プロローグ 『主婦の掟』それは。結婚で幸せになるための掟
この本を手にとってくださったあなたは、もう幸せな結婚を手に入れていますか?
これから結婚したいと思っていますか? あまりに結婚願望の強くないあなたでも、「絶対結婚したくない!」というわけではないでしょう?
「あなたはいつか結婚したいですか?」という質問に。九割近くの独身男女がイエスと答えています。ところが既婚者への「あなたは結婚生活に幸せを感じていますか?」という質問に、迷いなく「はい」と答える人はそれほど多くないのが現実。
あなたも、大恋愛の末に結婚したカップルが次々と離婚するのを目の当たりにしているでしょう。街角や電車の中で、不機嫌に眉間にしわを寄せて、早く、早くと子供をせかしているお母さんを見かけて首をかしげてしまうことはありませんか?
もちろん、結婚というものが幸せな要素ばかりで成り立っているのではないことは重々承知しています。子育てが母親にとってどれだけ大変な一大事業かも、身をもってわかっているつもりです。日本特有の”謙遜”という美徳が、自分の夫や子供を悪く言う習慣に結びついていることも理解できます。
それでも、愛する人と結婚し、子供を授かり、あたたかい家庭でともに生活することは、ひとつの幸福の形に違いありません。女性にとって、結婚はこのうえない喜びをもたらすものであるはずなのです。
主婦の女性たちが結婚生活に幸福感を得られないなんて、本当にもったいないこと。だって、世の中には結婚したくてもできない女性がたくさんいるのですから! 主婦は若い女性たちの憧れの存在なのです。
おりから今(2009年)は空前の”婚活ブーム”。それも。数年前までは「仕事も結婚も子供も、全部手に入れたい」という生き方が支持されましたが、最近は専業主婦を目指す女性が急増しています。
仕事も、結婚も、子供も、と欲張ってはみたものの、実際にはなかなかむずかしい。そんなのことができる女性はほんの一握りで、いくら頑張っても男社会は変わらないのだ、という現実がわかってきた。だったらなるべくいい物件を見つけて、安定した結婚をした方がいい、という考え方でしょう。
「結婚したい」の中味は変わっても、「結婚して、幸せになりたい」という女性の想いはいたって健全なもの。大切なのは、結婚したり子供をもったりすることによって、あなたが「より自分らしく」生きていくことなのです。
『主婦の掟』は、結婚している女性たちが「もっと幸せな主婦になるための」掟です。
これから結婚したと思っている女性たちが「幸せな結婚生活をずっと続けていくための掟」です。
『主婦の掟』は、すべての女性たちが「結婚で幸せになるための」掟なのです。
すでに結婚しているあなたへ。
これから結婚するあなたへ。
結婚は考えていないけれども子供が欲しいあなたへ。
結婚という形にとらわれないパートナーシップを目指すあなたへ。
そして自由な恋愛生活を続けるあなたへ。
『主婦の掟』があなたの幸せにつながるヒントとなることを願っています。
第一章 なぜ自分の意見を言わなくなるのか――
主婦の才能
娘が幼稚園に入ってはじめての夏休み、わたしは娘を連れて、海外に住む友人を訪ねることになった。
自分ひとりなら、身軽に出かけて現地調達で何とでもなるけれど、子供の身の回りのものとなると万全の用意が必要。
気まぐれな天候や朝晩の気温差、さまざまなレジャーシーンや体調の変化などに対応できるように、運動靴にビーチサンダル、水着にベビー用の日焼け止め上着にレインコート。
常備薬と体温計、肌にやさしいタオル、いざというときの食べ物やオムツなどなど‥‥をぎっちりスーツケースに詰め込んだ。子供がいるだけで旅支度はこんなに慎重になるのかと、われながらあきれてしまった。
そんなとき、近所で同じ幼稚園に通う”ママ友”とバッタリ会った。わたしが、「子供とふたり分の荷造りは大変」とこぼしたら、彼女はニッコリして言った。
「うちなんか、三人分よ」
え? と意味がわからないわたしに、彼女はこう説明してくれた。
「ダンナはひとりで荷造りなんかできないもの、靴下がどこにあるかもわからないんだから。ひとりじゃお風呂にお湯もいれられないのよ」
それを聞いた瞬間、わたしはふたり分の荷造りで大変などと言っていた自分を反省すると同時に、”三人分”の荷造りをしなくていいことに得も言われぬ幸福感と解放感を味わった。
そして、彼女のようにニコニコ三人分(もしくは四人分も五人分も)の荷造りをこなす人は本当にすごい、これは立派な「主婦の才能」だと確信したのである。
わたしはとても真似できない。自分のことがまだ自分でできない子供の世話をすることはできる。する責任も感じる。けれど「もう大人」の夫には「自分のことは自分でやってほしい」と思ってしまう。
穏やかな結婚生活を送るには、家の中のことが何もできない夫を見ても「この人はわたしがいなくてはダメなんだわ」と、ほのかな幸福感を得られるようではなくてはいけない。だから私はシングルマザーという生き方を選択した、というか、するしかなかったのだろう。
もちろん、”三人分”の荷造りをイヤだと思う人には主婦は務まらないかというと、そんなことはない。それなら自分の靴下をちゃんと捜し出せる男を見つけるか、夫をそのように教育するか、「主婦の才能がない」ことを自覚したうえで家族の協力を得るといい。
いちばんよくないのは、不満や文句を口にしながら不機嫌に三人分の荷造りをし続けることではないのだ。
何でも「みなと同じ」が安心?
日常のこまごまとしたことにも気を配り、家族が安心して暮らせるように骨を折るのが、主婦の役割であり腕の見せどころ。
家族全員のスケジュールを把握し、夫の予定を確認して出張の支度をしたり、朝起きる時間を調整したり、子供のカリキュラムに合わせて忘れ物がないようにチェックしたり。
毎朝、新聞に目を通しているにもかかわらず、しょっちゅう曜日感覚もなくなってしまうわたしは、その点完璧な”主婦失格”者である。
新学期がはじまる日を間違えて前日に送り出してしまったり、図工に必要な牛乳パックを取っておかなくてお友達に分けてもらうハメになったり。幼稚園のとき、体育があるのは金曜日なのに、なぜか火曜日に体操着を着せて登園させてしまったことまである。
小学校三、四年生からは完全に娘に任せているので、彼女が忘れ物の常習犯でないことを密かに祈るばかりだ。
そんな私だから、家庭を守る主婦たちの細やかな心が分からないということもあるのだろうが、幼稚園でのお泊り会の準備をしていて驚かされたことがある。
「お泊り会に持たせるシーツって、アイロンかけるのかしら?」
お迎えの列に並んでいてお母さんのひとりにこう尋ねられ、わたしは答えた。
「別にどちらでもいいんじゃないですか」
自分がかけたければいいし、ふだんからかけない習慣ならそのままでいいだろう(もちろんわたしはかけるつもりなどなかったが)。
でもそのお母さんはわたしの答えでは納得できなかったようで、そこにいたお母さんたち全員に同じ質問をした。
もちろん明確な答えを持っている人はなく。質問は列の後ろへ後ろと伝達され、「お泊り会のシーツにアイロンかけは必要か」という議題は瞬く間にクラス中に広がり、そのあと二、三日にわたってその話題が続いた。
その一部始終に、わたしはそんな細かいことまで「みんなと同じ」でなければ不安なのだろうかと少し気の毒になってしまった。
初めてのお泊り会で興奮している子供たちがシーツのしわを気にするとは思えないから、これは子供のためというのでもないだろう。周りがみんなアイロンのかかったシーツで「うちだけしわくちゃでは恥ずかしい」ということだろうか。
自分以外の全員がピシッとノリのきいたシーツを持って来ていたって、「これは子供のお気に入りだから」よれよれのシーツを持たせる。ときにはそんな「あなたならではの」判断を下してみてしどうだろう。
そんなときこそ、主婦の才能がキラリと光るのではないだろうか。
どうして自分の意見を言わないの?
毎日送り迎えをしていた幼稚園とは違って、娘が小学校に上がると、同級生のお母さんたちと顔を合わせることもかなり少なくなる。
授業参観や保護者会、運動会や学芸会などのかぎられた機会に、たまたま居合わせたお母さんたちと立ち話をするのはなかなか楽しいもの。そんなおしゃべりの中で、わたしはかねてから気になることがあった。
五、六人で話していても、そこでわたしが口をはさむと、どうも会話がスムーズに進まない。わたしのところで一度話が止まってしまう。
もしかして、これってよくいうKY(空気が読めない)なのか? と反省してみるが、特別ヘンなことを言っている意識もない。
たとえばクラスに何か問題が起こったときの、担任教師について。
「○○先生って、前の学校でも評判がよかったんですって」
「でも、五年生の担任のときはいろいろ問題があっそうよ」
「子供たちには人気があるみたいだけど」
「年齢は三十七歳で結婚なさって、お子さんはまだ小さいの」
「新任の若い先生よりはしっかりしているのかしら」
そこで今回の問題について聞かれて、わたしはこう言っただけなのだ。
「この件については先生の対応がよかったとは思わない。先生はもっと子供たち話をよく聞くべきなんじゃないか」
するとお母さんたちの話がピタリと止まる。みんなの目がいっせいにわたしのほうを向く。どうしてそう思うのか、何を知っているのか。ほかに考えていることがあるのか、聞かれるままに答えるうちに、何となくその話は終わってしまう。
こんな会話を何度か繰り返すうちに、その理由がわかってきた。「自分の意見」を言っているのがその場ではなく、情報交換の場だということなのかもしれない。誰かから聞いた話、他愛のない世間話、評判、噂、一般論は口にするが、誰も「自分がどう思うか」は言わない。これで会話が見事に成り立っているのだ。
誰も自分の意見も本音も言わないのに、その会話が二十分でも三十分でも、ときには日を改めてもなお延々と続く。主婦たちはみな、その話術に長けている。
それは慣れない者にとっては非常にむずかしいテクニックで、ついつい、思っていることをぽろっと口にしてしまう。するとわたしの取るに足りない意見も、その場でひとつの「情報」に変わっていく。
どうして主婦たちは自分の意見を言わなくなったのか?独身のころは「私は」「私ね」「私ってこういう人だから」「ワタシ的にはね」と自分のことをこれでもかと主張したはずの女性たちが、主婦になったらなぜこうも自己を封印するのか。
はじめは、常に言いたいことを我慢しているのかと思ったが、どうもそればかりではないらしい。おそらくこれは、主婦業をこなしているうちに自然と身についた社交術なのだ。
何事も無難にやり過ごすことがよしとされる日本文化の中で「自分の意見を言わない」という選択こそが、いちばん無難な、角の立たない会話術なのだ。
あなたも無意識に、自分の意見を言わない会話をしていることはないだろうか?
たしかに自分の意見を主張すれば、反感を買うこともあれば陰口を叩かれることもあるだろう。それが少数意見だったときは、気まずい空気になることもあるだろう。実際、そういう立場になった人が身近にいるかもしれない。
それでも、あなたの考えや本音を口にする自由は、何にも代えがたいものだ。過剰な自己主張はどんな場面でもいただけないが、一度自分の意見を口にする勇気を出してみてはいかがだろう。
これまでずっと、着実に信頼を築いてきたあなたの意見なら、周囲も意外とすんなり聞き入れるのではないだろうか。思ったことを口にしたあなたがいつもより数段魅力的に映り、その場が自然とイキイキとした意見交換の場に変わっていくかもしれない。
たとえいくら反感を買ったとしても、ちらほら陰口を囁かれたとしても、多少のことは大丈夫。
どうせなら「噂をする人」より「噂をされる人」になったほうがいい。そのくらいの気持ちでいたら、主婦の日常はもっと楽しいものになるだろう。
それはあなたに似合う服
たとえばオールマイティな紺のスーツ。入学式や卒業式、お祝い事の席、たしかに一着持っていれば便利だろう。やはり「制服」という言葉がしっくりくる。
こんなスーツを買いに行くとき、あなたはどうやって選ぶだろうか? もちろん、値段やサイズが希望に合っているかは重要なことだが、それ以外には服選びには大切なことがある。「その服があなたに似合うか」ということだ。
あなたの人生の大事な記念になるイベントに、これから何度も手を通すであろうスーツを、「無難だから」という理由で選んではいけない。
スーツのジャケットのラインはあなたの体型にぴったり合っているか。襟の形ははあなたの顔をシャープに見せてくれるか。スカート丈はあなたの脚をいちばん美しく見せているか。
そして、同じ紺色でも、あなたに似合う紺と似合わない紺がある。またはどうしても紺が似合わないと思うなら、必ずしも紺でなくてもいい。周囲から「浮いてしまう」ことを恐れるなら、チャコールグレーやダークブラウン、ベージュなど、あなたに似合う「無難な色」を探せばいい。
そうやって選び抜いたスーツなら、決して「主婦の制服」ではなく、「あなたらしい服」であるはず。ワードローブ選びでいちばん大切なのは、その服を着たあなたが魅力的に、素敵に見えるかどうかだ。
それはスーツやよそゆきのワンピースだけでなく、ふだんのカジュアルな装いの場合も同じ。Tシャツ一枚、ジーンズ一本でも、あなたのボディラインを美しく見せるものを選ぶ。便利そうだから、何にでも合うから、ラクだから、安いから、と簡単に買ってはいけない。
Tシャツなら、胸元の開き具合があなたのデコルテや顔の周りをスッキリ見せているか、バストラインやウェストのくびれにすんなり馴染んでいるか、色やデザインは「あなたの好きなもの」かどうか。
ジーンズなら、あなたの脚の形を実際以上に細く長くまっすぐに見せているか、お尻はきゅっと上がって見えるか、窮屈で身動きがとれないのではなく自由に活発に動ける着心地かどうか。
あなたがちゃんと納得いくまで考えて手にした一枚、一本は、「制服」ではなくあなたを魅力的に見せる特別な装いになる。
思い出してみれば、独身時代、かぎられた予算で懸命になって「自分に似合う服」を選んでいなかったか。「今はそんな時間がない」なんて言わないで、自分に似合う一着を納得いくまで探してみよう。
もしあなたが「スーツはどうも苦手」「Tシャツもジーンズも似合わない」と思うのなら、自分に似合うフォーマルやカジュアルファッションを身に着ければいい。何も、主婦は全員公の場ではスーツ、ふだん着にはチュニックにジーンズをはかなくてはいけない決まりなんてないのだ。
「みんなこういうものを着ているから」という理由で服を買うのは、たとえ千円でももったいない。「間に合わせの服は買わない」と決めれば節約にもつながる。
ぺたんこ靴は子供と歩くときだけ
独身時代はいつも七~九センチほどのヒールがある靴を履いていた。大人になってからスニーカーは一足も持っていなかったし、フラットな靴といえば夏のビーチサンダルくらいだった。
ところが妊娠中に「そんな高い靴を履いちゃいけない」という忠告を。母や、仕事先の女性や、たまたま電車に乗り合わせた婦人などから次々と受けた。妊婦がヒールの高い靴を履くのがそんなに珍しいのかと思いながら、しぶしぶ好きでもないスニーカーを買いに行った覚えがある。
ふだんからヒールの靴を履きなれていると、逆にフラットな靴は歩きにくい。慣れるまでにしばらくかかった。でも、慣れてしまうとこんなラクなものはない。
出産するころにはすっかり「ぺたんこ靴派」。靴を買いに行っても、五センチ以上のヒールがあるものには目が入らなくなっていた。靴選びの基準はともかく「ラク」で『歩きやすいこと』。クラッシックなバレエシューズやモカシン、ショートブーツなど、探せば洗練されたぺたんこ靴がたくさん見つかる。
それからは抱っこひもで赤ちゃんを抱いたり、ベビーカーを押したり、よちよち歩きの娘と手を繋いだりして歩く日々が続きヒールのある靴の出番はなくなり、クローゼットの奥にしまい込まれた。
久しぶりに、娘を預けての仕事やパーティにハイヒールで出かけたら、すぐに足が痛くなって、フラフラしてきれいに歩けない。「うわあ、こんなに疲れるものを毎日履いていたなんて」と驚いてしまった。
逆に、このままぺたんこ靴に慣れてしまったら、二度とヒールの靴を履けなくなるかもしれないという焦りが出てきた。ヒールの靴を履かないことは、そのまま「女の第一線」から退くことのように思えたのだ。
娘が幼稚園に通うようになり、少しずつひとりで出かける機会が増えてきたとき、私は決めたのだ。ぺたんこ靴は、娘と一緒に歩くときだけにしようと。
今でも本格的なハイヒールやピンヒールを履くのはごくたまで、ふだんはヒールが高くてもラクチンなウェッジソールの靴が定番だが、それでもずいぶん意識が変わる。
子供が小さいとき、一時期にぺたんこ靴とゆったりチュニックで過ごすのは全然かまわない。けれどどこかで安心アイテムのぬるま湯を抜け出して、ウェストマークのある服やヒールの高い靴に「復帰」しよう。
外反母趾や諸事情でどうしても履けないという場合は仕方がないが、女性が女性らしさをアピールできるのは、やっぱりハイヒール。華奢なミュールやサンダルも、高いヒールがあるからこそ女らし、セクシーなのだ。
「私は背が高いからヒールの靴は履けないの」という女性が多いが、実は、背の高い女性の方がハイヒールは似合うのだ。
本来、ハイヒールは小柄な女性の背を高く見せるためにあるのではない。どんな体型の女性でも脚を長く見せ、全身のバランスをよくするためにあるのだ。もともと均整のとれている背の高い女性が、さらに引き立つのは当たり前。
「夫より背が高くなっちゃう」ことを気にして、かたくなにフラットシューズで押し通し、ちょっと猫背で歩いているなんてもったいない。大丈夫、ダンナ様はすらりして背の高いあなたのことを好きになって結婚したのだから。
以前、雑誌の中で、ある人気モデルが『バレエシューズって、どうして流行っているのかな? スタイル悪く見えるし脚長に見えないしヘンなアイテム! つて思ってたんだけど、スーパーモデルが吐いているのを見て、そうか、ああいう着こなしもあるのかって‥‥』と言っている記事を読んでハッとした。
人気モデルでさえ、バレーシューズを履くとスタイルが悪く見えると思うのか! ぺたんこ靴をセクシーに履きこなせるのはスーパーモデルだけのようだ。
女性の姿を最も美しく見せるのは八センチヒールだという。今度ショッピングに行ったら、あなたの足にぴったりの八センチヒールの靴を探してみては?
一日に何回鏡をみますか?
あなたは一日に何回くらい鏡を見るだろうか?
もしあなたが、鏡を見るのは朝、洗面所で顔を洗うときと、手鏡で化粧をするときと、夜、お風呂に入るときだけ‥‥だったとしたら、今日からその習慣をあらためてほしい。
もちろん、若い頃と違って、鏡を見るのは楽しいばかりではないだろう。
年齢に応じてしだいに下がって来る皮膚、目立ってくるしわシミ、ぼやけた輪郭とくっきりしたほうれい線。垂れてくるバストやヒップ、脂肪をたくわえはじめたウェストまわりや二の腕。見ないで過ごせるものならそうしたいと思う事もあるだろう。
それでも毎日、少なくとも十回以上は鏡で今の自分を見てほしい。そけも、姿見に全身を映してほしい。化粧をするときも、小さな手鑑ではなくなるべく大きな鏡で。
拡大鏡や三面鏡など、普段見えない自分を映し出す鏡も恐れずに。できれば家のあちこちに鏡を置いて、ことあるごとに覗くようにしよう。
なぜなら、鏡を見る回数はそのまま、「あなたが自分を愛する度合い」に比例するのだから。大切なのは今の自分の顔や体型を受け入れること。
今のあなたの顔には若くてシワもシミもなかったころのあなたにはなかったいい表情があるはずだ。思慮もさまざまな経験もなかった、つるりんとした昔の顔より、味のある今の顔の方が好き、と自信を持って言えたら素敵。
お風呂に入る前はぜひ、裸で全身をチェック。若き日の自分を基準にするから見るたびに落胆のため息が出てしまうけれど、もし五年後のあなたが見たら、今の体がいかに若々しく美しかったかと思うだろう。
これから生きていくあなたの中では、今が「いちばん若いあなた」なのだ。
あなたにストレスをかけるつもりはないが、現実から目を逸らしていては明るい未来もない。毎日「いちばん若いあなた」をきちんと把握して。できるかぎり維持していく。それだけで女性としての意識がぐっと高まってくる。
そして、お出かけの前にはかならず姿見の前に立つ習慣をつけよう。できれば靴やバッグも身につけた状態で見ると、全身のバランスの良し悪しがよくわかる。一度ベストコーディネートを覚えておけば着る服に迷うことも少なくなる。
そして大切なのは常に後ろ姿もチェックすること。あなたの素敵な装いを、ブラジャーやショーツの線が写って台無しにしないように。
「美白」と「ダイエット」は主婦のライフワーク?
二十代のころは、”小麦色の肌”の流行もあって、毎年夏になると海やプールに出かけてせっせと日焼けに精を出したものだ。
今となってはぞっとするような行為だが、当時はギラギラと照りつける太陽を見ると日焼けしたくてウズウズしていた。
三十歳を過ぎてからは人並みに紫外線対策をすることを覚えた。でも、外出するときに日焼け止めクリームを塗る程度で、やっぱり夏場は冬場に比べて肌がワントーン暗くなるのは仕方ないことだと思っていた。
そんなわたしがカルチャーショックを受けたのは、幼稚園の送り迎えをするお母さんたちの姿だった。
日よけ部分が通常の三倍ぐらい長いサンバイザーと、二の腕まで届くロング手袋。黒レースの日傘と、指先まで覆い隠す羽衣のようなストーカーディング。UV カットクリームの効果で何となく白浮きしている顔。
無知な私は、「えっ、夏なのに手袋?」「若いのに日傘?」「なんでみんな顔が真っ白なの?」なんていちいち驚いていたのだが、今はもう見慣れた光景になった。”夏のアームカバー”と”UV カット日傘”は主婦たちの必須アイテムということもわかった。あるお母さんに聞いたら、ちょっとゴミ捨てに行くだけでも、必ずサンバイザーと手袋を欠かさない、ということだった。
日本の主婦たちの美白にかける情熱は、世界中どこにいっても負けないのではないかと思う。たしかに紫外線は有害なものだし、たまに日焼けにまるで無頓着でシミだらけでも気にしない女性を見ると、もう少し注意した方がいいのにと心配になることもある。
ただ、紫外線をカットすることに気を遣う余り、その結果がせっかくのあなたのファッションセンスや女性性を無視したものになっていたとしたら、これは本末転倒なのではないだろうか。
そもそもあなたが白い肌を守りたいのは、何のためだったのだろう? 肌質によって個人差はあるが、あまりに太陽を怖がり過ぎて、今を楽しむことを忘れてしまってはいないだろうか。
また、ダイエットについても美白と同じような脅迫観念があるような気がする。主婦の話題としてよく耳にするのが「やせたらあんな服も着てみたい」「今はダメだけどやせたらね」「独身時代の九号サイズに戻ったら買おうと思って」というようなセリフ。
やせたらあれが着られる」と思ってダイエットを頑張る、というストイックな女性もいる。けれど、そんなやり方は拷問だと思う。だって、毎日毎日「太っている」自分を責めても責めて、罰しつづけていることなのだから。
今までのあなたでいいのだ。痩せたあなたでなければお洒落も楽しみも必要ないなんて、絶対にそんなことはない。大事なのは、開き直るのではなく、「受け入れる」こと。今のままであなたが幸せでなければ、ダイエットも何の意味もない。
日本の服飾メーカーの都合上、サイズの幅がせまくて苦労はあるかもしれないが、「やせたら」ではなく「今のあなた」を魅力的に見せる服を探そう。
あなた自身が今を楽しんで生活をしていれば、自然と「あなたにとってのベストな体型」に近づいていくもの。
本当にメイクが必要な人がしていない
日本の女性たちを見ていると、どうもちぐはぐな感じがする。
若くて肌も綺麗で何もしなくても美しい高校生や十代、二十代前半の女の子たちが派手な濃いメイクをし、そろそろシミもくすみも気になり始めた主婦たちが、何ともあっさりしたナチュラルメイクをしているのはなぜなのか。
本当に必要な女性たちがほとんど化粧に力を入れていない。お勤めしていたときは、どんなに時間がなくても出勤前には気合を入れて、しっかりフルメイクでキメていた女性たちが、結婚したとたん、そして子供が生まれるとさらに、何となくメイクの手を抜いてしまう。
何年も前のアイシャドーやチークをそのまま使っていたり、今の肌色に合わないファンデーションを使い続けたり、落とすのが面倒なアイラインやマスカラを省略したりしてしまう。
「面倒」を”自然派”や”ナチュラル志向”という名目におきかえて「スッピンメイク」が定着する。もちろん、雑誌やテレビで、今どんな眉の形がいいのかは何となくわかっているのに、自分に当てはめて見る事を忘れてしまう。
もしあなたの夫が「結婚しているのに、今更派手な化粧をして男の目を引くこともないじゃないか」と言うようなタイプだとしたら、今後彼の意見は黙って聞き流すと心に決めてほしい。
そんな言葉を鵜吞みにして、あなた自身も「そうよね、子供と近所に出かけるだけなのにメイクなんてしなくても」なんて思ってはいけない。だって、そんなことを言っている夫が外でデレデレ言い寄っているのは大抵流行りのメイクで決めた若い女の子たちなのだから。
結婚や出産を機に、自分自身に手をかけられなくなる事情はそれぞれあるのだろう。もちろん、生まれて間もない赤ちゃんと二つ、三つのお兄ちゃんやおねえちゃんの世話をしながら、自分のメイクにも気を遣うのは大変なこと。
それでも「時間がない」というのはやはり言い訳ではないだろうか。もし今から大好きな恋人とデートするとしたら、どんなに時間がなくとも「自分がいちばんきれいに見える」メイクをして駆けつけるのではないだろうか。
やはりこれは物理的な問題ではなく、精神的理由が大きい。主婦たちは、結婚して「安心」してしまうのだ。結婚したら、もう自分を必要以上にきれいに見せたり目立ったりして誰かの気を引く必要もない、ならばこのくらいでいいか、ということになる。でも、本当にそうだろうか?
もちろん派手なメイクをする必要などない。ナチュラルメイクでもかまわない。ただ、自分顔にちゃんと手をかけて、あなたより美しく見せるメイクをすることは、自分を大切にすることでもあることを忘れないでほしい。
たとえ結婚していても、あなたの美しさが男性たちの目を引かないより引いた方がいいに決まっている。あなたがメイクをするのは夫とのためでも誰のためでもない。あなたが自分に自信を持つためにするのだから。
十年前と同じ髪型にしてない?
妊娠。出産でいちばん影響を受けているのが髪だという。髪は女性ホルモンのバランスの変化がそのままあらわれる箇所だから、恋をすると髪にツヤが出たり、”彼氏いない歴”が長くなるとバサバサになったりするそうです。
わたしは妊娠中、ストレスだった髪に根元から突然強烈なクセが出てきた。逆にクセっ毛だったわたしの友人は妊娠したらスレートになったと喜んでいたから、きっとよくある変化なのだろう。
妊娠中はパーマをかけてごまかしていたが、出産後、クセになって髪がゴソッと抜けて、すっかり髪のボリュームがなくなってしまった。ロングヘアがどうにもサマにならなくなって、結局バッサリ切ってショートヘアに落ち着いた。
それまでわたしは女性たちが結婚や出産を機に髪を短く切ってしまうのを「妻らしく」「お母さんらしく」するためなのかとおもっていたのだが、女性が髪を切るにはやはりいろいろな理由があるのだとわかった。
さまざまな事情を考慮したうえでも、独身女性と結婚している女性に大きな差が出てしまうのはやっぱり髪やヘアスタイルではないだろうか。
もちろん、結婚しても子供がいても、青山あたりのトレンディな美容院にマメに通っている主婦もたくさんいるだろう。しかし残念ながら、毎日の中で「髪やヘアスタイルのことを考えている時間」は独身女性よりも圧倒的に少ない。その差が見た目にあらわれてしまう。
たしかに主婦には三十分もかけて髪をブローしたり、ヘアアイロンでクセを伸ばしたり、疑った巻き髪をしたりする暇はない。なくて当然だし、一家の主婦がそんなことばかりに気を取られているようでは困る。
でも、毎日ブラッシングを丁寧にするだけでも髪のツヤは歴然と変わってくる。出かける前にほんの数秒、合わせ鏡でバックスタイルを確認するだけでもあなたのヘアスタイルはぐっと素敵になる。ときどき、今の髪型が今の自分に似合っているかどうか考えてみるだけでもがらりと意識が変わる。
そして何年かに一度は大幅に髪形をチェンジしてみるのもいい。自分にとっての「安心ヘア」を脱するのは勇気がいるけれど、試してみる価値はある。それには勇気を出しついでに、普段と違う美容院に行ってみるのがおすすめ。
まったく新しい目で今のあなたに似合うヘアスタイルを提案してもらうと、「新しい自分」が見えてくる。髪を数センチ切っただけでは気づかない夫でも、魅力的にイメージチェンジしたあなたにはハッとさせられるはずだ。
「とりあえず伸ばしといて、邪魔だったら結んじゃえばいい」とか、「長いほうが美容院代がかからない」とかいう理由でロングヘアにしている人は一度ショートに挑戦してみる。
「洗うのがラクだから」や「子供に髪を引っ張られるから」ショートヘアにしている人は、久しぶりに髪をのばしてみてはいかが?
大切なのは「現役感」
一般の主婦はもちろん、全身ピカピカに磨き上げて着飾っている芸能人たちでさえ、このドッカリ感はぬぐえない。恋多き女として騒がれたタレントも、盛大な結婚式を終えるや否や、不思議なことにこのドッカリ感を醸し出しはじめる。
この独特のドッカリ感が、結婚したことの安心感や結婚によってもたらされた安定感とつながりがあることは明白だが、ときどき、結婚して子供を持っていてもドッカリ感がまるでない人もいる。
年齢に関係なく、この現役感がある人は、いくつになっても独身のようで、子供がいるようにも見られない。無理に若づくりをしているわけでも、アンチエイジングにいそしんでいるわけでもないのに、年齢不詳な雰囲気がある。その雰囲気はまわりにも伝わって、簡単に「奥さん」「おばさん」と呼ばれない。
そんな女性が、あなたのまわりにもひとりぐらいいるのではないだろうか。現役感のある女性たちと「ドッカリ夫人」とはいったいどこが違うのだろう。
彼女たちが持っていて、主婦たちに欠けているもの、それは「緊張感」ではないだろうか。
女性とって「現役でいる」ということは、「女の最前線にいる」ということだ。最前線に立つ者には常に緊張感が漂い、勘も鋭くなる。いいことも悪いことも、ありとあらゆるものを直に感じるから刺激も強い。
逆に最前線から退いてしまうと、たしかに安全ではあるが、そこにはかぎられた情報しか入ってこない。
もちろん、あなたの平穏な生活はかけがえのないものだが、それが永遠に続くとはかぎらない。夫婦だって男女の仲、いつどうなるかわからない。家ではグダグダしているパパだって好きな女性ができるかもしれないし、あなたもいつ恋に落ちるかわからない。
そんな危機感をほんの少し持っているだけで、ほどよい緊張感を保つことができる。この幸せを当たり前だと思わなければ、あなたの毎日はよりいっそう輝きを増す。
大切なことをもう一つ。心だけはいつも「女の最前線」にいる努力をしよう。
毎日、玄関のドアを開けるとき「今日こそ運命の人に出会うかもしれない」と思って出かけよう。愛する夫も子供たちも、あなたの心にだけは鍵をかけられないのだから。
つづく
第二章 「幸せに見られるかどうか」より「幸せかどうか」