男同士のつきあいでは評判の良い人物でも、妻や娘からみると最低の人物ということがよくある。男に惚れられる男は、男の中の男であると聞いたことがあるが、はたしてそうであろうか。どうもそうではないように思う。そういう男性は女性に対しては必ずしも、男の仲間に対するほどには心やさしくないからであるトップ画像

第四 女性不信の男性

本表紙  国分康孝・国分久子=共著=

第四 女性不信の男性

職場では感じの強い男性でも、家では「問題の夫」「問題の夫」ということはよくある。ちょうど学校ではおとなしい子供でも、家では暴力児というのと同じである。

 男同士のつきあいでは評判の良い人物でも、妻や娘からみると最低の人物ということがよくある。男に惚れられる男は、男の中の男であると聞いたことがあるが、はたしてそうであろうか。どうもそうではないように思う。そういう男性は女性に対しては必ずしも、男の仲間に対するほどには心やさしくないからである。これは文化的影響のほかに、その男性の個人的事情によるのである。

 個人的事情とは、母親に好意をもてなかったという成育歴のことである。男というものは、いくつになっても母を慕うもののようである。なぜなら人生最初の対人関係は、母と愛情体験だからである。母を慕うものは、人生一般に好意的反応を示すという意味である。通俗的にいえば、母を好きな男児に悪人はいないということである。

 ところが男性の中には、どうしても母を好きになれない人がいる。こういう人は知らぬ間にガールフレンドや妻に、母に対する憎しみを移し替えるのである。つまり、妻の中に母を映し、妻を憎むものである。妻としては濡れ衣を着せられることになる。身に覚えのないのに夫に痛めつけられるのである。

 これはその男にとっても不幸な人生は仕返しの人生に終始するからである。人生は本来楽しむべきものだと思うのだが、楽しむ代わりに憎むわけであるから、本人もまわりの人も不幸である。

 幸福な女性とは父にかわいがられ、自分もまた父を好いている女性であるが、同じように幸福な男性とは母にかわいがられ、自分もまた母を好いている男性である。

母を憎む男性

不幸にして母を憎むようになった男性は、その憎しみを妻(母の代理)に向ける。本人はまさか自分が妻を母がわりに憎んでいるとは気づいていない。また、妻のほうでもそのことに気づいていない。「変な男と結婚してしまった」と悔やむばかりである。

 母への憎しみを妻に向けているとは具体的にどんなことだろうか。今まで私が出会った男性を連想しつつ列挙してみよう。
 ? 土産を買って帰ったが妻が喜んでくれなかった、家族旅行を計画したが日取りが合わないと妻が反対した、ということが頭にきて金輪際(こんりんざい)土産なんか買うものか、金輪際旅行なんかするものかと激怒する男性。
 たしかに誰でも自分のせっかくの行為を拒否されると不快である。しかし、金輪際というほどに腹が立つということは、たぶん彼は幼少期以来、母に自分の好意を受け入れてもらえなかったのであろうと推論される。

 愛情関係というものは、愛されなかったという体験だけではなく、こちらが愛した場合に、その愛を受け入れてもらったという体験も含まれるのである。そのことを生活の知恵で知っているから多くの母親は、「ママ、クッキーあげる」と

幼児がクッキーを母の口にいれようとすると、クッキーなど食べたくないときでも、喜んで食べて見せるのである。これはクッキーを食べているのではなく、子どもの差し出した愛情を食べているのである。

 子どもは、もし自分の差し出したクッキーがたべてもらえないと、自分の愛を拒否されたと受けとり、淋しい思いをする。淋しい思いが募ると、自分の愛を拒否した対象を憎むようになる。

 つまり、母に愛を受け入れてほしいのに拒否された恨みが心の中に残っているので、同じように拒否される状況に出会うと、これを妻にストレートに表出するのである。こういう男性の特徴は愛の押し付けである。強引に「・・・しよう」と誘い、これを喜んで受け入れないと怒るのである。
 ? 妻の作ってくれた弁当をほかの女性に食べさせたり、妻のくれた小遣銭でガールフレンドに何か買ってやったりというのも、妻への反発である。というのは、食べ物やお金は愛情のシンボルであるからである。

 母の愛に飢えている幼児が母の財布からお金を盗んだり、教師を嫌っている子どもが教師が食べなさいという給食を拒否するのと同じである。お金を盗むとは愛情を盗んでいるのであり、給食を拒否するとは愛情を拒否しているのである。

妻の引き出しを整理したり、妻宛の手紙をコピーしたりする男性。

これはひと口にいうと妻(母)への不安である。よくいえば愛に由来する所有欲といえなくもない。しかし、こういうことをする夫がよくいうセリフは「離婚のときに役立てる」である。それゆえこれは愛(所有欲)というよりは、怒りがその根底にあると思われる。

 ある日突然、自分は妻(母)に裏切られるのではないかという不安と怒り。相手がこの特定の女性(妻)だからそうしているのでなく、たぶん母親に対する類似の感情を、すべての女性に向けていると推論される。妻の行動の自由、感情表現の自由が甚だしく制約されるのはいうまでもない。こういう妻はカウンセリングを受けに来ても、そそくさと帰りがちである。遅く帰って挙げ足をとられるのがつらいからである。

 一家で外出のとき、妻が子どもを背負い大きな荷物をもっていても、手助けしようとしないでどんどん先にいってしまうタイプの夫。

 母をいたわる男児は、やがて妻をいたわる夫になる確率が高い。妻が出かけるのにてまどると、もうイライラして待っておれない夫がいる。電車の切符の行列にうんざりして「おい、タクシーでいこう」と短気になる夫でも、母に好意的なら、出かけるのにてまどる妻をわりに根気よく待つものである。
 それゆえ週刊誌のテストめくが、ショッピングセンターで大きなバッグを手に提げて妻のうしろからついて歩く夫いうのは、だいたいにおいて、母思いの男性であろうかと推測して当たる確率は高い。妻の買い物にも付き合わず、テレビを見ながら酒を飲んでいる男は、たぶんその逆であろう。

ふだん人からだが触れ合うことを極端にイヤがる男性

 私たちの人間関係は、母に抱かれて授乳されることから始まる。それゆえ、口唇と皮膚が人間関係をもつための原初的器官である。ということは、食物を拒否するのは人間関係の拒否を意味するように、皮膚の接触を拒否するのは人間関係の拒否を意味している。

 子どもが母にまつわりつくのは、母との皮膚の接触を求めているのである。ということは愛情交流を求めているのである。大人になっても肩をたたいたり、握手したり、頬ずりしたりするのもそうである。したがって、妻と手を握るのはイヤ、妻に肩をたたかれるのもイヤ、というのは人との愛情交流を拒否していることになる。

 これは結局、母とのスキンシップに何らかの理由でなじめなかったと推論できる。母とのスキンシップへのためらいが、母以外の人(例、妻)にも拡大されるのがふつうである。人によっては、ぎゅうぎゅう詰めの座席も耐えられないというほどになる。

世の中の悪いことはすべて妻の責任にする

その反面、妻は自分自身を捨て、100%夫を受け入れるべきだと主張する夫。
母への憎しみを妻に転移して、妻を憎む夫が、なぜ妻にすべてを期待し支配的になるのか。それほど憎むなら、甘えなければよさそうなものと考えるであろう。

 しかし、母になじめないとか、母を恨むというのは、母が甘えさせてくれなかったからである。母を恨むというのは母への甘えなのである。
 妻につらくあたるのは「オレは甘えたいのだ、オレの母はそれをさせてくれなかったから、それを母代理の妻にしてほしいのだ」といっているのである。怒りは愛の裏がえしであるというあの心理である。憎しみをぶっける以外に愛をもらうすべを知らないということである。

セックスは自分の思いのままというタイプ

避妊にも協力しない。中絶手術を受けた妻が病院から戻ってきても、背を向けたままテレビを見ているという具合である。
「セックス」と「お金」と「時間」に対する反応の仕方は、その人のパーソナリティや人生観の中核を表現していると思う。たとえば、男をみたら狼と思えと娘に諭(さと)す父親がいる。

 それは男というものは、セックスを用いて攻撃性を発揮するものであるとの男性観があるからである。一方、多くの女性は男性にレイプされる不安をもっていると思うが、それもまた、男性のセックスは愛にのみ基づく行為ではないことを知っているからである。

さて、男性のこの心理は配偶者に対しても起こりうる。それは逆の場合を考えると納得がいくと思う。母べったりの男性の中には不能症になる人がいる。母への愛着が強いと攻撃性がそがれ、これが母以外の女性にも転移するからである。つまりセックスの行為には、本来攻撃性が秘められているが、これが禁止された状態が不能症である。
それゆえ、女性に憎悪をもつ男性は攻撃性を出すことに禁止がないから、セックスを攻撃の道具に用いるのである。愛の表現か性感情の発散として用いるべきセックスを、憎しみの発散のために用いることがありうるのである。
もちろん女性にもこの心理がある。男への無念さを晴らすために、コールガールになる心理がそれである。コールガールの多くは不感症だという調査があるが、不感症とは男性拒否の心理である。また、コールガールは男性からお金をまきあげるが、お金は愛情の象徴であると同時に、力の象徴でもある。お金を巻き上げるのは、力を巻き上げることによって男性を無力化したい心理である。そこには男性の憎悪がある。

? 親・きょうだいとのつきあいを嫌い、自分から縁を切ってしまう。姓をかえることもある。実家から離れた土地に住みたがる男性。
これほどに実家――とくに母親――を嫌っているのであるから、夫がその怨念を妻に転移した場合、妻は虐待されるために結婚したかたちになる。理想をいえば、この妻が母親とはまったくちがう反応の仕方――たとえば100%受け入れる方法――をつづければ、少しは彼もかわってくるはずであるが、しかしこれは何十年かかるかわからない。
 つづく  憎悪とのつきあい方 

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。