梅田みか 著
「結婚する友達がうらやましい」
誰かをうらやましいという気持ちは、自分の持っていないものや、途中であきらめてしまったり、努力しても手に入れることができなかったりしたものを、相手が持っていると感じたときに湧き上がる感情である。
不倫の恋をする女性にとって、うらやましさの引き金になるのは「結婚」という二文字だろう。「いい恋愛をしている」友達には「わたしだっていい恋愛をしている」と同等な立場でいられる。
だからうらやましいとは思わない。でも、あなたの目から見てあまりうまくいっていないように見えるカップルでも、ふたりが結婚すると決まった瞬間に、あなたの中にはうらやましいという気持ちが生まれてくる。
うらやましいという感情は、一度生まれるとなかなか消えない。そのせいで素直に祝福することができなかったり、嫉妬が態度に出てしまったり、そんな自分を責めたりしているうちに友情や大切な人間関係を壊してしまうこともある。
そうなる前に、少し視点を変えてみる必要がある。自分の持っていないものを持っていると思うから、あなたは彼女がうらやましいと感じている。では、本当に彼女が自分の持っていないものを持っているのか、と考えてみてはどうだろう。
彼女が「持っている」あなたが「持っていないもの」は何だろう。愛する人と結婚できる状況。安定した生活。周囲の祝福。エンゲージリングとウェディングドレス。将来永遠に一緒にいるという約束…。確かに、彼女はそのすべてを持っているように見える。
ても、今のあなたがそのすべてを手に入れたときを想像して、その幸福とまったく同質の幸福を彼女が味わっていると考えるのは少々早計すぎるだろう。あなたが求めているまったく同じ幸福感や安心感を彼女が感じているとは限らない。
あなたと彼が愛し合うように彼女たちが愛あっているかどうかもわからない。ましや、安定した生活や周囲の祝福や「永遠の約束」が永遠に続く保証はないのだから。
もちろん、その結婚が破局することを考えなさいというのではない。ただ、どんな結婚も何から何まで薔薇色に染まっているわけではないことを思い出すだけで、ずいぶん楽になれる。彼女が手に入れたのは、ひとつの幸福の形であって、あなたが欲しいものとはまったく別のものなのだ。
「わたしって彼の何なの?」
恋人、彼氏、彼女、ボーイフレンド、夫、妻、そして愛人、男女の関係を表すための肩書きに、いつも敏感に反応してしまうのは、不倫の恋をする女性たちの特徴だと言えるだろう。
彼には愛する妻がいて、可愛い子供がいて、それなのにどうして外にわたしもいるのか。彼にとって自分はどんな存在なのだろうか。彼にとって自分は必要な人間なのか、そうでないのか。守られた家庭とは対照的に、彼の生活が揺らぐような何らかの状況に陥れば、いちばん最初に切られる立場にいる自分は一体何なのか。
彼にとって自分がいてもいなくてもいい存在なのではないかと疑問から不安が生まれる。自分にはっきりした立場がないことを実感するとき、不安定な場所にいることに気づいたとき、どこに出して恥ずかしくない肩書が欲しくなるのだ。
けれど、それは不倫の恋をしている女性に限った不安ではないことを忘れないでほしい。独身の恋人を持つ女性たちの多くは、「わたしって本当にあなたの彼女なの?」「これってつき合っているっていうのかしら?」という疑問を持ちながら恋愛を続けている。
指輪をもらったから、愛していると言ってくれたから、毎週末デートを欠かさないから、相手の両親に紹介くれたから、もう三年以上つき合っているから…といって、それがステディの証とはかぎらない。それだけ「正式な恋人であるかどうか」の定義は曖昧なのだ。
同じように、あなたから見れば揺るぎない立場を手に入れている妻たちでさえ「わたしは彼にとって妻なんかでなく、ただの家政婦じゃないかしら」といった疑問に苛まれながら暮らしているケースが多い。自分は来る日も来る日も家事をして、子育てに追われ、やがて女でなくなり、年老いていくだけではないかという恐怖と戦っているのである。
不倫の恋をする女性たちの多くは、「愛人」という肩書を嫌う。自分は愛人でなくごく普通の恋人と変わらないことを強調する。しかし、妻は「妻」として扱われ不満を抱き、いつまでも「恋人」として存在したいと願う。恋人は「恋人」という立場に不安を抱く、こうなってくると結局、恋に肩書は必要ないのだということがよく分かる。
大切なのはどんな肩書を持つかどうかではなく、本当に彼の「愛する人」でいられるかどうかなのだ。
つづく
『強くなりたい』