ここ数年激増し、先進国の中でも顕著になった中高年の自殺者の問題です。もはや、この国は、交通事故死の何倍もの人が、自らの命を絶たざるを得なくなるほど、生きづらい国になってしまったのです。トップ画像 赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

生きがい発見の心理学

本表紙  諸冨祥彦氏著

生きがい発見の心理学

人間の悩みや苦しみは、その時代時代の固有の空気が微妙に反映されます。
たとえば、ここ数年激増し、先進国の中でも顕著になった中高年の自殺者の問題です。もはや、この国は、交通事故死の何倍もの人が、自らの命を絶たざるを得なくなるほど、生きづらい国になってしまったのです。

こうした時代の空気に敏感なのは、思春期から20代半ばにかけての若者たちです。まず、彼ら・彼女らの言葉に耳を傾けてみましょう。

ある大学1年生の女の子はこう訴えます。
「私、何のために生まれてきたのか。それが判らないんです。私が、いま・ここに存在していることに、はたして意味があるのかどうか、それが判らない。

決して手を抜いているわけでも、シラケているわけでもありません。私なりに日々努力して、それなりに一生懸命生きているつもりではいるんです。

でも同時に、『それが何なの?』『で、その先は?』『昨日や今日と同じような毎日がずっと続いていくのだとしたら、人生って結局、何の意味があるっていうのよ』―そんな問いが頭の中をぐるぐる駆け巡って離れないんです」
次は、高校2年生の男の子。彼の手首には、カッターによる切り傷の跡があります。

「俺ってさあ、たいした能力があるわけじゃないじゃん。たいした学校行っているわけでもないし。『どうせ俺なんか、いても、いなくても同じ』 ―そう思うと、自分が生きているって実感できなくなるんですよね。でも、こうやつて、カッターで自分の腕を傷つけて、血がタラーッと流れていくのを見ていると、あぁ、生きているんだって実感できるんですね」

生きている実感がない。自分が生まれてきたことの意味がわらない。…・若者たちのこうした訴えは、いまに始まったことではありません。

けれども、最近感じないではいられないのは、かつてこうした訴えをする若者たちは(たとえば不登校や引きこもりの若者の中に)ごくたまにいたにすぎなかったのに対して、ここ数年は、ごく普通の、元気に学校生活を送っている子どもさえ、こうした言葉を口にするようになった、ということです。

たとえば、休み時間のたびにカウンセリング・ルームにやってくる中学1年生の女の子。ある日、彼女は入ってくるなり、こんなふうに訴えを漏らしました。

「何やっても、つまらないんです。毎日、勉強、勉強で、友達はいるし、遊んでいますよ、けっこう。親もやさしいから、欲しいものは何でも買ってくれる。

でもね、先生。友達と遊ぶ約束しても、『したいこと』が何もないんです。お母さんから『何か欲しいものないの?』と聞かれても、何も浮かんでこないんです」

中学1年で、「したいこと」もなければ、「欲しいもの」もない、という。こういう「欲のない子供たち」が増えている気がします。

少し驚いたのは、卒業を間近に控えた大学4年生男子の次の言葉です。
「おれ、卒業しても就職しません。しばらく、家事手伝いっていうか、家の仕事でも手伝いながら、好きなことをしたいのです。

まわりの大人を見ていると、なんだか『大学でたら、あとは、ひたすら一生懸命働いて』みたいな生き方がいいとは思えなくて。働くことの意味が解らないっていうのか。

もちろん、飯を食うためには、そのうちに働かなきゃ、と思うんですけど、親父が元気で楽できるうちには、できるだけ自分の気持ちに正直に、自由に生きる方がいいのかなって」
単にフリターの増加、というだけではすまされない。いまの日本では、「働くこと」そのものが若者にとって魅力があることに思えなくなってしまっている。このことこそが問題なのです。

失業率がいずれ10%に達すると言われている日本で、なんて贅沢な悩みだ、と言いたくなった方もおられるに違いありません。

というわけで、最後は、会社をリストラされ、お子さんが不登校になってカウンセリングに見えられた40歳半ばの男性の話。

「どうやって、やる気を出せばいいのか、わかんないんですよ。ずっと働き続けると思っていた会社を、部下の仕事のミスを理由に突然、首切られちゃって。

やっと見つけた次の仕事では、まったくのヒラ扱い。プライドなんて気にしていたら、やっていられないですよ。で、我慢して仕事していたら、今度は子供が学校に行かなくなっちまうし。くたくたになって家に着いて、学校も行かずゴロゴロしている子供の姿を見ると、『おれは、何のために働いているのだ』『俺のこれまでの人生って、いったい何だったんだ』と、そう思っちゃうんですね」

いかがでしょう。こうした訴えの背後に、どこか共通するトーンのようなものが感じられはしないでしょうか。

彼ら・彼女らは訴えます。「生きている意味が解らない」「働くことの意味が実感できない」「自分が判らない。自分が何をしたいのか、何が欲しいのか、わからない」と。

こうした、自己や人生の空虚(くうきょ)についての訴えは、一九八〇年代あたりから、しきりになされてはきました。
しかし、私の見るところ、かつては陰でひっそりと投げかけられたこうした訴えが、ここ数年、あまりにもあからさまに、当たり前のようになされるようになってきたのです。本来、独特の暗さが付きまとうはずのこうした訴えが、もはや公の場で、隠されることもなしに、臆面(おくめん)もなくなされるようになってきた、という印象があります。

ニヒリズム(虚無主義)と言えば、たしかにニヒリズムなのでしょう。

しかしそれは決して、かつての時代のような暗黒のニヒリズムではない。暗闇の中をさまよい、いつか光を見出そうとするような類(たぐい)のものではない。
それは、むしろ、透明なニヒリズム。

黒いニヒリズムではなく、真っ白なニヒリズム。

先が真っ暗で何も見えない、光が見いだせない、というものではない。
この先は、どこまでも透けて見えていて、透けて見えるからこそ、どこまで行っても結局、何もありゃしないのだということがわかってしまう、そんな類のニヒリズムなのです。

この雰囲気は、いま私たちの時代に浸透している空気と似通っています。

いま日本では、これまで確かだったと信じられてきた様々なものが、にわかに音をなして崩れ始めました。

終身雇用制度も崩壊し、完全失業率は高いままです。かつて、「一億総中流」などと言われ、「どこよりも安全な国」と言われた日本は、もうどこにも存在していません。

先の「同時多発テロ事件」の、貿易センタービルが崩れ落ちるあの映像は、「もはや確かなものは何もない」という気分を世界規模で浸透させるには充分なものでした。

しかしその一方で、たしかに衝撃的であつたはずのあの映像が、どこか映画のワンシーンのように感じられなかった、という方も少なくないと思います。

もはや確かなものは何もなく、したがつて、何が起こっても不思議はないというリアルさを明るみの中で受容する感性。
そこに私は、「生きている実感がない」と訴える若者に潜む、「どこまでも透明なニヒリズム」との一致を見出すのです。

先に挙げた一連の悩みは、いわば「実在的な悩み」で、こうした悩みは心理学の理論を言うと、私が専門とするヒューマニスティック心理学(人間性心理学)やトランスパーソナル心理学という新たな心理学の潮流で扱ってきたものです。

この潮流の心理学の代表的な考えを紹介しながら、同時に、読者の皆様が自分のことを見つめることができるような、そんな話をさせていただきたい、と思っています。
この本が、単なる知的な講義にとどまらず、皆さん自身の人生を見つめ、生きがいを発見する一助となればと願っています。
つづく 生きている意味がわからない