上野千鶴子著
いくらあれば施設に入れるか
家族が頼りにならないとすれば、案死して最後まで看取ってくれる老人ホームに入って、3食昼寝付きですごすには、いくら必要か。
終身利用付きの有料老人ホームはずいぶん増えたが、どれも最初の入居金が数千万円台。
月額利用料が20〜30万円程度。これに医療費や介護費用が別途かかれば、死ぬまで5千万円以上かかるだろう。カネがなければ、三途の川も容易には渡してもらえない。
最近増えだのが、高齢者専用の賃貸住宅、地域相場の家賃でおひとりさま用の住宅を提供し、ケアーを別途提供する、これだと入居金が数百万円台で、月額利用料が13〜16万円程度とだいぶ安くなる。が、年金がこの額に届かない人も多いだろう。
とはいえ、ふところ具合に応じてメニューが増えたのは有り難い。
だが、カネだけでは十分ではない。なぜなら、高齢者のくらしには、住宅というハードに加えて、ケアーというソフトの組み合わせが不可欠だからだ。
設備や広さや立地は、たしかにカネで買える。だか、断言するが、よいケフはカネはで買えない。
高額のカネを出して有料老人ホームに入ったものの、入居者が少なくて経営難に陥っているところもあるし、理事長が入居金を持ち逃げしたところもある。
要介護状態になると、せっかく入った居室から、介護室という名の狭い多床室に移されることもあるし、認知症になると、「ほかの入居者の迷惑がかかるので出て行ってください」と言われるとこともある。
いたんケアが始まったら、ケアの質に不満をもっても出て行くわけにはいかない。そもそも入居を決めたときには、まだ介護が必要になっていないから、どんなケアを提供してくれるのかは、身をもってチェックしていない。
ケアーというサービス商品に限っては、価格と品質が連動しないことは歴史が教える事実である。見かけは豪華な施設にも、「拘束」(手足身体を縛ること)のような高齢者虐待があることは知られている。
理由は簡単。ケアーというサービス商品は、利用者と購買者が一致しないからだ。事業者はどうしても、購買者の方を向いてしまう。
購買者はだれか、といえば家族の事。高齢者を施設に入れた家族にとって、と最大のサービスは、高齢者を家に帰さないことだ。つまり施設とは、小笠原和彦さんが書いたノンフィクション作家の題名通り『でくちのない家』(現代書館、2006年)、つまり多くの高齢者にとって、いったん入ったら生きては出られない場所なのだ。
見かけの豪華さや、利用料金の高さなどは、高齢者をウバ捨てした家族のやましさの代償。高いほどありがたみが増すのは、高価があってもなかったとしても売れるアンチエイジング化粧品と同じ。そりの合わない母親を高額の施設に入れた、絵本作家の佐野洋子さんは、「わたしは母をオネで捨てた」素直に言う。(『シズコさん』新潮社、2008年)。
《個室のおネダンは?》
岐阜市近郊にある社会福祉法人サンビビレッジ新生苑は、介護保険施行前に、月額費用36万円の完全個室自由契約型特養を、多床室の特別養護老人ホームに付設したパイオニア。
個室はホテル並みの豪華な仕様だ。地方都市で、それだけの料金を払って親を入居させる人がいるのか、とあやぶまれたが、30床はあっというまに埋まった。これだけ払っても、ほかに行き場のない人たちのニーズがあったということだろう。
その後、2003年の厚生労働省の新型特養建設推進で、原則個室のユニットケア棟を新たに増築した。
自由型特養は介護保険になって普通の特養になり、個室料金は24万円、ユニットケアの新型特養では、特養の施設費用にホテルコスト(室料)を加えても約14万円程度ですむ。
同じ個室を利用できるのであれば、と自由型特養からユニットケア棟へと移動を求める利用者もいたという。
個室がスタンダードになれば、高い費用負担をしなくてもすむ。
《料金差はあっても、ケアに差はつけない》
この新生苑の経営者、石原美智子さんは、ユニークな経営ポリシーをもっている。
同じ法人が、自由契約型の個室特養、新型特養ことユニットケアの個室、従来型の多床室4人部屋の特養を、経営している。
利用料金は、それぞれ月額24万円、ユニットケアは14万円、多床室は6万円程度で、生活保護世帯なら無料で入居できる。
市場原理の社会なら、払った料金にたいして格差があって当たり前。居室の広さや設備、食事等に差がつくのは、飛行機のファーストクラスとエコノミークラスで、座席の乗り心地や、食事のグレードに差がつくのと同じ。だか、ケアの質に差をつけない。
飛行機の比喩を再び使えば、ファーストクラスだろうが、エコノミークラスだろうが、目的地まで安全に送り届けるというサービスには差をつけない、と断言する。
もともと特養の基準介護は、4人部屋などの多床室に、利用者3人に付き一人(常勤換算)の職員配置が原則だ。こんな貧しい条件が「基準」とはおそれいるが、ようやく全室個室が原則のユニットケアをスタートさせたときには、新規建設の特養は全室個室でなければ補助金を出さない、とまで強い姿勢にでたのに、その後の介護保険見直しの際に、在宅高齢者と費用負担のバランスが取れないからという理由で、個室利用者からホテルコースを徴収し始めた。
暮らしの場なら、居室は個室があたりまえ。個室に料金が発生するのは、もともとの基準が低すぎたからだ。
だか、3対1の基準配置では、まともな介護は出来ないと、ほとんどの経営者は、わかっている。だからコストが許す限り、ぎりぎりまで職員を増やして、この配置を手厚くしようとしている。理想は1対1だが、それは不可能。せめて1.5対1まで持って行きたいが、それでは採算が取れない。
多くの経営者は、2対1に近い配置を求めて試行錯誤している。新生苑では、2.4対1の職員配置を達成していて、この施設が良心的な経営をしていることがわかっている。
《サービスの質を測る尺度とは?》
実のところ、サービスの質を測定する尺度はどこにもない。いまのところ、サービスの質を測る基準は、利用者何人に対して職員(常勤の職員に換算して)1人という数値以外にない。
職員配置の手厚さだけが基準で、その職員の実践しているケアがどんなケアかは、受けてみるまで分からない。
経験年数が長くベテランの職員なのか、正規職員を確保しているのか、夜勤の負担が重すぎず、ゆとりある勤務体制七日・・・・等々がケアの質に関係してくるとなれば、職員配置だけでなく、その施設の職員の離職率の高さや平均勤務年数、正職員の占める割合、夜勤の頻度などが、測定の尺度となる。
しかも、これらを立てればあちらが立たずの痛しかゆしの基準だ。出来高払いで収入が決まっている介護保険制度の下で、手厚い職員配置をしようとすれば、人件費を抑えるしかない。常勤を減らして非常勤を増やせば人件費は安くなる。
だか、非常勤職員は、定着率が低く、勤続年数も短く、夜勤が出来ない場合が多い。そうなればそのしわ寄せは、少ない人数の正職員に回ってくる。
よいサービスとは、結局、利用者が受けたいケアの事なのだが、それを実現しようとすれば、個室ケアがりそう。個室ケアはその前提だ。そのために北欧では実現できている1対1の標準が、日本では夢のまた夢なのだ。
《「安心」はいくらあれば買えるのか》
社会福祉法人、株式会社、NPO法人と複数の法人格を使い分けて、徳用施設からグループホーム、ディケア、ホームヘルプ事業までを多角的に経営している新生苑では、多職連携もうまくとれている。
入院中からケアマネージャーがついて、退院後の在宅移行をスムーズにし、ホームヘルプを入れて家族と本人の安心を確保し、ディケアやショートスティで在宅支援を行い、施設の短期入所でリハビリを集中的に実施し、いざとなれば終末期ケアも行う。
ひとりの利用者を総合的に捕らえているから、きめの細かい個別ケアが可能になっているのだ。
新生苑では最近、新規事業で駅前ビルに退院後の移行期や、終末期ケアを専門にする短期滞在のケア付きホテルをスタートした。夜間看護士も常駐して、契約した医療機関との間に24時間対応の医療体制もある。
末期がんの患者さんでも、緩和ケアをうけながら、ここで終末期を迎えることもできる。駅ビルなので、家族の脚の便もよく、重宝がられる。
利用料金はいっぱく3万7千円。都内の高級ホテル並みの値段だが、食事代、介護料金、アセスメント料金、その他必要な消耗品すべて込み。設備とロケーション、人材配置、サービス内容から言って決して高くないと思うが、誰にでも手が届く金額ではない。
わたしがお訪ねしたときには、末期がんとは思えない機嫌のよいおじさまがソファに座って、若い女性看護師さんと大型液晶画面のテレビを見ていらした。
やり取りが面白くいらしく、笑い声がした。聞けば、恒例の奥様に在宅介護能力がなく、ガン病棟から退院してホスピス代わりに利用しておられるとか。
終末期に安心して過ごせる施設があれば、病院から退院することもできるし、家族の負担も少なくてすむ。集中的なケアを必要とする終末期を安心して送る料金と考えれば、高いだろうか、安いだろうか。
つづく
個室か、雑居部屋か