
女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=
11――他人を自分鏡にできる人に 男の見る目、同性の見る目
「美というものは、まったくの奇跡を生み出すものである。美しい女の持つ精神的欠陥は、嫌悪の情をもよおさせるかわりに、何か非常に魅力的なものとなる」
だから美しい女はずいぶん得をしている。頭が悪くて背が低ければ、「あの子はコケティッシュだ」と言われ、ちょっと大学を卒業していれば、それだけで「才女」と絶賛される。
親がどこの社長をでもやっていようなものなら、「やはりお嬢さまは育ちが違う」と珍重される。ただ酒やただでご馳走になるのがお好きなだけでも、周囲の男たちからは、「あの子は付き合いがいい」と喜ばれ、カラオケを歌えば、元気がいいだけで「うまい」と声がかかる。とにかく得な存在である。
しかしこれは男の馬鹿さ加減によるものであって、女の能力によって生じることではない。
だか、女のすごいところは、そうやって、誉められているうちに、いつのまにか自分自身でも、
「本当に私はお嬢さんなんだ」、「カラオケが上手いんだ」し思い込んでしまえる能力に恵まれていることである。
誉めれば、誉めるほど女はその気になっていく。精神的な欠陥なんて何のその、誉め言葉だけで楽しく人生を送っていくことが出来る。
しかしこれはあくまでも、男の関係の中での話で、女同士となると評価は一転することが多い。美しいだけで他の精神的な素晴らしさが否定されてしまったりする。
本当に性格が良く、誰かれの別なく愛想よく振る舞えば美女は、「いつも男に色目をつかっている」と思わぬ陰口をたたかれ、会社に二日続けて同じ服を着ていけば「昨日はどこに泊まったの」と嫌味を言われる。
美女か美女であることによって得られるさまざまなメリットは、女同士の嫉妬の嵐にちょうど釣り合っているようである。
嫌われた文字通りの“才女”
成績優秀、見た目麗しく、ワープロを自由自在に駆使できる女性が、ある企業の入社試験にやってきた。
面接の態度もすこぶる良い。質問にも適切に語尾もしっかりハキハキ答えた。才女である。
最近では、不美人で本を出したり数多くテレビ出演する女のことを“才女”と呼ぶらしいが‥‥。
入社試験を受けた彼女は、文字通りの才女であった。いっしょに受験した誰もが彼女は別格、初めから合格して当たり前という印象を抱いた。
ところがあにはからんや、彼女のもとに届いたのは不合格通知。
人事部でもめにもめた結果の不合格、理由は社風に合わないということらしいが、要するにその会社の女子社員たちと上手くやっていけないだろう言うことだった。仕事をやらせれば何をやっても抜群に良くできることが、はっきりしすぎたのだ。
村八分にされたのでは、彼女自身がかわいそう。それに女子社員全体の勢力バランスがこれ以上崩れたら、会社としてもマイナスになってしまうと言うのである。
ルイ十四世が、こんなことを言っている。
「二人の女性を和合させるより、むしろヨーロッパを和合させるほうが容易であろう」
なるほど企業の人事部には、この思想が脈々と流れ続けているということか。この世の中に、女の嫉妬ほど手の付けられないものはない。
これに恋愛感情が絡んでくると事態はさらに悪化、もう最悪である。
手がつけられないどころか、緊急避難の必要が生じてくる。逃げるしかない。
男を媒介した嫉妬の嵐は、一体どこから吹きつけてくるのだろう。名言がある。
「嫉妬のなかには愛よりも自惚れが一層強く入ってくる」
なるほどと思うけれど、ちょっと待てよ。
結局、女にとって男はどうでもいいということになりはしまいか!
世の中で一番派閥が好きなのは女
春の風物視となった新人社員と先輩社員の得意先回り風景。濃紺のスーツに白いワイシャツ、えんじのネクタイを苦しそうに締めた新米社員を、疲れ切った中堅社員が連れて歩く。
「いいか、社会人は学生とは違うんだぞ。学生ってのは恵まれた存在なんだ。甘いんだよ。これからは自立しなきゃだめだ。
お前は営業三課のお荷物なんだから、そこんとこよく理解しろよ!」
腹の中ではアクビをしながらも、真顔で頷く新米社員。先輩社員が一生懸命に先輩かぜを吹かせば吹かすほど、滑稽に見えてくるから面白い。
まあ、どちらも割り切って強がったり、従順ぶったりしているから、二、三ヶ月もすれば、お互い仲良くしましょうってな具合になりそうだ。
ところが女子社員は、そうはいかない、世の中で、一番派閥が好きなのは、政治家ではなくて女だ。
女子社員の多い会社は、必ず派閥がある。三人寄れば二つの派閥。
新入社員の獲得で、その年の過ごしやすさが決まってしまう。美人を嫌う女ボス。ブリッ子を見ると横面を張りたくなるボス。ボスの好みが派閥の色を決めるから、とにかく新入女子社員も、うかつに派閥の選択はできないのだ。
入社早々、意地悪女に泣かされた経験を持つ女の子は多いはずだ。
男と違って、女のイジメはジワジワとしつこくて陰険である。
人間には本来、残酷にエクスタシーを感じる異常性が潜んでいるが、この残虐性が、ごくまれに出るのが男。
ちょっとしたきっかけで日常的に顔を出すのが女のほうである。
しかし逆に一度気にいられれば、面倒見の良さは女の方である。
新米女子社員の運命は桜の散るころには、おぼろげながら決まっている。
流れは「容姿端麗」から「不美人」へ
デパートの化粧品売り場を見ていると、じつに飽きないものだ。溜め息が出るほど面白い。
ちょっと前までは、化粧品売り場で働いている女たちは、一分の隙もなくビシッと化粧をした美人と相場か決まっていた。背もすらりと高く、あそこの化粧品を買えば、あたしもあんなふうになれるかしら。と非現実的な期待を抱かさせるような女たちが化粧品を売っていた。
ところが最近は、化粧品会社も戦術を変えたらしい。スチュワーデスの採用基準が「容姿端麗」から「体力重視」へと変わったように、化粧品売り場にも、場違いなムードを漂わせる「体力派」が登場し始めたようである。
デパートの化粧品売り場には、いろんなメーカーがひしめき合っているわけだが。女性客の人気は、メーカーによって極端にちがっている。
かたや閑古鳥、かたやテンヤワンヤの大騒ぎといた具合だ。なかでも、もっとも女性客を集めているのが、外国メーカーのK社。断トツの人気だ。
ところが、化粧品売り場の売り子嬢で美人コンテストをやったら、K社から上位入賞者が出ることは、間違ってもないだろう。
もしかしたら、このメーカーは「身長百六十cm以上の美人は絶対に採用してはいけない」という採用基準があるのではないかと思えるほど、美人のいない売り場構成になっているのだ。
だか、この不美人集団に、女性客が大挙して男のトイレになだれ込むシーンのように押し寄せる。もちろん、化粧品自体に人気があるのだろうが、この不美人作戦も見逃せない。
売り子嬢は「不美人だが、肌はキレイ」。こんな採用基準にすれば、女性客は劣等感を抱かずに、期待感だけで化粧品を買うことが出来るのである。
女は三つの目を持っている
女は三つの目を持っている。まず指先の布地に対する目。後頭部には、ヘアスタイルに対する目を。そして三番目に頭全体に自分以外のすべての女に対する目を持っている。
指先の目は布地以外にも役に立つ。女はとにかくモノに触りたがる。女が男を好きになると、その男の洋服や腕にやたらと触りはじめる。
その反対に、嫌いな男に対しては、触らないだけでなく、その男の吐く息が届く範囲に留まるだけでも気分が悪くなる。
女がその男に気があるかないかは、指先の目に注意していれば、案外とわかってしまう。バーの止まり木で酒を飲んでいるときに、ときどき、ハッとするような美人でもないのに、とてもきれいに見える女に出合うことがある。
目を凝らしてよく見ると、どうということのない平凡な顔つきだ。そういうときには、きまって「手」がきれいなのである。
白くしなやかに伸びた女の指先は、男を魅了する妙な輝きを放つのである。
女が後頭部にも目をもっているというのも、たしかにある。街を歩いても、男と女ではヘアースタイルの決まり方がちがう。
ショートでもロングでも、おしゃれな女は文字通り、一糸乱れぬ美しさを髪に漂わせている。後ろに目がなければ。そんなことはできるはずがない。
指先と後頭部の目は、女の美しさにとってかけがえのない目である。ところが、残念なことに、この二つの目は、時とともに退化しはじめるのだ。結婚すると指先の目が、子どもが生まれると後頭部の目が、閉じてしまう。
そして死ぬまで生き残るのが、第三の目だ。頭全体を履うその目は、年齢とともに眼光鋭くなり、女の頭に嫉妬の嵐が吹き荒れるのである。
つづく
「したいけど、できない」