男からすれば、まったく奇妙な人生が始まったのは。
それは、格好悪くて、恥ずかしくて、惨めで、なおかつ心の底から突き上げてくる不思議な拒否反応。そして、自分自身への不安がとめどとなく溢れてくるものだった。
それらに悩まされつつ、フェミニズムと仲良く生きている男、どうにかこうにかたどりついた。
そこには、「自分らしさ」という個性を活かした、他者との共存の世界があった。
従来もっていた家族観は、夫が家族を養い、安定とやすらぎをもたらし、妻は家にいて家族の太陽のような存在になる――そんなものでした。そしてそれは見直す必要のない普遍的なもので、それで家族は幸せになれると信じていました。 しかし意外なことに、妻はそれがしんどいというのです。
―フェミニストカウンセラーのとぼけた生活
あぜん。開いた口がふさがらない。瞬時、時が止まった…。とそんな思いにかられたのがもう五、六年も前のこと、それは今も鮮明に脳裏に焼き付いています。これまで書いてきたように、私はままならぬ妻に悩まされ、フェミニズムはこりごりだったのですが、それにもまして、とぼけた話がありました。
世の中にはこんなことがあってもいいのか、俺はもう知らん、と叫びたくなったものです。
このぐらいフェミニズムを理解していたら、もう驚かされることもあるまい、と自負していた。そうです、なんだかんだと言っても、私もけっこう妻やフェミニズムには理解も示していたのです。
――ホレた女の過去を知りたくなるわけ
新婚といえば、男が一度は通る道、そう、ヤキモチです。強弱の差こそあれ、新妻の過去を知りたいと、勝手に想像してしまうのは、たぶん私一人ではないでしょう。このヤキモチという厄介なシロモノに取りつかれてしまったのです。そして、もう少しの所で彼女に逃げられるところでした。
のぼせ上がっていた自分の姿、それが見えた瞬間でした。
四年ほど前のこと。フェミニズムはすごい、と知れば知るほどそう思えた私は、それまでの「男らしさ」を極力取り払おうとしていた。それが自分のできることの最たるものだと。
恋愛の末の結婚、先ずはめでたし、めでたし。ところが数年も経たないうちに妻の様子が違ってきました。家事と育児だけでは満たされないという――なるほどと思いました。将来がきまりきっていれば誰しも一抹の寂しさを感じるでしょう。それである程度の理解を示したのです。それで満足とまではいかないまでも平穏な生活は保たれるだろうと。
その頃には、フェミニストというのは、生きている基盤そのものが違う、とおぼろげながら感じていました。それは私の住んでいる社会では理解できない何かのような、不思議な感覚のもの。当時は何なのか、はっきりしなかったのですが、やがて私の意識の中に形となって具現化しました。それからは彼女のことも、彼女との関係性も非常によく理解できるようになりました。
最近、話題になっているドメスティックバイオレンス(略してDV)、これは「夫、恋人からの暴力」という意味で、親密な関係のある人からの暴力の事です。新しい言葉ですが、今に始まったことでなく、また特に増えてきたものでもありません。昔から一杯あったものだと思います。それまで、陰湿に家庭内で繰り返されていた暴力を、被害者である女性たちが「もう許せない」と語り始めたのです。それは、暴力に苦しんでいる女性たちの「苦しみ、恐怖、そして怒りの入り混じった悲痛な叫び」です。
じゃあ、まだ私のなかにフェミニズムへの認識がほとんどないといってもおかしくない頃に、どうしてもあったDVを生み出す感情が消えていったのか、それを振り返って見たいと思います。
結婚から約一年後、あの頃はどうしても自分の心が納まりませんでした。彼女が「一人の女性」から「私の妻」という存在に変わったのが大きな理由です。妻という存在になった途端に彼女への認識が一変しました。それが「妻の過去まで私のものだ」という思いを呼び込んでしまった理由です。そして後は想像の世界を駆けめぐっていました。〈もしかして、俺のユキが誰かとセックスを‥‥〉云々です。許せなかったのです。私が全身全霊をかけて愛する女が‥‥。頭ではそんな無茶なこと、と分かってはいたのですが、私のイメージする妻像とは違っていたことが大きな要因となったのだと思います。
もうかなり昔になりますが、妻とこのことで話し合ったことはが何度かあります。そう、妻がカウンセリングを始めた(1987年頃)のこと、つまり私がフェミニズムと向き合って生きるようになった頃ですが、再現してみますと・・‥。
「わたしは自分の行動や言動を正当化しようつていう気持ち、ないよあんまり」
「ああそう――でも、そういうもんちゃうの? 人間て」