私とお客さんと二人きりになっちゃったのね。でも何をしたらいいかわからないから、他の席のところを見たの。男の人の股の間に女の人が顔をうずめているから、何だろうって思ったんだけど、男の人の表情を見て「えーっ!?」って気づいちゃって。 トップ画像

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第八 「後悔してないんだけど、お客に体を触れられる度に母親の声が聞きたくなるの」

本表紙 酒井あゆみ 著

後悔してないんだけど、お客に体を触れられる度に母親の声が聞きたくなるの

 三橋 由佳 32歳/福井県出身
 大手電機メーカーに勤めるかたわら、新宿のピンクサロンに勤める。身長168センチという長身に、バストとヒップ100センチを超えるグラマーな体型なのに、猫背のせいか、とても小さく見える。肩まで伸びたボブカット、茶色のジャンバースカートに白いタートルネックという、少女のような出で立ちで現れた。昼の月収、手取り14万。夜の収入、月に30万ぐらい。

 私、「すいません」が口癖なんです。なんでか分からないけど、いつの間にかそうなっちゃってたの。道を歩いていて、相手の方からぶつかってきても「すいません」。コンビニでお釣りをもらうときも「すいません」って言っちゃう。

 でもね、昔に比べたら、これでも随分人と話せるようになったんだよ。小さい頃なんか親としか喋れなかったもん。親戚の人が家に来ても奥の方に隠れちゃって、喋れなかった。学校でもそう。周りにいる子たちと、どうしても自分から喋れられなくって。だからといって、仲間外れにされたり、イジメられたりはしなかったなあ。たぶんイジメるほど存在感がある子じゃなかったんじゃないかな。

 あとひとつ、イジメられなかった理由で思いつくのは、お父さんが小学校一年生のときに、急に死んじゃったことかな。詳しくは全部覚えていないんだけど、お父さんって大工してたのね。それである日、仕事中に木を切る機械に体が巻き込まれて、救急車で病院に運ばれて、その日のうちに死んじゃった。お母さんが電話を受けて飛んで出ていったのだけはよく覚えている。

 それで細かいところはぜんぜん覚えていないけど、ワァーッと葬式やなんだかんだになって、お父さんにはもう会えないんだっていう悲しさと、いっぱいの人の中にいさせられて恥ずかしいという気持ちがゴチャゴチャになって困ってた。

 でもそんなせわしい日々がやっと終わって、学校に行けるようになったとき、お母さんがクラスのみんなに一ダースの鉛筆を配ったことは、鮮明に覚えている。たぶん、先生からお父さんのこと、みんなに話しただろうし、みんなも幼いながらに、その鉛筆の意味が分かってみたいで、もらうときもあんまり嬉しそうな顔じゃなかったように見えた。

 そのときの友達にすごく感謝していることといったら、私のお父さんが死んだからって、私に気を遣わなかったこと。たぶんあのとき、片親になった私に、みんなが同情して余計な気を使ったら、私は今も人と喋れなくって、対人恐怖症にでもなったと思う。

 それから不思議と友達の誕生日とか誘われたり、話ができるようなグループができ始めたりと、どんどん自分の存在がみんなに分かってもらえるようになってきたの。
中学生になっても、高校生になっても、クラス替えをしても、初対面の子たちぜんぜん抵抗なくて、喋るようになった。逆に今までの反動で、すごく喋るうるさい子って、周りには見られたかもしれない。

 高校を卒業して長野県の縫製工場に就職したの。本当は東京に来たかったんだけど、就職試験に落ちちゃって、それで受かった長野に来たの。私、青森のはずれの、隣町に行くのにも一時間に二本しかない電車に揺られて五十分もかかる田舎で育ってるから、他の土地はみんな都会に見えたのね。だから東京には行けなかったけど、喜んで長野に働きに行った。

 就職した縫製工場には寮がついてて、身ひとつでいけたんだけど、仕事がすごくきつかったなぁ。もう野麦峠の世界。だって朝五時から仕事だよ。毎日四時に起きてたもん。だから遊びに行くのも覚悟がいったわ。まあでも、十代っていう遊び盛りのときに、明日の朝が早いからっていう理由だけで遊びに行かないってことは全然なかったけど。そんなときの給料は、手取り十二万。でも、寮費、組合費とか、何だかんだ引かれて、結局手元に残るのは多くて五、六万だったの。それで一ヶ月暮らしていけっていうわけよ。生活できるわけないじゃん。全部食費で終わっちゃう。毎日つける化粧水代も出ないし、洋服も買えっこないし。

 だから、みんな夕方五時に工場の仕事が終わったあと、何らかのバイトしてた。私もパーティコンパニオンとか、ファミレスのウエイトレス、電話番号案内のオペレーターのバイトをちょくちょくやりながら、空いている時間に、洋裁の学校にも行ってた。先輩に「せっかく縫製の仕事をやってるんだったら、どうせなら手に職を持っていると今後にいいよ」ってアドバイスされて、洋裁の学校で一から教えてもらうことにしたの。

 そんな生活を八年間続けてたんだけど、パーティーコンパニオンの仕事は不定期だし、何か安定した収入のバイトがないかって探すために、その地区限定の求人誌を買ってみたの。そして目に留まったのが「時給三千円。日払い可」って書いてあったところ。なんか時給も高いし、怪しいところかなあって思ったんだけど、せいぜい水商売だろうと思った。

そのときローンで洋服買っちゃったのもあって、いちばん当てにしていたコンパニオンのバイトもうまく入らないもんだから、正直、焦っていたのかも知れない。だって、それを見てその日に面接に行っちゃってたもん。

 でもその店、恐ろしかったなあ。グラスとかお皿とかいっぱい置いてある厨房で丸椅子に座らされて、渡された用紙に自分の名前とか連絡先を書けって言われたの。そこにいる男の人たちは、映画とかテレビに出てくるヤクザそのまんまで、恐くって怖くって。「どうしよう。こんなところに来ちゃった」ってビクビクしながら、「でもお金は欲しいし」ってすごく混乱してた。だって、渡された紙になかなか名前が書けなくって、何度も何度も書き直して真っ黒になっちゃったのを覚えているもの。

 この場からどうやって逃げ出そうって、さっきまで考えていたのに、見たまんまヤクザの男が「じゃあ早速働いてみる? 先輩の隣にいればいいだけだからさ」って優しく言うから、思わず「はい」って返事しちゃったの。それからすっごいヒラヒラのフリルがついた蛍光ピンクの超ミニワンピースに着替えさせられて、シルバーのサンダルを履かされた。こんなヒールの高い靴を履くのも初めてだったし、アイドル歌手の衣装みたいなものを着るのも初めてだったし、すごく恥ずかしかった。足が太いってコンプレックスがあったしね。

 恥ずかしいって言ったら、その男の人は、やっぱり優しい口調で、「暗いから平気だよ」って言って、さっき通ってきた店の中に案内してくれた。さっきは緊張のあまり気付かなかったんだけど、アルコールの匂いに混じって、なにか汗ばんだ体臭のような酸っぱい匂いが鼻にツーンときたの。何の匂いだろうって思いながら、すっごく綺麗な、年が同じくらいの女の人の隣に座らせられた。

 私はその女の人とお客さんに「挨拶をして、しばらく三人で雑談をして、私はわけが分からないお客さんにビールを注いであげたの。そしたら一緒にいた女の人は出てっちゃって、私とお客さんと二人きりになっちゃったのね。でも何をしたらいいかわからないから、他の席のところを見たの。男の人の股の間に女の人が顔をうずめているから、何だろうって思ったんだけど、男の人の表情を見て「えーっ!?」って気づいちゃって。そのときは処女じゃなかったんじゃだけど、男の人のアソコなんてくわえたことがなかったの。

 初体験は二十二歳だったんだけど、そのときだって、街でナンパされて車で人気のないところに連れて行かれて、車の中でいきなり、何の前戯もなく入れられちゃっただけだから。それから友達同士で男の子誘って、夜、飲み会をしているときとか、飲んだ勢いで男の人がふざけてパンツを脱いでアソコを見せたりしていたけど、あんなふうに勃っているものを見たことなかった。だから見た瞬間に「気持ち悪い」って大声をあげそうになった。よくもあんなもの、私の体は受け入れたなあって、すごく落ち込んだ。

 すごく嫌だったけど、ここまで来て逃げたら、さっきの用紙に連絡先まで書いちゃったし、何されるか分かんないし、お金もすぐ欲しかったから、覚悟を決めてお客さんに「どうやればいいんですか?」って聞いたの。そしたら親切に「ここをこうやって、こういうふうに口に咥えればいいんだよ」って教えてくれた。着ていた洋服も、少しパンツが見えて、乳首が半分見えるくらいしか脱がなかったんだけど、周りの女の人が全部脱いでるのを見たから、何かかったるくなっちゃって、最後には全部脱いで男の人のペニスを咥えてた。

 あっという間に帰りの時間になって、一万円を手渡された。「ああ、ほんとに日払いでくれるんだ」って安心したのと、「やっとこれでローンが払えるんだ」って気持ちと、「今までの時間、何やってたんだろう?」って気持ちがグチャグチャになって寮に帰った。だから次の日も出勤しますと言ったものの、もう二度と行かないつもりでいたの。でもそれから何日かして、やっぱりお金が欲しくなってまたお店に行っちゃった。そうして半年すると、毎日お店に出勤するようになっていたと思う。その頃かな、うちみたいなお店のことを、ピンクサロンっていうのを知ったのは。

 普段は朝五時から夕方の五時まで縫製工場で働いて、夕方六時から九時までピンクサロンで働いてた。寮の門限が夜十時だったので、サロンでは三時間しか働けなかったけど、面白いようにお金が入ってきた。それでローンを払い終わったし、昼間の給料の倍は収入があったから、高い化粧品を買うようになったのね。高い化粧品っていっても、シャネルまではいかなくって、ポーラ化粧品だったんだけど、それを買っただけで、私ってば他の人よりランクが上になっちゃった気がして優越感にひたってた。今思い出しても本当に嬉しくってしょうがなかったと思う。

 そんな生活が一年続いた頃、会社の人がサロンに遊びに来て、運悪く私がついちゃったの。まあ、仕事だからサービスしたし、会社の男の人も最初はびっくりしたけど、平静を装ってた。でも、その人が帰ってから、もう私パニックで「どうしよう、どうしよう」って泣きじゃくってた。そしたら先輩のお姉さんが「働いている人も悪いけど、来た人も悪い。割り切った方がいいよ。逆にビクビクしていたらイジメられるよ」って言ってくれたのね。その言葉通り、次の日会社でその人と会っても、いつもどおり接したの。そしたら別に何もなくって、もうそこで私の中で割り切りができたというか、腹を決めたというか、開き直りが入っちゃった。

 それから何だかんだで一年があっという間に過ぎようとしていたとき、縫製工場が倒産しちゃったのね。退職金もろくに出なくて、母親は田舎に帰ってこいと言うけど、その頃また派手にお金を使うようになっていたから、またローンが溜まっちゃって、田舎に帰ったんじゃあ、絶対にローンなんて返せないと思った私は、東京にいる友達を頼って上京することにしたの。まあ、ローンのこともあったけど、やっぱり都会の面白さを知っちゃったからさ、今さら、遊ぶ場所もコンビニもない、つまらない田舎に帰りたくなかったのかも知れないけど。

 東京に行ってしばらくは友達の家に居候してた。それからベランダのサッシとかを組み立てる仕事を始めたんだけど、あんまり友達の家にいちゃあ迷惑かなって思って家を出たの、ローンを組めば、礼金や敷金が払えなくても住める家があることを知ったから。でも、すぐに部屋を借りるためのローンと、それまでのローンと、家賃とで、首が回らなくなっちゃったのね。で、またピンクサロンに行くことにしたの。新聞に入っていたチラシを見て行ったのかな。居候させてくれた友達も、お金がなくて苦しいと言っていたから、誘って二人で面接に行ったの。

 その店ってちょっと変わってて、年齢で時給が違ってたのね。年が上であればあるほど時給が高かったの。私は、そのとき二十九歳になっていたから、時給が五千円だった。その代わり、毎日お客さんを一人同伴させなくちゃいけなかったんだけどね。その頃のピンクサロンだけで、毎日夕方の六時から夜中の二、三時まで働いてた。半年ぐらい過ぎてから、友達がお店のボーイとデキちゃって辞めたの。そんなで、私も友達が居なくなってなんかつまらなくなっちゃって、すぐ辞めちゃったの。その友達と店のボーイは、今は結婚して、もうすぐ子供が生まれるって、このあいだ言っていたなあ。

 それから私は、別の友達の紹介で化粧品とか下着の訪問販売を始めたの。でも私って、つくづく商売に向いてないって思ったけど、客がいざ買うとしているときにローンの紙を出せないのよ。なんか悪くって。ローンの苦しみは、私が痛いほど知っていたし、少しの金額でも積もり積もれば大きくなるって、なんか余計な心配しちゃってさ。結局その訪問販売は三ヶ月も持たないですぐに辞めた。

 それから一年間はプーをやってたんだけど、そのとき、今まで身持ちが固かった反動が出て、ナンパされてはすぐにセックスまでしてた。サロンで男の人のモノを見慣れてたし、フェラチオが上手いって褒められてたから、サカリがついた猫のように毎晩違う男の人とセックスしてた。その一年間だけで、体験人数は二桁になったと思う。それに自分がとってもエッチだったことに気づいてさ、感じやすいほうだってことにも気づいたの。

 でも、さすがに貯金が底をついてちゃって、今度は新宿のボッタくりのイメクラに行ったんだ。完全にボッタクルんじゃなくて、「こいつは引っ張れる」と思ったお客さんからだけボッタクルの。例えば、コスチュームがセーラー服とかナースとかいろいろあって、お客がセーラーを選ぶと、「あ、このセーラーは二万円だから」とか言って、それにオッパイを見せるだけで一万円、触らせると二万円というふうに、ボッタクレる客からは最低十万円は取っていたかな。

何かつべこべ言い始めると、「いいのよ、私は。でも、お店の出口には恐いお兄さんたちが待っているから」って言って脅すの。ただ単に、ボーイが暇そうに突っ立ってるだけなんだけどね。そうやってお客からボッタクッたお金は、お店と折半。面白いようにお金が入ってきて、一日十万ぐらいは稼いでいた。普通、そういうボッタクリの店にいる女の子って、客に面が割れちゃうから恐ろしくなって、もってだいたい半年くらいなんだけど、私は特徴のない顔のせいか、店を出ると急に低くなるせいか、二年間も図々しくその店で働いていた。

 でもある日、店で働いている他の女の子が、男のアソコをおしぼりで拭いているのを見て、これじゃいけないって気持ちになったのね。なんでそんな気持ちになったのか、理由は今だによく分かんないんだけど、このままどっぷり風俗だけでやっていて、金銭感覚がこれ以上なくなるのも嫌だったし、自分が自分じゃなくなりそうで、急に恐ろしくなってきたの。

お母さんに申し訳ないし。それで次の日にその店を辞めて、コンビニで「フロムA」を買って、私の年齢でも雇ってくれるところへ電話しまくって、最寄り駅からそんなに離れていない、手取りもまあまあの今の会社へ入ったの。

 月収で十四万。私の住んでいるアパートの家賃が六万七千円。まあやっていけるかなって思ってたんだけど、結局二ヶ月ももたなくって、また家の近くのピンクサロンで働き始めちゃった。だって昼のお給料だけじゃ電話代も払えないし、洋服も買えない。まして貯金なんてぜんぜんできないし。でもね、また夜の仕事始めてよかったと思っている。朝七時に起きて、七時四十五分には会社に着いて、夕方の五時まで働いて、そして夕方の六時半から夜の十二時までピンサロで働いて、終電で帰る。確かに夜の仕事は週に三、四日に絞ったけど、ハードな生活よね。

 でもね、昼の仕事場の人たちって本当に地味なんだもん。会話もテレビの話題か、近くにできた新しいお店の話題ばっかりだけで、いっつも同じことの繰り返し。ぐるぐる話が回っているだけで、話になっていない。それか、会社の愚痴。私が場を盛り上げようと、エッチな話題を持ちかけても、逆に白い眼で見られちゃう。でも夜をやってると、何でも好きなこと喋れるし、お客さんと喋っているとすっごくプラスになる話をしてくれるし、そっちのほうが絶対楽しい。

 夜やってるせいか、最近だと、昼間のくだらないことでいちいちイライラしなくなったし、寛大になって、何でもいらっしゃいって気持ちになってる。今となっては、夜を辞める気も、昼を辞める気もない。多分、結婚しても旦那に内緒で昼、夜の生活は続けると思う。だって、結婚して毎日同じことの繰り返しになるのが嫌だから。毎日違った変化が欲しいの。

 昼と夜の二重生活がもう一年過ぎたんだけど、最近ではアダルトビデオの仕事もしてる。もう三、四本は出てるかな。それは会社とピンサロの空いた時間の中でやっているよ。体がきついときもあるけど、スケジュールが入ると楽しくて。私、いろいろな人と接するのが好きだから。ビデオの現場も、いろいろな人と会えるでしょ。だから今、楽しくてってしょうがないの。

 でもね、今でも週に二、三回は田舎の親のところに電話するのね。親の声を聴いて、よし明日も頑張るぞって思うんだけど、ふっと一人になると、心の奥底から綺麗になりたいなあって、風俗をやっていなかった頃の自分に戻りたいなあって、たまに思うの。自分がしたことだから後悔はないけれど、お客さんに体を触られるたびに、親の声が聞きたくなる。いつも親には励まされたし、自分一人で生きて来たと思ってなくて、親がいたからここまで頑張って生きてこられたって思ってるから。

 私ね、社長になりたいの。ぜんぜん貯金もできていないんだけど。エステとか、パーティーコンパニオンを派遣する会社とか。それで親を楽させたいの。だってお母さんは、お父さんが死んでから再婚もしないで、ずーっと一人で頑張って、私を励ましてくれるんだもん。三つ年上のお兄ちゃんもいるんだけど、結婚もせずに田舎出ちゃってるし、お母さんの面倒をみてあげる人がいないじゃない。

 でも、だからといって、私がすぐ結婚して、お母さんのところに戻ろうって気もないのね。まだまだ私の知らないこと、この世界にいっぱいあるし、旦那に食べさせる料理もろくにできないし。今じゃスーパーに総菜とか売ってるけど、そればっか出してちゃ可哀想だから、結婚する前には料理を完璧にしたいのね、今、彼氏はいないけど、二、三年後には結婚したいと思っている。そして会社を作って社長になりたい。

 私って贅沢なのかな。
つづく 第九 「AVの仕事をして変わったのは、プライベートのエッチで『電気消して』って言わなくなったことかな」