女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=
女のたしなみに関する礼儀作法集
マイクロイコという米国屈指のコラムニストの著書のなかに、女のたしなみに関する礼儀作法集の話が紹介されている。
中身は十九世紀に書かれた教本を元にしている。男が女に対して圧倒的に優位を誇っていた時代のシロモノである。“女の人生における最も幸せな一日”という章より。
「若い女性にとって花嫁になることにすぐる幸運はありません。女は花嫁になって初めて立派な良き妻としての条件を満たしていく長い道のりの緒につくことができるのです。
その条件は――黙々と重労働をこなすひたむきな姿勢、従順、食事の席での明るい笑顔、陽気な笑い声、控えめな服装、控えめな立ち振る舞、性格、腕力、脚力、背筋の強さ、政治、経済、外国小説、あるいはカード遊び、音楽遊び、その他あらゆる運任せのゲームに対する無関心」
食事のマナーの章では、次のようなことが書かれている。
「ナプキンを広げるときは、育ちと品の良さがそのまま表れるようにすべきです。親指と人差し指でつまんで振って広げるような女性は、自らの節操のなさとずさんな性格を自分からさらけ出しているようなものです。
淑女たるものは、食べるものは全て初めに小さく切って上品に口に持って行くようにしなければなりません。まちがってもかじったり、噛み切ったりせず、音をたてず優雅に少しずつ噛むようにすることです」
いまどき、女にこんなことを期待する男がいるだろうか。十九世紀の礼儀作法をそっくりそのまま引っ繰り返してみると、それぞまさしく、二十世紀末の日本の女たち詳細な観察記となるに違いない。
食べてるときが幸せ
ある学者がカロリー計算をした結果、“七食”となった。何となくわかる気がする。オヤツと称してはケーキやチョコレートを口に運び、口のなかが甘いといってはセンベイをポリポリかじる。
あげくの果てにのどが渇いたといっては、ジュースでのどを潤す。
一日に七食、故ある哉。
しかし、ここで一日三食が適量であるなどという安易で危険な提案をするつもりは毛頭ない。
無理に食欲を抑え込んだりすると欲求不満の元となり、家族や会社の平和を乱すことにもなりかねない。
「胃袋は世界を征す」という言葉があるほどで、胃袋を侮ったりすると大変な非常事態を招いてしまう。
たとえば、核保有国の大統領がたまたま腹を空かせいたところに非常事態が発生したとする。人間、とことんお腹を空かせていたとしたら何をしでかすか分からない。知識だとか教養なんてものは、一番最初に吹っ飛んでしまう。「この野郎」とばっかりに核攻撃のゴーサインを出したとしても不思議ではない。
大統領の胃袋の調子一つで、一国の、そして全世界の運命が左右される。
当然のことながら、一家の平和は女房の胃袋具合によって決定的に支配されることになってくる。
一日三食を無理に実行して家庭の平和を乱すくらいなら、少々金はかかろうとも、七食おいしく召し上がっていただいたほうが賢明だろう。
女房の胃袋を満足させる――これが夫婦円満のコツである。
田中小実昌さんの愛娘がこんなことを言っていた。
「パパはだめなのよ。女性を連れていても、いきなりお酒を飲みに行くからもてないのよ。まず食事をして、それから飲みに行けばいいの、そうすればもっともてるはずよ」
花をめでる前にはダンゴ屋へ立ち寄る――これがもてる男の条件であるようだ。
家庭の平和と愛のためには男は金を稼がなくてはならない。
“女の胃袋は男を征す”
「迷路」は女を裸にする
日本全国の観光地で大ブームを呼んだあの「迷路」は、いまだに人気が続いている。
迷路のなかで四苦八苦している大人たちの姿を見ていると、その人の性格がじつによく表れてくるから面白い。
そして迷路のなかでは、男と女の違いが際立つ。もちろん歩道橋の上から下を眺めても、肝心なところが見えないように工夫されている。
迷路に挑戦していた人たちは、親子連れと、若いカップルと、女の子だけのグループが圧倒的に多かった。よく観察してみると、お父さんでもボーイフレンドでも、男はたいがい迷路のなかで意地になる。何としてでも謎を解かねばならぬと、しまいには、小さな子供や最愛の彼女が傍にいることを忘れて、ネズミのように必死の形相で動き回るのだ。
親子連れの多くは、最終的な母親と子どもがいっしょに歩き、父親は一人で先に急ぐというパターになる。ところが冷静さを欠いた分だけ迷う。まさにウサギと亀だ。先にゴールした妻子から「お父さん、何やっているの」と冷やかされる父親も、少なくない。女の子だけのグループを見ていると、男とは正反対の動きをする。
もちろん迷路に入りたてのころは、ウァーウァー、キァーキァー、謎解きに夢中になるが、そのあとがいけない。若い女の子の多くは「ワカンナーイ」と戦意を失ってしまうか、「こんなの絶対におかしいわよ」と迷路の仕掛けにケチをつけ始める。その迷路では歩道橋をまたいでしまう。一気に目的地に辿り着ける。そんなインチキをするのは、ヒステリックな女たちばかりだ。
迷路は女を裸にする。ぜひ一度、お試しを!
男には女の裏舞台が読めない
「吉原の二日は嘘の封を切り」
江戸時代、吉原の遊女たちは、正月の二日に年賀を行い、この日から営業を開始した。
この川柳は、吉原の男と女の関係を嘘と称して、その封切りが正月の二日からだと言っているが、「うその封を切り」と言う表現が、何とも、小気味よい。
さて現代の男と女、嘘の封切りは何時から始まっているのだろうか。
これは明らかで、元旦からはじまり、三百六十五日休む暇もなく続けられているから、恐ろしい。
しかし、何も男と女の関係は、遊女とかソープランド嬢との絡み合いに関するだけでなく、きわめて日常的に、どなたでも、どこでも、ちゃんと行われている。
たとえば、若い女性が日本髪を結って、振り袖姿で初詣に出かけたとする。
男たちは、ふだん見慣れぬ振り袖そのものの色柄のニギニギしさから「美しい」と、単純に思い込んでしまう。
まして、振り袖姿の女性が自分の恋人だなんてことになると、そのまま感激に変化してしまう。
これなど、現代の男と女の嘘の典型だ。男は女の舞台裏がまったく読めないでいる。母親に怒鳴られながら帯を締め、やっと着付けの終わったころには、本人も相当に頭に血が昇っている状態で、玄関を出るときなどは、裾(すそ)を蹴っ飛ばして出て行くような事態も、しばしばある。
ところが、男にとって振り袖姿は、かぎりなく優雅なもので、振り袖のイメージとは対極に位置する女の舞台裏など、まったく思いもよらないものだ。
そこで男は「きれいだね」を連発しはじめる。連発すればするほど、女は余裕、男は感激の構図が出来上がる。
しかし男も女も、それで幸福なら嘘もいいものだ。
「女の嘘は月に似ている」
“女の嘘は月に似ている”
その嘘は怪しげな輝きを帯び、しかもその形は一定せず、常に変化する。
太陽が燃えているときは、姿かたちも見せもせずどこにいるかも、ようとして知れず、暗闇が支配するやいなや、突如現れる。
明と暗を行きつ戻りつ、消えたり、現れたり、男は、この捕まえようのない嘘に、翻弄(ほんろう)される。
『人間の絆』や『月と六ペンス』で知られるサマセット・モームが来日した翌年、八十六歳のときに、こんなことを言っている。
「嘘つきでない女だってどこか少しはいるにちがいない」
人間の本性を冷厳に見つめてきた偉大な作家が、人生の総決算期に言っただけに、説得力がある。
嘘は、それが嘘だと分かったとときに、空虚になる。だまし続け、騙し切ってしまえば、それがだます相手の幸福につながることだって世の中にはいくらである。
嘘をつくにもパワーが必要なわけで、安易な嘘はやめたほうがいいということだろう。
第一人間皆、うそつきなわけで、モームの言うように、どこかには嘘つきでない女がいるかも知れないが、真実ばかりでは逆に疲かれてしまう、まったく嘘をつかない村があったしょう。思ったこと、感じたことをストレートに言い合う、絶対に嘘は言わない。
「おはよう、相変わらずブスだなあ」
「いつ会っても、あんた性格悪いわねェ」
これでは社会が崩壊する。
西欧には、月明かりを浴びると精神に異常を生じるという考えがあった。狼男伝説などの起源も、このあたりにある。こう考えてくると、月と女の嘘はますます似てくる。
「狼男と一緒にしないでよ」と叱られるかもしれないが、これでも誉めたつもりでもある。
女の武器は涙、男の武器はユーモア
女の最大の武器は涙。女はいつも泣いて勝つ。ならば、男の武器は何か。
リーンカーンが、こんなことを言っている。
「敵の武装解除をするのに一番いい方法は直接、敵将と会って話をすることだ。ただし話の中には必ずユーモアがなくてはいけない」
要するに、男の武器はユーモア。男はいつも笑って勝つ。そこで男女の武器がぶつかり合ったらどうなるか? もちろん、笑った男を女は涙で粉砕する。
「捨てないで」。ヨヨと泣き崩れる涙。
「こんな哀しい映画があるかしら」。感動で打ち震える涙。
「なによ、ラブ・ホテルのマッチじゃない」。嫉妬の嵐が荒れ狂う涙。
涙、涙、涙、とにかくよく泣く。おそらく女はここで泣いたらどうなるかということが、本能的にわかっているのではないか!
どうもそんな気がしてならない。
もしそうだとしたら、不用意に情をかけたり、安易に優しさを見せるのは禁物だ。まんまと女の術中にはまってしまうことになる。
涙の成分を分析してみると、何とほとんどが水、あとは塩分、タンパク質、リン酸、カルシュウム、マグネシウム、リゾチウムが少々・・‥。この程度のものにごまかされたのでは、男が廃るというものだ。
しかしたった一つだけ、どうしても勝てない涙がある。それは、女が自分の欠点をさらけ出したとき、あるいはさらけ出された時ときに流す涙。
これだけは絶対に見られたくないという一面は誰にもある。それを見られてしまった男は、最後まで取り繕うが、女はそこで開き直る。涙を流しながら一転強くなってしまう。
この涙こそ、ちょっとやそっとの方法では太刀打ちできない。恐怖の涙と呼ぶことが出来るだろう。
「正体を見たな―ッ」というあれだ。解決策はただ一つ、そういう場面に遭遇しない。これに尽きる。
くわばら、くわばら
つづく
五――女と男の本音どき
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。