上野千鶴子著
個室か、雑居部屋か
三好さんによると、年寄りは個室など望んでいない、他人の気配のある雑居空間の方がずっと落ち着く、とりわけ自我の境界が溶解していく認知症の年寄りを個室に入れるなどもってのほか。
年寄りを個室に入れよというのは、近代主義に汚染されたスウェーデンかぶれのインテリアばかり、という。
だがこれも、三好さんが現在相手にしている70代、80代の日本人には通用しても、それから下の世代にはどうだろう。
2003年に全室個室の「新型特養」を推進してきた厚労省は2005年の「見直し」では、個室利用者からホテルコストを徴収するようになった。その結果、個室から多床室へと“逆流”した年寄りもいる。その理由は、家族が経費を負担しきれないから、というものである。なにしろ月額経費が突然ひとケタ跳ね上がったからだ。
実際にユニットケアを導入してみると、最初は慣れなかった人も、馴染んでみると個室の満足度は高い。雑居部屋と個室の両方を経験している利用者で、もとの雑居部屋へ戻りたいという人はほとんどいない。
調査によれば、個室にした後の方が、職員と入居者の会話も増え、話題も介護に関するものに限定されなくなった。家族の訪問の頻度も滞在時間も長くなった。個室は利用者にもその家族にも満足をもたらす。
三好さんの説では、認知症に個室は合わないというが、スウェーデンでは重度の認知症者も個室が基本。スウェーデンでできることが日本でできないはずがない。
三好さんのいうところの「スウェーデンかぶれ」の建築家、日本にユニットケアを持ち込む立役者となった故・外山義さんの実証研究によれば、雑居部屋のお年寄りが仲が良いとは限らない。薄いカーテン一枚を隔てて隣り合った4人部屋のお年寄りは、互いに目を合わさないようにを向け合い、会話も少ないという。
施設に入居している認知症のお年寄りに、外山さんが調査したときのこと。空間感覚を調べるために、「ここはどこですか?」という質問をすると、「ここは学校です」という答えが返ってきた。
なるほど、広い廊下、ずらりと並んだ教室のような部屋、そのなかに詰め込まれたお年寄り、粗相(そそう)すると??責が飛んできそうな職員たち…・そりゃ、学校にみえるだろう。認知症の想像力を侮ってはいけない。
たいがいの子どもの学校にあまり良い思い出を持っていないものだ。わたしもそのひとり。「ここは学校です」と答えるお年寄りが、よい意味で言っているとは思えない。
人生の最後を、もう一度楽しくもない学校に収容されて暮らさなければならないなんて、情けないことではないだろうか。
つづく
ちょうどいい他人との距離は?