
女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=
「わが家の恥なの」「太ってるでしょ、顔は悪いでしょ、わが家の恥なの」
とても感じのいい、いかにもお嬢さま育ちの若い奥さんが、近所の奥様相手に話をしていた。
いったい誰が「わが家の恥」なのかというと、この奥さんの旦那さんのことなのである。恥ずかしいほどの男なら、一体なんで結婚したのかと言いたくもなるが、まあ、よほど性格がいいのだろうと解釈するほかあるまい。
この奥様は、正真正銘のお嬢さまである。実家は裕福そのもの。父親が持っている都内の高級マンションがいくつもあり、結婚してからも、そこで暮らしている分には家賃もいらないし、固定資産税も払う必要もない。
旦那さんは「太っていて、顔も悪い」が、まあ、悠悠自適の生活ぶりである。しかし、よく話を聞いてみると、あまりにも豊かなのだ。旦那さんの給料では、とうていできるはずのないような生活をしている。早い話が、彼女の持参金がよほど多額だったのか、実家から相当の援助が来ているのかというわけだ。
こうなると、旦那さんの月給はどうでもよくなる。一ヶ月の月給を旦那さんが一人で全部使ってしまっても、生活に困らない。考えてみると、これほど悲惨なことはない。亭主は生活費を稼いでくるからこそ、たとえちっぽけとはいえ、それなりの威厳を家庭の中で保てるのに、給料は、どうぞご自由にと言われたが最後、あとはコケにされるばかりである。
こうやって考えてくると「太っているでしょ、顔は悪いし、わが家の恥なの」という言葉が、やけに生々しく感じられてくるではないか。女は男以上にカネの好きな生き物である。しかしカネはいらないとなったら、次は何を望むのだろう?
何でも「素敵ね」
「いやあ、化粧と香水のにおいで、花の香りなんか吹っ飛んでいましたよ」
デパートで開かれた生け花の展覧会を見に行ってきた若手の漫画家が、開口一番、そう言っていた。
とにかく狭い会場中が女、女、女。そのほとんどが中年のオバサン族だったという。
派手な柄のワンピース姿があちこちで徒党を組んで、カメラ片手にワーワーキャーキャー。とても花を観賞する雰囲気になれなかったという。
自分たちのお師匠さんが出品した作品を見つけるや「あれよ、あれよ」と指さしながら走り出す一団、ゆっくりと少し距離を置いて花を観賞している人の前に、平気でふさがっておしゃべりを続ける一団。人とぶつかっても知らんぷりして先を行く一団。
中年オバサンの団体ほど、身勝手でマナーをわきまえぬものはない。しかも文化を理解できずに、文化の香りにだけ浸りたがる人種だ、と彼は怒りをぶちまけていた。
彼は途中から花を観賞するのを止めて、オバサンを観賞することにしたという。
その結果、文化を解せず、文化を日々の社交の場、あるいは自分を高級な人間に見せかけたがる女の外見上の特性を発見したという。
まず、厚化粧。いかに昨日美容院に行ってきましたという髪型。派手な柄のワンピースふりかけている。
等々の共通点をあげたけど、その中でなるほどとうなずけるものは次のことであった。
「何を見ても『素敵ね』としか言えないんですよ。その他の表現がまるでできない。みんな『素敵ね』でかたづけちゃうんですからね。
花を見る前に国語をやった方がいいんじゃないですかね」
電車のなかで集団おしゃべり
電車の中で、あたりかまわず大声をあげる女がいる。女子高校生が、四、五人笑い講じながら歩いたりすると、それはもう大騒ぎで、何を言ってもおかしくてしょうがないと言った風に大声で喋りまくっている。
しかし、多少、耳の痛いのを我慢すれば、何とも平和な光景で、それはそれで許せなくはない。
ところが、同じように四、五人の中年女の集団になると、状況は一変する。彼女たちが、大声で話し始めると、耳が痛いだけでは済まされない。頭まで痛くなってくるのだ。
なぜかというと、中年女が寄り集まると、きまって誰かの悪口を言いだすからだ。狭い電車のなかで、大声を上げているから、聞きたくなくても、否応なくこちらの耳に飛び込んでくる。
お花の展覧会か、お食事会か、はたまた観劇なのか、何が目的なのかは定かではないが、近ごろの奥様族は小集団でお出かけするのがお好きなようで、電車のなかでよく出くわすのだ。
彼女たちは、その場にいない第三者の悪口を共有することに、明らかに快感を感じている。それは表情にも、声のトーンにもはっきりと表れる。
よく観察していくと、初めのうちは、みんな大声を上げて、笑い飛ばしているが、次第に、声が小さくなっていくのが分かる。これはどういうことかと言うと、初めのうちは、悪口といっても、笑い飛ばせる類のもので、それほど悪意はない。ところが、悪口を言っている間に、女は興奮しはじめるのだ。
その結果、次第に悪意に満ちはじめ、声が小さくなり、他人に聞かせられないような、辛辣な悪口へと変わっていくというのである。
「女は愛すとか、さもなければ憎む」
サイランスの言葉である。
言うことだけが立派
サラ―リマンが集まる飲み屋と、主婦がたむろするお昼の喫茶店、あるいはファミリーレストランにはどこか似た雰囲気が漂っている。
主婦の小集団が店内のあちこちで、上司ならぬ共通の知り合い、たとえばPTAでいっしょのオバサンなどの悪口を言い合っている。
どの集団にも、必ずボス的存在のオバサンと、目立たず、ただその場にいて何事にも、フンフンとうなずいているだけのオバサンがいる。そして、その中間的オバサン。
ボスオバサンは、すぐに演説をぶち、時には説教までしてしまう。権力者の貫禄を持っている。見た目には、二つのタイプに分かれる。
まるで化粧せず、太っているタイプ。腕力がいかにもありそう。
もう一つのタイプは、厚化粧で派手な服を好む。これは肥満もいれば、やせぎすもいるので体型的には幅広い。
どちらも、じつにいいことを言う。人間はこうあるべきだと確信を持って話すその姿は、じつに美しいはずなのだが、ちっとも美しくない。むしろ不快である。
なぜかというと、話の中身が一番実行できていなそうに見えてしまうからだ。
仕事のできないサラ―リマンにかぎって、会社経営は、こうあるべきなんだとか、うちの社長は人の心がまったくつかめていないなどと飲み屋で大声を上げる。それと実によく似ている。
ただサラリーマンの場合は、説教好きのオジサンがきまって肥満だとか、見苦しいとかいうことはなく、見た目は千差万別だ。
オスカー・ワイルドは。よく言った。
「説教する男は一般に偽善者だし、説教する女は、必ず不器量である」
おしゃべりで失敗しないための五つの注意
人間関係というのは、たいへんむずかしいものである。ましてや男と女の関係になると、なおさらである。
相手の気持ちを何とかこちらに向けさせようと思っても、なかなか思うように運ばない。だが相手に嫌気を起こさせる術はある。ボルテールの言葉だ。
「うんざりさせるための秘訣は、何でもかんでも喋ることである」
おしゃべりにはお金がかからないせいか、女たちは、とにかく昼も夜も、時と場所を選ばずに、よく喋る。
そしてほとんどの女は、何でもかんでも喋ることが、いかに男をうんざりさせるかについて考えたことなんてないのである。
話をするということは、本来は頭の運動なのだが、うっかりすると舌の運動だけになってしまう。良いことを言う人がいる。
「多量の舌(饒舌)と多量の判断とは判断は滅多にしか並行しない」
牛乳ビンだって、中身の入っていないときのほうが、叩けば大きな音がするではないか。
もちろん、どうでもいい男にうんざりさせられたって、女たちが口を開く回数を減らすはずもない。だが日頃の喋り癖が、いつ何どき最愛の男を失わせる原因になるかもしれないのである。
そこで今日はおしゃべりな女たちに、大好きなおしゃべりで失敗せぬよう貴重なアドバイスをご紹介しよう。
「うつかり口をすべらしたくないというのであったら、次の五つのことを注意深く考えよ。
○1君のしゃべっている相手は誰か
○2君は誰について喋っているか
○3どんなふうに
○4どんなときに
○5どんな場所で喋っているのかを」
W・E・ノリスの言葉である。
つづく
11――他人を自分鏡にできる人に