
上野千鶴子著
定年後にソフトランディングする
早すぎる余生を迎える女性が老後へと、“ソフトランディング”するのに比べて、定年というぶっちぎりの変化する男性は、老後へと“ハードランディング”すると書いた。いきなりドスンと落ちれば、痛みも大きい。
定年が男性にとって大きな転機になることは、「定年後」をテーマにした本がいくつも出ていることからも分る。有名なところでは、ノンフィクションライター、加藤仁さんのシリーズ『おお、定年』(文春文庫、1988年)、『待っていました定年』(文春文庫、1992年)があるし、公募手記や各界識者の論考・エッセイを岩波書店編集部が編んだ『定年後――「もう一つの人生」への案内』(岩波書店、1999年)もある。
加藤さんは1947年生まれ。団塊世代のはしりの亥年、「2007年問題」(団塊世代が大量に定年退職を迎えた年)の中心世代である。この世代は、一生の大半を雇用者として送ったサラリーマン世代。定年が人生の大転換になる世代の人たちだ。
もう少し前の世代には、商工自営業者が多かった。この人たちに「定年」はない。それに女性にも、定年は関係ない。男がサラリーマンになだれ込んで行った世代で、女はサラリーマンの“無業の妻”となっていったが、この妻たちが、ポスト育児期に「早すぎた定年」を迎えていることは既に述べた。「定年」が問題になるのは、安定したサラリーマン人生を送った人たちだけである。
《人生には3つの定年がある》
団塊世代よりももう少し年長の世代では、堀田力さん(1934年生まれ)が『50代から考えおきたい「定年後」設計腹づもり』(三笠書房、2001年)を書き、河村幹夫さん(1935年生まれ)が『50歳からの定年準備』(角川oneテーマ21、2005年)を書いている。堀田さんはロッキード事件で田中角栄元総理大臣を有罪にした知る人ぞ知る元検事、河村さんは世界各地の転勤経験がある元商社マンである。
これらの本は、少し前に定年を迎えた先輩格の世代が、後続の世代にアドバイスする、というスタイルを取っている。「定年」をテーマにした本が2000年前後に出ているのは、大量定年時代を迎える団塊の世代をターゲットにしているから。「50代からの」とあるのも、ちょうどこのころに、団塊世代が50歳に突入した事と関係しているのだろう。
河村さんは、「人生に3つの定年があり」として、「雇用定年」「仕事定年」「人生定年」をあげる。雇用定年とは文字どおり職場から「来なくてよい」と宣告される「他人が決める定年」。仕事は、職業とは違って、自分が自分に与えた天職とか天命。
英語で言うと、プロフェッションではなくヴォケーションvocationにあたる。いわば第2の人生である。退職後に「さわやか福祉財団」を設立してボランティアの組織化にのりだした堀田さんをみても、平成の定年は、終身雇用制が成立した明治時代の定年と違って、十分「第2の人生」をやり直せるほど、まだまだ気力も体力も充実していることが解る。
明治時代の平均寿命は約50歳。この頃なら55歳定年制は文字どおりの「終身雇用」だっただろう。
河村さん自身は、超多忙な商社マン時代を過ごした後、大学教師に転身。研究と著述、それに若い人を育てるという恵まれた「第2の人生」を選んだ。エリートサラリーマンの定年後の”上がり”は大学教師と聞いたが、河村さんが大学に移った1994年は大学院重点化が始まろうという時期。
その後、拡充路線が見直され、少子化で大学マーケットも縮小している現在、河村さんのような選択肢はもはや多くはないだろう。
河村さんのいう「仕事」にも定年がある。「仕事定年」は自分で決める定年。そして最後に、「人生」の定年がある。こればかりはだれにも決められない。
《熟年ベンチャーのススメ》
いまや50代で定年は早すぎる。55歳定年制は60才まで延長されたが、きょうびの60歳はまだまだ若い。「65歳以上」を「高齢者」とする定義は、考え直すべきだと思う。
年功序列を維持したままで定年を延長すれば、長老支配が起こるし、雇用コストがかさむ。だから、定年制を維持したまま再雇用するという狡猾(こうかつ)なやり方を企業は編み出した。これだと経験豊富かな人材を安い賃金で使うことが出来るからだ。
だか、なにも同じ企業が雇用を継続しなくても、募集用件を「60歳以上にかぎる」といったこれ医者労働市場が成り立てばよいのだ。シルバー人材センターではない。
たいがいの高齢者は、それまでのキャリアや経験を生かせない業種に就いている。年齢と地位、賃金が連動しない仕組みさえ作れたら、高齢者の活躍の場はもっと拡がりそうだ。年功序列は、高齢者自身にとっても足を引っ張る妨げだろう。
日本の前近代の村落社会には年齢階梯(かいてい)制があった。生まれてから死ぬまで、同じ年頃の仲間とヨコのつながりを保ったまま、子ども組、若者組、若年寄り組、年寄り組と持ち上がっていく。
その年齢集団の結束は強く、タテ型の家制度をヨコに串刺しにする干渉力があった。年齢組が持ち上がるにつれて権利と義務とが変わっていく。
同じように、若者ベンチャーがあれば。高齢者だけの会社があってもよさそうだ。
エコノミストの島田春雄さんは、日本の高齢者の高い貯蓄志向を優えて、お金を貯蓄したままの、”死に金”にしないで、事業に投資する。”生き金”にしょうと呼びかけてた。
「高齢者よ、会社を興そう」という起業のススメである。
もはや若いときのようにイケイケをめざさなくてもよい。だれからも雇われず、自分を自分のボスにして、マイペースで働けばよい。60歳からのスタートしても20年間は働ける。
《夫婦にも定年がある》
だが、河村さんの「3つの定年」に欠けているものがある。それは「家族定年」だ。
多くの脳天気な男性と同じく、河村さんも「家族定年」を迎える前に「人生定年」を迎えることが出来ると信じているのか。そもそも「家族」が視野に入っていないのか。
家族がいてもいなくても人生に大した変化がないほど職場や仕事に入れ込んで来たということなのか。それとも、家族について語らないのが「男の美学」と信じこんでいるからだろうか。事実、河村さんの本には、家族の影が薄い。
夫の雇用定年は、実際、妻に大きな影響がある。早すぎる余生だった時間を過ごしていたのに、夫が突然、家に戻って来るおかげで、もう一度、妻が「職場復帰」しなければならないからだ。
こういう男性たちが、「濡れ落ちた葉」だの「かまって族」だの「ワシも族」などと、さんざんな呼ばれ方をしたのは記憶に新しい。
とりわけ妻に負担が重いのは、1日3食、とくに昼食の準備。これがあるために時間を拘束され、出歩く自由も無くなり、それまでの地域活動を諦めなければならなくなった、という旧世代の妻もいる。だから定年は、一方で夫婦の危機でもある。
雇用定年を夫婦関係の上で”ソフトランディング”するためにも、男性のADL(日常生活動作)の自立は不可欠である。
「夫婦定年」は、死別によっても離別によって訪れる。「親業定年」をなかなか迎えさせてくれない子どもを持ったときには、自分の子育てを反省してみよう。
親業とは、卒業するためのものであるのだから。とはいっても、最近では大学院進学を希望したり、いつまでたっても親の家から出て行かないパラサイトの子どもが立が増え、「雇用定年」になっても、「親業」を定年にさせてもらえないのは悩ましいところ。
「夫婦定年」のあとには、もちろん「定年後」の人生がある。女性にはそれを指す「後家楽」という言葉があるが、「後家楽」にあたる男性版の用語はない。男性は「夫婦定年」後を想定していないのだろう。
河村さんの世代では、結婚の安定性が高く、男にとっても女にとっても結婚は”一生もの”だっただろうが、それも過去の事になった。
つづく
生きいきと暮らすシングルの先輩たち