国分康孝・国分久子=共著=
第八 「臆病な男心」
男は誰でもガールハントには積極的なものだと思うのは間違いである。男というものは、女性が期待しているほど積極的ではない。むしろ男は男女関係について非常に慎重である。つまり臆病である。
街を歩いていて男に声をかけられたとか、電車の中でしつこくアプローチしてくる男に閉口したとか語る女性がいる。しかし、それはごくごく一部の男性である。大部分の男はその逆である。手も足もだせずイライラしているのがふつうである。
その証拠に田舎では―旧文化では――結婚の半分以上が見合い結婚である。都会では60%くらいが恋愛結婚であるが、しかし、都会でも結婚相談所が林立しつつある状況をみると、男はやはり基本的には、男女関係を自ら能動的につくっていくことについては、控えめということになる。
それゆえ、女性がいくら衣装をこしらえたり、山や海など開放感あふれた場所で数日過ごしても、近寄って来る男性は思いのほか少ないものである。グループ・エンカウンターのように人工的に条件を設定しないことには、そう簡単に男は女と個人的な交流を持とうとはしない。
なぜ男は女性との人間関係をもつことにそれほど臆病なのか。
臆病な理由
ひとつには、女性に拒否されるおそれがあるからである。自分が正直に感情を表現しても女性がのってこないと、格好が悪いと思うからである。たとえていえば入浴しようとして脱衣したのに「お風呂はまだわいていませんから」と旅館の番頭さんに告げられたときの格好わるさに耐えられないからである。
その女性も自分に気があると分かっていれば少しは勇敢にもなりやすいが、さっぱりわからないのがふつうである。それゆえ声をかけるのはひとつの賭けである。
掛けが当たらないときのばつのわるさを意に介さないようになればよいが、それは私がみるところ、論理療法でもかじらない限りむずかしい。論理療法では「私が人を拒否する自由があるのと同じように、人も私を拒否自由がある」というビリーフ(固定観念)を題目のように絶えず自分に言い聞かせるのである。固定観念
多くの男は、なぜ女性に拒否されるのをそれほどイヤがるのか。それは「男は女に拒否されるべきではない」「女に拒否される男としてみじめなことである」というビリーフがあるからである。
このビリーフは「男は女より優位である」という前提に由来していると思う。女性をふるのは男の沽券(こけん)にはかかわらないが、ふられるのは男として沽券にかかわる、といった前提がある。これはまことにおかしなことである。上司を拒否する部下、親を拒否する子ども、教師を拒否する生徒がいるのだからヨコ関係にある男を拒否する女性がいるのはきわめてありうる話である。
大げさな言い方になるが、「男が女性を拒否する自由があるように、女性も男性を拒否する自由がある」と言う考え方に男性が切り替えない限り、まだ当分、男性の臆病さは消滅しないと思う。
男女関係をもつことに男が臆病な理由がまだある。それは仕事上の評価を気にするからである。男は、どんな仕事をしているかで評価されることを知っている。どんなガールフレンドをもっているかは、男の評価にあまり関係がない。それゆう、ガールハントよりも仕事のほうでまず落ちつきたい、ライフワークを定めたい、エリートコースにのりたい、といったとのほうが、男の関心事としては、ランクがずっと上である。
デートの約束をしたのに、仕事が忙しくいと、数回断られたが、私を嫌いになったのでしょうか、と「診断」を求めやって来る独身女性がいる。
仕事を口実に女性から遠ざかろうとする男性もたしかにいる。しかし、多くの正真正銘、仕事に献身するのでデートどころではなくなるからである。ということは、こまめにデートに応ずる男は、男としてはたいして有能ではないらしいということになる。
つまり人が仕事をしてくれないので暇があるのである。
男にとって女性とのつきあいは、仕事の合間に挿入するレクリエーションである。有能な男ほどレクリエーションにかまけて仕事のうえでおくれをとることをおそれるから、男女関係については慎重になる。
たとえば、職場にしばしば電話をかけてよこすような女性となじみになってしまったら、職業上の評価にまで響くのではないかと恐れるからである。
仕事をしながらゴルフのことを考える人は稀なように、仕事をしながら妻子やガールフレンドのことを考える男は稀である。
一仕事すんだとき、ふと思いだす程度である。それほど男は仕事にのめりこむものである。それゆえ男女関係を楽しむゆとりというのは、一仕事すませた(例、卒業、昇進)ライフワークの定まった男、仕事が順調な男など一部の男だけである。
たいていの男はゆとりがない。女性には目もくれず、半ば強迫的に仕事に夢中になっている。
女性がこういう男の関心を惹きつけようとすると、かなり頭を使わなければならないわけである。
男が男女関係に臆病になる第三の理由として、家の意識をあげたい。戦後は兄弟姉妹の数が減少し、たいていの男が長男でひとり子である。
自分がやがて親の面倒をみなければならないという役割意識があるので、女性のセレクションに慎重になる。
同県人のほうがよい、農業になじんでくれる人がよい、親との同居を拒否しない人でないと困るなど、現実的な条件が頭にこびりついているので、へんな女性に深入りしてはならぬと自戒する。
それゆえ、女性の側は幼少期から「自分はやがてこの家を出る人間である」との覚悟はできている。世間もそれを認めている。
ところが男はこの逆である。「自分は家を継がねばならない、もし両親を田舎に残したまま、自分勝手な生活をしようものなら、故郷にも帰れない」という感覚がある。こういう保守的な考えの青年は意外に多いものである。
娘はやがて好きな男に嫁いでよその家の人間になる。ところが男はよその家の娘を自分の家に向かい入れる形になる。向かい入れるとは、自分一人の納得だけでは不十分で、家族一同が賛成してくれなければ困るのである。
それゆえ、家族一同が賛成してくれるであろうような女性を選ばなければならない。好きでありさえすれば誰でもよいというわけにはいかない。これが男を慎重にさせているのである。
女性はその点、男よりも大胆になりやすい。それは家を背負っている人間と、家を捨てることを容認されている人間との相違である。男女関係に限っていえば、独身女性は独身男性よりずっと自由に動けるはずである
男は待っている
以上の理由で男は男女関係では臆病者であるとのべた。ではそこから何がいえるか。曰く「男は据え膳を食べたがるものである」と。
男が女性に対して慎重なのは、けっして女性嫌いだとか人格高潔だとかではない。女性が「あの男の人はステキ!」と思うように男性も「あの女性は魅力的だ!」と思っているのである。
女性に関心は大ありのくせに、前述した理由で、みかけは受身的で無関心のようにみえるのである。それゆえ、女性のほうからアプローチしてくれないかなと、いつも心待ちにしているのである。
自分が積極的に女性の気持ちを打診して、徐々にアプローチするという面倒な手順をふまなくても、相手が自分で自分をアレンジしてくれたほうが楽に決まっているし、そのほうが世間的なりすくもずっと少ない。
女性にしてみれば、女性のほうからアプローチするような女性は「はしたない」と男性が低く評価すると思うらしい。そんなことはない。友だちに金を貸してくれといいたくてもいえないとき、「お前、金あるのか?」と聞いてくれると助かる。けっしてイヤな感じはしない。
それと同じで、あの女性とデートしたいなと思っていても言い出せないとき、「一緒に帰りませんか」と女性のほうから声をかけてもらうと渡りに船である。
男はうれしい。けっして出すぎた女性とは思わないし、男としてのプライドが傷つけられたとも思わない。
男がイヤがる女性は据え膳を出してくれる女性ではない。口の軽い女性と八方美人の女性である。
仕事の世界では信用第一である。信用を落とされるようなことを世間にいいふらされると男は致命的である。それゆえ男は、口の軽い女性をこわがるのである。オチオチ会話も楽しんでおれないからである。
むかし勤めていた大学が紛争のとき、私はある教授に電話した。教授は留守だった。夫人がいうのに「○○先生宅にいっています」と。○○先生というのは当時の私からすれば、「敵方」にあたる先生であった(その頃、教授会が二派にわかれていた)。夫人のこの対応は夫にとってはまことに不利なものであった。
私は「武士の情け」とはこういうときのことであろうと思って、夫人の応答は聞かなかったことにしておいた。
女性にとってもたぶん、イヤな男のひとりは口の軽い男だろうと思う。男女とも同じことである。しかし私のみるところ、女性にとってもっとイヤな男というのは、女性に嫌われていることに気づかず、いつまでもしつこく親切ぶったり、付け回したりする男だと思う。つまり、鈍感な男が女性から一番嫌われるもののようである。
さて、話をもとに戻す。男がイヤがる女性の第二は、八方美人な女性であるといった。その理由は、すべての男は女性に母親を期待する傾向があるからである。母親が他の男の歓心を買おうとするのを憎むのが、子どものノーマルな心理である。子どもは母を独占したいものである。それゆえ八方美人の女性を男は好かないのである。
さて口が堅くて八方美人でさえなければ、据え膳を用意したからという理由だけで男にイヤがられることはない。「据え膳」と言う言葉は、何か性的な連想を伴って抵抗があるかもしれない。厳格に言えば「人間関係の契機をつくる」という意味である。
男女の人間関係は男のみがその契機をつくるべきである、というビリーフにいつまでも固執する必要はない。今はそういう時代である。
つづく
ボーイハントの前提条件