=夫の火遊び=藤堂志津子氏著
離婚の理由は「性格の不一致・価値観の違い」とし、あとのことは余計なことはいっさい他人には漏らさないといって離婚。しかし、じつは「性の不一致」で別れた。
「庸子32歳は5年前に離婚したあとに、昨年、母親の病気入院で勤め先を辞めて東北の実家に引っ越して介護にいそしんだが、半年余りで母は他界してしまい、ふたたび職を求め上京してきて大学時代の下宿先である「滝シェアハウス」へ住まわせてもらって、今はパート勤めをしている」
三月も半ばをすぎた金曜日の夜、庸子は山崎芳夫と居酒屋のカウンター席に並んで座っていた。
芳夫は五年前に庸子と離婚した元夫である。
大学の同期生で、年齢も同じ三十二歳になる。
隣り合った客に、こちらの会話が筒抜けにならない程度にはにぎやかで、しかし相手の話がこちらの耳にとどかないほどには、そうぞうしくない。季節は春である。
暦のうえだけの春でなく、今年は三月になると同時に、例年より気温の高い汗ばむ日がつづいていた。
伝票を手に近づいてきた年配の女性に、芳夫は生ビールの中ジョッキを、庸子は小ジョッキを注文する。
「はい、生ビールふたつね」と女性は復唱してみせたあと、「今年は生ビールの出が早いわ、夏にならないうちからこれだもの」と伝票に書き込みつつつぶやいたけれど、それは庸子たちに聞かせるというより、声量の調節をうっかり忘れていた独り言のようだった。料理のオーダーは、芳夫が大根サラダと豚の角煮、しめさばの三点なら、庸子もしぜんとそれにあわせて、野菜炒めにワカメの酢の物、小さな焼きおむすびの三点を選んだ。
「しめさば、食べられるようになったの?」
注文係りの女性がそばをはなれていったあと、庸子はきいた。
結婚していたころ、芳夫は、偏食というほどではないにせよ、食べなくていいのならそうしたいという苦手な食べ物がいくつかあったのである。
「うん。いつだったか会社の上司に寿司屋につれてかれて、そこでその店特製のしめさばを、とにかく一切れ食べてみろっとすすめられてね、思いきって口に入れてみたら、これがおれのしめさばに対する先入観をくつがえすぐらいうまかった。それからというもりは、すっかりしめさばがすきになったよ」
「そういうのって、あるよね。いい体験したとたん、苦手なものが苦手でなくなる」
「ほら、おれ、コンニヤクも、どちらかというと一生食べなくてもいい方だったろう? あれもクリアされた」
「へえ、コンニヤクも、いっ、どこで?」
「どこだったかな。とにかく、これがあのコンニヤクかって感心するぐらいに、いい味つけの煮物をだされたのがきっかけで」
「居酒屋とか小料理屋とか、それとも誰かのお宅?」
さほど意識しない問いかけだったが、言ってしまってから庸子は、これは「妻の詮索(せんさく)」だと気づいた。立ち入りすぎている。
「ごめん、余計なことまできいて」
「いいんだ。わかっている」
芳夫ならって庸子も離婚後に好きになった食べ物を言ってみたかったけれど、あいにく、昔から好き嫌いはこれといってない。
「ああ、そういえば土田さんっていうおれの上司のこと、おぼえているかなあ」
「土田さん?」
「そう、土田課長」
「あっ、例の課長さんね。あなたが入社した年のはじめての忘年会で、見事などじょうすくいを踊って、新入社員たち全員をのけぞらせたという…・」
「社内では有名などじょうすくいだったんだ。おれたち新人は知らなかったけど、それも社内で披露するたびに年々腕を上げ、見事な踊りっぷりで」
「まじめにずうっと練習してたとか」
「お師匠さんについてね」
「本格的」
「そう。ふだんは冗談ひとつうまく言えないような堅物だったけど、部下の面倒見はよくて。っていうか、性格的にやさしいひとなんだろうなあ。で、どじょうすくいは自分のライフワークで、この踊りは自分なりにきわめたいと、酒が入るたびに本気で言っていた」
「そうそう、思い出した。あなたのミスも、かげでかばってくれたことあったじゃない、新婚早々のころ。あの日あなた。うちに帰ってきてから、こっそり男泣きしてた」
「そうだっけ?」
「ま、しらばっくれて。私、そのときはみないふりしてたけど、実は見ていたの」
「その土田課長、先月、入院したらしい」
芳夫の声の調子が急に沈み込んだ。
「ああ、きみに言っていなかったっけ? 土田課長は二,三年前にN市の支社に転勤になって、こっちにはいないんだ」
「私たちが別れたあとね」
芳夫は電子機器のメーカーに勤めている。技術畑として採用されたのだが、なぜか入社当時から営業をやらされ、それが不満で辞職を考えた一時期もあったものの、いまはすっかり落ち着いて営業の仕事もまんざらあわないこともないと、自信を深めているらしかった。この前会ったときに、そんなふうに現在の心境を語り聞かせてくれ、庸子を安堵(あんど)させた。
「それで土田さんはどこが悪いの?」
「いや、そこがはっきりしないんだ。でも、はっきりしないってところが、あやしい。っていうか、かなりやばい病状じゃないかと、おれは思うんだけど、間に立つひとが、きっとあいまいに口をにごしてるのじゃないかな。土田課長を気の毒におもうあまりに」
「おいくつだつたけ? 土田さん」
「四十八.九だと思う」
「もちろん奥さんも子供さんもいるよね」
「うん、子供は二人。どっちもまだ中高生ぐらいのはずだ」
「入院先はこっち? それともN市で?」
「N市の市立病院」
「心配ねえ」
「どの程度に悪いのかが気になって仕方がない」
庸子はとっさに「N市までお見舞いにいかない?」と言いそうになったものの、自分たちはもう夫婦でないことを思い出し、でしゃばるのはやめた。
注文したビールが運ばれてきて、ほどなく料理の品々もカウンターに並べられた。
芳夫は病床にある土田のことに気を奪われているらしい顔つきで、黙ってビールを飲み、料理はしばらく手をつけようとはしなかった。庸子は、そんな芳夫を慰めるでもなく励ますでもなくほうっておき、まずはビールで咽をうるおすと、さっそく野菜炒めに箸をすすめた。キャベツとニンジンの彩がきれいで食欲をそそられる。それに野菜炒めは時間がたっと、ぐちゃりと水っぽくなってしまうから、早く食べてしまうにかぎるのだ。
かって世話になった上司の病気を案じて、つかのま食欲もなくなるという元夫の繊細さが、庸子はいやではなかった。まわりからは、似たもの夫婦と評されていたふたりだったけれど、神経のこまやかさの面では、芳夫のほうがはるかにまさっていて、悪く言えば、ひ弱だった。
野菜炒めを食べつつ、庸子は目だけを使って、並んで座っている芳夫を盗み見た。
色白で、きめの細かい肌と、すっとのびた薄くて形のよい鼻の線が、見るからにきれいで、端整で、やはり庸子好みだった。
といって、こんなにも好みのタイプの顔立ちなのに、どうして離婚してしまったのか、という自問自答はうまれない。それこれは、あくまでも別だった。ここが百点満点だから、あとのペケには目をつぶるということは、なかなかできない。よい部分は、もちろん認める。同様に、良くない部分もごまかさずにしっかりと見てしまう性分なのである。
離婚した芳夫と、ふたたび会いだしたのは、ふた月前、正月明けからだつた。
離婚後のこの五年間、芳夫の消息は、あえてだれにもきかないようにしていた庸子なのだが、年の暮れから正月三が日のまとまった休みのあいだに、しきりと芳夫とのかっての結婚の日々をなつかしんでいる自分がいて、それで思いきって年賀状をだしてみたのである。なつかしく思いだしたきっかけは夢だった。夢の中で、ふたりは新婚当初さながらの、仲むつまじい生活を送っていた。芳夫がまだこの街に住んでいるのか、それとも転勤で街をはなれたか、はたまた会社を辞めたのかもわからないままに、とりあえず以前の勤務先あてに年賀状をだしてみた。
二週間ほどたった夜、庸子の携帯電話が鳴り、でてみると芳夫だった。
「年賀状ありがとう。うれしかったよ。そのうちごはんでも一緒にどうかな」
その場で会う日時の約束をとりつけた。
そして三月のきょうで五回目をかぞえた。
先の四回とも食事どまりである。食事のあと、場所をかえてどこかバーにでもといった展開にはならない。芳夫にはその気がなさそうだし、庸子にもない。意識的にそいう一線を引いているというふうでもないのは、どちらもそうだった。
生ビールの酔いが少しずつまわってきたらしい芳夫が、やや明るさをとりもどした口調と表情を庸子にむけた。まだ料理には手をつけていない。
「この前、関本から久しぶりに電話があって、きみのこと話したら、彼も会いたがってたよ。そのうち一緒に会うのはどうかな?」
「へえ、関本くんか。なつかしい。彼、警備会社に勤めてたよね」
関本は、庸子と芳夫の学生時代に群れていた数人のグループのうちのひとりである。
「あいつ、いまじゃあ、あの会社のエリートらしいぞ。社長に気に入られたとかで大学はちがうけど、社長も彼と同じく柔道部ってことで、入社当時から目をかけられていたとか」
「関本くんて、見るからに柔道とかレスリングをやってそうながつしりとした体格で、性格もものの考え方も、いい意味で、いかにも体育会系だったよね。結婚したの? 彼」
「三十五までには身を固めたいと言って、この前も言っていた」
「もてないタイプじゃないのに」
「いや、あいつ自身がいまいち結婚に乗り気じゃないんだ」
芳夫がようやく落ち込みから脱してきたらしいのを感じて、庸子はそれとなくすすめた。
「しめさば、食べてみれば? 角煮もおいしそうよ。ビールばかりでおなかいっぱいにしたら、お料理が食べられなくなってしまってたでしょう、いつも…・」
とそこまで言ってから、それは離婚前の芳夫のことで、あれから何年もたったいまは当てはまるかどうかわからないのだと、ふいに悟った。
尻すぼみの語尾をにごして口をつぐんだ庸子のひそかな狼狽(ろうばい)を知ってか知らずか、芳夫はこだわりのない様子で、素直にうなずいた。
「そうだょねビールだけで満腹しちゃいけない。いつもきみにそれを言われていたね」
しかし、それ以上、結婚生活の思い出にふけることはせず、芳夫はすみやかにあたりさわのない別の会話を持ちだしてきた。自宅の近くのコンビニエンス・ストアの品揃えにむらがあるとかなんとかの、どうでもいい内容である。
過去の思い出話を禁止しているわけではないけれど、けっしてそこにふみこみすぎない、感傷をからめない、しゃべりすぎないのが、この正月明けから会いはじめた元夫婦ふたりの暗黙のルールだった。
おたがいのいまの私生活をあれこれ詮索するような質問も、自然と控えている。そうした呼吸が暗黙のうちに一致するのは、おそらく以前は夫婦だったことと無関係ではないのだろう。
たとえば、いまつきあっているひとはいるのか、といった問いかけは、いまだにかわされてはいない。
互いの両親についても、ふれないようにしている。だから庸子は母が昨年、亡くなったことを、いまだにきりだせなかった。親たちを話題にのぼらせないのは、離婚のとき双方の親たちをひどく嘆かせたという共通の痛みがあるからである。
庸子の母は芳夫が大好きだったし、芳夫の両親は、娘がいないこともあってか、もし自分たちに娘がいたら庸子のようであってほしかったと言ってくれたひとたちだったのだ。
親たちの嘆きを目(ま)のあたりにした日、庸子も芳夫も、結婚も離婚も当人同士の問題にすぎない、とそう簡単に片付けられない現実というものを、いやというほど噛みしめた。
「結婚はもちろん離婚にしてもまわりは関係ない、ふたりだけのこと」といった基本的には正しく、もっともなその考え方は、要は青臭い若者ならではの発想だと、離婚を経て、ふたりは痛感させられた。青臭い若者は、とかく、まわりにやさしくなかった、自分たちふたりさえよければそれでいいのである。
相手を困らせる危険のある質問を避けるのは、礼儀と思いやりからであり、そこに復縁の下心は、少なくとも庸子の場合なかった。はずみや意地で離婚したのでは、断じてない。
この結婚は失敗だったろうか、と漠然と不安にとらわれだしたのは結婚して二年目、しかし、はたして本当に失敗なのか、好転する可能性はないのかと見極めるのに、さらに2年半を要した。
慎重にも慎重をかさねて、そうして、ようやっと、ふみきった離婚なのである。復縁はないと思っているのは芳夫も同じだろう。と庸子は読んでいた。その気配をちらりとも感じないのだ。その気配とは、庸子を女として意識して見ているかどうかである。
庸子にむけられる芳夫のまなざしは、どこまでもおだやかで、やわらかい。
そして芳夫のそのまなざしとむきあうたびに、自分も同じまなざしで彼を見つめ返しているのだろうことを、疑いの余地なく庸子は確信していた。
そこに流れているのは、ほとんど「きょうだい愛」に近い。もともと、粘着質のどろどろ、ぎとぎとの男女愛の要素にとぼしい夫婦ではあったけれど、別かれて五年ばかりたってみると、わずかにまじっていた男女愛の粘着度は、微塵(みじん)もなくなっていた。
離婚したての頃、やはり相手へのいくばかりかの怒りや、自分自身のなかの混乱とか自己嫌悪があって、すぐに「きょうだい愛」に浄化させることは、どうあっても不可能だった。いずれ浄化される時期がくるとは想像だにできなかった。
しかし年月がすぎてみて、しかも頭の中で想像しているでなく、じかに芳夫と再会してみて、はじめて自分たちの元夫婦の関係が、無理なくリセットされていると納得できた。
庸子のすすめに従って、芳夫はしめさばに箸をつけ、ゆっくりと口に運びはじめた。
「どう? おいしい?」
「なかなかの味だよ、うん、きみも食べてごらんよ」
「いまはいい。ワカメの酢の物もあるし」
それと、じっは、居酒屋などのメニューにのっているしめさばに勝るとも劣らない自家製のしめさばを味わってからというもの、庸子はそとでしめさばを食べる気がしなかった。
自家製と言っても庸子が調理したのではない。こしらえたのは「滝シェアハウス」の家主さんである。家主は、いわば副業で、正業は市役所の事務職、勤めてから二十数年になる。
庸子は「滝シェアハウス」に学生の時分にから芳夫と結婚するまで間借りし、離婚後もしばらくアパート住まいをしていたものの、昨年、郷里に帰って病気の母の介護をするために、それまで正社員だつた教育関連会社を辞めた。介護は長丁場になるだろうと予測したからだ。
けれど、予測が外れ、庸子の母は、庸子がひとり暮らしのアパートをひきはらい郷里に移り住んだ、わずか三カ月あまりあとの七月末に他界した。
母の死後のあとかたづけを終え、この街に戻ってきた庸子は、ちょうど空き部屋があったのをいいことに「滝シェアハウス」に居候させてもらい、いまだに居続けていた。
間借りと居候の違いは、居候のほうが月々の家賃が安い。家主の頼子にとつては、そこになんのメリットもなく、正規の家賃で間借り人を探したほうがいいはずだが、おかしな人には貸したくないとなると、家賃の半分の居候料金でも、部屋を空けておくよりもずっとましということになる。
もちろん、そこには頼子の温情が働いていた。郷里から戻ってきた庸子は、すぐに新しい勤め先さがし奔走したのだが、三十歳をすぎて正社員で採用してもらえるところはなく、やむなく派遣社員となった。給料は安い。それに同情した頼子が、居候料金でいいと言ってくれたのだ。
「滝シェアハウス」の二階の他の間借り人は、オープン当時から住んでいる彩音と、毎月のように田舎町から遊びにやってくる彩音の母の典子のふたりである。
資格取得マニアで、お嬢様育ちの彩音は三十六歳、典子は五十
代とはいえ、四十代と称しても通用する若さを見事に保っていた。
四十六歳の家主の頼子は、昔から料理好きのおいしいもの大好き人間だったけれど、その傾向は近年ますます増長されて、その具体例のひとつが手作りのしめさばなのだ。
自家製のパンや、皮からこしらえる肉まんとかバイ生地づくりからはじめるアップルパイとか、頼子が挑戦した品は数多くあり、そのどれもがおおむね成功していて、「滝シェアハウス」の住人たちには大好評だった。試食には「滝シェアハウス」のもと住人で、いまは姉夫婦と同居しているシングルマザーの智子も参加する。ところがパンにしろ、肉まんにしろ、パイにしろ、カロリーは低くない。けれど、市販のそれよりもぐんとおいしいため、ついつい食べ過ぎる。
最初はだれもがカロリーのことには、わざと目をつぶって「おいしければいい」とばかりに食べの快楽に溺れこんだものの、やがて、全員がそろってむくむくと太りだし、手持ちの洋服のどれにもウエストが入らないという事態にいたった。
いちばん太ったのは頼子で、だから話はつけやすかった。
「手作り料理はこれまでどおり大歓迎、ただし、できれば低カロリー料理にしていただけないか。太ってどうしょうもないので」
と、彩音が残る三人の気持ちを代表して頼子に提案してみると、頼子はほっとした表情で答えた。
「よかった、太りつづけたのは、私だけじゃなかったのねッ。自分が太っても、みんなが喜んでくれてデブになる苦情もないのなら、この際、私、デブの道に走ってもいいかつて、それなりにかくごしていたのょ」
美味かつ低カロリー料理をめざした頼子が、その一作目としてこしらえたのがしめさばだった。生のいきのいいさばをまるごと買ってきて包丁でさばくところからはじまったそれは、塩加減も酢の締め具合もすばらしいできばえで、皆の大絶賛をあびた。
「どうしょうッ。こんなにおいしいのを食べたら、もう、よそのは食べられないッ」と口々に叫んだのが的中し、「滝シェアハウス」の女たちにとって、しめさばというと、頼子手作りのそれをさし、けっして市販のものは口にしなくなった。いや、できなくなった。
シングルマザーの智子などは娘の真理花と姉夫婦にも食べさせたいからと、脂ののったさばを三匹持ち込んできて、頼子にしめさばを作らせたほどである。頼まれた頼子はまんざらでもない顔つきで、さっそく調理にとりかかった。
その横で彩音が、
「真理花ちゃんのようなちっちゃな子に、しめさばのうまいまずいが、わかるわけ?」と、無邪気にきいたのに対し、智子は、彩音の世間知らずなお嬢様さま的発言を見下すようなまなざしで答えた」
「ちっちゃな子っていったって、うちの真理花はもう小学一年生。それにふだんからおいしいものばっかり食べているから、大人顔負けの舌の持ち主なの。特に真理花は酒の肴(さかな)のようなのが大好きで」
このところ娘自慢の親ばかぶりを、随所に見せつけている智子には、その場に居合わせた面々は無言をもって応じた…・。
庸子が見守る中、しめさばをひときれ、ふたきれとゆっくりと口に運んでいた芳夫が、庸子の視線に気づいて、すかさずほほえみ返してきた。
「どうした?」
「ううん、別に、ひとがおいしそうに食べているのを見るのが好きなだけ」
芳夫は笑った。
「へんなやっ」
一瞬、その笑顔に、たとえようもないなつかしさと愛(いとお)しさと、そして哀しみを感じた。そんな自分に自分でとまどう。十代、二十代のころには知らなかった感情だった。
「そういえば、頼子さんは元気?」
「うん、元気」
「まだしばらくはあの滝シェアハウスにいるの?」
「頼子さんには申し訳ないけど、家賃を格安にしてもらって、ものすごく助かってるからね、派遣社員でいるあいだは動けないと思う、正社員になって、お給料もよくなったら、またかんがえるけど、でも、そんな日なんてくるのかなあ、三十過ぎての正社員って、まず無理でしょう?」
「確かにそうであるよなあ」
芳夫の口調に同情のひびきがこめられ、それは庸子の心をつかのま慰めた。やさしくされていることが実感されたからだ。
「ただ、余計なことだけど…あ、これはよそう」
「やだ。言ってよ。ちゃんと」
言いかけてやめた芳夫の左肩に、庸子は自分の右肩を軽くぶつけた。とっさにでた、なれなれしいその仕草にほろ酔いを自覚し、同時に、このまま酔いを口実に芳夫に甘えたい、というか、もっとやさしくされたいという子供じみた気持ちがつきあげてきた。
「ねえ、ねえ、言いかけてやめるのはずるいよ」
「いや、たいしたことじゃないから」
「だめ、そういうのは」
「本当にどうでもいいっていうか、おれの勝手なおせっかいで」
「聞かせて。たまにはひとからおせっかいされるのって、私、きらいじゃないの」
芳夫はそこでしめさばの箸を置き、生ビールを一口すすった。
「…派遣社員のいまのはーきみの大変さはわかるけど、でも、どうかなあって気がするんだ。ごめん、気を悪くしないでくれよ」
「…・」
「頼子さんの好意のことさ。滝シェアハウスは居心地がよくて、みんなもいいひとたちでっていうのは、おれもそう思うけど、居心地がよすぎて、そこから抜け出せなくなることもあるんじゃないか、と。いや、だから、これはおせっかいな話で」
「つづけて」
「なんか、おれにはきみらしくなく、見えてね。派遣社員なのも仕方ないなら、居候でいるのも仕方ない、何もかも仕方ない…・そう言ってるふうに聞こえる。ここ何回か会うたびに、つねにそのトーンで。でも、それて、いちばんきみらしくないていうか。以前のきみは、冷静である一方で、とっても前むきで、くじけても、泣きながらでも何回も立ち上がってチャレンジしてたんじゃないか。それもこれみよがしじゃなく、淡々と、粘り強く、それは、きみの魅力でもあったし、そういうところが、だれからも信頼されてきたと思うんだ。関本にしたって、よく言ってた。オレは基本的に女ってものを信じないけど庸子だけは別だって」
庸子はめいっぱいの虚勢をはって、いかにもこともなげに言い返した。「関本くんに信頼されてもねえ」
しかし内心はこたえていた。芳夫の指摘ははずれていないだけに、いちいち胸に刺さってくる。
「それにさあ、私、もう三十二だし」
「おれだって三十二だ」
「男と女は違うもの」
「その言い方も、きみらしくないんだよなあ」
と言いおわると同時に、芳夫はフロア係りの年配の女性へ手を挙げた。
「すいません、中ジョッキ、ひとつ…ああ、きみは? 同じでいい?」
庸子の小ジョッキの中身も空になりかけていた。
「うん、同じにして」
酔いが食欲を引きだしてきたらしく、芳夫は皿の上のしめさばの残りをまたたくまにたいらげると、次に豚の角煮にとりかかった。箸先だけでほろりとくずれるほど柔らかく仕上げられたそれを、芳夫は三口で食べきり、こんどは大根サラダの皿を手元に引き寄せた。
急に旺盛な食べっぷりになった芳夫の様子を、庸子は焼きおむすびを手に、ぼんやりと眺めつづけた。やきおむすびの味は、ほとんどわからなかった。
芳夫の、庸子へのコメントというか、アドバイスというか、それはもっともだと認めはするものの、その一方で庸子はひっそりと傷ついてもいた。
だれが好き好んで派遣社員をやっているわけではなかった。正社員として採用してくれるところがないだけだ。
「滝シェアハウス」の居候にしたって、肩身のせまい思いはあるにせよ、昔のよしみということで、頼子の好意に甘えているけど、胸のうちで(ありがとう。すいみません、頼子さん)を呟かない日はない。
芳夫の言葉は底意地の悪さを秘めたものでなく、五年ぶりに再会した元妻への失望や落胆からされたのでなく、どちらかというと、ちょっときつめに形を変えた激励であり、はっぱかけであるのは、庸子も頭で理解していた。結婚していたときも、芳夫はよくこんなふうな言い方で、落ち込んでいる妻の気持を引き立てようとしたものである。
いや、芳夫のみならず、そのころの庸子も夫に対してそうだった。(本来のあなたはこんなでないはずだ。なのに、なぜ、いまのあなたはこうなのか。おかしいではないか。その姿はあなたの真の姿ではない。早く気づいて、早く立ち直って。早く自分自身を取り戻して、あなたなら必ずそれができる。やればできる)
当時はそうした方法は、相手への思いやりであり、やさしさであると信じて疑わなかった。それも、長い目で見たやさしさ、という理屈をつけて。
けれども、あれから数年たった三十代の現在、その方法が本当に思いやりとやさしさからのものなのか、ちょっと首をひねってしまう庸子がいた。
本来のあなたはこんなはずじゃない、と言われた時、本来の自分はここよりもっと高いレベルが定位置だと評されているようで、悪い気はしない、自惚(うぬぼ)れ心とプライドがくすぐられる。
しかし、もっと高いレベルを定位置とする自分の一面はあるにせよ、いまこの目の前の低レベルにいる自分もまた、自分の一面なのかもしれないのだ。
怖いもの知らずで、向上心いっぱいだった二十代は、叱咤激励(しったげきれい)も相手からの思いやりと優しさと受け止められるけど、いまの庸子には、それはきつかった。
正直言って、叱咤激励よりも、思いのこもった深いまなざしと、ほどよい寡黙(かもく)さと、いたわりに裏打ちされたしっかりとしたうなずきが、庸子はほしかつた。
この五年間で、変わったのは自分の方だった。それは。五年前と同じ環境の中にいられたか、いられなかったかの違いもあるのだろう。
注文した中ジョッキと小ジョッキがふたりのもとに届いた。
芳夫の目の前の大根サラダはきれいにたべつくされ、一方、庸子の右手のおむすびは、ほとんどへっていなかった。
「おれの知っている女性で、昼間は事務系の派遣OLをやりながら、それだけじゃたべていくのに精一杯だからって、夜もバイトをやっていた人がいたなあ…・ええと、あれは…そうそう。関本の知り合い、高校のクラスメートとか言ってた」
芳夫の口ぶりはあくまでも世間話のなにげなさで、そこにはなんの含みもないはずだった。
しかし、庸子はカチンときた。すかさず聞き返していた。
「ってことは、私にも昼と夜のふたつの仕事をかけもちしたらってこと?」
「正社員の勤め口が見つかるまで、そういうやり方もあるんじゃないかな。きみだっていつまでも頼子さんとこの居候でいるつもりはないだろう?」
「頼子さんの好意に甘えている私を許せないんだ、あなたは」
「そんなこと言っていないさ、ただ、努力しない他人のお情けに甘えて、先の見えない生き方なんて、きみらしくないからね」
「私ね、お説教する男って、きらいなの」
「してる」
「おれ、説教なんてしてないよ」
「していないって」
「きみらしくもない生き方って、ずいぶんエラそうな言い方よね。あなたに何がわかるっていうのよ」
「すくなとも夫だったからね、四年半は」
「いや、違う、四年半のうちの半分は、離婚の話ばっかりしてたんだから、正味二年の結婚生活よ、正しくは」
「そんなふうにおもっていたんだ、きみは」
芳夫はふいに冷たい横顔をみせた。
「離婚しないでもめたあいだも、おれは望みを捨てなかったから、結婚生活の日数にカウントしているよ、あの二年半も、結局、そういったズレが、おれたちにあったということなんだろうな」
「ズレがなかったら、あるいはそこに気づかなかったら、わかれていないでしょうが」
「で、そのズレに目をつむるというか、とりあえず見えないふりしてやりすごすことのできない性格の奥さんだったし。潔癖というか、生まじめというか」
「あなたもそういうタイプかと信じていたのに違っていたし、意外とルーズで快楽的な夫だったし」
芳夫のまわりの空気がさらに冷たさをましていった。拒否の冷気だった。
歯車が狂いだした。
先の四回ではこうした状況にならずに済んだのに、五回目の今夜は、いつのまにかうっすらと敵意のまじった展開になっている。
芳夫のせいだ、と庸子は迷うことなく思う。
彼が、庸子の今の生活について批判めいたことを口にしてから、この場の雰囲気は一挙にとげとげしいものに変化した。
そして、それを聞き流し、はぐらかせない庸子もいる。
同い歳で大学の同期生ということもあってか、一緒にいると、どちらか一方が大人にまわるといったことが、どうしてもできない。夫婦だったころからそうなのだ。たがいに張り合い、競い合い、しかも、その結果がよかったためしなどなかつた。
冷たい横顔を見せたまま芳夫が椅子から立ち上がり、
「トイレにいってくる」
と小声で言って席を離れていった。
ひとりになった庸子は、胸のうちでひっそりと溜め息をついた。
いまさら喧嘩などしたくなかった。庸子自身の人生を肯定するためにも、芳夫とはいい友達でありたいとようやく思えるようになり、実際それは成功していたかのような、きょうまでの四回ではなかったか。
ごめん、とひとことそう言えば、すぐに気持ち切り替えてくれる芳夫とはいえ、この場の険悪さは、どう考えても庸子が原因でなく、そうと知りつつ、卑屈に謝るのは本意ではなかった。
自分で自分を裏切ることはできないのだ。
しかし芳夫の非を、それとなくとがめたら、おそらく彼は意地になって、もっと庸子のいまの在りようを、辛辣(しんらつ)な言葉でつつきまわさないともかぎらない。芳夫には、そういう面もある。かといって、とげとげしさの余韻を胸に残したまま、きょうを終わりにしたくなかった。
ほどなく芳夫がトイレから席にもどってきた。
先ほどまでの、身のぐるりに冷気をはりめぐらせたような拒否の気配はやや薄まっていた。彼なりにこの五年間、大人になったということだろう。夫だった当時の芳夫なら、こうも短時間に機嫌はなおらなかった。少なくとも三十分はむすりとしていた。
「あのね」
と庸子のほうから折れるようにきりだした。
「派遣社員をやっていたり、頼子さんのところに居候させてもらったりと、私の生活が大きく変わったそもそものきっかけは、実家の母なの、あなたに言ってなかったけど」
「おかあさん?」
「去年の春、実家に帰って母を介護するために、それまでの勤めを辞め、こちらのアパートを引き払っちゃった」
「…・そう、知らなかった」
びっくりした顔つきで芳夫が言葉もなく庸子のほうへ体ごと向きを変えた。
「私、母の死がまだこたえてえていてね。むなしいというか、いまいち、やる気がでないというか。つまり、そういうことで…」
「そう。そうだったのか、おかあさん、亡くなられたか。きみも大変だったね。そうだよなあ、親に死なれると、きっとこたえるんだろうなあ。うちのおふくろが去年入院したときも、おやじもおれもそれだけでショックで何も手につかなくなったぐらいだもの」
「入院されたの? そちらのおかあさんも」
「うん、子宮筋腫の手術で、けど、もう退院してぴんぴんしているから問題はなさそうだよ」
「よかった…・」
「そうかあ、あのおかあさんが亡くなられたのか…・きみも淋しくなるなあ」
場の空気は一転して、しみじみとしたものになっていた。こんなふうに親の死を利用するのはうしろめたさもあったけど、母のお気に入りだった芳夫がらみのこの状況なのだから、母も大目にみてくれるだろうと、庸子は勝手にそう解釈することにした。
生前の母もよく言っていたではないか。
(なんやかんや言っても、人生は生きている人間のもの、死んだひとりより生きるひと優先だよ。だから死んでゆくときは、この世に未練など残さずに、すっきり、さっぱり、さよならしなければね)
居酒屋の前でわかれ、電車で帰路についた。九時半をまわったところだった。
「滝シェアハウス」に着き、玄関わきの階段を昇ってまっすぐに二階の自室にむかう。
芳夫と会ったそのあとは、いつも、だれともしゃべりたくない気分におちいった。感情が静かに、とりとめもなく、もつれていて、そうした感情をどういった言葉に置き換えたらいいのか、ひそかな混乱が生じてしまうのだ。
たがいに納得ずくの離婚だった。2年半ものあいだそれについてしょっちゅう話しあいもした。だから後悔はない。
けれど、それとはまったく別に、結婚しても離婚はするはずもなかった自分の人生プランに対する淡い負の気持ちは消しようもなく残っていた。こんなはずではなかったのに…・というため息まじりの思いである。
南と西の二方向に窓がとられた六畳間か、庸子の居室である。廊下を挟んだ向かい側の南東に面した八畳が彩音の部屋、壁をあいだにそれに並ぶ六畳は彩音の母の典子の、いわばセカンド・ルームになっている。
彩音はまだ帰宅していないようだ。典子は、先週三日ほど滞在し、夫の待つ本宅のあるK町に帰って行ったばかりである。
がらんとした庸子の住まいだった。畳の上にベージュの薄いカーペットを敷きつめ、ノートパソンを置いた丸いチャブ台のほかには、家具らしい家具はない。衣類とか、こまごました書類関連などは、プラスチックの整理ケース数個におさめて押し入れの布団の横にしまってある。
見るからに使い込んだチャブ台は、実家の茶の間で使われていたのを、母の死後、こちらにもどってくる際に持ってきたものだった。
引っ越しのたびごとに、思いきりよく身辺整理をしてきた庸子だった。実家をはなれて大学の女子寮に入ったとき、女子寮から
「滝シェアハウス」に移ったとき、結婚と同時にここをでたとき、離婚してふたたびアパートでのひとり暮らしはじめたとき、そのアパートを引き払い母の介護のために郷里にもどったとき、その郷里からまたもや「滝シェアハウス」に居候でもどったときと、高校卒業の年から三十二のきょうまで、計六回の転居転入をくりかえしてきた。
そのつど処分とようか、とっておこうかの判断に短く迷うものの、処分してしまう。処分するのは惜しいと思うほどの高額商品やブランドものはひとつもなく、衣類はどれもこれもワンシーズン着ればヨレてしまう安物だったし、家具はリサイクルショップで購入、キッチン用品はもっぱら百円ショップで買い集めた品々だった。
そして引っ越しのたびに身のまわりの品を、必要最小限にへらしていく、そんな自分の在り方が、庸子は気に入っていた。粋(いき)で、おしゃれではないか、と、だれにも言ってはいないけれど、そう思ってもいるのだ。
ノートパソコンにチャブ台、そしていたってありふれた無地のカーテンだけの室内をみわたしても、わびしい気持ちにならない。むしろ、余分なものがひとつとしてないシンプルな住まいは、ある種の理想をシンボル化しているような満足感を庸子に与えていた。自分が生きていくうえでめざしているのは、たとえば、このシンプルな飾りけのない室内のようなものなのだ、と。
その理想に照らしてみると、庸子の結婚と離婚は、シンプルで素朴な自然の成りゆき、と言いがたいのは、当の庸子がいちばんよくわかっていた。
つづく
大学の同期生である芳夫との結婚