
酒井あゆみ 著
SMって究極の愛だよ。殴られても蹴られても、喜んでるんだからさ
八木 直美 30歳/山梨県出身
税理士として働きながら、夜SMクラブで女王様をやっている。スラッとした細身の長身で、足がすごく長い。顔も派手なつくりをしていて、どこから見ても遊び好きなお姉さんにしか見えない。笑うと目が蒲鉾形になるのが、なんとも愛らしく親しみやすい。2歳の男の子を立派に育てているシングルマザー。昼間の月収。手取り35万・夜の収入、月に30万くらい。
私って常にカッコよくいたいと思っている。何ていうか、誰かに憧れるんじゃなくてさ、いつも自分自身に憧れていたいんだよね。
中学校三年で、すでに暴走族に入ってたのね。もう毎晩サイレンの音を聞いてたよ。パトカーと追いかけっこしながら、毎晩冷たい風に当たってた。でもさ、ちゃんと勉強もしてたんだ。私さ、ただ遊んでるだけの子って馬鹿に見えちゃうの。だから全然学校には行かなかったけど、塾には行ってたの。それに友達と街を流した後にさ、夜中に家に戻ってから、誰にも知られないようにこっそり勉強してた。私のポリシーは「勉強がちゃんとできて遊んでる子」なの。そういうのに憧れたんだ。だからさ、私の成績はいつもクラスでトップ3に入っていたよ。
得意だったのは数学。数学だけは飛び抜けてよかった。だって、数学って答えがはっきりしてるじゃない。そこが気にいった。一度、方程式とか公式を覚えちゃえばさ、あとは応用していけばいいだけでしょ。単純明快なもんじゃない。それに将来自分で何かやっていくんでもさ、数字だけは強くなくちゃいけないと思ってたの。何をやるにもしてもお金ってついて回るじゃない。それを計算するのは数字だから。私の家って観光地でお土産屋さんをやっていたの。お婆ちゃんも一代で旅館建てたような人でさ、それも関係してたと思う。なんか自営業の血が濃いんだよね。数字を見ていると落ち着く体質だったのよ。
うちってすごく厳しかったの。門限は夕方の六時だしさ、それによく両親が夫婦喧嘩してたな。始まると酷くてね、いつも血を見てたよ。お父さんはあんまり忍耐力がない人だからさ、喧嘩になるとすぐお母さんの髪の毛をつかんで引きずり回して、ピアノにガンガン頭ぶっけて、いつもピアノに血糊がついてた。後から聞いた話なんだけどさ、お父さんってお婿さんだったみたいで、毎日気を遣うことが多すぎて、すごく居づらかったみてい。
兄弟は六つ年上のおとなしいお兄ちゃんがいた。そのおとなしかったお兄ちゃんが高校で暴力をふるったかなんかだ、学校を退学になっちゃったの。それでどうしてか知らないけど、両親がお兄ちゃんを東京にいる親戚のところに行かせたの。そしたらさ、そこでお兄ちゃんは大きなグループの暴走族の人たちと仲良くなっちゃったんだ。
それでね、私もお兄ちゃんのところに遊びに行ったときにさ、その仲間に会ったの。そしたら暴走族の幹部の男に気に入られちゃってね、付き合うことにしたんだ。それからはイケイケだった。
東京にいるときはその彼氏と遊んだり、東京に行けない日は、地元の暴走族のひとたちと毎晩鳴らしまくってた。ときにはお母さんが手を振り回しながら追っかけてきたりしたけど、もうそのときは遊びまわるのが楽しくてしょうがなかったの。私の活発ぶりは、年月を増すごとに酷くなっていったもん。
でもさ、東京のワルと田舎のワルって、もうレベルがぜんぜん違っていたなあ。田舎では夜中に家を抜け出すだけで相当悪かったのにさ、東京ではそんなの序の口で、煙草なんて喫うのは当たり前で、よくディスコでマリファナ喫ってたりしてたもんね。そういうことって、付き合っていた彼氏に全部教わった。その頃って、悪いことしてる自覚がぜんぜんなくて、ただ好奇心だけでいろんなことをしてたんだと思う。
高校三年になって、そろそろ進路を決めなくちゃいけなくなったの。どうしようかなって思ったんだけど、やっぱり数字が好きな性格を活かした方がいいと思って、税理士になることにしたの。それでとりあえず東京にある簿記の専門学校に行くことにしたんだ。
東京の暴走族の彼氏とはまだ続いてたし、地元にそういう専門学校ってなかったからさ、東京には親戚の家の部屋が空いていたから、すんなりそこにすむことにした。
でもさ、東京に住んでみて初めて分かったけど、やっぱり遊びに行くのと住むのとではぜんぜん違うのね。私って東京のことを全然知らないのと同じだって分かった。だから、毎日朝の四時ごろまで遊びまくっていた。飲みに行ったりナンパされて行ったり。東京の男の子っていろんな遊びを知っているじゃない。もうどの男の子と遊んでも楽しくってさ、それまで付き合ってた暴走族の彼氏ともすぐに別れちゃった。そのあとは何股かけて男と付き合ったか分かんないくらい。いろんな男の子と毎晩遊んだよ。
でも、たとえ朝まで遊んでも、朝九時からの授業にはちゃんと行っていた。やっぱり親にお金出してもらって学校行っていたし、「勉強ができて遊んでいる子」が自分のポリシーだからさ。それは年をとっても変わらなかったな。
税理士は国家試験で、十教科あるうちの五教科取んなくちゃいけないの。私は専門学校に行きながら二教科までは取ったのね。一年に一教科。一年に一回しか試験ないから、あとの三教科は就職して会社で働きながら取ればいいなって思って、とりあえず広尾にある事務所に入ったの。実際、会社に行きながら試験のために勉強している人がほとんどみたい。
私が入った事務所にもそういう人がいっぱいいたもん。でも試験って結構難しくて、何十年かかっても取れない人がいっぱいいるみたいよ。だけど私は会社に勤めながら、一年に一回の試験を順調にパスして、残りの三教科を三年でとったの。こんなに調子よく受かった人って珍しいみたい。先生にも先輩にも「本当に運がいい奴だよ」って口をそろえて言われたから、三年勤めていたその事務所を辞めて、代々木にある事務所に移ったの。
でもそれが大失敗だった。その事務所って、入るときに先生兼社長という人と交渉して給料を決めるの。前の事務所にいたときは、まだ税理士の資格を取っている最中だったから月給が二十四万だったのね。そしたらそこは「四十万出す」って言うのよ。だからといって、資格があれば給料が高くなるって聞いていたから、その額を聞いたときも特に不思議とは思わなかったの。でも後でみんなに聞いてみたら、みんな二十五~三十万だっていうのよ。なんで私だけこんなに高いんだろうって不思議だったんだけど、そのときはまだ自分の交渉の仕方がうまかったんだろうぐらいにしか思っていなかっただよ。でもそれが甘かった。
その会社の社長って、超エロおやじなんだ。平気で胸は触ってくるわ、スカートの中に手を入れてくるわ、ときにはパンツの上からだけでなく性器まで触られたことがあった。それに自分のアソコをズボンのファスナーから出して、「俺のはこんなだよ!」って目の前に持ってくるの。もう事務所に入る前の印象とは大違い。こんな男だなんて想像もしていなかった。そこのオフィスって、仕事に集中できるようにデスクとデスクの間がボードで仕切られているの。
だからさ、社長が私のデスクのところに来て胸を触ろうが、自分の性器を見せようが、他の女の子には全然見えないのよ。でさ、もう何回もそういうことをやるからさ、ある日「社長、オチンチン出さないでください」って、わざとみんなに聞こえるように言ってやったの。
でも社長ったら平然として、「なに冗談言っているんだい? アッハッハッハ」ってごまかすの。他のみんなも、まさか社長が会社の中でそんなことするなんて夢にも思ってないじゃない。ただみんなを笑わせるネタを提供しているとしか見られなかったんだ。
会社に入ってたちまちそういうことされたから、すぐに辞めたくなったんだけど、こんなに給料もらえるところなんて他にそうないでしょ。だから少し我慢していれば、そのうち社長も飽きてやらなくなるだろうって思ったの。でもそれが甘かったな。もう開き直って、「これも給料に含まれてるんだ」ってしゃあないと思っていたもの。でも、私もただじゃ起き上がれなかったよ。入社して三年目の頃から、事務用品の発注を勝手に注文できるようになったのね。そうなったら「しめたもんだ」と思ってバンバン注文しまくって家に持って帰ってた。システム手帳から、事務用品のバンフにあるものをすべて。毎月毎月、何十万も私一人の事務用品だけを注文してたかな。
そんなことをやりながら、何やかんやで七年も勤めてたんだけど、そんなことやっててもさ、結局自分がダメになるだけじゃない。だから思い切って辞めることにしたんだ。それでやめる日にこれが最後だと思って、社長を思いっきり蹴飛ばして、足で顔の上に乗っかってやったの。今までの恨みだと思ってね。でもそんなことをしても、社長はかえって喜んでるんだよ。本当、最後まで変態社長だったわ。今の事務所は、前のところより給料が五万円下がっちゃったけど、もう天国にいる気分。セクハラされて五万円なんて、夜の商売の相場からしたらぜんぜん安い金額じゃない。よく考えてみれば大したことないのよね。
会社が代わっても仕事の内容はほとんど同じ。一人だいたい八〜十社ぐらい受け持って、決算や年末調整のきに、領収書や伝票を見ながらコンピューターの打ち込みをやったり、申告してあげたりする。それに月に一回くらいは相手の会社まで行ってあげて、整理しやすいようにコンピューターを打ってあげたり、申告で分からないことに答えてあげたりしてるの。覚えちゃえば単純作業の繰り返しなんだけどさ、いっぺんに重なっちゃうともう大変。頼む会社の方ももっと余裕を持って伝票とか渡してくれればいいのに、これがいつもぎりぎりで渡してくるんだ。
専門だからできるだろうって向こうは高をくくってるんだけど、いくら専門家だからって神様じゃないんだからさ、いっぺんに何百枚も何千枚っていう伝票を整理できるわけないじゃない。なのに申告は何日までにしなくちゃいけないってリミットがあるからさ、夜中の一時二時までやることがあるんだよね。でもそうやって数字とにらめっこしてるときが、私にとっていちばん落ち着けるときだから、別に苦とは思わないんだけどね。
私って専門学校に行っていた頃から、ずっと水商売のバイトをやっていたの。税理士になってからもバリバリやっていた。旦那とはそこで知り合ったんだ。旦那ってさ、生まれてこのかたクラブなんてとこには一回も来たことのない男だったの。女の子を横に座らせてお酒を飲むなんてことにぜんぜん興味がないっていうか。そのときは、たまたま友人に連れられて来たらしいんだけど、なんかさ好感が持てたんだよね。その頃、男ってやることしか考えていない馬鹿な生き物にしか見えなくて、すごく男に失望していたから。
私さ、旦那と付き合う前に好きな男がいたの。それでさ、妊娠しちゃったんだ。私はその男と結婚して子供を産みたかったし、その男もその気でいてくれたの。でも四ヶ月目に入ったら、急に「結婚も、子供もやめにしたい」って言いだしたんだ。そりゃ目の前が真っ暗になったわよ。でもとりあえず子供だけは堕ろすことにしたの。
それでね、手術の当日に、その男は付き添ってくれたんだけど、母親から電話がかかってきて、家で飼っている犬が死にそうだって聞いたら、もう迷いもせず動物病院に行っちゃったんだ。それでさ、私って犬に負けたんだよね。今じゃあ笑い話にしているけど、そのときはもうすごく傷ついちゃって、その後五年くらいは傷が癒えなかったな。
だからその五年間は悪魔になってやったわよ。すごい好きになった男に中絶させられて、死ぬほど苦しんで自分だけ傷ついて、それなのにその男はなのにも傷つかないでのほほんと生きている。その理不尽さが許せなくて、この世の全ての男へ復讐しようと思った。だから、何人もの妻子持ちの男の愛人になったの。私、その男たちのこと全然好きじゃなかったんだけど、もうその男の前では「あなたなしじゃ生きられない女」を演じた。
そしたら男たちは、揃いも揃ってそのことを真剣に受け取って自分の家庭を崩壊させていくのね。もうそれがお金をもらっている以上に楽しくて、嬉しくて。男が苦しむ姿を見るのが何よりの快感だった‥‥。
それでさ、旦那と出会って、すぐに付き合い始めてプロポーズされたんだよね。だから結婚しよう思えばすぐに結婚できたんだけど、今度は別のことでいろいろと大変なことになっちゃったんだ。私のお婆ちゃんが死んじゃったり、旦那のお父さんが癌になっちゃったり、最後にはお母さんが交通事故に遭っちゃって結婚どころじゃなくなったの。
お母さんなんて、集中治療室に三ヶ月も入れられるぐらいの重傷でさ、それなのに加害者は治療費も慰謝料も払えないような人で、お父さんはつきっきりで看病しなくちゃいけなかったら、実家のお土産屋もずっと休業しなくちゃいけなくて、どんどん家計がくるしくなっちゃったの。
私も東京からお見舞いに行ったり、経済的にも援助したんだけど、それでも足りなくなっちゃってさ、本当にきつかったな。それでさ、仕方なく、一日だけソープで働いたの。でも体がきつくて、すぐに音を上げちゃった。それにいくら苦しいからって、こんなことして稼いだお金と知ったら両親も喜ばないだろうって思ったから。
もうそれ以来、体を売ることはやめたよ。でも、あの時の状態がもうちょっとでもくるしくなったら、私、今なんの商売したか分かんなかったと思う。もしかしたら昼の仕事辞めて、立派なソープ嬢になってたかもしれないね。
そんなゴタゴタがあって、やっと落ち着いた三年後、私が二十五歳のときに式を挙げたんだよね。なんか中絶してから、本当にセックスって苦手になっちゃったの。だから旦那とのセックスは子供を作るためだと思って我慢していた。でもさ、セックス以外にも我慢しなくちゃいけないことがいっぱいあったなあ。旦那って資産家の坊ちゃんだったから、親戚中がすごくうるさいくてね。
もう結婚式の前の日からイジメられていたよ。式を挙げた後も、顔を合わせるたんびに「何なの、あの女は?」っていつも言われてた。それで私は子供さえ作ればいいやって思ってて、昼間税理士をやりながら、夜は水商売という生活を続けてたの。旦那って海外出張が多い人で、三ヶ月帰ってこないなんてざらにあったから全然ばれなかったよ。
SMクラブで働き始めたのって、結婚して三年くらい経った頃かな。結婚生活でイジメられ疲れていたけど、夜の水商売をバリバリやっていたら、社長にすごく気に入られてね、チーママとして店を一軒任されたの。でもその店には、社長に気に入られた女の子がもう一人いてね、その子に目の敵にされた。もう凄まじいくらい嫉妬してね、私昼間も働いてたし、疲れが限界まできちゃって、夜の商売から足を洗うことにしたの。それで昼の仕事だけに二年間専念してたんだ。
でもやっぱり夜の世界が忘れられなかったのね。日常の普通の生活だけだと、もう何年も先が想像できて退屈じゃない。それに比べて夜の仕事ってのは、何が起こるか分からないっていう魅力があるんだよね。お金の使い方だって、つまんないところでセコセコしだしちゃうしさ、それで友達に、「水商売以外で何かいい仕事ないかな?」って相談したら、
六本木でSMクラブをやってるママを紹介してくれたの。でも私って水商売しか知らなかったから不安だっただけど、ママは私のことひと目で気に入っちゃったみたいで、「とにかく見学だけでもいいから来てみてよ」って強引に誘われてたの。まあ見学だけだったら別にいいかって思って行ったんだけど、見たら。もうその日のうちにハマっちゃった。
だってあれって究極の愛の形だよ。殴られても蹴られても喜んでるんだからさ。ハンパな関係じゃ絶対そういうことはできないね。こんな真剣な世界が存在するだって思った。それで次の日から毎日、昼間の仕事が終わった後、地下鉄を乗り継いで出勤するようになったの。また充実した私の生活が始まったわけ。
でも最初の頃は、ぜんぜん抵抗がなかったと言えば嘘になるな。やっぱり風俗って、着る服からして水商売と違うじゃない。それに当たり前だけど、男の人が裸になるところだしね。私、小学校六年生までお父さんと一緒にお風呂に入ってたから、しぼんだのは見慣れていたの。でも十四歳の初体験のときに、いつもしぼんでいる形のものが立派に勃ってるのを見て、「うわぁ、こんなになるんだぁ」ってすごく驚いた。だって先っちょが、風船みたいにパンパンに膨らんでるんだもん。触るときに破れたりしないんだろうなあって、こわごわ触ったんだよ、そしたら全然柔らかくなんてなかった。
その後、何十人もの男の人のアソコを見て来たけど、今でも自分から進んでみる勇気なんてないな。何か抵抗があるんだよね。でもSMクラブだと、男の人のアソコを優しく触るなんて滅多になくて、逆に踏んづけてたりひっぱたいたりしているだけだからさ、べつに自分のアソコの中に入れるわけじゃないから、すぐに抵抗感はなくなって、逆に快感に変わっていったよ。
基本的に毎日仕事が終わるとSMクラブへ行っていたけど、でもさすがに残業とかになって九時半を過ぎちゃうと、休んじゃうんだ。そうやって夜の仕事がない時って、すごく損した気分になっちゃうの、一日無駄に過ごしちゃったなぁって。夜、仕事もやらないで家に帰ると、もうお店のことばっかり考えてる。「今日はどのお客さんが来ているかな」とか、「私以外の女の子がついて、その女の子を気に入っちゃってお客を取られてないかな?」とか「○○ちゃん、今日出ていくら稼いでいるのかなあ」なんて、要らないことばかり考えちゃってしょうがないの。
SMクラブで働き始めて一年くらいで経ったとき、やっと子供ができたんだよ。丸まる太った男の子の赤ちゃん。すごく嬉しかったよ。でもさ、世の中ってうまくいかないもんだなってつくづく思ったけど、旦那の会社が半端じゃない負債を抱えて倒産しちゃったんだ。もう、やれやれだよ。ヤクザみていな借金の取り立て屋が家まで来るようになっちゃってさ、家の空気がまるっきり変わっちゃった。私もちょうど産休とって家に居たときだったから、すごく嫌だった。
自分の借金じゃないのに、なんでこんな人たちに生活の場所まで踏み込まれなくちゃいけないんだろうって、ずっとイライラしてた。だからこんな環境の中に子供を置いておけないって、子供が生まれて一ヶ月もしないうちに家を出て、何の未練もなく離婚したの。
それから二年過ぎた今じゃあ。もう子供のことしか考えていない。裸の仕事ってタイムリミットがあるでしょ。私ももう三十だから、あと何年かしかこの商売できないし、稼げるだけ稼いでおきたいのね。だから、本当、一分でも多く働いてお金を稼ぎたいの。化粧したままエアコンの下で寝ちゃって肌がボロボロになっても、寝過ごしてバスの車庫まで行っちゃっても、夜の仕事は子供が小学校に上がるのまでって決めているから、今、体がキツかろうが何だろうが頑張るつもりでいるよ。
週末とか、田舎に帰って子供に会うと、「ママは仕事ばかりしてて嫌い」って言われるんだけど、逆にそんなこと言われるんだったら、とことん仕事してやろうっていう気になるの。本当は、ちっちゃい今の時期に一緒にいてあげるのがいいんだろうけど、私の子供だから、将来、私が今の時期にしていることって絶対に理解してくれると思っている。
私が奴隷のお尻をひっぱたくのも、ハイヒールでオチンチンを踏んづけるのも、私の排泄物を飲ませたり舐めさせたりするのも、ロウソクで体中真っ赤にさせるのも、一日でも早く子供と一緒に暮らしたいからなの。
まあでも、そうなったらそうなったで、またしびれを切らして、地元でも夜になるとボンデージ着て鞭振り回しちゃいそうだけどね(笑)。
あとがき
風俗嬢が、昔に比べ普通の女の子として見られるようになったと思ったが、東電OL殺人事件の編重報道を見て、何も変わってはいないのだとひどく失望した。所詮、風俗は女は性欲のはけ口であり、たとえ殺されたとしても虫けら同然なのかと思うと悔しかった。
風俗嬢を辞めて、マスコミ業界の片隅に生きるようになった私は、信じ始めていた周囲の人たちへの信頼が壊れ、壁が以前にも増して高く厚くなったと感じたのだった。
しかしその一方で、私には昼と夜、二つの顔を持たなければならなかった彼女の気持ちがわからない。どうして彼女は二つの顔が必要だったのだろうか。そんな疑問と失望のなかで私は、昼と夜、二つの顔を持つ女性たち――ダブルフェイスの取材を始めた。
彼女たちと出会い、話を聞いていく中で、私は久々に「生きてる人間の声」を聞いた。言い訳と愚痴と不満ばかり達者で、その状況を変えることはおろか、逃げ出す勇気さえもない自分にとって、彼女たちの言葉のひとつひとつは、体を切り刻まれるように痛く響いた。どうして私はそんな気持ちになったのだろう。
もう自分では絶対にありえないとはっきり分かっているけど、私はまた風俗嬢に戻りたいと思っている。世の中の誰からも必要とされず生きてきた自分が、あの場所では、たとえお金を置いたわずか数十分の関係であっても、確かに他人から必要とされていたからだ。そのささやかな事実があのときの私を支えてくれた。だからこそ今の私がいるのだ。風俗は、私にとって生きることを実感させてくれる唯一の場所だった。
本書に登場する十五人の女性すべてが、私と同じ理由で夜の世界にいると言いたいのではない。彼女たちはそれぞれの理由、それぞれの事情で二つの顔を持ち、この世界に身を置いている。どうして風俗で働いているのか、どうしてダブルフェイスなのかという問いに、普遍化できる回答などひとつもない。
だけど唯一共通していると感じたのは、彼女たちが昼間「やるせなさ」と衝突したときの接し方だった。自分の周りには、どうにもならないやるせなさがいっぱいで、そのせいで自分自身の輪郭さえもうまくつかめず、だんだんとボヤケてしまいそうだと感じる。でも彼女たちは、その状態を嘆くのではなく、やるせなさの中からもう一度自分を取り戻すことが大切なのだということを、直感で知り、自分で行動を起こすのだ。だからこそ、彼女たちの言葉は心に深く突き刺さる。
取材を終えて私は思う。東電OL殺人事件の被害者渡辺康子さんも彼女たちと同じだったと。やるせなさに押し潰されて消えてしまいそうな気持ちのなかで、どのように生きればいいかと真剣に悩み、苦しみ、たどり着いたのが夜の世界だったのだ。
渋谷の円山町にあったホテトル事務所で、私にやさしく声をかけてくれた康子さんの顔が思い出されてくる。あの顔が、昔よりずっと逞しいと感じてしまうのは、私の気のせいなのだろうか。
最後に、取材に応じてくれた十五人の女性たち、取材中にお世話になった方々に心からお礼申し上げます。そして、この本を渡辺康子さんに捧げさせてください。
一九九八年六月十七日 酒井あゆみ
恋愛サーキュレーション図書室