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第四 「悔しいのは、客とやってて、いっちゃうこと。体が反応しちゃうんだ」

本表紙 酒井あゆみ 著

悔しいのは、客とやってて、いっちゃうこと。体が反応しちゃうんだ

 大山 香織 35歳/東京都出身 
 建設会社の社長をしながら、ソープランドで働いている。眉間に皺を寄せながら、口元だけが静かに笑うのが癖のようだ。ヘアースタイルを月に一度ソバージュにしたり、シャギーにしたり、いろんな色に染めたりと変えるので、印象がコロコロ変わる。会社の方は設立して六年目を迎え、従業員は現在六人。ソープランドは18歳のときから働いている。会社の売り上げ一ヶ月約400万。夜の収入、月に15日出勤で80万くらい。

 吉原の出前ほど不味くて高いものはないよ。あんなの食べ物じゃないね。
 こんな仕事やっているからせめて食べ物ぐらい贅沢したいって思うけど。もう吐き出すほど不味い。それに一個千五百円の弁当だって、やっぱり私には痛い出費なんだ。この頃不景気でお店も暇のどん底だからさ、通勤するのもタクシーから電車にして少しでもお金がかからないようにしているのさ、食事の値段だけは下がる気配がないんだよ。

 業界用語で、お客さんが一人もつかなくてその日の収入がゼロのことを「お茶」って言うんだよね。控室で仕事をしないでお茶ばかり飲んでるって意味で。それで、お茶のときは、お店が出勤手当として五千円くれるからまだいいのよ。最悪なのはさ、一人しか客がつかないとき。収入は少ないわ、高くて不味い弁当代を払わなくちゃいけないわで、最後の締めのときにすごく損した気分になる。そんなんだったら、五千円もらって帰る方がまだましって思っちゃう。

 私って財布の中にはお金入れたら、入れた分だけ使っちゃう人なんだ。だから出勤するときには五百円しかもっていないようにしているの。だから私、みんなに「歩く銀行」って呼ばれてるもん。貯金が趣味でさ、財布の紐もしっかり結んで開けないんだ。他の女の子はお店が終わると飲みに行ったり、ホストクラブに行ったりして、一日の稼ぎ以上の散財しているけど、私は全然そういうのはしない。だって嫌な思いをして稼いだお金を無駄なことで使いたくないじゃない。では最近はさ、昔ほど稼げなくなったし、貯金の楽しみも減ったしさ、会社も赤字だしさ、何かこんなことしててもしょうがないなって思って、それなりに使っているけどね。

 私の生い立ちって、本当はあまり喋りたくないんだよ。今まで何人かに話したことがあるんだけど、それはドラマの世界だって言われて、私がいくら本当のことを喋っても全然信用してくれないんだもん。なんか、私が悲劇のヒロインぶっているしか思ってくれないんだろうね。だから今はもう諦めてる。

 生まれたのは東京の向島だよ。お母さんは私が生まれたときには、もういなかった。死んだんじゃなくてさ、どっかに行っちゃったってこと。だから私はずっとお婆ちゃんに育てられたんだよね。お父さんも何人も女が居たから、お父さんに会えるといったら年に二、三日ぐらいだったね。今は五十歳も過ぎてヨボヨボになっちゃったから、面影もないけどさ、昔は相当ひどかったらしいよ。しかも相手の女って絶対素人だったみたいで、いろんな修羅場をくぐってきたみたい。

 私を育ててくれたおばあちゃんの家ってさ、置き屋街のど真ん中にあったんだ。置き屋って、芸者さんたちを養っておく家のこと。そこで呉服屋をやっていたからさ、私はいつも綺麗な化粧をしているお姉さん囲まれて育った。そのお姉さんたちの子供もいたからさ、遊び相手には困ったことがなかったな。だから寂しいという思い出はないんだよね。なんかさ、何人もの綺麗なお母さんや何人もの兄弟がいるって感じ。

 でも学校に行くようになると、通信簿にはいつも判を押したように、「自己主張がなくて、おとなしすぎる」って書かれてた。もう小学校から高校を中退するまでそうだったな。なんか学校になじめなかったんだよね。先生や友達がすごく冷たい人たちに見えてさ、私しとは別世界の人だと思っていたよ。そのときは分からなかったけど、今思うと、他のみんなは家に帰るとお母さんが待ってて、夜にはお父さんが帰ってくるような家族だったからさ、たぶん、みんなの会話についていけなかったんだと思う。喋ることがないっていうか。

 だからかも知んないけど、私は置き屋街ではだいぶ喋る方だったと思うよ。それにマセてたかな。お父さんがフラッと家に来たときに、置き屋のお姉さんたちをすごく高そうな車で迎えに来るヒモの人を指して、「お父さんもああいうふうに、お姉さんたちにいっぱいお金をもらえば」って言っていた。もちろん自分が言っている言葉の意味は充分に分かっていたし、ただお父さんを困らせたかっただけなんだよね。本当に私って、ひねくれた娘だったと思うよ。

 高校を一年で中退してすぐに水商売のクラブで働きだしたんだ。私って、喫茶店の厨房とかでバイトしたりして、学費を中学の時からずっと自分で稼いでいたんだよ。だって、お婆ちゃんが女手一つでお店をやっていたから、私の学費までは払えないって分かってたから。本当はすごく大学まで行きたかったんだけど、その高校って馬鹿な学校だったからさ、こんなところで勉強しててもどうせ無理だと思ったし、普通の家庭に育っているのに、何が面白くないんだか、いつも先生とか両親に反抗している同級生をみてて、自分もそんな馬鹿な子供たちと一緒にされるのも嫌だったから、速攻退学届を出したの。

 それで置き屋にいたお姉さんの紹介で、地元の水商売のお店に勤めだしたんだ。抵抗なんて全然なかったよ。お金稼がなくちゃいけないし、男の人と一緒にお酒を飲むだけでしょ。学校の友達みたいに馬鹿な子なんかいなかったしさ、指名を取ろうって勢い込まなくても若いっていうだけでオヤジが寄って来て、いっぱいチップをくれたしね。その頃はチップだけで生活できたもんね。

 最初のころは一軒の店だけで働いてたんだけど、しばらくしたらもう一軒の別の店で働くことにしたの。朝の五時くらいまでやっているお店。楽ちんだったよ。だって一件目の店の客をそのまま二件目に同伴すればよかったからさ。二件掛け持ちして、一日に三万四千円ぐらい稼いでたかな。それにチップはバイト代以上にもらっていたから、週六日、二軒のお店を掛け持ちして、月に九十万円ぐらい稼いでいた。それでその収入のうちから、半分お婆ちゃんに渡して、半分は自分の洋服や化粧品代とか遊びで消えていた。でもまだ若かったから、それでも足りなかった記憶があるなあ。

 そんな生活を続けて十八歳になったときに、クラブのお得意さんの客の紹介で、??原のソープで働くことにしたの。その理由って今でもよく分かんないんだけど、やっぱりお金じゃないかな。家を出てひとり暮らしをしたかったし、あれだけ水商売で稼いでいたのに、ぜんぜん貯金なんてなかったからさ。

 当時はソープって名前じゃなくてトルコって呼ばれていた時代だったね。その当時で最高級だった総額は三万円の店を紹介してもらったの。その店の宣伝として雑誌に載ることが条件だった。雑誌に載ることにぜんぜん抵抗はなかったよ。お父さんなんか、その頃また新しい女ができたみたいで、私と会うのも年に一回あるかないかになっていたし、ましてお母さんなんか、大きくなった私の顔も見ても分からないって思っていたからさ。お婆ちゃんも置き屋街で何年商売しているのだし、そういう商売の女の人たちのことをすごく可愛がってたから、何も言わないだろうって思った。私は私で、「ああ、やっぱり来るべきところに来たなあ」って思っていただけだったな。

 別にその時はもう処女じゃなかったし、男の人を三、四人は知っていたけど、やっぱりすることは嫌だったね。今でも嫌以外の何物でもないよ。でもしょうがないじゃない。お金を稼ぐ手段なんだから。そうはいっても最初のころは、吐き気が止まんなかったなあ。お酒を飲みながらやっていたっていうのもあったんだけど、いつも二日酔い状態でさ、お客さんのモノが口の中に入ったり体の中入ってくると。もう嫌でしょうがなくて吐き気がしてた。水商売のときの経験を生かして、喋りである程度時間を引っ張るんだけど、やっぱり客ってすることはしてくるからさ。しっかり一回はやるんだよね。あれは不思議だった。さっきまで楽しく喋ってて、いい男だなあって思ってても、肌を合わせると急に変わるんだよ。そうなると途端に全身を悪寒が襲ってきて吐き気がするんだ。

 別にそれまでセックスで嫌な経験をしたわけじゃないんだけど、男の人のアソコがどうも駄目なんだよ。私ってお父さんに育てられなかったし、お婆ちゃんもとっくに死んでたしさ、まったくといっていいほど男の人には免疫がなかったの。だから初体験のときに、初めて男の人のアソコを見たときは、もう気持ちが悪くてしょうがなかった。なんか「私と同じ人間なのかしら?」って思ったくらい。

 初体験の相手って、私より四つ年上の二十歳の人。だからすごく大人に見えた。生まれて初めてすごく好きになった男の人だったのね。それなのにあんなものを持っているなんてさ、ショックだったよ。その後も、その男のことが好きだから、アソコを見ないようにして付き合ってたんだけど、会うたびにセックスになっちゃって、いつもあの気持ち悪いもの見なくちゃいけなかった、もう目をつぶって時間が過ぎるのを待っていたよ。でも脳裏にあの形がこびりついちゃってて、カラー映像で鮮明に頭の中をグルグル回ってるの。その後二、三人の男の人と付き合ったんだけど、やっぱり同じものを持っているんだよね。当たり前だけどさ。

 それでも、人間って慣れれば大丈夫なもんで、数を見たら少しずつ慣れてくるんだ。最後のほうにはあんまり嫌いじゃなくなってきたしね。でも??原に行って、自分が選んだわけでもない客の男の人とセックスすると、また初体験のときの気持ちを思い出しちゃっ
て吐き気がしちゃうんだよ。だからといって、それを嫌がっちゃお金がもらえないわけだし、「お金の棒」だと思って我慢してやってた。悔しいのは、お客とやっててイッちゃうこと。あれほど悔しいものはないね。頭では嫌だって思っているのに、なぜか体が反応しちゃうんだよね‥‥。

 でもそれからは毎日面白いようにお金が入ってきてさ、しばらくして川崎の堀之内に吉原より高級な五万円の店ができたから、すぐにそこへ移ったんだ。それが私が二十二歳ぐらいのときにバブルがきて、月に十日ぐらいにしか出ないのに月に二百万は軽く稼いでたなあ。それまでは倹約倹約でやってきたんだけど、その頃から他の女の子と一緒に飲みに行ったり、ホスト遊びに行き始めたんだ。でも遊んでも貯金は毎月きっちりしてたけどね。

 そんなとき、お父さんが私のマンションに転がり込んできちゃったんだよ。それも腹違いの弟を連れて。なんかさ、その弟っていうのが登校拒否になっちゃって、それでそのときつき合っていた女とうまくいかなくなったみたいでさ。女が家を出て行っちゃったらしいんだ。

腹違いの弟っていうのも、私よりも十三歳年下なんだけど、私そのとき初めて会ったんだよね。前にお父さんと会ったときに、写真だけは見せてもらったから存在はしっていたんだけどさ。

 転がり込まれてすごく困っちゃったんだよ。だって今までこんなに大勢で生活したことがなかったし、どう接していいか分かんないだもん。それにその頃、遊びに行ってたホストクラブのホストと付き合い始めてた、そろそろ同棲しようかっていう話になってたんだ。ちょうど私のマンションに洋服とか下着とか運び込んでた頃だったの。だから私、大慌てで同棲用の他のマンションを探してさ、今までいたマンションを父親と腹違いの弟に貸し与えたの。もちろん家賃を払えっこないから、私が全部払ってあげてね。

 ホストとの同棲生活って楽しかったなあ。それまで生きてきた中で、いちばん楽しいときだったと思う。ソープで働いているから、男っていう生き物にさんざんな目に遭って、男嫌いにさえなっていたのに、そのホストだけは別の生き物にみえた。本当の恋愛をしたと思う。

 だから私は、私なりにすごく努力したんだ。私ってソープのサービスをとしての気配りしか知らなかったからさ、どうすれば好きな男が喜ぶとか、どうやったら私の気持ちが伝わるかとか、そういう基本的なことを手探りで学んでいった。ホストって職業柄、女と一緒に住んでいるってことがバレたら致命傷だからさ、外を歩くこともあんまりしないようにしてた。忘れ物したから店に届けてくれって言われても、ものだけ届けてこっそり帰るようにしていた。その男が私の前からいなくなるのが恐かったんだよね。その甲斐あってか、「できた奥さんだねえ」って人から言われたときは飛び上がるように嬉しかったよ。
 

 その男って、私のこと思ってか、同棲して二、三年目くらいでホストを辞めたんだ。「どっちみち長男だから、田舎の事業を継がなくちゃいけないし、おまえと一緒になるのでも、旦那がホストだとお前も親に言いにくいだろう」って言ってホストを辞めて、普通の昼間の仕事を探してさ、板前の修行をやり始めたの。そこまで私のことを思ってくれてんだなぁって、「天にも昇る思い」ってこんな感じなんだって思った。

 でもね、やっぱり人間って一度上げた生活レベルってなかなか下げられないんだよね。うちのって、それまで月収百五十万は必ず稼いでたんだよ。自分でも洋服なんて買ったことなかった人が、いきなり朝六時に起きて夜の十時まで仕事して、疲れてても夜なかなか眠れなかったみたいでさ、店が遅くなって私が帰るのが夜中の二時三時になっても、起きてテレビを見たりしてたんだ。

 それでうちのがとうとう我慢できなくなって、「おまえもソープを辞めて、田舎に行って、小ちゃくてもいいから一緒にスナックでもやろうよ」って言い出したの。その言葉も嬉しかったし、そうしたかったんだけどさ、私には面倒を見なくちゃいけない父と弟がいるから無理だっていたの。それも貯金もまだまだ目標額には程遠くて、今辞めたら何のために今までソープで働いてきたか分かんなくなるからさ、その言葉には賛成しなかったんだ。そしたらうちのが怒り始めちゃって、「おまえは金持っているからいいよな」なんて途端に辛く当たりだしたの。

私も、もうどうしたらいいのか分かんなかった。でも逆の立場になって考えれば、一緒に住んでる片方だけが裕福で、片方が貧乏だったら、確かに貧乏な方は嫌だろうなあって思ったから、次の日に三百万降ろしてきて、部屋の棚の上に「じゃあ、ここに置いたからね」って、ポンと置いといたのね。

何日か過ぎてお金がどんどん減っていくのを見て、「馬鹿みたい。勝手に使ってるんじゃん。そうやって使ってればいいんだ」って、それを見て別れることを決めたの。結局、こいつも他の男と一緒だったんだって、すごく悲しかった。だから、別れると私から言い出した。

 それで「すぐにでも出て行って」って言ったら、「俺は何もなしじゃ田舎に帰れない」って言うから、「じゃあ、これ持っていけばいいじゃん」って三百万の残りを指差したの。それでもぶつぶつ言っていたから、「私が買ったベンツも持っていけばいい」って。そしたら見事にお金もベンツも持って出ていった。本当、お金って人間の心を動かす便利なものだよね。四年間って長い時間も、一瞬で全てを変えちゃうんだから。

 そんなことがあって、やっと一段落したかなあって思っていたら、お父さんが勤めていた会社をクビになりそうになっちゃったの。だから私が「辞めさせられるくらいだったら、自分から辞めて会社でも始めたら」って言ったんだ。私ももうすぐ三十代になろうとしてる年だったし、いつまでも続けられる仕事でもないし、何十億もお金貯めるまで稼げないしさ、だから一緒に会社を作ることにしたの。私が資本金として一千万円出して株式にして。それで私はオーナーって形にして、お父さんが現場の仕事を仕切って、お父さんの仲間を呼んで、弟も一緒になって会社を始めて、最初は営業の人間を入れて二十人ぐらい雇ってたかな。私もぜんぜん仕事のことは分かんなかったからさ、本屋に行っていろいろな本買って、建設業の知識から会社経営や銀行との付き合い方まで独学で猛勉強したんだ。

 でも最初から赤字で、私の持ち出しばっかり。お父さんはのんびりしてるっていうか、抜けているというか、お金の管理にぜんぜん疎い人なんだよね。だから必然的に私が経理をやることになった。そんなことやってたら、あっという間に今年で六年目。従業員もお父さんと弟を入れて六人に減らしてやっているけど、今でもずっと赤字。会社の負債も一千万になっちゃったから、もう少し最小人数で経営している。私は相変わらずソープに行ってて、借金を少しずつ返して会社の赤字分を埋めているんだ。

 そうそう。会社が赤字なのって、お父さんが政治家の秘書のいいカモになっちゃったのもその原因のひとつなんだょね。あいつら何も用事がないのに、「近くまで来たもんだから」って言って来て、必ず車代として五万は持って帰るもんね。政治家の秘書って自分の財布の中が空っぽでも、ちょっと大きな会社に挨拶代わりに寄れば、たちまち財布が膨らんでいくよ。それに「いい店がありますから、ご一緒にどうですか」と誘っておいて、自分では絶対に払わないんだ。

お父さんは抜けているから、秘書のいいカモでさ、いつも呼び出されていたよ。お父さんからすれば、少しでも会社のためになるだろって思ってたんだろうけど、結局高級なところを連れまわされた挙句、請求書は会社にくるんだから。で、お父さんは「今月こんなにきちゃった。どうしょう」って頭かいているだけだから、必然的に私が払うようになるわけ。

 そしたら案の定、その秘書が仕える政治家が見事に選挙で落選したんだよ。お父さんも懲りて、今はもうそういうことをしないけど、でも相変わらず秘書は電話をしてくるし、新しい政治家の秘書もどこから聞きつけてくるんだか、お父さんの周りにひっついてなかなか離れないの。だからお父さんに厳しく言って、交流を持たないで適当に流すようにさせている。その政治家さんたちも、こんな小娘が本当の社長だと思っていないから、お父さんに寄ってくるんだろうね。馬鹿みたい。一生やってろって感じ。

 銀行だって付き合ってると本当に頭にくるよ。こっちがお金を貸してほしいときはぜんぜん貸してくれなくて、自分たちのノルマが達成できないときはいそいそと電話をしてきて、うちの会社に来て新しい口座を作ってくれって遠回しに言うの。本当、あいつら平気で架空口座作るからね。それが限界になると、うちみたいな貧乏な会社でも足を運んで頼みにやってくるの。私ももう慣れっこで、銀行員が来るたびに「今月は何の用事できたの? 時間の無駄だからとっとと行ってちょうだい」って、さっさと終わりにしちゃうの。

 本当、昼間の仕事関係の人を見ていると、ソープで体張って稼いでいる子たちのほうがすごく健全に見えるし、他人に頼らず自分の力でどうにかしようっていう気持ちがあるから、すごくきれいな仕事に思えるのよね。まあでも、この頃は朝の九時から会社に行って仕事の整理をして、午後の三時から夜中の二時までソープ嬢やって、休みの日は電卓とにらめっこしてっていう生活にも体がきつくなってきている。だから、今すぐにも会社もソープ嬢も辞めたいんだけど、あと何年かしてお父さんが年金もらえるまで頑張るつもり。そうすれば肩の荷が下りるからね、私も。

 なんでそこまでお人好しかって言われるんだけれど、もう癖。それに世界中で血がつながってるのってお父さんしかいないじゃない。お母さんを探そうとしたことはないよ。なんか、いつかテレビ番組を見たら、いなくなった肉親を捜してくれるのがあって、私も電話してみようかなあって思ったけど、アホらしいからやめた。

 私ね、可愛いお婆ちゃんになりたいの。もう男の人と一緒になることなんて考えていないし、お父さんは弟に任せておけばいいし、天涯孤独のままでいいんだ。孤独に慣れてたというんじゃなくて、最初からそうだったから。上手くは言えないんだけどね、ベトナムとかの子供たちは貧しい中で育っても、それが普通だと思っているんじゃないかな。それと一緒。

 こういうふうに思えるまで、私もだいぶ時間がかかったよ。泣いてグズグスしていてもしょうがないでしょ。泣いてお金をもらえるんだったら、いくらでも泣いてやるけどさ‥‥。今は泣かないように、いつも頭の中で電卓叩くようにしている。

 ソープに入ったからじゃないけど、セックスって崇高なものじゃないってことが分かっちゃっているからさ、セックス以外のものを求めてるんだと思う、お金じゃないよ。生きる糧が見つからないんだ。

 親の愛情は生まれたときから無くて、異性への愛情にも失望しちゃって、もう何もかも世の中全部のことを諦めちゃってるから。でも、生きていかなくちゃいけない。…‥もういいかな? 久々にいろんなことを考えたから、頭痛くなってきちゃったよ。ダルイからもうやめよう。

つづく 第五 「一日のノルマは三本。それが限界」