上野千鶴子著
第3章 よい介護はカネで買えるか
男おひとりさまのふところ事情
女おひとりさまと男おひとりさまの老後の暮らしは、とりわけカネをめぐって対照的だ。
高齢の女おひりさまの問題のトップに来るのは、貧困。80代以上の女性の貧困率は、55.9%、対して同世代の男性は42.6%(2007年国民生活基礎調査)。
というのも女女性には、無年金、定年金のひとたちが多からだ。生活保護率も高い。この世代の女性には、自分の収入の無かった人たちが多いし、そのうえ、こんなに長生きするとは予想もしていなかったことだろう。
他方、男おひとりさまにも、やっぱり貧困はおおきな問題だ。この世代には農業や商工事業者が多く、やはり低年金、無年金者が多いからだ。それに加えて問題なのは、孤立・孤独、ひきこもり。もともと高齢でおひとりさまになるのは、妻よりも長生きしたから。
ご本人が平均寿命よりも長命である可能性が高いから、同世代の仲間や友人たちには、次々に先立たれている。
平均寿命に達したときに、その年齢のひとびとのほぼ半数があの世に行っている、と考えてよい。おひとりさまになる確率が高いのは、残りの半分の生きのびたほう。
長生きすればするほど、知友が他界する哀しみを味わうのは生き残ったひとたちだ。とはいえ、「男の友情」をどんなに大事にしてきても、土壇場で困ったときにはあまり当てにならないことは、既に述べた。
《「2階建て年金」のリッチ層はごく一部》
実のところ、男女問わず、高齢者のふところ具合はそんなに暖かくない。それというのも、70歳以上の世代には自営業者の比率がけっこう高く、このひとたちは国民年金を支払ってきたが、受給額が満額でも1カ?万円弱と定額だからだ。
リッチなのは、1階部分の基礎年金に加えて、2階建て部分にある厚生年金を受け取るっている高齢者。このひとたちは、定年まで勤めあげてた公務員や大企業のサラリーマンだが、同世代の人口に対して3割程度しかいない。
夫婦で毎年海外旅行に行ったり、孫に潤沢に小遣いをやっていると羨まれるのはこの僧だが、そんなに数が多いわけではない。
「年金食い逃げ」とかいわれて、派遣切りにあった「ロスジェネ」ことロストジェネレーション(失われた世代。大学を出たころに就職氷河期を経験したことからこう呼ばれる)の若者たちの怨嗟(えんさ)と非難の的になるのは、高齢者のなかでもごく一部にすぎない。
とはいえ、たしかに高卒や大卒でサラリーマンライフを長期間にわたって送ってきて、不況でリストラにあう前に企業を無事に定年退職し、退職金を値切られずに受け取り、がたついたとはいえ、まだ持ちこたえている厚生年金を受け取っている男性たちの老後は、経済的に安定している。
このひとたちは、たとえ親からの家屋敷を受け継がなくても、自分の一生を抵当に入れてローンを組み、定年までにはローンを払い終わった持ち家を確保していることが多いので、たいがい自分名義の資産を保有している。
ローンを組む世帯主の年齢は平均して30代。現在の高齢者は、バブル期の土地高騰以前に持ち家を取得しているので、バブルが弾けたと言えども、持ち家の資産価値が取得価格を上回るストックゲイン(保有資産の値上がりで生じる利益)を得ているはずだ。
バブルの狂乱で多くのひとたちが痛い目にあったが、それにのっかって労せずにストックゲインを得た点で、この世代はバブルからおいしい思いを味わった。“共犯者”ではある。
この世代のひとたちのなかには、バブル期のピークに東京都内の40坪の宅地を売り、地方にビルをひとつ建てて老後の安泰をはかったひともいる。
こういう男おひとりさまなら、経済的な問題はない。妻に先立たれても、自分の年金は減らないから、むしろ暮らしにゆとりができるくらいだ。
考えてみれば、夫婦でいるあいだに受けとっている年金が、夫が先だったら4分の3に減額され、妻が先だったら同額のままというのも、ヘンじゃないだろうか。
これでは、おひとりさまの男と女とでは、生活費のかかり方に差がある、むと言っているのと同じ。つまり女おひとりさまは、男おひとりさまよりも質素に暮らせ、と命じられているようなものだ。
《カネはあれども不安な老後》
ともあれ、男おひとりさまの勝ち組には、フロー(年金)とストック(資産)の両方がある。財テクに成功したひとなら、敷地の一部に賃貸アパートを建てたりして、さらにプラスアルファの収入も確保している。
フローあれば、子どもたちには頼らなくてすむし、ストックがあれば、いくつになっても子どもたちをコントロールできる。気に入らない嫁と結婚した長男ではなく、教養はないが心優しい妻をめとった次男夫婦に自分の介護を頼み、資産を残してやろうとたくらみもできる・・‥と思っているかもしれない。
だが、駅前一等地の駐車場とか、首都圏23区内の土地付き一戸建てとかいうレベルの資産でない限り、ストック目当てで子どもたちが介護を引き受けるとは思わない方が賢明だ。だったら再婚して、新しい妻に老後の面倒を見てもらおうと思っても、ローンを払い終わったマンシ一戸程度の資産では、女はなびかない。
それに、仮に女がなびいたとしても、老婚の途上に立ちはだかる“抵抗勢力”は子どもたち。資産があれば、あるほどもめ事が起きるので、せっかく女性との関係ができても、法的な結婚に子どもたちは大反対する。
それを押し切ってまでの決断は難しい。ヘタすれば子どもたちとは絶縁することにもなりかねない。
とはいえ、老婚に反対する子供たちも、父親の介護はパスしたい。となると着地点は、父親と関係のできた女性には法律婚でなく事実婚をしていただいて、父親を看取ってもらった後、相応の「謝礼」を支払って、きれいに身を引いていただくこと。
先妻すなわち子どもたちの母親のいる墓に入れるなど、もってのほか。
そんな都合よくいくだろうか。分厚い札束でツラを張ってもらいでもしなければ、こんなにないがしろにされる立場に、女性が甘んじるとは思えない。
よほどの大金持ちでない限り、こんなオプションは、庶民の男には縁がないと考えた方がよさそうだ。
《在宅介護は妻が不可欠?》
在宅で最後まで頑張って看取ってもらえるのは、相手が妻だからこそ。
第一章で紹介した笹谷さんは、介護の続柄別の介護スタイルの違いを分析している。
夫による妻の介護が「介護者主導型介護」になることは既に述べた。妻による夫の介護には、どんな特徴があるか。
多くの既婚男性は妻に看取られてあの世に行けると思っているらしいから、これが順当な介護だと考えているのだろうが、これだって、夫婦二人きりの世帯が増えてから以降の新しい現象である。
高齢化した夫婦世帯では、夫婦そろっている間は。できるだけ子世帯に迷惑をかけず、歯を食いしばっても夫婦の間で世話をしていこうというルールが確立しつつある。だからこそ、夫による妻の介護も増えてきたのだ。
年齢順からいえば順当に見える妻による夫の介護も、その夫婦間介護の産物である。
夫が要介護状態になったときには、よほど若い妻と結婚していないかぎり、妻の方もかなりの年齢に達しているはずだ。
だから夫婦間介護には、70代の妻が80代の夫の介護をするといった「老老介護」の傾向にある。
それだけでなく、介護は「体重との闘い」といわれることがある。
夫による妻の介護、妻による夫の介護とのちがいは、この「体重」のちがい。いや、笑い事ではない。床ずれができないように体位交換するにも、朝、ベッドから起こして車いすに移動するにも、要介護者の体重が重いと、重労働になる。
プロの介護士も腰痛が職業病になるくらい。わけても高齢の女性は、ホルモン変化のせいで骨密度が低下しているから、骨がもろくなっている。骨折でもすれば、介護者の方こそ命取りになるだろう。
つづく
ワンマンな親父はめんどうな患者