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ありあまる時間をどうつぶすか

本表紙 上野千鶴子著

ありあまる時間をどうつぶすか

おひとりさまは、「時間持ち」だ。
 浮世の義理も職場も拘束されない、ありあまる自由な時間。
 その時間はもはや「会社時間」でもなく、「家族時間」でもなく、「自分時間」だ。

 だが、なにもする事のないあり余る時間は地獄。時間というものは、たんに在ればよいというものではなく、どうやって使うかが問われる。1日24時間はだれにでも平等だが、それを気ぜわしく動いてあっというまと感じる人もいるし、無聊(ぶりょう)をかこって眠れぬ長い夜を過ごす人もいる。

「時間もち」は、ただ時間があるというだけでは十分じゃない。そのなかで処分時間、つまり自分の裁量で豊かに使える時間がどれほどあるか、による。カネ持ちがたんにカネを貯め込んでいる人の事ではなく、可処分所得、つまり自分の裁量で使えるおカネがどれだけあるか、どんな使い方をしているか、で問われるように。

 時間の使い方とは、つまるところヒマをつぶすノウハウとスキルのこと。

「ヒマつぶし」といっても、否定的な意味でいっているのではない。人生とは、死ぬまでの壮大なヒマつぶし。どうせ同じヒマつぶしなら、豊かにつぶしたい。

 時間持ち・時間貧乏の調査をしたとき、ふたつの法則が見つかった。紹介しよう。
 その1 時間はひとりではつぶれない。
 その2 時間はひとりでにはつぶれない。
 ココロは、その1は、時間をつぶすには一緒につぶしてくれる仲間がひつようなこと。
その2は、時間をつぶすにはノウハウもスキルも、そしてインフラもいることだった。
 前著でも少し触れたが、本書では男性向けに詳しく述べよう。

《時間をつぶす相手がいる?》


その1 時間はひとりではつぶれない。そのココロは…。
 多くの人にとって、時間をつぶすには相手がいる。まれにはひとりでいることが苦にならず、ひとりで遊びの得意なひともいるが、こういう「おひとりさま力」のあるひとはそれほど多くない。

 時間もちの調査対象のなかには、ひとり遊びの達人がいた。ボトルショップという組み立て模型細工をご存知だろうか。ガラス瓶のなかにピンセットで部品を入れて帆船を組み立てる、根気のいる趣味だ。

 ユキさんの夫は、定年退職してからボトルシップづくりに熱中するようになった。奥さまならぬ外様こと、出歩く主婦のユキさんが、夫の背中越しに「行ってきま―す」と声を掛けも、振り向きもせずピンセットを動かしている。

 自分が出歩くのにいちいち干渉がましいことを言わないだけラクといえばラクだが、もし自分が先だっても、夫は、背中を丸めて、一心不乱にボトルショップ作りに打ち込むのだろうか。

友人の多い自分とは違ってつき合いの少ない孤独な夫が、薄暗くなったことも気づかず、部屋で緻密な細工に熱中する姿がリアルに浮かんで、ユキさんはやるせなくなる。

 こんな夫を残して死ねないと思うが、存外このひとは、これまでもそうだったように、自分がいなくても平気かもしれない、という気もする。その後、幸いなことにユキさんは夫を先に見送ることができて、ほっとした。

《人間は人恋しい生きもの》

ボトルショップづくりといえども、まったく孤独な作業というわけではない。
 模型屋さんを介した同好の士の集まりがあるし、展示会に出品することもある。マイナーでテマヒマかかる趣味だけに、一家言ある人たちが多く、そのなかで一定の評価を受けることが参加者には楽しみらしい。

 どんなマイナーな趣味にもそれなりのコミュニティがあり、そこにはやはりパワーゲームが起きている。子どもの時のメンコ遊びから、家族あわせのゲーム、仮面ライダーのフィギュアのコレクションに至るまで、
 男の子の世界は、「おぬし、やるな」のパワーゲームで一生が過ぎるのかもしれない。

 ユキさんの夫のようにひとり遊びの達人もいるが、それどの胆力も備えた人は多くない。人間は人恋しい生きものだ。だが、誰でもいいわけじゃないことは、胆に銘じておこう。

 世の中には、一緒にいてうれしいひとと、一緒にいてうれしくないひともいる。一緒にいて嬉しい場合と、嬉しくない場合もある。「自分時間」は、ひとりでいたいときにひとりでいられることと、ひとりでいたくないときにだれかと一緒にいられることの組み合わせだ。この「だれか」は、キモチのいいだれかであって、選べる相手であることがかんじんだ。

《子育ては最高のヒマつぶし》

時間を一緒につぶしてくれるのに、いちばん安直な相手は家族である。子どもたちは、自分の人生の時間を、20年間ばかりワクワクドキドキさせて潰してくれ相手だと思って、それ以上の期待もせずに感謝して送り出そう。

 子育てほど熱中できる楽しみはこの世にはめったにないのだから、それ以上、期待重圧をかけたり、見返りを求めるのはもってのほか。とりわけ親の期待の重圧に押しつぶされそうになっているわたしの教え子の東大生たちをみていると、このことは声を大にして言っておきたい。

 女親にくらべて男親は、このわくわくどきどき感を味わい損ねているぶんだけ、ソンしているかもしれない。

 赤ん坊は雨後のタケノコか畑のアスパラガスみたいに、日に日に目の前で育っていく。思春期に入ってからも、思いがけない言動で親を驚かせたり、感心させられたりする。親になったことのないわたしでさえ、育ち盛りの学生を見ていて、目の前の成長に息をのむことがあるだから、これにつきあわないのは、本当にもったいないと思う。

《「別居のおひとりさま」という選択》

親業を卒業したあと、残るのは配偶者。子どもとの時間は期間限定、配偶者との時間の方が長くなってしまった。その時間が、二人でいるより一人の方がましな、索漠(さくばく)とした味っ気の無いものになってしまったら情けない。

 最近は、金婚式を迎えるカップルも珍しくなくなってきた。若い頃に一時の気の流行から選んだ相手と、半世紀以上を共にしなければならないのだから、配偶者選びはほど慎重にしなければならない。

 というより、一時の選択以上に、半世紀の時間を堪えてお互いに変化しつつある関係をメンテナンスすることが重要になった。

 年齢や環境によって、パートナーに求めるものも変わる。若いときはひたすら頼もしい男が良かったが、年を取ると、「一緒にいてラクなのがいちばん」と好みが変わった女性もいる。その期待の変化に合わせ相手が変わってくれればよいが、そうは簡単にいかない。

 ホントいうと、節目ふしめに夫婦関係をリストラして相手をとっかえればよいと思うが。諸般の事情でそうもいかない。

 周囲のカップルをみていると、「親魚定年」をきっかけに夫婦も定年にしたいとひそかに念じている人たちが多いようだ。何しろ夫婦とは、子育てという人生最大の関心事の一つを共有する「戦友」だから、「親業」が続いているあいだは共闘する理由がある。だが、それが終われば継続する理由がなくなるからだ。

 こういうカップルのなかには、二世帯居住で別居しているカップルもいる。夫婦関係は解消しないが、死別でも離別でもない、「別居おひとりさま」である。

《一緒に旅行に行きたい相手は?》

妻はいちばん手近にいて、散歩や買い物や旅行に同行してくれるパートナーだった。
 だか、妻のほうが喜んで同行してくれたかどうかは、実のところわからない。

 シニア世代を対象とした調査によると、「旅行(国内)に一緒に生きたい相手は?」とい問いに対して、女性の回答は、1位「家族」、2位「友人・知人」、3位「夫」の順。
 ちなみに男性の回答は「妻」がダントツ1位である。

『ロマンチックウイルス』(集英社新書、2007年)の著書である、女性のアジア観光にくわしい、故・島村麻里さんが教えてくれた。彼女自身もそうとうのミーハーだ。

ヨンさまブーム以降、女性の韓国ツアーが増えたが、ほとんどが女性同士のグループ。
 香港、ベトナム、タイなどの2〜2泊程度の行ける“近・短・安”のアジア観光は、ほとんどが女同士だという。

 タイのプーケットやインドネシアのバリ島などの国際的なリゾート地では、欧米人カップルを対象にしたアマン(愛人)・リゾートが売り。だから一流ホテルは、ダブルベッドが基本だった。ところが日本女性ふたり連れが押し寄せた。

 円高でカネは持っているし、エステやスパにも経験値が高いし、おまけにグルメときている。寝るときはべつべつのベッドでというので、ツインルームのリクエストが増えた。

 誇り高いホテル側はそれに応じなかったが、顧客需要には抗しきれず、ついに日本人女性向けにツインが増えたのだという。日本の男性は時間がなくて、アマン・リゾートに行くヒマがないのだろう。

 島村さんの観察によれば、アジア観光が女同士なのに対して、ヨーロッパ旅行ではカップル、それも高齢のカップルが多いという。どうやら“近・短・安”のアジア観光は女同士のリピーター、いっぽう“遠・長・高”のヨーロッパ旅行はスポンサーつきでカップル旅行という棲み分けが起きているようだ、というのが彼女の解釈だった。

 日本人はカップルでも、ダブルよりはツインを好む傾向が強そうだけど。
 男おひとりさまになるということは、このもっとも手近で安直なヒマつぶしのパートナーを失う、ということを意味する。
 そのためにこそ、家族持ちだけでなく、人持ちになっておく必要があるのだ。

《男性多い「学校縁」》

時間もち。時間貧乏の調査では、「だれと時間をつぶすか?」という相手を、人間関係によって、血縁。地縁だけでなく、職業縁・学校縁。選択縁と分類してたずねてみた。

 男性で意外に多いのが学校縁。オレ・オマエの学校時代の関係を長期にわたって維持している、その反対に職場縁は、仕事の切れめが縁の切れめ。

 現役で残った後輩との関係は、向うにとっても相手にとってもどう扱ってよいかわからず、困惑するだけだということはわきまえておこう。

 女性は職場に巻き込まれないぶん、女縁という名の選択縁を積極的に創り出してきたが、男縁が女縁ほど発達せず、また男性の交友関係のなかで10代にさかのぼる学校縁が大きな比重を占めているところをみると、逆に、10代以降に利害関係のない人間関係を新たに創り出すことが、それほど難しかったのだろうか、という思いになる。

「親友? 高校時代にラグビーの部活をともにした友人ですね」とか。
「学生時代につくった友人が生涯の友となるんだから、大事にしなさい」とかいうアドバイスを耳にすると、あまのじゃくなわたしなどは、このひと、オトナになってからはお友だちをつくれなかったのね、かわいそうに、と思ってしまう。
 つづく ヒマつぶしの達人

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