社表

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女性解剖学 はらたいら 目次

本表紙女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=

ピンクバラ1―女には特別な一年がある
 30代の男と女を比べてみると

最近は結婚しないのかできないのか、よくわからないが、そういう男と女が急増している。三十路を過ぎても独り者、なんてことは良くある話で、一体結婚適齢期がいつ頃なのか。もう誰にもわからなくなってきた。
 さて結婚しない30代の男と女を比べてみると、まるで地球人と火星人ほどに、かけ離れているからおもしろい。
 女は「子宮感覚」という、一種の動物的な勘でものごとを判断するが、そこにちょっとした計算が入ってくると、これはもう鬼に金棒だ。カネに対する執着心は、子宮感覚ときわめて馴染やすい性質を持っているから、水商売ですら、いつの間にか手堅い商売と変わってしまうようである。

ピンクバラ2――恋愛するにも努力が必要

恋愛の四つの形 
スタンダールは、恋愛の形を四つに分けている。
二、 情熱恋愛 二、趣味恋愛 三、肉体恋愛 四、虚栄恋愛
 情熱恋愛と肉体恋愛は、貧苦的理解しやすい。きわめてオーソドックスな形が情熱恋愛。
 こい焦がれて、身をやきつくすという純文学的世界の恋愛である。
 閉じ込められた火が、一番強く燃え上がる。
さて近ごろの若い女の子たちは、情熱恋愛をしているのだろうか?
 どうも、はた目で見ていても怪しいものが多い。一歩間違えば、肉体恋愛の単独志向なんてことにもなりかねない。
 肉体恋愛とは、言うならば、ハード・ポルノ的世界の恋愛だ。ともかくひたすら快楽追及。
 横須賀や沖縄の米軍基地周辺をウロウロして「どれにしょうかな?」などと、米兵を物色するギャルたちが肉体恋愛の代表選手。

ピンクバラファッション志向もほどほどに

向田邦子さんの『花の名前』という小説のなかに、こんなくだりがある。
 お見合いをしてお互い好感を持った男と女の交際がはじまった。もちろん結婚を前提としてのつき合いだ。ところが何回かのデートをしたあとで、突然女の方から結婚したくないと言いだした。

ピンクバラ3――仕事とは何かを考えて欲しい

いったい、女の幸福って何なの?
 ある編集者が、新宿の小さなバーで頭を掻きむしりながら酒を飲んでいた。「何が何だかさっぱりわからん」と言う、話はこうだ。
 取材をした風俗ギャルの年齢は十八歳から二十一歳。なかには今年の春、高校を卒業したばかりの子もいたという。顔にはまだ、はっきりと幼さが残っている。
 にもかかわらず、いざ撮影となると、脱ぎっぷりが堂に入っていて、たじろぐどころか、モデル顔負けのポーズをニコニコしながらとってしまう。
 さらに驚いたのは、彼女たちの言葉遣いだった。さぞかし、ひどい言葉を使っているのかと思ったら、それがまるで見当違い。
 丁寧語、尊敬語を巧みに遣いわけ、そこらの女子大生よりも、はるかにきちんとした日本語を遣っていたという。

ピンクバラ中身のない女はすぐ飽きられる

クレオパトラは本当に絶世の美女であったのだろうか。歴史の示すところによれば、他に類を見ないほど美しいというわけではなかったようだ。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史が変わっていたろう」と言う有名な言葉を残したのは哲学者のパスカルなのだが、彼が実際に言ったのはこうだ。
「クレオパトラの鼻がもうすこし短かったら、世界の顔は変わっていただろう」
 どうも鼻筋がキリッと通った絶世の美女ではなく、ワシ鼻の並みの美女。ではなぜ、クレオパトラは世界の歴史を変えるまでの美女と呼ばれるようになったのか、その答えはプルタークの『英雄伝』の中にある

ピンクバラ4―男には理解できない女のしぐさ

「なんだ、これは」  伊豆のホテルで、掃除婦をやっている気のいいおばちゃんとお酒を飲んでいた。おばちゃんが働くホテルは、なかなか高級なホテルで広い敷地の中は、たくさんの施設がある。

 今年の夏、ホテルのプールでの出来事だ。おばちゃんが、大きなゴミ袋をプールサイドから運び出しているときに、男女三人ずつのグループが、更衣室に入っていくのが見えた。年の頃は二五歳前後。男も女もリゾート気分一杯に、めかし込んでいる。

ピンクバラ女のたしなみに関する礼儀作法集

マイクロイコという米国屈指のコラムニストの著書のなかに、女のたしなみに関する礼儀作法集の話が紹介されている。
 中身は十九世紀に書かれた教本を元にしている。男が女に対して圧倒的に優位を誇っていた時代のシロモノである。“女の人生における最も幸せな一日”という章より。

「若い女性にとって花嫁になることにすぐる幸運はありません。女は花嫁になって初めて立派な良き妻としての条件を満たしていく長い道のりの緒につくことができるのです。

ピンクバラ5―女と男の本音どき

男の恨み言葉、女の不信感 
 「恋の兆候のひとつは彼女は過去に何人の男を愛したか、あるいはどういう男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである」
 芥川龍之介は、男の恋心は好きになった女が過去に愛した男たちへの嫉妬からはじまると言っている。男というものは、好きになったら女を美化したがる。

「一人でいるとき、女たちがどんなふうにしに時間を潰すものか。もしそれを男たちが知ったとしたら、男たちは決して結婚なんかしないだろう」とO・ヘンリーが言うように、女に対して心のどこかで目をつむって、女は汚れなきものと勝手に思い込んでいる。

だから、誰か一人の女を好きになった場合、極端にその女を美化し、その魅力に踏み込んだ過去の男たちを許せない気持ちなってくる。かたや女は頭から男というものを信用していない。恋はあくまでも、だめな大多数の男たちのなかにいる特別な男を好きになることだと思っている。

ピンクバラ6―たくましいから生きていける

本当に強い女というのは、こういう女のことかもしれない。
 つい最近、乗馬会社に勤める30代半ばの男が、奥さんと別居した。原因は、世間によくある、旦那の浮気。もともと女好きの男であったが、仕事はバリバリこなし、女の子とも適当に遊びながら、家庭は大切にするという器用な男だったから、別居したと聞いてたときは、ちょっと驚いた。

 おそらく浮気がばれて、怒り狂った奥さんが家を出て行ったのではないかと思ったが、出て行ったのは男の方だった。
 早い話が、その男が会社のOLに夢中になってしまい、離婚して、そのOLと結婚する気だったらしい、男は奥さんと大ゲンカをしたあげく、そのOLのマンションに転がり込んで、同棲生活を始めてしまった。奥さんはなかなかの家柄で、そのうえ頭も切れる。

ピンクバラそんなに時代もかつてはあった

かの有名なパーナード・ショウも、めまぐるしく変化する現代社会に合っては色あせてしまったようだ。
 数々の名言を残した彼だが、次の言葉は完全にいまの世の中からドロップアウトしてしまったいい例だ。
「持参金を持たぬ女は結婚冒険家である」
 かつては弱い立場に身を置きがちだったお嫁さん。ドーンと持参金を持って行けば、でかいツラができた。
「うちの嫁さんには山がついている」
「うちのヤツには広大な土地がある」
 こうなれば、旦那さんもおいそれと捨てるわけにはいくまい。むしろ大事に扱われるだろう。
 何も持たずに嫁に行くことは、毒蛇が群がる密林に足を踏み込むようなもので、いつ、命を絶たれるかわからない。

ピンクバラ7――ああ、情けない男たち

「彼女が結婚してくれない」男 
 「妻は若い夫にとっては女主人。中年の夫にとっては仲間。老人の夫にとって乳母である」
 とは、フランシス・ベーコンの言葉。
 最近の若手男たちは、女の子を口説くのもすべて雑誌に掲載された手順を忠実に守ってするらしい。ところが、口説かれる女の子の方も同じ雑誌に興味を持っていて、男たちがどう口説いてくるか研究しているから始末が悪い。

 手の内を知られているとはつゆ知らず、実行してしまうものだから女の子のほうは面白いやら、アホらしいやら、すっかり同年代の男たちをバカにしている。
 アメリカの有名なコラムニストによれば、彼女に寄せられてくる投書の中身がこの10年くらいでずいぶん変わってきたという。

 ひと昔前なら、「彼氏が結婚してくれないんです」と言う悩みが多かったのに今はその逆で、「彼女が結婚してくれないです』が圧倒的に多いのだ。

ピンクバラ“従っているふり”で見事に操縦 

イスラム教では、男は四人まで妻を持つことが許されているが、実際のところはどうなっているのだろうか。国民のほとんどがイスラム教徒であるエジプトあたりでは、二人くらいの奥さんを持ち、子どもが10人くらいいる男も珍しくないそうだ。

 ところが日本企業や欧米の企業に勤めるエリートサラリーマンとなると、ガラリと事情が変わる。とにかく彼らは忙しい。とてもじゃないが、二人、三人の奥さんをもらって、彼女たちに分け隔てなく愛を捧げ、奉仕する余裕は全くない。

ピンクバラ8―こんな女(オバサン)になって欲しくない

オバサンの原則 
 東京ディズニーランドは、いまや東京の新名所、日曜、祝日はもちろん、ウイークデーでも、文字通り、老若男女が入り乱れて、長蛇の列に汗をかきかき夢を見る。

 ここでも、圧倒的に存在感を誇示するのが、オバサンの団体である。
 オバサンは、元来が、開き直った存在なのだが、さらに終段心理と「旅の恥はかき捨て」とが、開き直りに拍車をかける。

 いい悪いはさておき、東京ディズニーランドは、弁当を持ち込まないということになっている。食事は全てディズニー内のレストランで食べてくれというシステム。これはルールだ。
レストランはすべて洋食。ディズニーの雰囲気にマッチした店ばかりである。

 ところが、おにぎりを白昼堂々と食べている集団がいる。もちろん、オパサン集団だ。

ピンクバラ頭のなかまでゼイ肉がついている

結婚前の女は、腰が細くて心が広い。これに対して、結婚後の女は、腰が太くて心が狭い。
 何たる変化!
独身の乙女は、当然スタイルに気を遣うし、そのためには、あらゆる努力を惜しまないから、腰の線もスラリと美しい。
 そのうえ映画を観たり、旅行したり、いろんな人と話したりで、男を見る目も寛大である。

ピンクバラ9―時には男の弱さを許す寛容さを

「逃げた花嫁」は愛のドラマか
 結婚式まであと一週間というところで、結婚話そのものが御破算になった。被害者は新郎になる予定だった作家の卵。千葉県在住、ユーモアたっぷりの人のいい男である。

 事務所の電話がけたたましく鳴った。「もう、だめです」という卵からの電話だ。聞けば花嫁になるはずの女性が、昔の男と逃げたとのこと。

ピンクバラ女が興味を示さない男の楽しみ

地球上の男がもっとも愛するスポーツと言えば、釣りである。海釣り、川釣りと「釣り」といっても、狙う魚によって、所も変われば、竿も変わるし、仕掛けもちがえば、技術もちがう。

 そのうえ、奥行きが深くて、どこまで行っても工夫の余地が残されている。一度この魅力にとりつかれたら、妻の不服そうな視線を踏みつけてでも、男は家を後にしてしまう。

 しかし、これほど魅力的にあふれるスポーツにもかかわらず、なぜか女性は興味を示さない。
男の独占物だった格闘技にさえ挑んでくる女性が多い今日この頃、これはまぎれもない珍魚像である。

ピンクバラ10―そのひと言が嫌われる
 見えない、聞かない、しゃべりすぎ
 

手に負えない女、町の人には愛想が良く、教会では信心深く、家の中では鬼のような女。
 何かの本でこんな記述があった。
 そこで考えた、はらたいら流の手に負えぬ女の定義とは、
 目と耳をふさいで口だけあけている女、
 この定義は我ながらなかなかのもとだと自負している。
 だってもしこんな女が存在したら、これは相当に手強いはずだ。
 客観的な事実、社会の流れをとにかく見ない、第三者の意見、友人の意見、友人の忠告は全て聞かない。
 それでいて、文句ばかりは天下一品。
 この見ない、聞かない、文句を言う女に対して、男は一体どんな対抗手段を講じることができるのだろうか。
やがて彼らは、自然ばかりでなく、女体を崇め始める。考えてみれば、子どもを産むなんてことは、異常なことであり、古代の男たちが子宮の果てに神を見たとしても、なんら不思議はない。無から有を生じさせる子宮。
“ああ、偉大なる女たちに感謝”。

 子宮の機能が出産だけにかぎられていれば、男たちはひたすら女性を尊敬するところだが、この子宮というやつは、あまりにも影響力が強く、女体のあちこちにそれらしい特性を発揮してしまうからいけない。

ピンクバラ「わが家の恥なの」
「太ってるでしょ、顔は悪いでしょ、わが家の恥なの」

とても感じのいい、いかにもお嬢さま育ちの若い奥さんが、近所の奥様相手に話をしていた。
 いったい誰が「わが家の恥」なのかというと、この奥さんの旦那さんのことなのである。恥ずかしいほどの男なら、一体なんで結婚したのかと言いたくもなるが、まあ、よほど性格がいいのだろうと解釈するほかあるまい。

人間関係というのは、たいへんむずかしいものである。ましてや男と女の関係になると、なおさらである。
 相手の気持ちを何とかこちらに向けさせようと思っても、なかなか思うように運ばない。だが相手に嫌気を起こさせる術はある。ボルテールの言葉だ。

ピンクバラ11―他人を自分鏡にできる人に

男の見る目、同性の見る目 
「美というものは、まったくの軌跡を生み出すものである。美しい女の持つ精神的欠陥は、嫌悪の情をもよおさせるかわりに、何か非常に魅力的なものとなる」

 だから美しい女はずいぶん得をしている。頭が悪くて背が低ければ、「あの子はコケティッシュだ」と言われ、ちょっと大学を卒業

ピンクバラ「したいけど、できない」

 ゲーテがこんなことを言っている。
「生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけどできない、できない。できるけど、したくない」
 だが本当にこの二つだけで生活が成り立っているとしたら、人間は皆、怠け者の、かんしゃく持ちということになる。
「できるけど、したくない」というのは怠け者だ。そして、「したいけど、できない」ことばかりだったら、欲求不満でストレスが溜まる。自分のできないことを、やりこなしている人間を見ては、憎々しく思い、かんしゃく玉が年がら年中、爆発しそうになる。

 しかし、ここで、よく考えてみると、ゲーテの言葉の中の「生活」という文字を、そのまま「女」という字に入れ替えてみると、とくに「したいけど、できない」という要素などは、女の精神の70パーセントくらいを占めているように思う。

ピンクバラ12―人生を知るということ
 「女」の事件はどこかさみしい

「目が回れば、逆に回れば直る。死ぬほどの悲しみも別の悲しみで癒える」
 とシェークスピアは言っている。なかなかいい言葉だ。誰が言ったか分からないこの諺のなかにも、いい言葉ある。

「時間を掛ければ、そしてそれについて考えれば、もっと大きな悲しみでも手なずけられる」
 悲しみは、手なずけなくてはならない、なぜなら、生きている以上、年がら年中悲しみなんてものはやってくるからである。