
酒井あゆみ 著
私、二回目のセックスで、もうイクことを覚えちゃったんです
工藤 美奈子 27歳/神奈川県出身
某大手証券会社の営業をしながら、週四日は渋谷でホテトル嬢をしている。夜の業界のキャリアは二年三ヶ月だが、会社では七年目を迎え、もう車内では「お局様」と呼ばれているらしい。整った日本風の容姿。168㎝の身長に豊満なバストで、街を歩いていると誰しも振り向くに違いない、本当にいい女の条件を揃えて持っている。昼の月収は18万、夜の収入、月に40万くらい。
うちの会社って、朝二回もミーティングがあるんですよ。だから毎日朝六時には起きなくちゃいけない。それで七時半の電車に乗って、八時には会社に着くようにしています。もう慣れちゃったけど、それって結構つらい。電車なんてもう気が遠くなるほど満員なんですから。
それで会社について、制服に着替えて、八時十五分までチーフミーティングの時間です。私、チーフになって四年目なんですが、なんかもう、あっという間って気がしますね。そのミーティングっていのは、各グループのチーフが集まって今日のノルマを決めるんです。お決まりのことなんだけど、やっぱりノルマって聞くと憂鬱になりますよ。
で、それだけでなく八時半から八時五十分まで部署全体のミーティングがあるんです。部署の全員が日経新聞を広げて今日の日本の経済事情とか株市場の話とかを聞きかされて、運が悪いと上司に指名されて自分の意見をみんなの前で言わなきゃいけないんです。そんなときはホントやれやれって気分。そして株式市場が始まる九時から本格的な仕事が始まるです。
私、短大を卒業してこの会社に入ったときは事務をやっていたんですよ。うちの会社って、四大卒の人が営業、短大卒は事務って、最初から学歴で振り分けられて、なんか今の時代って感じだけど、やっぱり歴史も実積もある会社だからしょうがないんだろうって思っていました。それで事務を三年やって、今の営業に移されたんです。
いくら証券会社っていってもやっぱり事務は事務で、結局雑用なんです。せっかく証券会社に入ったのにぜんぜん意味がないって不満だったから、営業部長に「お前だったら営業ができるだろう」って言われたときには、すごく嬉しかった。「さあ、頑張るぞ」って張り切りましたよ。でもそれが地獄の苦しみを味わう羽目になるとは、予想もつかなかったんですけどね。
証券会社の営業ノルマって、半端じゃなくキッイんです。まして私が営業に配属されときって、バブルが弾けて不景気のドン底までいっていた頃。それに辞めた営業がなんかメチャクチャやったみたいで、いわば私は尻拭いのためにそのポジションに置かれたみたいだったんです。
最初は本当、鼻血がでるくらい大変だった。笑い事じゃないですよ。だって同期の人でも営業では先輩なわけじゃないですか。その頃はもう中堅でバリバリやってて、私は入社して三年になるのに、営業はずぶの素人と同じでしょ。もう、がむしゃらに頑張ったんです。同期に見下されるのがすごく悔しかったんです。もともと負けず嫌いな性格なんですよ、私って。「さすが事務上がりね」なんて皮肉言われると、もうプッッーンとキレちゃって、「ちくしょう、こいつらよりも絶対に上へあがってやる」って、意地ばかり張っていましたよ。
でも頑張った甲斐あって、一年ぐらいで立場を逆転させてやったんです。もちろん人一倍の努力はしましたよ。とにかく電話をかけてまくって、かけまくって。飛び込みの営業って女性はやらないんです。だから代々付き合っている何百人という顧客リストを会社からいただいて、その顧客に新しい商品を買ってもらうために電話でお願いするんです。
だけど、リストの端っこから端っこまで全部電話しまくっても、百人中九十人は絶対に「そんなの結構です」って、ガチャ切り状態。だってその頃って、株の大暴落が始まったときで、仕事の半分以上がクレームの処理だったんですよ。「儲かるって言ったから買ったのにどうしてくれるのよ」とか、「損した金を返せ、泥棒!」とまで言われました。
だから、買ってくれるはずがない状況からのスタートだったんです。でも、それでもめげなかった。ちょっとでも脈がありそうだなあと思ったら、その人の家まで飛んでって、もう土下座でお願いします状態で、「前の担当はこれこれこう言ってたかもしれませんが、私の意見を聞いて下さい」って食らいついていったんです。そこで学んだんですが、いくらダメだなあと思うことでも、羽賀研二じゃないけど「誠意」を持ってお客さんに接すれば絶対に通じるものだなあって。苦しかったけど、これから生きていく上でもすごく大切なものを勉強させてもらったなあって思っています。
でも、朝起きたら左半身が痺れてて動けなくなったり、チーフになったらなったで、半年で上司と部下に挟まれてストレスで精神病になっちゃったんです。それで大学病院を転々としました。でも大学病院の先生たちは、「そういうのって心の病気だから、仕事を辞めるしかないのよねぇ」って言って薬を出すだけで、ぜんぜんよくならなかった。仕事を辞めるとか辞めないとかって、誰でもいえるじゃないですか。仕事を辞めたくないから病院まで足運んでたんですから。
それでもう、病院を当てにすることはやめて、カウンセラーや心療内科があるところを本や雑誌で片っ端から調べたんです。やっぱり心の中のことだから、男の人よりも女の人のほうが話しやすいじゃないですか。だから女の先生がいるところを見つけて、脳みそぶちまけたら、少しずつ楽になってきたんです。
でも一年でチーフになるくらいの成績を残しちゃっているから、上司の期待が大きくなりすぎちゃって。やってもやっても、やってもやっても、もうエンドレス状態。「もうできない」って悲鳴をあげても、上司は「ここまで頑張れる奴なんだから、おまえはこれからもどんどんやってくれ」ってハッパをかけてくるんです。フロアで、みんながいるところで涙がこみ上げてきても、涙を見られるくらいだったら死んだ方がましだって思っていましたから、涙込み上げてきたらトイレに駆け込んで声を張り上げて泣いていました。泣き止んだらもう目はパンパンだし、血走ってるの、いかにも私泣きました状態だから、眼の玉に水道の水を浴びせまくって、ロッカーに下向きで行って化粧ポーチを持ってきて、不自然なくらいに目の周りをファンデーションで厚塗りして、フロアに戻ってました。証券会社の営業なんて、根性座ってなくちゃ絶対できませんよ。まして女性でなんて、余程じゃないと勤まらないですね。
私のいる部署って女だけのところで、全部で五十人ぐらいはいたんです。もう二十人も辞めちゃって、今は三十人くらいしかいません。だからといって、人数が減ってもノルマの数字はぜんぜん変わらないんです。この会社に入って本当に鍛えられて、年々根性が据わっていったと思うんですが、ときどき、どんどん性格が悪くなっていった気がするのは私だけなんですかね?
それに金銭感覚もどんどん狂っていっている気がしますね。だって一日何百億っていうお金を動かしてるんですから。もう百万円なんて超小口のお金で、何千万円単位で普通になっちゃってます。だから何十万円もするブランドもんを買っても、「ああ、小口、小口」って思って、ぜんぜん高い買い物だと思わないんです。実際、会社からもらっている給料なんて、確かに営業手当が多少ついていますけど、普通のOLと一、二万くらいしか変わらないんですから、たぶん自分が会社で動かしている人様のお金を、自分のお金と錯覚しちゃうんです。何十億っていうお金が自分のお金だって。
だからというわけじゃないけど、証券会社にいる人たちって、男も女もみんなすごい借金を背負っちゃってて、会社を辞めたいけど辞められない人が多いんですよ。女の子だったらブランドもん買いすぎちゃったりとか。私もそう感じるんですけど、くるお客様のほとんどが本当にお金持ちで、そういう人たちを見ると自分がすごく惨めになっちゃうんです。「同じ人間なのに、なんでこんなにも違うんだろう」って。だからみんな、外見だけでもそういう人たちと同じレベルにいきたいと思って、買い物に走ってローンを組んで、他でも借りまくって返済できなくなっちゃうんです。
実は、私も例に漏れずそうだったんです。私の場合は、たまたま買い物じゃなかったんですけど。入社して二年目のときにひとり暮らしを始めて、家賃五万円のすごい田舎のアパートを借りていたんです。でも会社の給料だけじゃぜんぜんやっていけなくて、しょうがなく、夜に水商売のバイトをしてやっと生活できるって状況だったんです。どうしてもひとり暮らしっていうか、家を出たくてしょうがなかったんです。
私って双子なんですよ。生まれたときは二人とも五体満足だったんだけど、妹が二〇〇〇グラムという、極端に体が小さく生まれちゃったんです。どうやらお母さんのお腹の中で、私が妹を押しつぶしながら育っちゃったみたいで。だから両親は妹のことをすごく心配したんです。私の両親って駆け落ちで結婚した人たちだから、その当時はお金もなくて、二人も子供を育てられなくて、それで私が山梨の叔母さんのところに預けられたんです。
その叔母さんって、両親の唯一の味方だったみたいなんですね。
だから十二歳になって両親が迎えに来られた日には、叔母さんの後ろにくっついて、離れませんでした。だって私のお母さんっていう人は、叔母さんのことなんですから。いきなり知らない女の人が来て、「お前のお母さんだよ」って言われても、ぜんぜん話しませんでしたよ。無理やり両親のいる東京に連れて行かれても、馴染めなかったですから。
「私って本当にここに居てもいいのかな」って、いつもビクビクして家族と接していました。今は妹も家を出てひとり暮らししているんですが、やっぱり両親は妹に何かあったらすぐに飛んでいくみたいですよ。風邪っていってもね。「同じ双子なのに、なんで私だけがいつもこうなのかな」って、今もそのコンプレックスは消えないでいるんです。「私って本当に生まれてきてよかったのかな」って、そこまで考えちゃうときがあるんです。
デートクラブの仕事を始めたのって二十五歳のときです。それまでは新宿のクラブで、時給四千五百円の水商売のバイトを週四日やってたんですけど、私ってもともと男の人に媚を売るのが得意じゃないんです。それにさっきまでお客さんにべったりくっついていて、上目遣いで猫撫で声出してたのに、お客さんが帰った途端にころっと声も性格も変わっちゃって、「もうバカな客」って罵倒して、いる女の子を見ると、同じ女という生き物として本当に嫌になっちゃったんです。
それにその頃はまだ事務の仕事だったんだけど、やっぱり残業とかあって遅刻とか何回もしたから、罰金で給料がどんどん引かれちゃって、最後にはマイナスになったんですよ。そんなとき、同僚の男の子たちとの飲み会の席で、いつものお決まりの下ネタの話になったときにデートクラブの存在を知ったんです。その男の人はデートクラブのシステムから料金までベラベラ大声で喋ったんですが、そのときは「へーそうなんだ」って適当に相槌をだけ打ってたんです。でも心の中ではその店の名前と電話番号をしっかり覚えてました(笑)。
それから一ヶ月半は悩みましたね。私ってこう見えても結構うじうじ悩むタイプなんです。だから会社が終わって家に帰ると、そのことばかり考えてました。「本当にそこまでやっちゃっていいのかなあ?」って。それに私って、それまで男の人を二人しか知らなかったんです。処女を失ったのは、恥ずかしいけど二十歳のときなんですよ。昔は本当に地味で内気な子だったんですね。だからきっと、学生時代の友達が今の私を見ても誰だかわかんないと思いますよ。でもね、私、二回目のセックスでもうイクことを覚えちゃったんです。たった二回のセックスしただけで、終わった後も、「もっともっとやりたい」って思いました。
相手は会社の同期の男の子です。飲み会の席でたまたま隣に座って、なんか勢いでホテルに入っちゃったんですね。その男の人って関西出身のせいか、ホテルに入ってからもずっと関西のノリで笑わせてくれたんです。でもいざことに及んだ時にその男の人が、「実は、俺、まだ‥‥」って言い出したんです。つまり処女と童貞同士だったんですよ。
でもそのとき、その男の人がすごくよく見えたんです。だって、男の人ってそういうことは格好つけて絶対に言わないものじゃないですか。だからすごい正直な男の子だなって感動しちゃったんです。でも感動しまではよかったけど、アレを私のアソコに入れるときは「痛あーい、何すんのよ、イテテテテ」って雄叫び状態でした。ぜんぜんムードも何もなかったですよ。
男の人のアソコを見たのは、私が初めて見たのは、私がイクことを覚えた二回目のときです。先に私がシャワーを浴びて、次に彼が浴びたんです。それで私がベッドで待ってたとき、ホテルの壁に彼の影が映ているのが見えて、私、腰を抜かしそうになったんです。彼の下半身に変な棒がくっついているって。ベットに入って彼のアソコを生で見たときには、「うわぁ!」っていう驚きと、「男の人ってこんな不思議な形のものがついているんだなあ」って、すごく人間的じゃないものを見た気分で妙な気持ちでしたね。
その彼とは三年くらい付き合いました。すごく結婚願望が強く人で、セックスしたら即結婚みたいな考えの人だったんです。私も彼のことは好きだったけど、社会人になってやっと家を出られて自由を満喫していた頃だったから、結婚してまた自由を束縛されてしまうのが嫌だったんです。そうしているうちに、彼が大阪への転勤が決まって、別れの言葉もなく自然消滅しちゃいました。それでやっぱり悲しかったし、寂しくなったから、半年ぐらいでまた同僚の男の人と付き合い始めて同棲したんです。でも一年経つか経たないかで終わってしまいました。
そしてまたひとり暮らしを始めたんです。そのときはもう二十五歳だったし、世間でいえば「女の曲がり角」の年代じゃないですか。なんかそれを意識したら急に弾けちゃったんです。私ってまだまだ何も経験していないって。それでお金を貯めて、会社を辞めて自分の力で事業で起こせたらいいなあって思い始めたんですよ。で、お金を貯めるにはやっぱりあそこに行かなくちゃいけないかなって、ずっとシステム手帳の端にメモしておいた新宿のデートクラブのことを思いだしたんです。
しばらく悩んでいんだけど、月が替わって、月の中旬ぐらいで体がダルくなり始めた頃に、「悩んでいるより行ってみよう。話を聞いて自分がダメだって思ったら、やらなきゃいいんだから」って思い切りがついちゃった。そう思ったら行動は早かったですね。会社の帰りに電話ボックスに入って、周りを見渡して知っている人が居ないことを確認してからダイヤルしたんです。そしたら電話口で、かなり年配だって分かる柔らかな口調の人が「今日は女の子が足りなくて困っているから、もしよかったら、すぐにでも面接にいらっしゃいませんか」って言うから、すぐに面接に行って即採用になったんです。
それですぐにお客さんに指名されてちゃって、悩む暇もなくホテルに行ったんです。足がガクガクしても「これでお金になるんだったら」って我慢して体を開くことにしました。初めについたお客さんはほんと普通の男の人でした。ああ、こういうところにもこんな男の人ってくるんだなあって感じです。だから恐怖心もなくなっちゃったんだけど、て、一緒にホテルに入れたんですよ。もちろんクラブのオーナーが、「この娘、今日が初めてなのでよろしくお願いします」ってちゃんといってくれたみたいだった。でも、それでもどうしていいか分からなくてオドオドしていたら、「先にシャワー浴びる? それとも一緒に浴びる?」って聞かれて、「うわあっ、やっぱりやるんだ」って今さらのように思っちゃいました。私のアソコの毛って、他の女の子よりもすごく濃い方だと思っていたから、置いてあったカミソリで、せめて少しくらいましになれって、剃って揃えたことまで覚えています。それからのことって、実はあまり覚えてないんですよ。部屋の中で何をしたのかとか。
でも一人ついたら平気になっちゃって、結局その日、夜の七時から十一時の間だけで八万ももらって、一ヶ月の給料の半分がたったの一日で稼げて驚きましたよ。帰るときデートクラブのオーナーの白髪のオジさんに、「今度、いつ来られます?」って聞かれて、思わず「明後日の七時頃には来れます」ってスラスラ答えてました。「やっぱりお金の力って人間を変えるんだなあ」って実感したのを覚えていますね。
それから一日おきにデートクラブでバイトを始めたんです。でもやっぱり、私って根が真面目なのは変わんないみたいで、こういう仕事をやっている自分がひどく嫌になることが多くなってきたんです。付き合ってもいない相手と平気でセックスしている自分にです。それで、仕事して何人もの相手にした後なのに、街でナンパされた男の人と平気で寝るようになったんです。仕事でぜんぜん自分のタイプじゃない男の人と寝ているから、真面目そうでスーツをきちんと着てる男の人に声をかけられると、気が合ったらすくにホテルに行ってました。
自分のタイプの男と寝るだけで、それまでの体と精神的な疲れが全部吹き飛んでいくみたいだったんです。だから夜のバイトが終わるたびにナンパされてホテルにいってました。そんなもんで経験人数は、一、二年の間に、二人から一気に三桁まで言ったと思いますよ。仕事でやったお客さんは除いてです。
そんな生活が二年続いたころ、新宿のデートクラブが警察につかまっちゃって、潰れちゃったんです。自分で事業をおこすにはまだまだ貯金が足りなかったし、もっともっと仕事したかったし、体どんなにしんどくても風俗を辞めようとはぜんぜん思いませんでしたね。だから求人誌を買ってきて、勤めていたデートクラブと同じようなサービスをするホテトルの事務所に電話でばんばんかけて、電話の対応がいちばん親切でよかった今の渋谷の事務所に行くことにしたんです。私の直感どおり、よく面倒をみてくれるところでした。こんなところでも昼間の会社で鍛えた、電話で人間を見る勘が役立つとは思いもしなかったです(笑)
夜のバイトを始めてから、昼の会社でもストレスに悩まされなくなりましたね。新宿とか渋谷っていう場所柄のせいか、ヤクザやシャブ中毒の人、外国人とか、もうこれ以上の人種はいないだろうというくらい、あらゆる人たちと会ってきたんです。本物の日本刀とか拳銃を目の前で見ちゃってるし、セックスする前に覚醒剤を飲み物の中に大量に入れられて心臓発作で死にそうになったりしたんです。もうそんなこと体験しちゃうと、昼間の会社の人間関係で悩んでいるのがバカらしくなっちゃいますよ。今じゃ上司のプレッシャーも軽くあしらって、心に余裕が持てるようになってきました。だってノルマが達成できなくても殺されるわけじゃないでしょ?
今も一日おき、週四日は夜のバイトに行っています。朝六時には起きて会社に行って、残業になったら夜の八時半まで仕事して、九時から渋谷の事務所に行って、お客さんが続いちゃった日は夜中の三時まで働いて、そして家に帰って三時間寝てまた起きてという、そんな生活をしています。本当、よく続いてるなあって自分で感心しています。
本当のことを言えば、会社は明日にでも、ううん。今日でも辞めたいくらいなんです。辞めたいけど、短大に行かせてくれて、大手証券会社に勤めさせてくれた両親に申し訳ないっていうことと、ここまでやってきたものが、辞めちゃうとすべて無駄になっちゃうっていうのがあるから、もう少し頑張ろうって思っています。せめてもう少し、株に関する知識を身に着けたいというのがあるんです。やっぱり自分が予想していたように株が上がってくると、勘が当たったという達成感が何ともいえない快感だし、日本の経済の先が読めるようになれば、脱サラして自分で事業やっても失敗がない気がするんです。
でも、いちばんの理由って、昼間を辞めたら私じゃなくなるんじゃないかなっていう恐怖かもしれないですね。どっぷり風俗に浸かって、風俗嬢でしかない自分を想像すると、べつに風俗専門の子を否定するわけじゃなくて、ハマっちゃう自分が見えて恐くなっちゃうんでしょうね。毎日毎日、男の性欲のためだけに生きている自分の姿っていうか。
この頃、やっと自分のやりたい事業が見えてきたんです。それって「逆風俗」。女の子が男を買うところっていうか、男にサービスを受けられる店を作りたいんです。ホストクラブじゃなくて、もっと普通のOLが自分の給料だけで遊べるくらいの値段のお店を作りたいんですよ。私もナンパされてついて行くのにも疲れたし、男の人と付き合うっていうのも、絶対一回はゴチャゴチャ感情のもつれがあるんじゃないですか。それって面倒臭いんです。
だから逆風俗なんです。女性って、男性よりも絶対に性欲が強いもんだと思うんですよ。そのプランを思いついてから、つくお客さんにそのことを話して意見を聞くことにしているんだけど、みんな口をそろえて「それは甘いよ」って言うんです。でも私は私なりに勝算があるんです。
昔は店を建てられたら、夜の世界一本でいこうと思ったんだけど、最近はちょっと変わって、今の会社で働いてると思うんです。体壊しても何でも、意地でも昼間は続けるつもりなんです。だってそれがいちばん、私らしい私なんですから。
つづく 第四 「悔しいのは、客とやってて、いっちゃうこと。体が反応しちゃうんだ」