ドアを開けた瞬間「なんだ、これは」と目を剥いてしまった。 三人の女たちの脱いだ服が、棚の上に散乱しているのだ。ひどいのはカゴからパンティーがはみ出したまま。それでいて女たちは、笑い転げながら、一人は大きな鏡の前で水着姿を映し、残る二人は、バタバタ厚化粧の真っ最中。  トップ画像 赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

4―男には理解できない女のしぐさ

本表紙女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=

ピンクバラ4――男には理解できない女のしぐさ
「なんだ、これは」

伊豆のホテルで、掃除婦をやっている気のいいおばちゃんとお酒を飲んでいた。おばちゃんが働くホテルは、なかなか高級なホテルで広い敷地の中は、たくさんの施設がある。

 今年の夏、ホテルのプールでの出来事だ。おばちゃんが、大きなゴミ袋をプールサイドから運び出しているときに、男女三人ずつのグループが、更衣室に入っていくのが見えた。年の頃は二五歳前後。男も女もリゾート気分一杯に、めかし込んでいる。

 しばらくすると、男三人がプールサイドにやってきて、デッキチェアに寝転んだ。おばちゃんは、三人の会話を聞くともなしに聞いていた。話の内容は、女たちがどんな水着を着ているかと言うことだった。ハイレグとかビキニかと想像して楽しんでいる。

 プールサイドの掃除を終えたおばちゃんは、更衣室の掃除に向かった。女子更衣室の中から先ほどの女たちのキャーキャーと言う声が聞こえてくる。おばちゃんは、黙って女子更衣室に入っていくと、ドアを開けた瞬間「なんだ、これは」と目を剥いてしまった。

 三人の女たちの脱いだ服が、棚の上に散乱しているのだ。ひどいのはカゴからパンティーがはみ出したまま。それでいて女たちは、笑い転げながら、一人は大きな鏡の前で水着姿を映し、残る二人は、バタバタ厚化粧の真っ最中。

 しかし、それが終わると、三人そろって髪にブラシをかけ、カゴからはみ出したパンティーには目もくれずに散らかしっぱなしのままプールサイドに出てしまったという。そして三人の男たちの前に、モンローウオークよろしく、気取って近づいていったのだ。おばちゃんは言った。
「あの男たちに更衣室の中を見せてやったら、何と言うかね」

頭隠して尻隠さず

女子ライダーめっきり増えた。五〇〇CCのバイクに乗って、長い髪を風になびかせている後ろ姿は。なかなか颯爽(さっそう)としているし、眺めているほうも、どこか涼しげで気持ちがいい。
 
 ところが先日、がっかりさせられる光景に出会ってしまった。海で日焼けしたのか、タンクトップから、むき出しになった小麦色の肌が、ところどころむけはじめていた。
 何となしに車のなかから見ていると、この女の子が信号で止まるたびバックミラーに、鼻の頭をくっつけんばかりに、のぞき込んでいる。

 初めのうちは気にも留めなかったのだが、止まるたび何度もこれを繰り返すので、気になってきた。
 そこで真横に彼女のバイクが止まったときに、ふと左側を見てギヨッとした。彼女は、皮がむけてまだらになった顔をバックミラーに近づけて、残った皮を一心不乱にむき続けていたのだった。

 顔の皮がむけるのは、男でもいやだ。ましてや若い女の子が、気になってもしようがない気持ちはよく分かる。
 しかし道路を走りながら、他人の目など全く気にせず、顔の皮をむくというのはいただけない。無神経。無感性である。

 そのとき、ふと思い出した。一年ほど前か、中央高速のドライブインのトイレに入ったときのことだ。
 男のトイレに、オバサンが駆け込んできた。このときも、ギヨッとした。間違えたわけではないだろう。おそらく、女のトイレがいっぱいで。「この際、旅の恥は掻き捨てよ」という具合だったように見えた。

 電車の中で、パタパタと手鏡を見ながら化粧するオバサンにも通じる図々しさである。
 女である以上、きれいに身を飾り、美しく化粧したいと誰でも思う。
 しかし、どうも女には、老いも若きも頭隠して尻隠さずといところがある。

いやらしいのはあなた

真夏日、女たちが露出狂の特性を遺憾なく発揮する季節だ。女たちが身にまとうファッションは、かぎりなく肌を露出させるデザインであり、生地はかぎりなく薄くなっていき、街ですれ違う男たちの目にも十分すぎるほど透けて見える。

 堂々腹立たしいと思っていることがある。ミニスカートを履いた女のことだ。彼女たちは電車の座席に座ると、必ず膝の上にバッグや大きな紙袋をのせて周囲の男たちの目に牽制球を送り続ける。

 極端な女になると、小さなバッグがスカートを隠し切れない。露わになった膝の上にこれ見よがしといった感じで乗せているのだ。しかも彼女たちは、明らかに自分の下半身を見ている男がいるなどと判断するや、軽蔑たっぷりの視線でその男に応酬し、何が何でも見せるものかといった仕草をする。

 そんなに男に見られたくなかったらミニスカートをはくな。どうしてもはきたければ電車に乗ったら、座席などに座るな。

 昨今はやりのハイレグの水着で、海辺を颯爽と歩いている彼女たちも、電車のミニスカートと同じである。さあ見てくださいと言わんばかりに、男たちの目の前を下半身丸出しで動き回っておいて、それを擬視する男たちに嫌悪の表情を送り返す。女というのは、
じつに得手勝手な動物である。

「ねえ、ちょっとあの男さっきからずっとこっちをみているわよ。いやらしいやつ」
 と、男をコケにする前に、自分は男に身体を見られたいのか、見られたくないのか、そこをきちんと考えてから、水着を選択するようにお勧めする。それにしても、なかには明らかにミニやハイレグが似合わない女の数多くいる。そういう女たちに、たまたま視線が行ってしまって軽蔑されでもしたら悲惨・・‥悲惨!

はた目にはじつにみっともない

 バーのカウンターなどで発見する女の意外な美しさは「手」がものをいっていることが案外と多い。細く、長く、しなやかに伸びた白い指は、男たちにかぎりなく美しいものとして映るのだ。

 街を歩いている女たちは、「脚」だ。細く締まった足首から、スラリと伸び上がった「脚」が決め手となる。だから街を行く男たちの視線が、どうしても下へ下へと行きがちになるもやむを得ない。「手」と「脚」はまさに女の美しさの象徴なのである。

 ところが残念ながら女たちの悲惨な光景に出合うこともしばしばだ。しかも悲惨な光景は、美しさの象徴と、まったく同じ個所で起こっているから厄介なのである。

 とくに酷いのが「足」である。「脚」に注目しているばかりに、よけい目につく。
 たとえば、山手線の電車のなか、女たちは座席に腰をおろすと、何食わぬ顔で靴を脱ぎだす。

 オバサンはストッキングの「足」をまるまる、靴の上にグシャリとのせて腹の底からくつろいでしまう。たまに片方だけ脱いだ足をもう一方の靴の上に置くという器用な人も見かけるが、たいがいは両足でグシャリの形をとる。

 若い女たちは、わずかに残った、羞恥心からか、かかとだけを浮かせるという戦法が多いのだが、どちらにしてもはた目にはじつにみっともない。しかも面白いことに、着飾って厚化粧をしているオバサンのなかにも、脱ぎグセがすっかり身についてしまったような人が多い。

 もちろん、女たちが靴を脱ぎだすのは電車の中だけではない。喫茶店やパブでもどんどん脱ぐ。最高に面白いのは、向かい合って座った恋人同士のケースである。正面に座って微笑している女がテーブルの下で靴をグシヤリとやっているのを知らないのは、相手の男だけなのである。

通勤電車のなかの女たちの素顔

通勤電車の朝の風景のなかには、女たちの素顔が浮き彫りにされている。そんな意味のことを、ある知人が言っていた。

 彼は毎朝、池袋駅で地下鉄の丸の内線に乗り換えて会社に向かう、ギュウギウづめの電車のなかでは、座席に座りでもしない限り朝刊はもちろん、週刊誌を拡げて読むことすらできない。

 三月中旬のことである。いつもと変わらぬ通勤電車の車内、彼の眼の前に肩まで伸びた髪の毛をモサモサのままにした二十歳前後のOLが、乗り込んできた。

 目は二重でおおきく、鼻筋も通ったなかなかの顔立ちをしたOLであったが、何せ、モサモサヘアのうえに、ノーメイク、肌はカサカサ、目の下はクマ。「こりゃあ、ひどい」とばかりに、彼は視線を向けてみた。

 すると、そこにもまたモサモサヘアのOLが突っ立っているではないか。
「いったい、どういう生活をしているんですかねえ」
 と彼は、自分の事は棚に上げてあきれ顔をする。
「もちろん、私の朝の姿もひどい。わたしはそのままヒドイ姿でデスクに行く。しかし彼女たちは、タイムカードを押した後、トイレに駆け込んで、髪をとかし、バッチリ化粧をしてごまかすんですよ。

 私生活の乱れを会社に持ち込まないと見れば、それはそれで立派でしょうけれど、そんな女に惚れた男は悲惨じゃないですか」
 O・ヘンリーの言葉を思い出した。
「一人でいるとき、女たちがどんな風にして時間をつぶすものか。もしそれを男たちが知ったとしたら、男たちは決して結婚なんてしないだろう。

「花にたとえることができる女」

菜の花の黄色は、桃色と並んでもっとも春らしい色、その黄色が遠くの緑をバッグに、一面に揺れ動く風景は、とてつもなく気持ちのいい良いものだ。

 昔、男たちは、女の美しさを花にたとえてみたけれど、考えようによっては、ずいぶんいい時代でもあったもんだ。思わず、鼻の名を口にしたくなるほど、あでやかな、あるいは可憐な女たちに囲まれていたのだから。

 もちろん、いまだって、花にたとえることのできる女は多い。しかしどう見ても、日本の花という雰囲気でない女がいる。何か適当な花がないものかと、植物図鑑をめくっていくうちに、ドンピシャリの花が見つかった。
 その名は“ラフレシア・アルノルディイ”。

 何となくロマンチックな香りが漂ってくるくうな名前だが、実態はさにあらず。
 この花は、マレーシアやインドネシアの密林に咲く世界最大の花なのだ。

 花びらは分厚く、直径がじつに一・五メートル。まったく美しくない。葉も茎も根もないこの花は、栄養補給管を他の樹に差し込んで、栄養分を失敬している図々しいシロモノだ。おまけに香りがひどい。香りどころかあたり一面に悪臭を放ち、人を寄せつけないというのである。
 はっきり言って、これは花じゃない。かろうじて「花」と分類されているに過ぎない花だ。

 花は花らしく美しく咲いてもらいたい。
 それが人類の願い。
 女は女らしく美しく咲いてもらいたい。
 これが男の願い。
 栄養補給管をプラプラさせながら、どの男が良さそうとかと物色する前に、私は美しく咲いたのかしらと考えて欲しい若い女の子が、多すぎる。
 もう一度書く、
“ラフレシア・アルノルディイ”
 つづく 女のたしなみに関する礼儀作法集