
女29歳は生き方微妙どき はらたいら =著=
10――そのひと言が嫌われる
見えない、聞かない、しゃべりすぎ
手に負えない女、町の人には愛想が良く、教会では信心深く、家の中では鬼のような女。
何かの本でこんな記述があった。
そこで考えた、はらたいら流の手に負えぬ女の定義とは、目と耳をふさいで口だけあけている女、この定義は我ながらなかなかのもとだと自負している。
だってもしこんな女が存在したら、これは相当に手強いはずだ。
客観的な事実、社会の流れをとにかく見ない、第三者の意見、友人の意見、友人の忠告は全て聞かない。
それでいて、文句ばかりは天下一品。
この見ない、聞かない、文句を言う女に対して、男は一体どんな対抗手段を講じることができるのだろうか。
その女の非を責めても、説得工作に乗り出しても聞かないのだから、効果は何も期待できない。いい女を見せつければ、少しは変わるかと思っても、見ないのだから、どうしょうもない。
自分の頭のなかにあるものだけを信じて、すべてそれを基準に動き、文句を言う。
まったくのお手上げである。
しかしこままでは男として耐え難い。何とか腹の虫を押さえ、留飲を下げる方法はないものか。
そんなことを思いあぐねていた時に、ある言葉にぶつかった。
「女は一分ごとに歳をとっていく」
これだ。
女は歳を取ることをもっとも恐れる。相手が聞こうが聞くまいが、シワの一本一本を目の前で数えてやればいい。一時間に60本、一日に1440本もの仕返しができる。
実に妙案‥‥だが、あまりにも根暗な方法である。それでは、次の手段を考え始めてしまうわけだが、やはり勝ち目はないのだろうか。
外ヅラのいい奥さんと別れた旦那は悲劇である。誰もが「あんないい奥さんを‥‥」と世間の非難を一斉に受けてしまう。
もしそこで奥さんが「悪いのは私です」とやったら、対抗手段はもうこの世には存在しない。
中身のない喫茶店会話
東京の、とある無名女子大生三人の喫茶店での会話である。
「暇ね、なんか運動しない」
「テニスやろうか」
「コート借りられる? 難しわよ」
「じゃ、水泳がいいわ。泳ごう泳ごう」
「どこに行こうか。ホテルのプールがいい」
「でも、料金が高いわよ」
「それならさ、どこかのスポーツクラブがいいんじゃない。原宿あたりの」
「そうね、いつも何やろうか話してばかりだからさ、スポーツクラブの会員になっちゃえばいいんじゃない」
「うん、私も賛成」
「でも、原宿のクラブなんて入会金だけで何十万円もかかるわよ」
「エッ、そんなにするの」
「千葉に、入会金五万円のクラブがあるけど」
「千葉じゃねえ」
「原宿とえらい差だわ」
「どうせ泳ぐなら、かっこよく泳ぎたいじゃん」
「じゃ、アルバイトでもする?」
「まずは、お金だからね」
「あたし、ハウスマヌカンがいいな」
という調子で、彼女たちの話し合いは、どこでアルバイトをするかで、再び頓挫、何も決まらずじまいで、赤坂の喫茶店を出て行ったのである。
毎日、こんな話ばかりしているのだろか! ブランド大好き。行動力なし。女子大生の身分大好き。勉強意欲無し。旅行大好き。コンプレックスあり。情報誌大好き。思慮なし。スポーツ大好き。その能力なし。
そんな印象ばかりが、目立つ女の子たちだった。
「あなただけに言うのよ」
古代心は、太陽に手を合わせた。海と大地の恵みに感謝し、人間の力をはるかに超越した自然の力に、神を感じていたのである。
やがて彼らは、自然ばかりでなく、女体を崇め始める。考えてみれば、子どもを産むなんてことは、異常なことであり、古代の男たちが子宮の果てに神を見たとしても、なんら不思議はない。無から有を生じさせる子宮。
“ああ、偉大なる女たちに感謝”。
子宮の機能が出産だけにかぎられていれば、男たちはひたすら女性を尊敬するところだが、この子宮というやつは、あまりにも影響力が強く、女体のあちこちにそれらしい特性を発揮してしまうからいけない。
たとえば、女の口。典型的な例である。
「話題に困ったとき、友だちの秘密を暴露しない女は、まれである」
女の口の暴露癖は、あきらかに子宮の影響を受けている。
話題に困った女が「ところでさあ」と言ったら、まず間違いなく誰かの秘密を語り始める、そのときは決まってこう言う。
「あなただけに言うのよ」
いったい何人に、これを繰り返したかわかっものではない。
また、どこでそんな情報をつかんできたのか、友だちの事、上司の事、同僚の事など、とにかくよく知っている。一度入れた秘密は、出さねばならぬという信号が、子宮から発せられているに違いない。
男は話題に困ったからと言って、日罪暴露はやらない。サラリーマンなら、たいがいは仕事の話、新聞の三面記事や政治らんからあたりの話でお茶を濁す。
二人、三人で弾んでいた会話がピタリとやんだときの、あの何とも言えぬ白けた空気。その瞬間に、子宮が軽い痙攣でも起こすのだろうか。
今日もまた、日本のあちこちで「とこでさあ」が連発されている。
「ウワーッ、美味しい」
のれんをくぐった瞬間、髪を短く刈った精悍(せいかん)な顔が「いらっしゃい」と、威勢のいい声をかけてくる。
これが日本の寿司屋のイメージである。
ニューヨークのように女の板さんが寿司を握るということはめったにない。そもそも女の体温は男より平均して高い。
だから新鮮なネタが痛むから、女は寿司屋には向かないという。
しかし冷凍魚ばかりの昨今では、そこまで神経を使う必要もあるまい。気の弱いピーターパンの男より、むしろ若い女の子のほうが威勢が良くて、よほど寿司屋らしいかもしれない。
しかし寿司屋に限らず、こと料理に関しては男の方が女より勝っている。
世に一流と言われる板前やシェフは、きまって男である。嗅覚では負けても味覚で勝つ。
いずれ家庭でも、男が専門に料理を作る日がやって来るのではあるまいか。男と女の職分が初めから決まっているわけでないのだから‥‥。
事実、赤道直下では、女が狩猟に出かけ、男が化粧して炊事をする島もある。
さて、女の味覚を鈍らせている原因は何であろうか。
ズバリ、喋りすぎだ。料理上手になるためには、美味しいものをたくさん食べ歩けというけれど、ただ食べているだけでは腕前は上がらない。
最近のOLは適当に裕福で、適当に暇があるから、食生活はずいぶん贅沢だが、「ウワーッ、美味しい」で終わってしまう。あとは口を動かしながら彼氏の話かファッションの話。何も考えない。
「このスパイス何かしら?」
がない。
いざ結婚となるとあわてて料理学校へ飛んでゆく。だから“ワタシ流”の料理が作れない。
「くれぐれも、喋りすぎには御用心を?」
じっくり味わい考えながら食べることも、時には必要である。料理は頭で作るものだから‥‥。
“料理が作れるのに作らない女は最悪。料理が作れないのに、作りたがる女”。
食べるほうの身になってもらいたい。
つづく
「わが家の恥なの」