カタカナ職業の説明文には、やたらカタカナが出てくるのだ。まあ、どの職業の説明を読んでも、説得力がない。どれもこれも、あるような、ないような、わけのわからないものに見えてしまう、しかし女性は、非常に現実的な考え方をするけれど、まったくその逆で、雰囲気だけで乗ってしまうところもある。 トップ画像 赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

3―仕事とは何かを考えて欲しい

本表紙女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著

ピンバラ「女性をばかにしている」 

「これから伸びる女性の仕事」というのがある週刊誌に載っていた。十七種類あるけれど、そろいもそろってすべてカタカナ。なかには、名前だけ聞いたらいったい何をする仕事なのか、さっぱり分からないものもある。

「ヒープ」がどんな職業なのか、説明を読んでもあいまいな印象だ。
 どうも消費者の声を聞いて歩いて、その情報を企業に提供するというものらしい。
「マーチャンダイザー」。これは商品の発注から販売まで、すべての責任を負うという職業ということで、あるデパートの無印商品を、女性マーチャンダイザーの成功例としてあげている。
 
 次に「グリーンコーディネーター」
 これは予想がつきやすい。案の定、プティックや喫茶店などのお店のイメージに合う植物をコーディネートする、という。

カタカナ職業の説明文には、やたらカタカナが出てくるのだ。
 まあ、どの職業の説明を読んでも、説得力がない。どれもこれも、あるような、ないような、わけのわからないものに見えてしまう
 しかし女性は、非常に現実的な考え方をするけれど、まったくその逆で、雰囲気だけで乗ってしまうところもある。
 カタカナの職業がとにかく好き! なんて言う女性もいるにちがいない。

 女性ばかにしている。少なくとも私はそう思う。
 男女雇用機会均等法なんて法律が施行されたけど、男は弱いくせに、女性の強さ、すごさを認めようとはしていない。
 いや、もしかすると全く逆で、仕事場をすでに浸食されはじめた弱い男の作戦なのかもしれない。

「私は仕事ができるんだから」

一冊数万円の超高級手帳が、キャリア・ウーマンと呼ばれる女たちのあいだで、静かなブームになっているという。

 仕事と家庭の両方をやりこなす多忙な彼女たちにとっては、機能性を徹底的に追及した英国製のこの手帳が、ものすごく便利だというのが理由らしい。

 革製でスケージュール表とか電話録など、好みに応じて自分で手帳の中身が決められる。もちろん高級革製品だから、毎年、手帳を新しく買い替えなくてもすむ。長持ちする。
 しかし、それに類似したもっと安い手帳もあることも事実。

 使い勝手が安物とは違うんだという意見もあろうが、そんなもの自分で工夫さえすれば、どうとでもなる。
 どうもこの手の話を聞くたびに、どうして女というのは、つまらない気取りをするのだろうと思ってしまう。

 一冊数万円というのは、機能性の良さを買う以上に、気取りを買っているとしか言いようがない。有能な仕事をできる男で、一冊数万円の手帳を持っている人間に、私はまだお目にかかったこともないし、そんな話も聞いたこともない。

「私は忙しいのよ」「仕事ができるんだから」と言わんばかりに、数万円手帳をチラつかせるのは、ある意味で女の特徴だろう。
女でありながら、私はふつうの女とはちがうのよ、というイヤラシサガ目につく。
 ふつうの女は、仕事に命を懸けない。すぐに結婚したがる。向上心がない。

「でも私はちがう。結婚しても働くわ。結婚して仕事ができなくなるなら結婚しませんわ」
 数万円の手帳は、そう叫んでいるように見えてしようがない。

走り出したウエートレス

新東京国際空港での出来事。
 知人の新聞記者が、新婚旅行から帰って来る妹夫婦を出迎えに行った。海外から帰国した旅行者は、税関だなんだと、飛行機が到着してからも時間がかかる。

 新聞記者は、空港内のレストランでお茶を飲みながら時間をつぶすことにした、彼が入った店は三階にあり、ちょうど一階の到着ロビーが見下ろせる位置にあった。
 突然「キャーッ」という黄色い大歓声があがった。それは、はっきりと一階の到着ロビーから聞こえてきた。新聞記者は、アイドル歌手でも帰って来たんだろうと一人納得していた。

 すると、一階の到着ロビーを見下ろせる低いガラス張りの窓際に五、六人の若い女の子が、一斉に走ってきた。静かな店内にバタバタという足音が響いた。
「しょうがねえガキどもだ」
 少し腹立たしげに、新聞記者は再びガラス張りの壁に目をやって驚いた。なんと、バタバタと走り寄ってきたのは、お客でなく、店のウエートレスたちであった。

 壁ぎわにくっつくように座っていた二人のお客さんの頭越しに、下を見下ろしながら、キャッ、キャッと喜んでいたという。店の従業員がやっているんだからとばかりに、今度は、客の若い女の子たちが走り寄ってくる。

 黒山のような人だかりの女に子たちの中からタレントの名前が店内に響き渡るや、ますます騒ぎはエスカレートする。そのうちに、ウエートレスが数人、そこから抜け出してきた。
 そのなかの一人が、こう言った。
「ねえ、下に見に行こうよ」
 ウエートレスたちは、エプロンを脱ぎ捨てて、客をほったらかして店を飛び出していったという。
 タレント大好き大いに結構。しかし、たとえアルバイトといえども、仕事とは何かを、そろそろ女たちも考えなければいけない。

いったい、女の幸福って何なの?

ある編集者が、新宿の小さなバーで頭を掻きむしりながら酒を飲んでいた。「何が何だかさっぱりわからん」と言う、話はこうだ。

 取材をした風俗ギャルの年齢は十八歳から二十一歳。なかには今年の春、高校を卒業したばかりの子もいたという。顔にはまだ、はっきりと幼さが残っている。
 にもかかわらず、いざ撮影となると、脱ぎっぷりが堂に入っていて、たじろぐどころか、モデル顔負けのポーズをニコニコしながらとってしまう。

 さらに驚いたのは、彼女たちの言葉遣いだった。さぞかし、ひどい言葉を使っているのかと思ったら、それがまるで見当違い。
 丁寧語、尊敬語を巧みに遣いわけ、そこらの女子大生よりも、はるかにきちんとした日本語を遣っていたという。

 彼女たちの収入は、一日に四万円から六万円。週に五日出勤すると、二十万円から三十万円の収入。月収にして八十万円から百万円ということになる。

 二十歳そこそこで超破格な収入を得て、一日に十人前後の男性を相手する彼女たちの金銭感覚、男性感覚はどんな風になってしまうのか。編集者氏はいろいろ尋ねたそうだが、納得のいく答えは何も得られなかったらしい。

 ただ、彼女たちは自分がそんな特別なことをしているという後ろめたさ、暗さがみじんもなかった。
 きちんとした言葉遣いに、裁けた明るさ、編編集者氏をさらに深い悩みに突き落としたのは、二十一歳の女の子の次の言葉だった。
 「私たちみたいな仕事をしていると、結婚で失敗しないと思うんです、男の人がどういうものなのか、ものすごく分かるんです」
 いったい、女の幸福って何なの? 彼は再び髪をかきむしった。

気になるOLの“オジン現象”

奇妙な現象が起こりつつある。OLの“オジン現象”だ。
 とにかく毎日疲れて、肩は凝る、駅のホームでしゃがみ込む。覇気がまるでない。
 ここで感心するのは“オバン現象”ではなく“オジン現象”といったところだ。

 何せいまや、オバサン族の元気のいいこと。カラオケバーを覗いても、パチンコ屋へ立ち寄っても、デパートのバーゲンセールを垣間見ても、至る所で嬉々としたオパサンたちを見かける。

 オバサンは、仕事をさせても有能だ。保健の外交なんて、並みの男では足元にも及ばない。成績が上がれば収入が増える。
 オバサンたちは増えたお金で、楽しむ術を身につけた。だから、ますます仕事が出来るようになる。

 それに引き換え、若いOLのさえないこと、つい二、三年前までは、元気の象徴だったのに、いったいどういうことだろう。
 駅のホームにしゃがみ込むというのはいただけない。若い女の子には不似合いの姿だし、やはり男として、美しくあって欲しいとおもうからだ。

“オジン現象”の原因かどうかは分からないが、気になるのは“財テクブーム”だ。若い女性向けの雑誌を見ても、株がいいの、信託が得だのと、お金をためるためのハウツウ記事がやけに目につく。

 財テクの記事が、聖子ちゃんの記事に次いで第二位の人気を集め、翌月には何と“株”の大特集。これまた大好評。
 貯金が悪いとは言わないけれど、若いうちからセッセと蓄財ひと筋。これでは、元気も無くなるにきまっている。

 ここはひとつ、オジン現象を改めて、オバサンの元気を見習ってはどうだろう。男女雇用機会均等法が施行された途端に出てきたOLの“オジン現象”。
 一にも早く“オバン現象”への移行を望みたい。

「自分の頭を使う」ということ

東京駅の百貨店のOL客を当て込んだ、栄養剤コーナー「エナージープール」が人気を呼んでいる。
 カフェバーのようなシャレた店内には、数百万円から三千円までの栄養ドリンクが用意され、
「肩が凝っているの」「ここんとこ残業続きでバテバテ」などという症状に応じて、適切なものを飲ませてくれるというものだ。

 案の定、この店に通い始めたのは、OLと中年のサラリーマン。オジサン化したOLと中年オジサンとは、まことに意見が合うようである。

 しかし、それにしても、一体全体、どうしてこんなになってしまったのだろう。仕事が面白くないから疲れるのか、まあ、面白くて、面白くてしょうがないという仕事なんてものは、世の中にはないわけで、男女平等は口先だけでと文句を言っても、オジサン化の歯止めにはなるまい。

 私は、自分の頭で考えるということをしなくなってしまったからではないと思っている。
 たとえつまらない仕事でも、どうしたらその仕事が楽しくなるのかを工夫をしたことがあるか。
 旅をするにも、パック旅行ではない。自分だけの冒険に満ち溢れた旅行子をしたことがあるか。
 美人も不美人も、みんなが「黒」の服ばかり着ているとき、個性的な色でファッションを楽しんだか。

 自分で考えて、あれやこれや工夫してやったときは絶対に疲れない。多少やりすぎにせよ、心地よい疲労感は残っても若いうちから栄養剤に頼るなんて事態にはならないはずだ。
 つまらないものを楽しくする。これがアイデア。栄養剤ばかり飲んでいると、すぐにシワクチャになってしまう。

汚い喫茶店

女がやっている汚い喫茶店
 喫茶店ひと言でいっても、規格化された大手のチェーン店から、街の片隅で細々とやっている小さな店まで、千差万別である。
 ちょっとしたカウンターがあって、テーブルがせいぜい五つか六つくらい、しかも店のマスターとかママが、その店のオーナーである場合だと、オーナーの人間性が店の資質やサービスに、はっきりと現れてくる。

そういう店ばかり選んで横並びに比較していた友人の話だと、店のなかが雑然として掃除も行き届いていないのは、なぜかオーナーが女で、従業員もすべて女という店がじつに多かったそうだ。そういう店の女たちは、暇になると、すぐにイスに座って、お客そっちのけでおしゃべりに夢中になる。

 カラにになったコップに水を入れに来ない。灰皿の交換も来ない。ひどい女になると、山盛りの灰皿から吸殻を捨てただけで、洗いもしないでその灰皿を客に出す、掃除もしないのなんて当たり前だ。店内の空気が汚れているかどうかなんて、おかまいなしである。

 そこで彼女たちの生活を想像してみるともゾッとする。まかり間違っても、きれい好きな男は、汚い喫茶店のウエートレスを嫁さんにしてはいけない、と友人は真剣に言う。疲れて会社から帰ってきたあとに、家の掃除をしなければならない事態に見舞われるだろうと・・‥。

 ただ、面白いのは、汚い喫茶店の女たちほど思い思いに、派手な服を着ていることだ。
 また、化粧が厚いという共通点もある。自分を奇麗に見せかけることは長けているのだから、どうそのあたりの感覚が理解しにくい。

 それにしても、男だけでやっている喫茶店は、なぜかじつに清潔な店が多いと、友人は不思議がるのである。

余った時間の使い方

ある調査によると、主婦が一番嫌いになる家事の第一位は、「食事の後かたずけ」だそうである。それを反映してか、自動食器洗い機の売れ行きが好調らしい。いままでは自動食器洗い機の値段が高かったこと、配管工事が必要だったことから売れ行きがいま一つ。それが値段が十万円を切り、配管工事も不要となったとたんに、ググッと売れてきた。

 人間腹が膨れれば、腰が重くなってくる。脂がこってりとこびりついた食器が、いつの間にかピッカピッカになっていたとしたら、主婦にとって、これほどありがたいことはない。旦那さんや子どもたちにとっても、幸福をもたらす。

 後かたずけ嫌いの主婦が、イヤイヤ手抜きして洗ったために、どことなく汚れがまだ残っているような食器で翌朝食事をするよりも、機械に任せておいた方が、どれほど爽やかな朝を向かい入れたかわかったものではない。

 しかし問題は“時間”である。余った時間をどう使うかだ。カネさえかければ、主婦はあらゆる家事から解放される世の中だ。全自動洗濯機のタイマーつき、夜、洗濯物を放り込んでおいて翌朝目を覚ますと、洗濯出来上がり。干すのが一苦労だが、乾燥機がある。アイロンがけの必要なものは、すべて洗濯屋行き、なかにはパンツも洗濯屋という主婦も、まれにいるらしい。

 包丁のない家庭も少なくないというから料理はすべて出来合いもの、または冷凍食品。最近はキャベツの千切りまで売っているのだから驚く。
 専業主婦は、その気になれば、暇になれる時代である。さて、そこで何をするのかだ。暇にまかせて教育の名のもとに子どもにまとわりつくことは良くない。あるいは不倫という手もあるが、不慣れな主婦だと家庭崩壊の危険もある。さてさて、何をしたらよいものか!

「食べるのは好きだけど料理はだめ」

日本に入港してくる外国船相手に、船員の日用品など販売していた小さな会社が横浜の倉庫街に、輸入食品を販売する店をオープンした。外国製のチーズとかハム、それに缶詰などが店内に所狭しと並んでいるのだが、この店を訪れるお客さんの半分は外人客。食料品ということで、日本人も外人もお客さんのほとんどが女だ。

 聞くところによると、日本人と外人では買い物をするスタイルがまったく違うらしい。まず一度に使うお金額がちがう。外人はまとめ買いする習慣があるせいか。いっぺんに二万円とか三万円とか、万単位で買っていくらしいが、日本人は数千円止まりとか、しかし、これは習慣のちがいだから仕方あるまい。日本の女たちが近所のスパーに毎日買い物に出かけることから考えても、買い物が小刻みにならざるを得ない。

 だが外人と日本人との決定的な違いは、買い物の中身である。外人は、手間暇かけて、じっくりと料理をしなければならないようなものを数多く買っていくのに対して、日本人女性客は、圧倒的に「すぐ食べられる」ものばかりを買っていくという。

この店を訪れる日本人女性がすべて共働きで、料理を楽しむ時間的余裕などないというはずもないだろうに、どうしたわけか、こういう結果になっているのだ。どうも最近の日本の女というものは、ものを作る楽しさというのを知らないようだ。

 早い話、創造力が貧困になってきたのではないだろうか。腕のいいコックはすべて男だし、コンピュータゲームのソフトを作るのも、男が多い。
「あたし食べるのは好きだけど、料理はだめ」
 などと言ってはいけない。
「あたし食い意地ははってるけど、創造力はまるでないの」
 と世に公言しているようなものだから。
 つづく 中身のない女はすぐ飽きられる