上野千鶴子著
《ちょうどいい他人との距離は?》
昔の農村の日本家屋では、田の字型の配置の広い屋内で、納戸と呼ばれる狭い部屋に家族が布団を並べて雑魚寝した。そこに忍んできた夜這いの青年が、まっくらやみのなかの姉妹と妹娘を取り違えた、という笑い話もあったくらいだ。
岡山のさる大学で「家族を超える住まい」を講じた時のこと。自分の家のフロアプラント家族の寝方を書いてきてほしいという課題を出したところ、びっくりするような答えが返ってきた。
夫婦と成人した娘2人の4人家族が全員一室に集まって寝ているという。住宅環境のよい岡山では家族の数より部屋が多い家も珍しくない。
それなのに、まるで犬や猫の仔のようにかたまって身を寄せ合うのが習性なのかと驚いたが、タネ証を聞くと、この部屋にしかクラ―がなくて、ほかの部屋は暑くて寝ていられないからだという。
それにしても。もともと雑魚寝に抵抗感がないのだろう。
小さいときから個室で育ったきょうびの子どもたちは、大きくなっても雑魚寝になじめない。新婚のカップルでも、相手の気配が気になるので寝室を別にしているというひとたちがいる。仲が悪いわけでもない。ベッドを共にするのはセックスをするときだけ。寝るときは別々。
考えてみれば寝室というものが、セックス用と就寝用を兼ねるということ自体がヘンかもしれない。「同床異夢」というが、ホントはふたりいれば「異床異夢」のはず。
そのほうがぐっすり眠れる。もともとセックス用と寝室用とはべつべつの用途だから、空間を分けるのは理にかなっている。
他人の気配をどの距離で感じるのがいちばん好もしいかも、人それぞれ。体温を感じるくらいの距離がよいという人もいれば、襖ひとつ隔てた隣室がよいと思う人もいる。
いや襖や障子ではこころもとない、壁一枚隔てたほうが、いやいや、階上と階下で、そこはかと物音がするくらいがちょうど…といろいろだ。
離婚して田舎の一軒家にひとり暮らしている男性の友人をアメリカに訪ねてときのこと。2階の一部屋をわたしにあてがってくれて、数日間滞在した。
「ひとり暮らしの静謐(せいひつ)を乱してごめんね」というわたしに、こんな答えが返ってきた。
「階上にブルネット(黒髪)の気配があるくらいが、ちょうどいいんだ」
ウイットに富んだ答えだった。彼はブロンドが来ても、ブルネットをブロンドに置き換えて、同じことを言うだろう。
《和室か、洋室か》
空間の身体感覚は、生活習慣によってつくられる文化的なものだ。生活習慣を大事にするなら、いまの高齢者施設が、床座ではなく椅子座になっていることも、日本のお年寄りには合わない。個室を導入している施設では、入居者の希望で、畳を敷いて和室仕様にしているところもある。
座卓でお茶を飲む高齢者は、ほっこりとくつろいでいる。建物が椅子座仕様なので、床座にしては窓の高さが高いのが難だが。
ベッドと車いすはお年寄りの都合ではなく、職員の都合。腰痛対策と移動がラクなためだ。ベッドの高さだって、お年寄りには高すぎる。病院のベッドと同じく、処置する側の都合に合わせた高さになっているのだ。
あんな高さだからこそ、落ちれば骨折などの事故が起きる。
日本家屋の床座は、下肢に傷害があったり、筋力の衰えたお年寄りがいざって動くのに向いている。これにトイレが部屋に付設していれば、トイレの介助のいらなくなるお年寄りは増えるだろうし、移動に伴う介護事故も減るだろう。
もっとも、足腰の弱ったお年寄りにとっては、床座がつらいこともある。筋力が低下しているので立ち上がるのがむずかしい、腰が痛いので椅子の方が楽、という人もいる。少なくない。
床座か、椅子座か、どちらがいいかは、結局ケースバイケース、それぞれの身体状況や好みに会ったものを選択できればいいことだろう。
つづく
ケア付き住宅はおすすめか