国分康孝・国分久子=共著=
第七「男のホンネ」
多くの女性は、男性が女性に何を期待しているのか、女性がどう振舞えば男心をそそるかに関心があると思う。
男は男で同じことを女性について考えている。一人前のおとながティンーン・エイジャーなみの関心をもつことに苦笑するかもしれないが、これは大事なことである。こういう関心があるがゆえに、自分は男である。自分は女であるというアイデンティティを保つことができるのである。
異性にもてるもてないは、酒のつまみ以上に意味のあるトピックである。というのは「もてる、もてない」というのは男性のアイデンティティ、女性としてのアイデンティティを定めるのに有効な体験だからである。
この章では「もてる、もてない」の原理をかんがえたい。
おんなを求める男
女性が男性にもつ第一の誤解は、男性に対して母性的に接すれば、男性を魅了できると思っていることである。そんなことはない。ピーターパン・コンプレックスのもち主(いつまでも子どものままでいたい男)を除いては、そういう女性に惹かれないと思ったほうがよい。というのは、男性は母性的な女性には母をダブらせるから、性的対象にならないのである。性的対象になるのは娼婦である。母を連想させない女性である。
ということは、女性は性的感情を解放させなければ男性とコミュニケートしにくいということである。つまり、男は母を連想させない娼婦のような地位に相手を置いたほうが、自分の中の男を感じやすいのである。これは女性の人格を蔑視しているわけではない。
母イメージを消そうとして、無理にそうしているのである。女性の前でかしこまっている限り、男は男である自覚が出てこないのである。
もちろん一番好ましいのは、「おて、お前」式をとらなくても、かしこまった気分から脱却し友だち気分ができることである。すなわちコンパニオンシップがもてることである。
面食いでない男
女性が男性に抱いている誤解の第二は、男性は女性の容姿に惹かれるということである。実際にはそうではない。容姿と性格とは相関関係がない。容姿がすぐれていると人にチヤホヤされるから、ナーシシズムばかりふくれあがり、意外に戦力にならないのである。戦力にならないとは現実能力が乏しいという意味である。
容姿に関していえば、明らかに男性が嫌悪するのは歯がきたないとか髪が不潔とか口臭があるとか、身だしなみに配慮が足りない場合であて、これは美人かどうかとは別問題である。顔の美醜よりもやはりパーソナリティにひっかかるのである。
一般的に男性がイヤがる女性の性格とは、次のようなものである。
? 無駄金を使う女性。男からみれば無駄金でも女性にとっては必要経費かもしれない。しかし概して男はケチだと思っていたほうがよい。いくら共働きでも、一家の大黒柱を期待されている男は財産の減少に慢性の不安を持っているのだと思う。ただし、女房まかせのピーターパン男は例外である。
? 饒舌(じょうぜつ)な女性。聞き手の気持ちも知らないで、自分だけが話し続けるそのナーシシズムに我慢ができなのである。子どもの饒舌はかわいいが、おとなのそれは不快になるのがふつうである。
? 要求の多すぎる女性。要求の多すぎる男性とのつきあいには女性も心身とも疲れるはずである。とくに食べ物に文句の多い男とのつきあいには。同じように男は男の仕事に口出しの多い女性とのつきあいには閉口するのである。過干渉にならないコンサルタントぶりを発揮するのが理想である。
? 他の男性を引きあいに出して比較する女性。比較されると劣等感をもつ。自尊心を傷つける女性を好きになる男性は稀である。同じように、男性のなかにはガールフレンドの前で他の女性をほめる人がいる。たぶん女性にとっては不快体験になる。もし比較するなら必ずガールフレンドをもほめるのでなければならぬ。「○○さんのようになりなさい」と激昂することは「あなたは○○さんに劣る」と評価しているようなものである。
? 自分自身を気に入らない女性。つまり自己嫌悪のつよい女性。こういう女性は何かにつけて物事を歪曲してうけとるから、つきあうのに疲れる。たとえばほめても気持ちよく喜んでくれない。お世辞はやめてだとか無理しなくてもいいのよという。ひねくれている。しかし、正直に意見をのべると、拒否されたと感じるらしく、攻撃的になる。ほめることも、けなすこともできない。
以上を要約すると、男性は女性のパーソナリティに惹かれるから性的関係を持ちたいと思うのである。性的関係をもちたいのは、単純に生理的欲求の充足だけが目的ではない。親密な関係をもちたいという欲求を、性的関係で表出しているのである。男性は女性よりもセックス志向的だと思われているが、必ずしもそうではないといいたいのである。
女性の胸のうち
ここで話は当然、女性はどういう男性を求めているのかに移らねばならない。男性のためにそれを明らかにせねばならない。
まず女性は、男性に安定感を求めている。これは文化とは無関係な女性の生理的な欲求だと思う。というのは、妊娠・出産・育児という責任を負わされている女性は、このハンディキャップをともに背負ってくれる男性であるという保証(安定感)がほしいのは当然である。
それゆえ、他の女性に気移りしたり、職を転々とかえたり、行き先も告げずに旅行に出かけたり、気分にむらがあったりする男性には、一生を託す気にならない。ところが男性のなかには、自分の人生の方向が定まらないうちに女性の人生まで背負い込もうとする人間がいる。女性の人生を背負う能力がないばかりか、自分の人生すら背負いきれず右往左往するので、女性の負担になる男性がいる。
男性に注文したことは、自分の人生が定まらないのに、一人前の顔して女性とつきあうなということである。半人前であることを正直に告白しておくのが男女のつきあいの論理である。
第二に女性は、男性に私の気持ちを理解してほしいと願っている。女性の気持ちを考えないひとりよがりの男が一番女性に嫌われるということになる。男性のなかには女性は複雑だからわかりにくいという人がいるが、女性も男性も基本的な欲求においては少しも変わらない。女性は男性と異なる性格をもっているという前提をこわせばよいのである。
それゆえ男性は、自分が女性にしてほしいことを女性にもすればよいのである(ただ基本的欲求は男女とも同じという意味で、各論になると異なる点もある。それゆえどうしても相互にフラストレーションしあう部分は残る。それはやむをえない)。
私の教え子に夫婦円満を自慢しているのがいる。その秘密をきいたところ、次の二点を実行しているという。
妻がお茶を入れてくれたら「ありがとう」という。「お風呂が沸きましたよ」と告げてくれたら「ありがとう」という。「○○さんから電話があったので…と答えておきましたよ」と報告があれば、「ありがとう」。こういう具合に、妻のすることひとつひとつに、そのつど「ありがとう」をいうこと。
ふたつ目は、外の宴会から帰ってきても、家の食卓にすわって「家ほどいいところはないなあ。家はやっぱり落ち着くなあ」といいながらお茶なりビールなりを飲むこと。
この教え子は配偶側の「認められたい欲求」てふれているのである。心の中で女性に感謝しているならそれでよいではないか、と考える男性が意外に多い。これでは女性の心を惹かない。心の中で思っていることを相手に伝えなければ、心の中で思った甲斐がない。しかし、そういうことを口に出さないと伝わらないとすれば水くさい仲だという人もいる。これに対してはこう反論したい。自分は表現しないでいて、人にはぼくの心情を理解してくれというのは、すこし不精すぎないか、と。
第三に女性は、男性が社会的に成功することを願っているといえる。というのは、女性にとって夫や子ども(とくに息子)は自分の力の象徴だからである。男性にはペニス(力の象徴)がある。女性にはそれがない。それゆえペニスに替わる力の象徴を女性はもちたがる。それが夫であり子どもであり、場合によっては家や車のこともある。
社会的に功なり名をとげた夫や、有名校に通う子どもを持つ女性には、力を回復したという自信がある。教育ママの心理がそれである。同じように教育ワイフというのもあるはずである。夫にあれこれ指示して業績をあげさせようとする心理である。
ということは、無能な男は女性に好かれないということである。もっとも無能といっても学業や学歴のことではない。学歴がなくても、自分のライフワークを一目散につきすすんでいる男は、女性の畏敬の対象になる。
能力の乏しいことに気づかず、いい気になっている男性、能力の乏しいことにこだわっておどおど暮らしている男性。このいずれも女性を魅了することは少ない。
第四に女性は、男性が徐々に女性をその気持ちにさせてくれることを願っている。男性は性感情の高まりが速い。女性はそうではない。ということは、会話が楽しめる男性を女性は好くということになる。その行為にすぐ走る男性はいかにも事務的で、女性のパーソナリティへの関心が乏しいと誤解されるのがふつうである。
男同士の会話でよく「女性にもてる、もてない」が話題になるが、もてる人間というのは男性として有能なのである。顔や身長や胸毛の有無の問題ではない。男として女性にどう対応すればよいかと考えることが、男としてのアイデンティティを育てることにもなるのである。
女性の心理をおもんばかって、女性の欲求に応える行動をしているあいだに、男としてのアイデンティティをも定まるし、女性からももてるようになる。なさけは人のためにならずである。女性のパーソナリティに関心のない男(つまり女性のセックスにしか関心のない男)は、自分本位の男である。したがって女性に好かれる率は少ない。
つづく
男のいじらしさ