U 大人になること
前章においては、大人になる前の色々なつまずきについて述べ、それは大人になるための必然的なことであるとさえ強調した。一体それはどうしてなのか、そのことを少し異なる角度から論じてみたい。
未開社会においては、子どもと大人の区別は、はっきりとしており、成人式という通過儀礼によって子どもは大人になるのである。現代社会においては。既に述べたように、子どもと大人の境界は極めてあいまいであり、青年たちはどちらに属しているのか明白ではない。
このためいろいろと社会的混乱も生じているのであるが、いったいどうして現代は大人であることとか、大人になることがあいまいになってしまったのだろうか。このような点について考えてみるが、ここでもまず、ひとつの解りやすい例をあげることにしよう。
1 対人恐怖の大学生
学校をやめたい
A君は大学一年生である。そろそろ学年末も近づいてきたが、憂鬱で仕方がない。
学校もずっと欠席のままである。A君が学校に行かないのは、人前に出るのが何となく怖いからである。
怖いというのはぴったりの言い方はないが、そのようにでもいうより仕方がないのである。
人の中にいると落ち着かないというか、不安というか、ともかくじっとしておれない。特に同級生などが話しかけてくると、どう返答したらいいのか困ってしまうのである。何か言っても、われながらトンチンカンなことを言ったような気がして話が続かなくなってしまう。
そして、そのような自分のことを同級生たちがもの笑いの種にしてくるようにさえ思えてくるのである。実は、A君は高校生三年のときも、同じような状態になって、学校を休んだことがあった。父親はA君が怠けているとしか考えないので、登校せよと怒るのだが、A君はどうしても出てゆけない。さりとて、自分の状態などうまく説明できないし、恥ずかしいと思うから誰に言いたくない。
仕方なくなって、高校三年で退学したいと担任の先生に申し出ると、この先生が親切な人で、退学などしては損だから何とかしてやろうと他の先生をいろいろと説得してくれ、A君はやっとのことで卒業できたのであった。
そして無理して受験した大学に合格し、大学ではがんばろうと思って入学したのだが、大学は思ったよりも相当厳しいし、またもや高校のときの症状がぶり返してきた、という次第であった。父親は再び怠けだしたと思っているので、??責を繰り返すばかり。
A君はまったく困り果ててしまった。そこで、その大学では担任制が採られていたので、担任のところにゆき、退学を申し出ることにした。ここで、彼が退学を申し出ることを思いついたのは、やはり高校時代の思い出が関係していて、大学の担任の先生も学年末に迫ってきた試験に対して何とか恩典を与えてくれるのではないか、という期待がひそかに心の中に生じていたからであった。
ところが、大学の先生はA君の申し出を聞くと。むしろ、嬉しそうな顔をして退学届を出すことに同意したのである。勉強する気のないものは、さっさと大学など止めるべきだというのが、この先生の持論だったのである。
案に相違してがっかりしたA君はどうしたかについては、後に述べることにして、ここに簡単に対人恐怖症のことについてふれることにしよう。
対人恐怖症
ここにあげたA君の症状は、軽いものであるが対人恐怖症と言われるものである。他人と同席すると、強い不安と緊張が生じて来て、他人に不快感を与えていないか、他人から軽蔑されていないか、などが心配になって、そこにいたたまれなくなる。
このためできるだけ対人関係から身を避けようとし、重くなると外出できなくなるようなノイローゼである。
普通は家族や特に身近な人や、逆にまったく見知らぬ人の中にいる時は強い不安を感じることがない。苦手なのは同級生とか近所の人、親類の人などである。
これがもっと重くなると、自分の目が鋭いので人に災難をもたらすとか、変な体臭があるので(実際は無いのだが)嫌われているとか思い込むようなものである。
このようなノイローゼは欧米人に比して日本人に特に多いことが指摘されており、後にも述べるように、比較文化的な観点から注目すべき症状である。事実、日本人では青年期にごく一過的にこのような体験をする人は多く、普通は「他人の視線が気になって」、何となくぎこちなくなるというような感じとして体験される。
あるいは、今までは何ともなかったのに、青年期になると急に親類の人に会うのが面映ゆく感じたり、近所の人と顔を合わすのを避けたりするような事にもなる。こんなことは「普通」の人でも、青年期に経験したことのある人は多いと思う。
ただ、先に述べた対人緊張感が強すぎて、人前で話ができなかったり、いつも引っ込んでばかりなどして、そのような状況が何年も続くと、これははっきりとした対人恐怖症というノイローゼということになる。しかし、このような人でも大人になってしばらくすると自然に良くなる人が多く、このノイローゼが青年期の心性と相当関連しているものであることが解る。
A君の場合は、ノイローゼというほどのことはなく、軽い症状がある程度一過性に生じたと見るべきである。
死の決意
A君は多少なりとも同情を得られると思って担任教師を尋ねたのだが、まったく予想外にあっさりと退学に賛成されてしまったのである。すぐに帰宅する気にもなれず、あっちこっちうろついて遅く家に帰ったが、父親も母親もじろりと見るだけで、どこに行っていたともいってくれない、A君はまったく世界の誰からも見捨てられたように感じたのであった。
自室に入っていろいろ考えたが、良い解決策など見当たらない、退学すると父親はすぐに働けというだろう。しかし、今の状態で人前に出て働くなど到底できない。そうなると両親は絶対に自分などかまってくれないだろう。家を出て行けというのではなろうか、とさえ思われた。大学の担任も憎らしかった。
まるで出来の悪い学生が一人でも少なくなるのを喜んでいるような感じだった。頭から軽蔑し切って自分を見ているようだった。考えるほど、お先真っ暗になってしまって、A君は自殺を決意した。
首を吊るのは嫌なので、睡眠薬にしようと思った。大分夜も更けていたが、まだ薬局は開いているだろうと、薬を買いに外出しようとした。部屋を出てゆこうとしかけると、父母は既に眠っていたが、母親が目を覚まして「今頃どこへゆくの」とたずねた。別に何もないからと自室に引き返したところで、A君の考えがガラリと変わってしまった。
死ぬことが急に馬鹿らしくなったのである。あんな教師に馬鹿にされたくらいで死ぬんでたまるか、と思った。今からがむしゃらに勉強して、あの冷淡な教師や父親を見返してやりたい。
こう考え出すと、何とも言えぬ怒りが湧き上がって来て、「畜生!」とA君は何度も怒鳴った。
教師と父親の頭をガンガンと殴りつけている光景が目に浮かんできて、興奮は止まらなかった。A君はそのうちにいったい誰に何のために怒っているのか解らないくらいになった。不甲斐ない自分に対しても怒っているようにも感じた。
つぎつぎと空想がわいてきた。A君はとうとう学年末の試験に満点をとり、担任が平身低頭して詫びを入れているところを思い浮かべている間に眠ってしまった。
翌日からA君は勉強を始めた。人前に出るのはやはりつらかったが、大学へも行った。担任の講義にも出席した。空空想のときのように担任を怒鳴りつけたりは出来なかったが、しばらくしてから、退学を
中止して試験を受けるつもりだと告げた。A君にとって意外だったのは、担任はあのときに感じた冷淡な人でなく、退学中止を喜んでくれ、今まで欠席して解らないところがあったら聞きにきなさい、と言ってくれた。
A君は振り上げたこぶしのやり場がないようになって、へんてこな感じを受けたが、もちろん、悪い気はしなかった。不思議と言えば、父親の態度まで変わってきたことだった。「お前のような怠け者は大学など行く資格がない」といっていた父親が、「試験は何時あるのか」などといったりして、A君の勉強に関心を示しだしたのである。A君は満点を取って教師にも平身低頭させることなど、もちろんできなかったが、ともかく学年末の試験を乗り切ることが出来た。
それよりも、教師や父親を見返してやるとか、頭を殴ってやるなんていう気持ちは全く消え失せていた。それと共に、A君の対人恐怖症も知らぬ間に薄れてしまっていたのである。
ここに示した例は対人恐怖症のノイローゼなどではなく、むしろ、一般の学生がよく経験しそうなことを少し劇的な形で示したと言っていいだろう。基本的なパターンは同じにしても、ノイローゼの人がそれを克服してゆくためには、もっと時間と努力が必要とするし、治療者の配慮ももっとキメ細かくないと駄目である。
これを読んでノイローゼの人には退学を進めると良いなどと即断しないでいただきたい。また、高校の担任が親切だったことも良かったのではないかと思われる。暖かい体験をして、その後に厳しい体験をしたのも、ちょうどうまくできたというべきだろう。
高校の担任が冷たく退学を迫っていたら、A君は本当に挫折してしまったのではなかろうか。
その点はともかくとして、A君が体験したこと、つまり、一度は死のうとまで重い。そこから立ち上がってきたことは、大人になるために必要なことと思われる。このようなプロセスを、社会的制度として行っていたのが未開発者会における成人式なのである。
そこで、次に未開社会における成人式がいかに行われているかを、簡単に見てみよう。
つづく
2 イニシエーション