ADLの自立ができても、男性が、ひとりで暮らしをするのは難しいと考えられてきたのは、出されたものを食べることは出来ても、自分でそれを作ることが出来ないからだ。周囲を見ていると、この食の自立さえできれば、ひとり暮らしが継続できるのに、と思えるケースもが多いトップ画像

「食」のライフラインを確保する

本表紙 上野千鶴子著

「食」のライフラインを確保する

高齢者の自立度を測る目安の一つにADL(日常生活動作)の自立という指標がある。食事、着替え、移動、排泄、入浴など、通常の生活を送るために必要な身体の能力を測る尺度の事である。なかでも人間の暮らしの基本は、食べること、出すこと。このふたつが他人の介護なしにできたら、だいたいひとりで暮らしていける。

ADLの自立ができても、男性が、ひとりで暮らしをするのは難しいと考えられてきたのは、出されたものを食べることは出来ても、自分でそれを作ることが出来ないからだ。周囲を見ていると、この食の自立さえできれば、ひとり暮らしが継続できるのに、と思えるケースもが多い。

男性に限らない。高齢化が進めば、台所に立つのも、おっくうになるし、買い物にも行けなくなる。そんなときに配食サービスさえあれば、相当程度までひとりで在宅でがんばれるケースが男女ともある。
食のライフラインさえ維持でければ、ひとり暮らしを断念せずにすむのだ。

《コンビニは、おひとりさまのつよ―い味方》

男おひとりさまの暮らしを支えているのは、実のところ、この食のサポートである。
  その強い味方はコンビニだ。
 コンビニは、日本の食の世界に、外食は・内食のほかに、中食という新しいマーケットをもたらした。中食とは、出来合いの総菜や食べ物を買ってきて、打ちに持ち帰って食べることをいう。

 これまで夫のいる女性が外出するときは、冷蔵庫に留守中の食事を用意して出るのがルールだった。泊りがけで出るなら3食分、2日がかりなら5食分。この準備が負担で出に区という声が聞かれた。

 なかには、冷蔵庫から出して電子レンジで温めるだけにして出て行ったのに、暗くなるまでじっと待っていて、妻が帰ってから、「おい、どうやって食うんだ」と文句をいった夫のエピソードもある。

 夫と子どもをおいて3日間ほど家を空けたら、3日とも子ども連れて外食していたというケースもある。
 もっとひどい例では、風邪を引いて寝ている妻の枕元で、
「メシの心配はしなくていい。オレ外で食ってくるから」と言った夫の話がある。
「あたしのメシはどうなるのよ!」と寝ている妻は言いたいところだろう。
こんな夫でも、妻から離婚されずに来たのが、これまでの日本の男だった。

 男おひとりさまの暮らしがどんなに惨めにならずすんでいるのも、「不便」だけを理由に「婚活」を考えずにすむのも、コンビニと中食のおかげ。

 コンビニ弁当はチンすればすぐに食べられるようになっているし、それなりの栄養バランスも考えてある。スパーには半製品があふれているし、調理済みのお惣菜や、炊き立てのご飯のパックもある。

 男おひとりさまの暮らしが成り立つようになったのは、男に家事能力がついたからではない。家事能力がなくても生きていけるような、都市インフラが整備されたからである。

 もちろん、この都市インフラの恩恵を受けているのは、男おひとりさまだけではない。家事能力の著しく低くなった、きょうびのメス「負け犬」おひりさまもコンビニのお得意様である。

家事能力がなくても、コミュニケーション能力が低くても、黙ってレジに出せば買えるコンビニ弁当は、いまやおひりさまのライフラインなのである。

《配食サービスを利用する》

コンビニ弁当のマーケットに、単身の若者だけでなく、単身の高齢者が多いことにコンビニ業界は気がついている。誰とも口を利かないが、日に一回、コンビニに弁当を買いに出るのを楽しみにしている高齢者もいる。

 それを織り込んで、店内にイスとテーブルを用意し、中食をその場でチンして食べられるコーナーを設置したところもある。深夜にこうこうと電気をともるそういうコンビニのコーナーで、家に帰りたくない女子高校生と、所在なげな高齢の男性が、ガラスに映るお互いの顔を見つめたりしているのだ。

 弁当を自分で買いに行くか、配達してもらうかは、紙一重のちがいにすぎない。単身高齢者が増えてからは、自治体やNPOなどが、高齢者を対象にした配食サービスを実施するようになった。

 こちらの方は、行政から助成金が出ていることが多く、値段も安くて、栄養バランスも考慮してある。是だって多くの場合は、単身高齢者向け。家族が同居していれば対象にならない。それならいっそ世帯分離してひとりになったほうが有利かも知れない。

 食の確保は命綱だ、だが食生活は1年365日。行政やNPOの配食サービスでは、現在のところ、365日までのサービスはしてくれない。足りないところはコンビニで補えばよい。最近では、コンビニも配達してくれるようになった。

 コンビニと並んで強みを発揮するのが生協だろう。生協といえば、ずっと宅配で支えられてきた業種。組合員女性の就労が増えるにつれて、グループ宅配が個配になり、やがて店舗販売になっていった。だが、今度は店舗の維持が負担となり、ふたたび宅配を重視する傾向が出てきた。

 前近代のマーケティングといえば、行商。これに対して固定型の店舗販売を、植物型マーケティング(その土地に根を張って動かない)という。
 こちらのほうがずっと歴史は新しい。

 そうなれば生協のような無店舗宅配は、かえって時代の先端となるかもしれない。そのうえ地域の実態をきめ細やかに把握し、福祉サービス事業とともに、食のライフライン確保する事業は将来性があるだろう。

 もちろん無店舗宅配商法には全国区の業者もいる。だが、食生活は“なじみ要因”が大きく、保守的でローカル性の強いものだ。インスタントラーメンのメーカーでさえ、西日本と東日本では味付けを変えているという。食の宅配は、地域密着型の宅配サービスが優位だろう。

《進化する高齢者向け中食メニュー》

コンビニ弁当は揚げ物や肉類が多く手・・‥と栄養バランスを憂慮する声もある。
 だか。近い将来、中食産業にふたつの大きな革命が起きるとわたしはにらんでいる。

 第1は、高齢者向けのメニューが拡大し多様化すること。糖尿食や減塩食、刻み食や、とろみ食などだ。

 第2は、店頭販売から配送へと流通がシフトすること。男女問わず、交霊ひとりさまマーケットは拡大している。すでに冷凍食の業界では、宅配ビジネスが登場しているが、アメリカと違って日本には、まだ家に大きな冷凍庫を備えて電子レンジで温めるだけのテレビディナー(一皿に一人前の主食とおかずが入った冷凍食品。チンして手軽にテレビを見ながら食べられることから、こう呼ばれている)を食べる習慣がない。

 流通網がきめ細かく成立している日本では、そして生食にたかい価値をおく日本の食文化のもとでは、冷凍食品の流通より、全国の5割近くの地域で自宅の500メートル以内に1軒はあるいわれるコンビニ業界の宅配サービスのほうが、マーケティング的にはより成功しそうだ。

 なに、3食コンビニ弁当を食べるなんて味気ない、ですって?

 そんなことはない。施設に入居しても、あてがいぶちの給食を食べさせられるのは同じ。有料老人ホームだって、いったん入居してしまえば食べ物の好き嫌いは言いにくい。まだコンビニ弁当の方が選択肢がある。

 それにコンビニのメニューは進化している! 季節商品や目先の変わった商品を日に日に新しく開発している企業努力はたいしたものだ。高齢者中食マーケットが大きくなれば、かれらの企業努力はそちらの方へ向くだろう。

《コンビニ第2世代の誕生》

 3食外食で賄うという食文化は、それほど特異なものではない。アジア圏では、朝ごはんから市場の屋台で食べて仕事に出かけるという習慣のある地域もある。

 家事労働のうち最初に商品化したのは、調理。定期的に立つ市で、調理済み食品が商品として提供された歴史は長い。家族のために手作りの食事を作って家で食べる、という習慣そのものが、新しいと考えてもよいかもしれない。

 岩村暢子さんの食の崩壊3部作、『変わる家族 変わる食卓』(2003年)、を読むと、もう既に「コンビニ第2世代」が育っていることがわかる。

 つまりコンビニ弁当で育った世代が、親になって自分たちの子どもを同じように育てる第2ラウンドが始まっているのだ。

 彼女が挙げた事例には、こんな話がある。毎晩遅く帰って来る夫が、駅から自宅へ帰る途中、コンビニに立ち寄って新製品をチェックせずにおれない。欲しいものがあると、妻が食事を用意しているのが分かっていても買って帰る。シングル時代の食習慣が、結婚してもなくならなのだ。

 こんな例もあった。一家4人がそれぞれ好みを譲らないので、出来合いの総菜を買ってきて、それぞれが好きなものを食卓に並べてバイキング方式で勝手に食べる。誰が何を食べているか互いに頓着しない。なるほど食卓は共有しているかもしれないが、これではほとんど「個食」同然である。

 少し前は、同じ釜のメシを家族みんなが同じ食卓で食べた。もう少したったら、同じ釜のメシを、家族がそれぞれ時差出勤でばらばらの食べるようになった。中食時代には、同じ釜のメシ」を食べる理由はまったくなくなった。家族を「供食共同体」と呼ぶが、別々の食べ物を食べていても、しょくたくをともにしていればそれでよい、という考え方もある。

 柳田国男は、「小鍋立て」を家族崩壊のサインと読んだ。「個食化」もその指標のひとつだ。小鍋立てとは、小鍋を火鉢などにかけて、少人数あるいはひとりで料理をつくること。柳田が『明治大正史世相編』でこの現象を論じた1930年代には、すでに個食化が始まっていたのだ。
 もはや家族が食文化の担い手である時代は終わったのかもしれない。
つづく  カネ持ちより、人持ち 

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