女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=
クレオパトラは本当に絶世の美女であったのだろうか。
歴史の示すところによれば、他に類を見ないほど美しいというわけではなかったようだ。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史が変わっていたろう」と言う有名な言葉を残したのは哲学者のパスカルなのだが、彼が実際に言ったのはこうだ。
「クレオパトラの鼻がもうすこし短かったら、世界の顔は変わっていただろう」
どうも鼻筋がキリッと通った絶世の美女ではなく、ワシ鼻の並みの美女。ではなぜ、クレオパトラは世界の歴史を変えるまでの美女と呼ばれるようになったのか、その答えはプルタークの『英雄伝』の中にある。
「彼女は人と交際するときには相手をそらさない魅力があった。そして彼女の会話は説得力があるので、彼女の姿形も一緒にいる人々の心に深くしみ込んでいき、鋭い印象を残すのだった」
ひと言でいうならば、才女である。クレオパトラは抜群の語学力を持ち、エチオビア語、ヘブライ語、アラビア語を自由自在に駆使した。さすがはクレオパトラ、美女の条件はやはり見てくれだけではない。
いかなる美女といえども、会って話してみたら、中身がまるでない。これでは興ざめだ。最近、主婦の海外留学が急増している。一年間で、留学や技術の習得を目的に海外に出かけた四十歳以上の女性は九百人弱。「家事は私がやるから」という娘の励ましで留学を決心がついた主婦もいるという。
勉強することは、大いに結構だが、何も海外までいかなくてもという気がするが、おつき合い半分、暇つぶし半分のカルチャー族と比べたら、やはり留学を決意した主婦たちには頭が下がる。後はどれだけ身に着くかだ。
女じゃない女は何をやっても輝かない
毎年正月が来るたびに思うことがある。日本髪をきれいに結って、美しく着飾った振り袖を、台無しにしている女たちが、何と多いことか。
まず歩き方がだらしなく見える。話す言葉はふだん着のままで、笑う口元に品がない。などなど。もちろん私は、女は女らしく、なんて古くさい説教をするつもりは毛頭ない。女はどこまで行っても、女以外の何者でもないのだから、あえて「女らしく」などと意識する必要などないと思っている。元気があろうがなかろうが、女としての才能を持っている女は、いざ、というときには、それなりに「女らしく」見えるのである。
もちろん「女らしさ」といっても、特別な定義があるわけでもないのだが、女の才能を持った女は男の目に、ちゃんと「女らしく」見えるのだ。
だから正月、初詣などに行って着物姿の女たちの集団を見ると、これまさに「才能の墓場だ!」ということになって気が滅入るってくる。女が社会に出る、大いに結構。女性管理職。女性解放運動、大いに結構。女サッカー、女ラグビー、何でも自由にやってもらいたい。
だが「女だけしかない才能」を、どこかに落っことしてしまっていたとしたら、魅力半減。女じゃない女は何をやっても輝かない。
もちろん、この言葉は男たちにも言える。
あるマスコミ関係の会社に、元エリート大学生ばかりゴロゴロ集められた部屋がある。その名も「才能の墓場」。学歴こそ素晴らしいが、どうにもこうにも、使い物にならない“ダメ社員”ばかりが送りこめられている部屋だそうだ。
「才能の墓場」。じつにうまい表現である。
悪妻とはどんな妻か
「もし君が良い妻を得るならば、君は非常に幸福になるだろう。もし君が悪い妻を持つなら、君は哲学者になるだろう」
自分が歴史に名だたる悪妻をもらってしまったから、ソクラテスは、こんなことを言ったというわけではあるまい。
良い妻をもらって本当に幸せであったら、「人生とは何!」なんて考えないだろう。やはり不幸な運命を嘆いている人のほうが、より深く考えるに違いない。
そこで、今日は、人類の役に立つ大哲学者を生み出す悪妻とはどんな妻なのか。そのイメージを描いてみた。夫はサラリーマン、妻は専業主婦とする。
〇朝、夫より遅く起き、自分だけ喫茶店のモーニングサービスで朝食をとる
〇子どもたちには鍵を持たせて、テニスやお稽古ごとに命をかける。
〇食卓に並ぶメニューは、冷凍食品ばかり。キッチンの戸棚には即席ラーメンが押し込んである
〇クレジットカードで買い物をするのが大好き
〇ボーナスが出る一ヶ月前には予算をほぼ消化している
〇全自動洗濯機のあとで、アイロンがけが上手くいかず、亭主のハンカチはいつもシワシワ
〇掃除機をかけるのは三、四日に一回、そのくせすぐに新しいジュウタンを買いたがる
〇子会社に出向になった亭主を慰めるのではなく「みっともなくて、ご近所には話せないわ」となじる
〇他人の亭主をすぐにうらやむ
〇亭主の誕生日はすぐ忘れるが、自分の誕生日を亭主が忘れると、無性に腹が立つ
〇亭主の出勤時間など無視して、マイホームの実現に向けて、チラシを読み漁る
これだけの条件をそろえておれば、あなたのご主人は、立派な哲学者になれるだろう。
ソクラテスは、こうも言っているのだ。
夢は夢らしく
主婦が老後にしたこと。
一位=世界一周の旅
二位=温泉巡り
三位=ボランティア活動
四位=習いごとの教室を開く
五位=マンション経営
こうやって見てみると、世界一周の旅という夢から、徐々に現実的になってくる。
年代別では、ボランティア活動と答えた五十代の主婦が43.1パーセントであるのに対して、二十代の主婦はわずか十五・一パーセント。習い事の教室を開くになると、五十代の主婦が二十パーセントと少なくなり、二十代の主婦が三十八・四パーセントと多くなる。
もちろん、マンション経営と答えた主婦の数も、年代が若くなるにしたがって多くなるのだ。
若い女の子たちが駅の売店で「疲れた」を連発しながら、強精剤を立ち飲みするというオジサン化現象があるのは、先刻ご紹介したが、彼女たちが結婚して主婦になると、老後に「マンション経営をしたい」と考えるようになるのだろうか。
働かずして、家賃が毎月毎月入ってくる。生活の心配はない。そのマンションの一室に自分も住んで、時々旅行して、月に一回くらいはグルメよろしくおいしいものを食べ歩き、あとは趣味でもやろうと考えているのだろうが、それではあまりにも思慮が足りない。
マンションを建てるまでの三十年とか四十年という長い間、食べたいものも食べず、遊びもせずに、貯金通帳の残高が増えることだけを楽しみにするような生活を送っていたら、一体何のために、生きているのか、分からなくなってしまう。
一生かかって、ようやくマンション完成の悲願がかなったとしても、そのときは美しいものを美しいと、楽しいものを楽しいと、純粋に受けとめる感性なんかなくなっているのではあるまいか。
どうせ見るなら、夢は夢らしくと言いたい。
つづく
4――男には理解できない女のしぐさ