上野千鶴子著
生きいきと暮らすシングルの先輩たち
団塊世代の大量定年を目前にして退職準備用ノウハウ本がいくらでも出版されたが、企業の側も定年後の男性の「その後」が気になるらしく、夫婦を対象に「退職準備講座」などを提供するところもある。
わたしは、以前そういう大企業の委託で「モデル定年退職者」の調査をしたことがある。はたからみても前向きで、定年後も生きいき暮らしていると自他共に任ずる「モデル定年者」には、共通点があった。
それは、「社縁」以外の人間関係が豊かなことである。
以下に示したのは、その調査の結果から浮かび上がった「モデル定年者」のプロフィールである。その当時のデータには、対象者の「家族定年」を組み込んでモデル化したものが、次のノブオさんとシローさんの例である。いくらかの脚色をくわえてある。
《釣りキチのノブオさんの場合》
ノブオさん(68歳)は、関西の大企業を8年前に定年退職した。仕事はそこそここなしたが、社内での出世競争には関心がなく、50代で子会社に出向して定年直前に本社に戻され、そこで定年を迎えた。同期には取締役になった者もいるが、自分は部長代理止まり、本社に戻してくれたのは人事の配慮だと思う。
もともと釣りキチだったノブオさんには、古くから釣り仲間がいる。タクシーの運転手やスナックの経営者など、職業はいろいろ、朝4時起きで、暗いうちから待ち合わせて海釣りに行く。仲間と組んで釣り船をチャーターする。
季節ごとに釣り場を変え、夏は渓流釣りに行く。釣果は、一部はその場で捌いて食べ、残りは持ち帰って冷凍しておく。そのための巨大な冷凍庫を家に買った。魚を三枚におろすのもだんだん腕を上げ、出刃、柳刃などの包丁類も板前並みにそろえた。
妻のいたころは、前の晩に作っておいたおにぎりを持って出た。釣果が多いときには、たくさんの魚を開きにして干物にしたりするのはすべて妻の役目で、ひめいをあげたものだが、その妻を3年前にがんで失った。家族が揃っている時は、「お父さんの手料理」をみんな楽しみにしていたが、もうそんな時代は過ぎた。
休みといえば朝暗いうちから出かけるのを苦にしなかったノブオさんを、妻はあきれ顔で見ていたが、おかげて、妻のいない休日をもてあます。「濡れ落ち葉」にはならずにすんだ。
妻を失ったあとの無聊(ぶりょう)を慰めてくれたのも、釣り仲間たちだ。もともとこまめで器用だから、妻がいなくなっても日常生活には困らない。
妻を失ってからは、釣り仲間が経営するスナックにそのまま直行する。ビールをかたむけて、その日の成果をサカナにしながら、あれこれと話が弾む。妻のいる人もいるが、なぜだか家には直行せず、スナックでうちあげ、が習慣になった。
同じように定年後を迎えた仲間には、よほど家に居場所がないらしい。業種が違うし、仕事の話もお互いしない。女がいて釣りの話題には入って来れないので、女はいらない。カラダが続く限りこの釣り仲間を大切にしようと思う。
《少年野球チームの監督、シローさんの場合》
シローさん(62歳)は40代のころ、中学生の長男の草野球チームのコーチを買って出て以来の少年野球ボランティア。昔、野球少年だったキャリアを生かして、自分のほうがのめり込んだ。長男が卒業したあとも、請われて監督としてチームに残った。
休みという休みそのために使ったので、家族に恨まれることもある。
自分の息子は大きくなって父親に疎ましい視線を向けるが、少年野球チームには毎年若いメンバーが入ってくる。そのお母さんたちも毎年若返る。チームのお世話をしていると、子どもたちに付き添ってくる若いお母さんのファンがついて、まんざらでもない。
ボランティアだからと謝礼は受けとらないので、地域の大会でいいセンまで行ったときなど、ネクタイや小物など、気の利いたプレゼントまでくれる。
サラリーマン時代は、合宿や遠征などに有給休暇をとって遠征しながら出かけたものだか、定年になってかえって気がねなく集中できるようになった。
子どもたちはかわいい。若いころ、教師になる夢をもっていたから、こうやって第2の人生で、子どもたちに関われるのを天職だと思う。
昨年、妻を病気で亡くしたときには、子どもたちのお母さんが親身になって支えてくれた。妻の入院中も、食事を作って家に届けてくれたり、洗濯物を引き受けてくれたり、こまめに気をまわしてくれた。男の友人ではこうはいかない。
妻の葬式のとき、茫然自失しているうちに何もかも仕切ってくれたのも彼女たちだ。野球チームの卒業生やその親たちがいり替わり立ち代わりお悔やみにやってきて、慌ただしい日々を過ごし、悲しみに暮れている暇もなかった。妻の死を乗り越えられたのは、この仲間たちがいたからだ。
好意を持った若いお母さんたちのなかにはいなかったわけではないが、こういう付き合いで抜け駆けは厳禁。お母さん同士がお互い監視し合っているのがわかるから、どの女性とも適度な距離をおいてつきあった。だからこそ続いていたのだろう。
少年野球チームにそのお母さんたちがついてくるとは、思いがけない余得(よとく)だった。いまでも折に触れて心遣いをしてくれる。息子の嫁たよりも、ずっとこまめでやさしい。
自分の今までの暮らしに潤いがあるのは、彼女たちのおかげだと思う。
《共通点は出世していないこと》
ノブオさんやシローさんなど、「モデル定年退職者」が定年後に”ソフトランディング”していることには、次のふたつの共通している。
第1に、会社と家族以外の人間関係にあること。
第2に、ソフトランディングのための助走期間が長く、「50代から」どころか「40代から」助走が始まっていることだ。
それが原因か結果は解らないが、この人たちは会社でさほど出世していない。
出世競争にたいした興味をもたないことも、この人たちの共通点だ。会社以外の活動に打ち込むから出世しないのか、それとも出世を諦めたからほかの生きがいを求めたのか、もともと出世に興味がないのか。その判定はむずかしい。
シローさんなどは、転居に伴う異動を、地元の野球チームから離れたくないという理由で断ってさえいる。その時点で、彼の社内評価は定まったといえる。
チームの少年や親たちが、続けてくれと懇願に来た、胸が熱くなった。会社の仕事はいくらでも代わりはいるが、チームの監督は自分でなければ、という自負もあった。
いまの自分を考えると、そのときの選択は間違っていなかったと思う。
《職場や家庭ではない、第3の居場所づくり》
職場や家庭ではない、第3の居場所づくり》
家族定年、とりわけ死別による配偶者の喪失が、男性に大きな痛手となることは知られている。ノブオさんもシローさんの場合も、その痛手を軽減してくれたのは、同性、異性、そして世代を超えた仲間たちである。
子どもたちは、それぞれの家族を作っており、葬儀に集まっても、ふたたび散っていく。とりわけ息子と父親の関係は一筋縄ではいかない。勝手のわからない嫁は、やってきても“お客さま”になるだけだ。
配偶者喪失の痛手から長く立ち直れず、うつ病に陥っている初老の男性は多いが、裏返しにいえば、定年後の人間関係をもっぱら家族に依存してきたツケがきているのであろう。
ときびしい言い方だがそう言いたくもなる。なぜならその逆、女性の場合には、同じことは余り起きないからである。
定年になってから「家庭への回帰」など、してもらわなくても構わない。そんなことをしてもらったら、かえってはた迷惑になる。定年になってから必要なのは、職場でもなく、家庭でもない、第3の自分の居場所である。
ノブオさんもシローさんも、その「居場所」現役の時代から時間をかけて作ってきた。だからこそ、“ソフトランディング”が可能になったのである。
つづく
居場所づくりは女に学べ