
上野千鶴子著
パワーゲームはもう卒業
男って「死ななきゃ治らないビョーキ」だね、とつくづく思うことがある。
それはカネと権力に弱い、ということ。
女は女であることを証明するために男に選ばれなければならないが、この反対は成り立たない。男は男であることを、女に選ばれることによって証明するのではなく、男同士の集団の中で男として認められることで証明する。
男が男なるために、女はいらない。男は男によって承認されることで男になる。女は後からご褒美としてついてくる。
こういう男性集団の在り方のことを、専門用語で「ホモソーシャル」と呼ぶ。
かぎりなくホモセクシュアルに近い「恋闕(れんけつ)」の情が男同士にある。
男がホントに惚れるのは女でなく、男だ。武士道の指南書「葉隠(はがくれ)」のなかにある「恋」も、もとはといえば男が男に惚れる恋のことだもんね。
男たちを見ていると、女に選ばれることよりは、同性の男にから「おぬし、できるな」と言ってもらえることが最大の評価だと思っている節がある。
男たちがカラダを張ってまであれほど仕事に熱中するのは「妻子を養う」ためでも、「会社以外に居場所がない』ためでもなく、パワーゲームで争うのがひたすら楽しいからにちがいない、とわたしはにらんでいる。
仕事も博打もプロ野球ゲームもしかり。彼らは勝ち負けにこだわる。アメリカの研究者が指摘していが、男性は家に帰ってまでプロ野球やプロサッカーなどの勝敗を争うゲーム観戦に一日何時間も費やす。スポーツが。戦争を無害な模擬ゲームにしたものであることは、オリンピックゲームの起源からも分る。
彼らは、オンの時間に職場で競争した後、オフの時間にまで格闘技やスポーツ観戦に入り込むのだという。よほど「闘い」が好きなのだろう。
《アタマのなかは、いまでも「社長」》
だが、何度も言うが、老後とは「下り坂」の時間。勝ち負けを争う必要のない時間だ。パワーゲームなら、手札を実際より強く見せることは相手を威嚇(いかく)するうえでも必要だろう。
しかし、「下り坂」を降りる知恵は、むしろ自分が持たないカードを他人から引き出すための「弱さの情報公開」にある。これまで男性が闘ってきた知恵の正反対にあるものだ。
だから、180度生き方を変えなければ、後半生をわたっていくのはむずかしい。
それを象徴するような例がある。
ある地方のグループホーム(認知症の高齢者が世話をするひととともに少人数で暮らす施設)での話である。8人の定員のうち、入居者は女性が7人、男性が一人。
認知症を患っているその男性は、ほかの施設でトラブルを起こして、すでに2か所を追い出されて、玉突き状態でこのホームにたどり着いた。高齢の妻はもはや在宅介護の能力がなく、ここを追い出されたらこの先行くところがないという。
「お願いですから、主人の外に男性の利用者を入れないでください」
と経営者に頼み込んで入居させてもらった、といういわくつきである。
高齢になれば男女比が変わって、女性の方が多くなる。どのグループホームでも女性が多く、男性が少ないのは普通だけれど、「ほかの男性利用者をいれないでほしい」と条件をつけるのは異常ではないか。
営業妨害ともいえるが、この施設の経営者は、妻の要望を受け入れた。
そこをお訪ねした時の事である。7人のおばあさんたちが職員の女性と丸テーブルを囲んで、まったりとお茶をしている。たったひとりのおじいさんは、そのひとたちから背を向けて、ひとりでテレビにむいたソファに座っている。
カラダはテレビのほうを向いているが、番組を見ているようには思えない。わたしはソファのとなりの隣の席に座りこんだ。
すると、おじいさんは後ろを振り向いて、おばあさんたちの丸テーブルを身ながら、憎々しげにこうつぶやいたのだ。
「うちの社員は、一日じゅう、茶ぁばっかり飲んで、仕事しよらん」
なるほど、リクツは通っている。おばあさんたちは一日まったりお茶ばっかり飲んでいる。おじいちゃんは元経営者。アタマのなかは、そのときのままなのだ。
だが、お仲間を「社員」と呼ぶ上から目線では、そりゃ、嫌われるだろう。おばあさんたちは聞こえているのかいないのか、相手にしないでいるが、これに食ってかかるひとがいたらトラブルになるだろう。
男の利用者がほかにいれば、ケンカになるかもしれない。事実、ほかの施設で次から次にトラブルを起こしては追い出されてきたからこそ、妻の懇願があったのだ。それにしても言い方に、実にかわいげがなかった。
施設に入れるまで、妻もさぞ大変だっただろうと思う。
《女は群れるが、男同士はつるまない》
私はほかの施設で実施した調査でも、似たような結果が出た。建築家のチームと一緒に、デイケアで利用者の誰が何処に位置どって、どちらの方向を向き、どんなコミュニケーションをしているか、を5分ごとに定点観察をするというおそろしく煩瑣(はんさ)な調査だ。
そこからわかったのも、女性の高齢者は群れる傾向があるが、男性は男同士ではつるまない、ひとりひとり背を向けあって会話も少ない、という傾向だった。テレビの前の“指定席”に座っているのは、たいがい男性の利用者だ。
テレビが好きというわけでもないようだ。そこに座っていれば、誰からも話しかけられず、自分からも話しかけなくてすむからだろう。
そんな男性が集団に溶け込むのは、女性ばかりの集団のなかにひとりで参入する時、ハーレム状況で、自分ひとりが「お山の大将」か「ペット」になれたら、関係は安定するように見える。
高齢者のコレクティブハウス「COCO湘南台」を何度目かにお訪ねしたときのことだ。コレクティブハウスとは、ひとつの建物の中に各自の個室のほか、食堂などの共有スペースをもち、食事作りや掃除など生活の一部を、入居者が共有する共同居住型集合住宅のことである。
そこに視覚障害のある男性入居者がひとりいらしたが、その方が亡くなった後だった。
部屋が空くと、次の入居者の募集が始まる。10人定員の小さな住まいだ。そこにおられた女性の入居者の方たちに、「今度も男性の方に入って頂きたいと思われますか」「男性に入居してもらうとしたら、何人までが適当でしょうね」とおたずねした。
そこにいた全員から、「男性歓迎」という答えが返ってきたのは予想外だった。男性がいるほうが、話題の広がりができておもしろいからだという。
なるほど、女性の集まりはけっして男性に排他的ではないし、かえって違いを面白がる傾向がある。
「何人まで?」という質問には、答えが分かれた。
「ひとりね」「ふたりまでなら」・・・・。ただし、「3人以上」とか「半々」という声はついに聞かれなかった。「ふたりまでなら」男同士の対立もハンドリングできる。
だが、「3人以上になると、男の間でパワーゲームが始まる」と考えているからだろうか。高齢になると男性が減っていくのは、自然の摂理かもしれない。
つづく
「おひとり力」をつける
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