしてあげられるこの最期のケアを、小笠原さんは「エンゼルケア」と呼んでいる。天国への旅立ちのお手伝いだ。

 家族が納得して「エンゼルケア」を実践したケースでは、残された遺族の満足度はすこぶる高いという。

「家族で送り、送られるのですよ」というドクターのことばに半信半疑だった。
 往診についていって、驚いた。ことばとおりだったからだ。

 大腸がんで人工肛門をつけながら闘病している女性の患者さんは笑顔だったし、「そろそろ今夜あたり」という末期がんの夫を在宅で看ている妻も笑顔だった。ドクターの予想通り、お訪ねしたその日の夜に、その患者さんは亡くなられた。翌朝訪問したドクターは、ご家族の満足そうな笑顔に迎えられたという。

《ドクターのひとことで家族関係が修復》

こう言う話を聞くにつけても、家族がいなくてホントよかった、と胸をなでおろす。
 子どものいないわたしには、最末期になっても、わたしに代わって意思決定を代行するものはだれもいないからだ。

 日本では家族の権利がとても強い。意思決定の能力がなくなったら家族がそれを代行するし、臓器提供だって、法改正により、本人からあらかじめ拒否の意思表示をしていないかぎり家族の意思だけでできるようになった。どんなに親しい友だちでも、滅多に合わない親族が遠くからやってくれば、病室から追い出される。

 終末期に入院することを自分の意志で選択する患者さんにも、「家族がそれを望むから」「家族の迷惑にならいように」という配慮がある。それさえなければ、病院で死にたいと、本気で願う患者さんはどのくらいいるのだろうか。

 在宅看取りの“抵抗勢力”がほかならぬ家族であるという実例をもうひとつ、小笠原さんから聞いた。末期がんの患者さんが、「もう病院でやることがないから」と退院を進められ、本人も強く退院を強く希望した。彼には、家庭内離婚状態の妻がおり、その妻が、手のかかる夫が家に帰って来るなんて、と強硬に反対した。

 そこに割って入った小笠原さんのセリフである。
「あんたさえおらんかったら、患者さんを家に帰らせてあげるのになあ」
 大逆転の発想である。
 嫌がる家族が入るばっかりに家に帰れない。だれもいなかったら、帰って在宅ひとり死を支えることができるのに‥‥。ドクターのあまりにも率直な発言に妻はショックを受け、考え直した。ヘルパーさんを入れる態勢をつくって夫を家に帰した。娘もせっせと通ってきてくれた。

 そのうち、夫のカラダをさわるのもイヤだった妻が介護に参加するようになり、両親の不和を嘆いていた娘がびっくりするほど、夫婦の関係は良くなった。最末期を在宅で過ごすことが出来た夫の満足度は高く、介護の協力し夫婦関係を修復した妻と、それを見ていた娘の満足度も高く、ドクターはたいへん感謝された。
 人生はいろんなことが起きるものだ。

《日本在宅医学会の大胆な試み》

在宅看取りを実践している医療関係者たちは各地にいる。
 日本在宅医療研究会は1999年設立がん患者の在宅医療を支えるために、急性期医療と地域医療との連携などを研究し、実戦している。

 日本在宅医学界も同じく1999年設立。医師だけでなく、看護師、理学療法士などコメディカル(医師以外の医療従事者)の多職種を含む会員・準会員が1300名いる。

 2009年、鹿児島で開催された日本在宅医学界の年次総会の大会会長を務めた中野一司さんは、鹿児島市内の開業医、訪問医療にITを駆使しており、彼が主催する在宅医療ネットワークのメーリングリスト登録者は全国に約900人いる。このメーリングリストを使って1000人が集まる大会を、組織委員長なしでたったひとりで仕切った。だから大会委員長ではなく、「大会・長」。主催者挨拶で、会長の次に大会・長が登場したので、わたしたちは会長より大・会長の方が偉いのかと思った。

 このひとは、日本最強の口うるさい三婆、樋口恵子、大熊由紀子、上野千鶴子の3人を一堂に集めてシンポジュウムをやるという、これまで誰も考えついたことのない大胆な企画を思いついたひとだ。

《医療も介護も地域差が大きい》

こういう在宅医療は、ひと昔前のかかりつけ医、今や“絶滅危惧種”のホームドクターを思い起こさせる。かえって鹿児島や岐阜市のような地方都市が、1周遅れのトップランナーになるのだろうか。

 と思ったら、東京都区内23区内、それも、ど真ん中の新宿区で在宅ターミナルケアを実践を実践しているドクターにお目にかかった。考えてみれば、都市の方が人口密度が高い。移動コストを考えれば、都市部の方が、訪問医療の効率はいいかもしれない。

 ただ問題は、こういう実践が、志のある一部の医療関係者がその地域にいるかどうかという偶然のファクターで左右されてしまうことだ。医療保険も介護保険も制度は全国一律。だが、制度に命を吹き込むのは人は。

 同じ出来高払いの収入で、赤字を出すところもあるし、黒字を出すところもある。同じ条件の下で、志のたかい医療や介護を実践している関係者もいるし、制度に胡坐(あぐら)をかいている人たちもいる。医療も介護も地域差が大きい。

 何度でも繰り返して言うが、こういう良心的な担い手と巡り会えるかどうかは、おカネさえ出せばなんとかなる、という具合にはいかない。

 おひとりさまの在宅看取りを可能にするためには、老後はそうした地域さ介護・医療資源のある土地に引っ越すか、それとも自分の住んでいる地域で、元気なうちにそういう医療を創り出す仕組みを考える必要があるだろう。
 つづく 介護保険を「おひとりさま仕様」に