上野千鶴子著
「愛ある離婚」はなぜむずかしい
夫婦はもともと他人だが、親子は離婚しても親子、日本では共同親権が認められていないだけでなく、離婚した父親の面会権が強く主張されることも少ない。
別れた父親が、もとの家族とここまで縁が切れてしまうのは、離婚のハードルが高く、憎悪の圧力が相当高まらないと離婚しにくい、という日本の離婚事情が背景にありそうだ。
もっと気軽に「愛ある離婚」ができたら(なんてったった、一度は愛したこともある相手なんだからね)、離婚後の接触だって、もっと取りやすいのじゃないだろうか。
とはいえ、データをみると、離婚した後の父親の無責任ぶりはひどい。
まだ成人していない子どもの養育費について何らかの取り決めをしているのは、別れた夫の約8割。だが、離婚がいちばん容易な協議離婚では、妻が「な―んにもいらないから、とにかく別れて」と慰謝料も財産分与も養育費も請求しないケースが多い。
養育費を請求したとしても、せいぜい月額3〜5万円が大半。それだって離婚後半年くらいまでは、約束どおり送って来るが、やがて途絶えがちになり、1年後にはほとんどに送って来なくなる場合も多い。
再婚したらしたで、新しい家庭におカネがかかるので、もとの家族の優先度は下がる。ましてや失業やリストラで、自分の生活が立ち行かなくなる男性もいる。
父親になった日本の男は、離婚と共にこんなに簡単に“子捨て”をするので、子どもたちも面倒を見る気持ちになれないだろう。
というわけで、日本では、離婚は男を家族からむき出しにして、赤裸の「おひとりさま」にする傾向がある。結婚しても男性には、死別というリスクだけでなく、離別というリスクも持っていることを、この世代は覚悟しておいたほうがよい。
非婚シングル
40代前半から激増しているのが、非婚シングル。オス「負け犬」だ。
40〜44歳の非婚率は22%、約5人に1人。メス「負け犬」が増えているのだから、同じだけオス「負け犬」も、と思が、人口学的にいえば、メス「負け犬」よりオス「負け犬」の数のほうが多い。
もともと先進国では、男性のほうが女性より多く生まれ、その子どもたちの大半が無事オトナになるからである。
ちなみに先進国の自然出性比(人工的な操作を加えないで生まれる男女比率)は、女児100に対して男児105.このまますんなり結婚適齢期になったとしたら、たとえ全員が結婚したとしても、男性の20人に1人はあぶれる勘定だ。
この出生性比、中国では100対120.いくら男の子が大事といっても、この数6人に1人の男性があぶり出されることになる。中国では、嫁不足を農村や外国からの花嫁で解消しているらしいが、そうなればさらに玉突き状態で農村の嫁不足が起きる。生き止まりには、トドのオスの群れみたいに、「結婚できない男たち」の集団が何処にかにたまるんだろうか。
《親が元気なうちはよいけれど》
対して、女性の非婚率は、40〜44歳で12%。同年齢の男性の約半分だ。35〜39歳の18%から40の大台にのったとたん激減するから、たぶん40歳を目前に“滑り込みセーフ”で結婚する晩婚組が相当数いるのだろう。
男性のほうは、35〜39歳で非婚率30%、30〜34歳で47%。このまま数値が持ち上がってくれば、男性のおよそ3人に1人が生涯非婚組という時代がくるだろう。
この世代の男性シングルは、社会学者の山田昌弘さんらの「未婚化社会の親子関係」1997年が調査対象にした人たち、調査を実施した1990年代の半ばに25〜39歳だった非婚シングル。そのうち、男性の6割、女性の7割が親に“パラサイト”していた。
当時、この人たちには、家に母親という名の“主婦”がいて、「メシ・フロ・ネル」が可能になっていた。この人たちがこのまま生涯、結婚しないとしたら、親と同居して一緒に歳をとっていくことになるだろう。
親が元気なうちはよいが、要介護状態になったら? そしていよいよ、自分自身が要介護の順番が来たら?
想像するだけで恐ろしいが、これからの男おひとりさまのメニューには、この生涯非婚者、ず―っとシングルの男性たちを対象にしたプランも、考えに入れておかなければならないだろう。
タイプ別に老後をシミュレーション
男おひとりさまのなり方に、死別シングル、離別シングル、非婚シングルがあることがわかった。それぞれがどんな老後を迎えるのか、プロフィールを具体的にスケッチしてみよう。
《死別シングル・ヨーヘイさんの場合》
ヨーヘイさんは92歳。4年前に、3歳年下の妻をガンで亡くした。それ以前から妻の闘病につきあっていたから、妻に先立たれることは覚悟していた。
ローンを払い終わった持つ家は、妻がいなくなってから、がらんとして物寂しい。庭の手入れもほったらかしで、草が伸び放題だ。娘2人、息子1人の3人の子どもたちが巣立った後、一人ずつ与えた部屋はどれも物置同様になり、一軒家を持て余している。
もっと使い勝手のよいアパートにでも住み替えたいが、この家は、妻と子育てをした思い出のある家。思い切ってローンを組んで購入した、男の甲斐性の証。愛着があって手放せない。そのうち、娘のうちのどちらかが、同居しようと言ってくれるかもしれないし・・・。
妻がいたときは、お正月には全員孫つきで集合して、家は民宿状態。広い家も狭く感じたものだった。嫁いだ娘たちも、しょっちゅう子どもを連れては訪ねてきていたが、自分一人になってからは、たまさか心配そうに手料理を密閉容器に入れて運んでくれるくらい。
お茶だけ飲んで、そそくさと帰る。元々そりの合わなかった息子は、母親が亡くなってからは、めったに訪ねて来ない。ましてや息子の選んだ嫁とは、たまにしか合わないので親しみが持てない。
勤め先は地元の企業だったが、定年まで務め上げた。そのおかげで、ひとり暮らしには十分な額の年金が入ってくる。子どもたち、とりわけ息子に、アタマを下げて仕送りを頼まなくてもすんでいるのはそのおかげだ。
それどころか、孫の誕生日や進入学には、そこそこの祝い事をしてやれるのを、子どもたちはいまでもあてにしているようだ。孫は「じいじはプレゼントをくれる人」と思っているようだが、ばあばのようにはなつかない。
もともとつきあいは狭く、口数も少ないほうだった。妻とふたりっきりでいても、話は弾まず、いつもテレビをつけっぱなし。口をきかないのは苦にならないが、それも妻がそばにいるから安心感があるからだということに、妻が亡くなってから気がついた。
ただでさえ少ない同性の友人たちからは、次々と訃報が届く。
最近では、出るのがおっくうになって葬儀も欠礼している。それに同じ月に何件か重なると、香典もバカにならない。こんなに友人が少なくなると、自分の葬式にはいったい何人が来てくれるだろうと思う。
妻のときには花輪がたくさん届いたが、あれは自分が生き残った側だったからだ。自分のときは、葬式はきっと身内だけの寂しいものになるだろう。
このところ、めっきり体力も落ちた。高血圧のクスリは手放せないし、糖尿病の気もある。不整脈も出てきて、よろめくこともある。要介護認定を受けたら、と娘から言われている。だか、他人にこの家に入って来てもらうのはごめんだ。
このまま、この家でひとりで暮らしていけるか不安がつのる。
だが、娘たちも息子も「お父さん、一緒に暮らそうね」とは言いだしそうもない。
どうやら子どもたちは、お父さんを入れる老人ホームの相談を決めたようだ・・・・。
《離別シングル・コージさんの場合》
コージさんは64歳。20年前に同い年の妻と離婚した。
離婚した当時、15歳と12歳になるふたりの娘がいた。原因はコージさんの何度目かの浮気、業界紙の記者だったコージさんは、結婚前も結婚後も、女のうわさが絶えなかった。妻は大目に見てくれていると考えていたのが、甘かった。
末の子を中学校に入れてから、妻は本格的に仕事に復帰する体制を作り、それまで続けていたバートをフルタイムに変えた。どうやら折を見て切り出そうと、機をうかがっていたらしい。
気づいたときには準備万端整っていた。軽い気持ちで始めた浮気だったが、妻の気持ちは固く、「反省するから許してくれ」と謝ったのに、よりを戻すのは困難だった。
それまでのあいだに、妻は二人の娘をすっかり味方につけており、思春期の娘たちからは、「お父さんフケツ」と言われて、相手にもしてもらえない。小さいときは風呂に入れたり、自分なりに可愛がったつもりだったのに。もう少し大きくなったら、連れ歩いて恋人気分でも味わおうと思っていた矢先に、むずかしい年齢だったのだろう。オトナの世界はまだ娘たちには解らなかったようだ。
妻はとにかく別れたい。の一点張り、何もいらないから、その代わり子どもたちの学費だけは出してくれというので、その約束をした。下の娘が大学を卒業するまでの約束を果たして、肩の荷が下りた。上の娘が数年前に結婚したという知らせを受けたが、結婚式の招待は来なかった。
妻は子どもたちを育てあげてから再婚したらしい。その再婚相手が娘の父親として結婚式に出るので、コージさんを呼ぶのは具合が悪かったのだろう。
あれから女の出入りはあったし、一時はシングルの自由を謳歌しているような気にもなったが、どの女ともいまさら家庭を持つ気にはなれなかった。気がついたら、髪には白いものが目立つようになっていた。
不況で業界全体が傾き、その業界に寄生していた業界誌も不信をきわめた。会社は大胆な縮小案を出してきた。早期定年に応じれば、退職金を上積するという条件だ。
会社が傾いて退職金も出せなくなる前にと考えて、2年早い58歳で早期退職を選んだ。
しばらくは退職金と失業保険でのんびりしようと考えたが、年金を受け取る年齢まで、まだしばらくある。
業界誌の記者として、取材して記事を書くのが面白かったし、経営者にインタビューするのも楽しかった。
仕事を趣味のようにしてきたので、仕事がなくなると何をしてよいものか、途方に暮れた。業界誌の「元記者」の肩書は、なんの役にも立たない。知り合いに頼んで、アルバイトでフリーライターのような仕事をしようと思ったが、どうも若いライターのほうが使いやすいらしく、歳を食った彼の所には仕事が回ってこない。
それよりなによりメディア環境がすっかり変わって、紙媒体がどの分野でもじり貧になっていった。会社に残った連中も青息吐息なのに、彼のように辞めた人間のところまで、まわす仕事もなさそうだ。
そればかりか、退職金をうまく食い逃げしやがって、というやっかみの視線も感じ、昔の仲間に声を掛けるのははばかれる。家族持ちの旧友たちからは同情の視線を感じるし、気がついたら、気楽に声を掛けて付き合ってくれそうな同性の仲間が誰もいない。
女はコージさんの煮え切らない態度に愛想づかして、ひとり去り、ふたり去りしていった。
この頃、朝起きてもアタマが重い。行く当てもないし、ひとに会うのもおっくううだ。かつての生活にくらべれば、時間的にも肉体的にも余裕のある暮らしなのに、だるさがなくならない。
これが初老期うつ病というものか、と思うが、精神科の敷居をまたぐ気にはなれない。
ましてや病名を診断されたら、もっと気分が落ち込むだろう。
これでカラダを壊したら、誰に声を掛ければいいのだろうか。かつての家族たちは、それぞれの人生を歩んでいて、昔の夫や父親のことなど、自分のココロから追い出しているだろう‥‥。
つづく
非婚シングル・キヨシさんの場合