
上野千鶴子著
老いを拒否する思想
上がり坂半分・下り坂半分の人生10年時代を迎えたのに、「降りる」のをどうしても拒否する人たちがいる。
昔から長寿は人間の切ない望みだったのに、それを実現した社会で、どうして老いを拒否し、嫌悪しなければならないのだろうか。PPK(ぴんころり。死の直前までぴんぴんしていて、ころりと逝くことを理想とする生き方)と聞くたびに、わたしは老いを拒否する思想を感じ取ってしまう。
老いをみたくない、聞きたくない、避けたいと否認し、老化に抵抗する人にとっては。ある朝ぽっくり、は理想だろう。
サクセスフル・エイジング(成功加齢と訳す)は、アメリカで生まれた概念。老いを拒絶する最たる思想だ。定義は「死の直前まで中年期を引き延ばすこと」と、ジェロントロジスト(老年学者)の秋田弘子さんが教えてくれた。
死ぬ直前まで「中年期」を引き延ばすことができるのなら、そもそも「老年期」など存在しないといってよい。それに、歳の取り方まで、成功と失敗だのと、他人から言われたくない。
「生涯現役」思想もその一つ。人生のピークが「50代」と答えた人は、その絶頂期でばきっと折れるように過労死でもすれば本望だったのだろうか。50代で死ねば、いまなら“夭折(ようせつ)”のうち。それができなくなったのが超高齢社会というものだ。
《人生が300年なら?》
作家の河野多恵子さんが、平均寿命が50歳のときの恋愛や結婚観と、30歳のときの恋愛や結婚観とは、当然違ってくるだろう、と作家らしい奇想天外な想像をして見せたことがある。
人生が300年なら。生涯にたった一人のひとを愛して家庭など持つなどという結婚観は成り立たなくなってしまうだろう。20代で出会っただれかと、残りの270年間を共に過ごすのは至難の業だ。途中で何度か仕切り直しをしたくなる。
人生50年なら、男は文字どおりの終身雇用制のもとで働きつづけて現役のうちに、そして女は子だくさんの時代に親業を定年にならないうちに、ぼっくのあの世へ行けただろう。
河野さんは、江戸時代の心中は、人生40年時代の産物と喝破(かっぱ)した。事実、感染症が原因で、多くの人たちが40歳前後にバタバタ死んでいく江戸時代には、いっそ好きなひとと相対死(あいたいじ)にを、と思っても無理がない。
これが人生80年時代になれば、心中も情死もぐんと減る。近代小説で心中者が減ったのは、ロマンスの情熱が薄れたからではなく、寿命が延びたせいだというのが、河野説だ。
《寝たきり期間は平均8.5カ月》
下り坂の最後には、ひとさまの助けがなければ生きていけない要介護の期間が待っている。65歳以上で亡くなったひとの寝たきりの平均期間は8.5カ月(人口動態社会経済面調査。1995年)。
寝たきりになっても、認知症になっても死なないでいられる文明社会がようやく訪れた。そのことを歓迎する代わりに、どうしても呪わなければならないのだろうか。
本書の冒頭でもあげたが、「ボクの理想の死に方は、ある日ゴルフ場でぽっくり逝くこと」と言ったネオリベラリタズム(新自由主義。市場原理主義からなる資本主義経済体制のこと)系のエコノミストがいる。名前は明かさないが、このひとは、小泉政権の経済財政諮問会議の専門委員のひとりだった。
計財政諮問会議とは、2007年度から向こう5年間にわたって年間2200億円の社会保障費を抑制せよと指令したところ。麻生政権に至るまで、歴代自民党政権は、この削減目標を守ってきた。
社会保障費の抑制が至上命令の政策決定者たちは、自分自身が要介護状態になって、他人様の世話を受けることに想像力がはたらかないのだろうか。
こういう人に、高齢社会の福祉政策の制度設計をしてもらうのは困る。と思っていたら、2009年夏の総選挙で、有権者はこの政権にNOを突きつけた。
つづく
弱さの情報公開
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。