上野千鶴子著
居場所づくりは女に学べ
30代後半から「早すぎる余生」を迎えた女性は、過程でもなく、職場でもない、「第三の空間」を求めて、ネットワークをつくってきた。わたしはそれを、脱血縁、脱地縁、脱社縁の「選択縁」と名付けて、フィールドワークしたことがある。
女性の間で先行しているから、「女縁」と呼んで、1980年代末のことである。
都市サラ―リマンの核家族の無業・血縁のしがらみからはずれている。
拘束も受けない代わり、援助もない。会社の方はといえば、昔も今も、中高年の女に企業は門戸を開かない。
職場はあっても、生き甲斐もやりがいもない低賃金の不安定雇用だ。それなら自分の居場所をくらい自分で作ろうと、女たちは、志や趣味、地域活動や子ども繋がりをもとに、女だけのネットワークをつくりだしてきた。
そのなかでは親族も及ばない助け合いや情報交換が行われている。なかには女縁をもとに起業してしまったひともいる。
《人生の危機を支えるネットワーク》
女縁が最も効果を発揮するのは人生の危機のとき。ひとつは離別の危機、もうひとつは夫と死別する危機。どちらも家族解散に関わる重大事だ。高年の女性は、誰もがいつか来る夫の死を予期しているが、「葬式の手伝い」に動員されるのは、会社の同僚でもなく、遠くの親戚でもなく、女縁の仲間であることが解った。
彼女たちが来てくれるから、「遠くの親戚を呼ばないでいい、とお父さんにはいつも言っている」という50代の女性もいた。
現役時代はともかく、高齢者は、仕事を辞めてからの期間が長いから、いまさら葬式の手伝いに会社関係者を呼べない。彼らは儀礼的理由から葬儀に弔問の客としては来るだろうが、そういう人たちに身内に頼むような裏方は頼めない。
遠くの親戚は、めったに来ないから、家の中の勝手がわからない。「義姉さん、お茶葉はどこ? 湯呑は? 」などといちいち聞きに来られては、遺族として嘆き悲しんでいる余裕もない。
こういうときに力を発揮するのが、ふだんからつきあいのある女縁の仲間。勝手知ったる他人の台所でかいがいしく働き、裏方を仕切ってくれる。
「だから、お父ちゃんには、私のことは心配せんかていい、安心して先に死んで、と言うてますのや」という女性がいた。
それどころか、夫が亡くなるのを、心待ちにしていた女性さえいた。夫の両親を看取り、子どもたちも次々と家を出て行き、部屋数だけは多い大きな家が残った。
「老後はこの家を、改装して、みんなと住もうな、と言うてますねん」
という女性の“老後プラン”に、夫の影はない。
女縁の味方は、夫の長時間労働と妻への無関心と不干渉。家にいない亭主、そして妻のやっていることに関心のない夫が、女縁をはばたかせた。
この女縁を守るためなら、妻は何でもやる。夫に転勤の辞令が出ても、子どもの教育を理由に単身赴任させたり、家事を手抜きし、子ども自立を促す。反対に夫の定年は、女縁の危機。夫が家に帰ってくるときのほうが、妻の自由は奪われる・・・・。
《大企業の『落ちこぼれ組』対策とは?》
その調査結果を本にして、『「女縁」が世の中を変える』(日本経済新聞社、180年)
というタイトルで刊行した。日本経済新聞社からあえて女性ものを出したのは、彼女たちの夫であるサラ―リマン族に読んでもらいたかったからである。
事実、ある男性読者は、「女房たには、こんなことをやっていたのか…」と絶句した。
日経新聞社から出した効果は、べつのかたちでもあらわれた。某大企業が、入社10年目の中堅社員研修の講師にわたしを呼んでくれたのである。女縁の話をせよ。という依頼だった。
入社10年目といえば、社内で実力の差がはっきりしてくるころ。出世コースに乗る人材とそうでない人材との振り分けが起こる。社内競争が烈しい事で知られていたその企業では、支店長業務は50代ではもう務まらないとさえいわれていた。
体力の落ちる50代には、激務がこなせなくなるからだという。
おなたたちがあくせくしているあいだに、妻たちはこんなに豊かな人生を送っていますよ、とわたしは講演で伝えたのだが、あとから人事の担当者のかくれた意図を知って驚いた。
担当者はこう言い放ったのだ。
「落ちこぼれ組には、会社以外の人生があることを知ってもらわなくちゃなりませんからね」
《奥さまは取締役》
女縁の本は、初版刊行のちょうど20年後に『「女縁」を生きた女たち』(岩波現代文庫、2008年)と題して、その後の20年のいきさつを加えて増補再刊された。そのなかに収録されている女性たちとの「20年」の人生の軌跡がおもしろい。
彼女たちは、わたしと一緒に女縁の調査を手がけた調査チームのメンバーたち。親業を定年になってから、平均年齢53歳で「アトリエF」という会社をつくった。
結婚後、一度も就労の経験のない無業の主婦たちが、ある日全員、取締役になった。社員無し。
設立してから解散するまで15年間、その間に夫扶養家族から外れるほど、後半生に「仕事」に熱中する時間をもったメンバーのなかには、それまでグルメとショッピングの好きだった良家の奥さまもいた。
彼女の言い分がふるっている。
「それまで食べ歩きだなんだと出歩いていたんですけと、そういう友だちづき合いはきっぱりやめました。それより仕事のほうがずっとおもしろかったから」
このひとの場合は、「余生」が先に来て、あとから「仕事」人生が来たことになる。
会社を始めたのは、子育てが終わって、夫の定年がまだ先、という妻たちの「黄金期」。夫の定年は、彼女たちの仕事の危機でもあった。
そのひとり、ヨシコさんの夫は、家にいるようになってから、会社に出かける妻を「取締役のご出勤かい」と揶揄するようになった。そういういやがらせも一時の事。
やがて夫は食事を用意して妻の帰りを待つようになった。
ふたりで心臓病とがんの闘病生活を経て、いまではすっかり同志のように仲がいい。
《銭湯でも「役職名」で呼び合う男たち》
女縁の研究をしていたときに、「男縁は?」とよく聞かれた。だから男縁の調査もした。以下はその事例である。
大阪の下町の数少なくなった銭湯のひとつ、その男湯に「銭湯愛好会」ができた。
男湯だから、会員はもちろん全員男性。20代か70代まで、世代を超えた「裸のつきあい」になごむ人たちの集まりである。会をつくったら、ただちに定款(ていかん)をつくって会社のコピー機でコピーしてくれるメンバーがいた。組織図をつくって、会長や経営部長職をつくった。
最初はお楽しみの範囲だったのだが、やがて銭湯で会っても、互いに「会長」「部長」と役職名で呼び合うようになっていた。
せっかく浮き世のカミシモを脱いだら付き合いできると思っていたのに、いつのまにかタテ型の人間関係ができていた。それがうざくて、やめていった若い人もいる。
男性は組織づくりが得意である。その代わり、彼らのつくる組織は、彼らが良く知っている組織、つまり企業によく似てつくる。自由につくったはずの集団が、いつのまにか企業のひな型になってしまうのだ。
《男の友情はまさかのときの役に立つか?》
同じころ。会社を離れて異業種交流をしようという機運が高まっていた。その種の集まりに何度も顔を出したのだけれど、名刺交換を始めるとうんざりした。どのひとも自分の仕事の利益なることはないか、と下心をもって参加していることがすぐにわかったからだ。
こういう集まりに、肩書を外して参加するひとはいない。
それならなんの徳にもならない「君子の清遊」はないだろうか、と探してみたら、老舗の日本山岳会だの、日本野鳥の会だの、というオジサマたちの集まりがあった。
ロータリークラブだの、ライオンズクラブだのはボランティア団体のように見えるが、その実、地方名士のお友だちクラブだから、これは除外しておく。
たしかに登山だの、野鳥観察だのは、一見、職業上の利益につながらないようにみえる。だが、じきにわかったのは、こういう集まりでも、役職をめぐって男性たちのパワーゲームがあることだ。権力や富のともなわない名誉職でも、名誉という資源をめぐるパワーゲームから、男性たちは降りられないようだ。
ちがいはそれだけではない。女縁は人生の危機の助っ人になる。だが男縁はそうならない。先に述べた「弱さの情報公開」をしないからだろう。となれば「君子の清遊」はしょせん清遊。
見栄や体面を保っていられるあいだのおつきあい、ということになる。清遊のお仲間が、あなたが風邪をひいたときにおかゆを炊いて持ってきてくれる、なんてことは期待できないだろう。
男の友情というのは、ほんとうにまさかのときの恃(たの)みになるだろうか?
つづく
パワーゲームはもう卒業