
上野千鶴子著
男の定年、女の定年
どんなに仕事愛していても、仕事には必ず定年がある。とりわけサラリーマンには、いやおうなく定年が来る。
どんなに職場に忠誠を誓っていても、いつかはある日、「明日からはあなたは来なくていい」と宣告される日が来る。地位と収入のピークに、惜しまれて花束を抱いて拍手のなかを去ってゆくのが「男の花道」だろう。
問題は、それから後の人生が思っていた以上に長いことだ。
開業医をしていた男性に、「この仕事は定年がないからいいですね」というひとがいた。が、こういうひとも、ぼけて医療ミスとか投薬ミスとかを引き起こす前に、自覚して退きどきをわきまえた方がよいだろう。
いまや日本人の平均寿命は、男性79.3歳、女性86.1歳。現在50歳過ぎているひとは、もっと長生きすると覚悟した方がよい。80歳を超えて生きる確率は、女性が4人に3人強。死ぬに死ねない長寿社会が来た。
《女の定年は男より早い》
実は女の定年は、男の定年よりもっと早くやってくる。やっぱり。女の“賞味期限”は男より短いからねもと早とちりしないでほしい。
男の定年が職業からの定年だとしたら、女の定年は母(親業)からの定年だからだ。
たいがい女は職業よりは子育ての方に、人生の優先順位を置く。親業のために、人もうらやむような職をなげうつ女性が絶えないのはそのせいだ。だか、親業にも卒業がある。
子どもは必ず親元を巣立っていく。もしいつまでも巣立って行かない子どもがいたとしたら、親業に失敗したと思った方がいい。
親業はいつか定年か。子どもは死ぬまで子ども
親業は定年はない
と考える人もいるかも知れない。子どもが社会的・経済的に自立するまでと考えれば親業の定年は永遠に延びるだろう。
だが、親業の第1次定年は、親が誘っても、子どもが親より同世代の友人たちと過ごす方を優先した時、と考えてもよい。このとき、子どもは親の庇護圏を飛び立ったのだ。年齢でいえば、小学校の高学年から中学校の頃だろうか。
もちろんこれ以降も、高等教育に在籍している間は学費がかかるから、親としての経済的責任からは降りられない。だが、親とはべつの生活圏を持つようになった子どもは。同じ屋根の下にいても干渉を嫌う下宿人のような存在になる。
こうなったらカネは出しても、クチは出さずに、遠巻きに見守るしかない。放課後も部活動だのバイトだと、家にいる時間がどんどん少なくなるから、もうフルタイムで子どもが家に帰るのを待っている理由がない。家族社会では、末の子が義務教育を終了した時をもって、「ポスト育児期」の開始と定義する。ひるがえって育児期とは、たかだか10年余りしか続かない短い期間だといえる。
《早すぎる余生の効果》
定年のあとは、余生になる。女が人生の最優先事項を親業に置くとしたら、余生が長くなる。この定年延長を測りたければ、次々に子どもを産みさえすればよい。
実際、親業を辞めたくなくて、末っ子が10歳を過ぎた頃ころに、「膝がさみしい」とまた子どもをつくる女性もいないわけではない。
だか、こちらのほうは、よほどの体力がないと実行できない。現在のように、少子化で子どもがひとりかふたりだと、2年のかんかくを空けて産んでも、30代後半か40代前半には子どもは学齢期に達し、専従で親業をやる必要はなくなる。
30代から余生、では人生は長すぎる。それに30代なら、まだまだ元気でやり直せる。だからこそ、女性は出産・育児後に「再チャレンジ」を試みてきたのだ。仕事に就いたり、地域活動にはげんだり、趣味や習い事を始めたり、大学や大学院に通う女性もいる。女性は人生を二生ぶん、生きてきたといえるかも知れない。
こういう早い余生を迎える女性は、本物の老後にスムーズに移行できる。ポスト育児期に再就職したとしても、「仕事イノチ」と打ち込むほどの生き甲斐や遣り甲斐のある職場は、女性にはなかなか与えられないし、パートや非正規就労を選ぶ女性は、政府に教えられなくても、とっくに「ワーク・ライフ・バランス」(仕事と生活バランス)をとっている。暮らしを犠牲にするほどの価値がある仕事などあるはずもないと思っているし、逆にあったとしても、その機会は女には回ってこない。
子どもが育つ過程で、否応なしの子離れを子どもの側から突きつけられているから、夫にも子供にも依存しない生き方を早めに身に着けている。これも性差別の結果ともいえるが、早すぎる余生の効果はひとつである。
これとは反対に、フルタイムの仕事から定年を迎える男性は、老後へと“ハードランディング”しがちだ。そんなときには、一足早く余生を迎えた女性の生き方が参考になるだろう。
つづく
老いを拒否する思想