
梅田みか 著
「どうしてわたしだけがこんなにつらい目に遭うの」
不倫の恋をしていて、何もつらさを感じたことがない、と言う人はいないだろう。何のつらさも伴わなかったとしたら、それは恋とは呼べない一過性のものか、すでに恋という状態を超えしまっているかのどちらかだ。
不倫の恋をしている女性の多くが感じていることは「どうしてわたしだけがこんなにつらい思いをしているのだろう」ということだ。個人差はあれ、誰もがそう感じている思いはそれぞれ確かな真実だろう。問題は、そのつらさの受け止め方にある。
不倫の恋の辛さに耐えているとき、世の中のカップルはみんな幸せに見えるものだ。そのとき、その幸せに見える光景と自分のつらさを照らし合わせ、ほかの恋をしている人はまったくつらい思いなどしていなものだと思い込む。
自分以外の人はなんのつらさも悩みもなく、一点の曇りもない幸せの中にいるときめつけてかかる。そんなことばかり考えていれば、当然余計つらさは増す。
でも、本当はつらさのない恋など存在しないのだ。もしあったとしても、それは味気のないものだろう。
人は、つらさがなければ幸せとかというとそんなこともない。だから、つらさの原因になるものが何もないカップルでも、何とかそこにつらさの原因を見つけて喧嘩したりぶつかったりしながら進んでいく。
つらさがあるから喜びがあり、不安があるから安心がある。不安定な状況では安定したいと思い、安定してみると今度はそれを壊したくなる。安らぎのあるは刺激を求め、刺激に疲れると安らぎを求める。孤独と戦っているとずっと一緒にいたいと願い、いつも一緒にいれば飽きて疎ましくなる。矛盾しているように見えて、どんな恋もその繰り返しによって営まれているのである。
極端に言ってしまえば、不倫の恋はそのつらさが大きいからこそ、その幸福感も大きい、ということになる。
不倫の恋からきれいさっぱりつらさだけを拭い去ろうなどと思わず、そのつらさもまた、この恋のたのしみなのだ、と思ってみてはどうだろうか。もちろん、楽しみとまでは思えないかもしれないが、つらさを恋の一部と認めるだけでずいぶん楽になれるのだ。
つづく
「もう彼なしでは生きられない」