酒井あゆみ 著
子供が小学校の作文で『お母さんは、お風呂がいっぱいある所で働いてます』と書いてしまったんや
太田 幸子 38歳/北海道出身
主婦。10年間働いたソープを辞め、今は性感ヘルスで働いている。この業界20年のプロ。18歳の時に、パチンコ台の釘師をしている二つ年上の夫に出会い結婚。外見は若く、20歳になる娘がいるとは思えない。細身の身長は150センチ、腰までのロングヘアというのもあって、人妻どころかいまだに街でナンパされると、20代にしか見えないという。笑っても皺もできず、顔にはひとつもシミがない。女優の高島礼子に似ているとよくお客に言われるという。夜の収入、月に80万くらい。
私って億のお金持ってるんや。でも、片手まではいっていないけどな。
旦那はこのことは何も知らん。だって、うちって自分のお金は自分で管理って方針やから。だから私も旦那の貯金がいくらあるか知らんし、分かってることゆうたら、月収が四十万ってことぐらいやな。
旦那ってパチンコの釘師なんよ。やっぱり特殊な職業やから、フリーでやろう思えば、月に百万からに二百万は稼げるんよ。でもいつクビ切られるか分からんし、安定がいちばんやって、今のレジャー会社の専属の釘師としていることを私が勧めたの。会社勤めやと確かに収入は少ないけど、継続して仕事が入ってくるやん。だから旦那が釘師の技術を身につけて一人前になったときに、私は「会社の方が安定して安心やし、長い目で見れば絶対にこっちや」言うたの。
うちは生活費も折半してる。家賃が3DKで十三万。食費、娘の大学の学費、すべてが折半や。だいたい全部合わせて四十万くらいで、お互い二十万ずつ出し合ってる。結婚して大阪に住み始めてから、十六年間ずっとそうしているし、たぶん死ぬまでそうするつもりや。
私って、そもそも北海道生まれなんよ。だからコテコテの大阪弁やないやろ? だからいまだに大阪人に「トロイなあ。もっとはよ喋ってや」って言われてる。まあ、旦那が大阪人やったから大阪に住んで、こうなったんやけどな。
私の両親って、父親は防衛庁に勤めていていわゆるキャリアって呼ばれる役職について、母親は昔から銘家育ちで東大卒という、いわばエリート同士なの。兄妹はひとつ年上のお兄ちゃんがいた。お父さんの意見は絶対という厳格な家庭やったけど、お父さんは私のことすごく可愛がってくれたんよ。どちらかというとお母さんは、おとなしいお兄ちゃんを可愛がってたな。
お父さんとお母さんが外出して、二人で留守番していたとき、お兄ちゃんはわたしのことをよくイジメてたなあ。イジメるゆうても、頭をひっぱたかれたり、指を抓られたりって可愛もんよ。基本的にはおとなしい人やからね。でもな、今でもよく憶えているけど、私、幸子って言うやん。お兄ちゃんまだ幼いころから「サチコ」って呼べなくて「サッコ」って呼んでたの。それで「サッコばっかり可愛がって。お父さんは出来のいい娘が好きなんだ」って言いながら私のことイジメてた。
父親は出張や転勤がメチャメチャ多かった。最初の頃は、お母さんも一緒に全国を回ってたみたやけど、私たちが小学校三年生ぐらいになると、お父さんは単身赴任をするようになったんや。その頃からやと思うけど、お母さんがすごく教育熱心になってきたんや。
私、昔からあんまり勉強したためしがないのに、いっつも成績が良かったんや。運動もできたし、いつもクラスでは何かリーダーにされてた気がするなあ。お父さんにも「お前が男だったら出世したろう」ってよく言われてたし、学校の先生も「お兄ちゃんは今一つだったけど、娘さんはようできますねぇ」って言われてた。
お母さんはその言葉にカチンときたみたで、お兄ちゃんにしつこいくらいに「勉強せえ」って言うようになったの。私にはそんなこと一回も言ったことがないのに、お兄ちゃんには何回も「勉強、勉強」って言っていた。まあ私は、ほんまに人の言うことを聞かん性格やから、お母さんもそれは分かってて言わなかったんちゃうかなあ?
そしたらお兄ちゃんが別人みたいに暴れ出したんよ。高校に入ったときくらいかなあ。お兄ちゃんが帰ってくると、お母さんはいっつもひとこと目には「勉強せえ」って言うんよ。お兄ちゃんやって、そんなこと充分わかってるんや。最初は、食事しているときに、お母さんめがけてお皿を投げたりするんやけど、どんどんエスカレートしてって。最後には包丁持ち出して振り回すようになってしもうて。それも絶対にお父さんがいないときにやるんや。お父さんはほんま恐いから。殴ったりはせぇへんのやけど、なんていうかな、威圧感ていうの? まあ、とにかくお母さんしかいないときにやるんよ。
ほんまに別人になってしもうたと思ったわ。私、見ていて恐かったもん。そんで、とうとう母親がたまりかねて精神病院に入院させて、まあ三ヶ月くらいで出て来たんやけど、医者が「口うるさいのが原因です」ってゆうもんやから、母親も少し反省してたみたい。
でも、母親がお兄ちゃんに過剰なくらい愛情を注いだのも分かる気がしたなあ。なんでかいうと。お父さんって何人も愛人を囲っていたから。出張先、転勤先に全部女がいた。鍵の数なんか半端じゃなく持っていたし。いつ頃やったやろう、たぶん高校二年生のときやったと思うけど、お父さんの転勤先に夏休みだったから遊びに行ってん。
そしたらお父さんが夜帰ってきて、スーツをハンガーにかけようとしたらワイシャツのポケットから使用済みのスキンが出てきてん。私なあ、それまでスキンて見たことがなかったんよ。パッケージに包まれたものは見たことあったけど、そのものずばりってもん見たのは初めてやったんや。だからお父さんに「これなに?」って聞いたんよ。
もう後に先にも、あんなに慌てたお父さんの姿を見たのは、あのときだけやった。そんなお父さんを見てピーンときたのね。それで私、うぶだったから、「お父さん、お母さんには言わなダメやで」って言ったの。でも、お父さんは「お母さんには絶対言うな」って言ってた。
それでも私、家に帰ったらお母さんに「ねぇ、お父さんて女いはるかもよ」ってバラしてもうたんよ。でもお母さんは、しれっとして「そりゃ、いはるやろ」って。私は、そんなあっさりとリアクションが返ってくるとは思わんから、「なんでそんなんなの?」って聞いたら、「外に女ができない男やったら役立たずや。女ができるからこそ野心があって金を稼いでくる。だから私はお金で苦労したことがない」って言うたの。
お母さんの父親って船乗りで、年に一回しか帰ってこないような男だったらしいの。やっぱりその父親も、船が着く先々に女を作ってたみたいで。そんな年に一回しか帰ってこない男に、お母さんの母親は何も言わずに、ずっとそばにいたみたい。だからお母さんのその言葉も、お母さんの母親がいつも言ってた言葉なんやって。それを聞いてから母親の行動に目をやると、妙に納得できるもんがあった。
お父さんが出張でもないのに夜遅いと、お母さんはご飯をさっさと食べ、さっさと寝てた。「何で待ってあげないの? 可哀想やん」って言うと、「待っていると腹が立つんよ。仕事か女か分からんへんやろ。待っているとそればっかり考えよるから、さっさと自分のペースで生活している方がストレスが溜まらんのよ」って言った。そんなお母さんを見て、以前お父さんが「あんな大らかな女はおらん。だから結婚したんや」っていった言葉を思い出した(笑)。
でも単身赴任中や出張じゃない限り、お父さんは遅くなっても必ずご飯は食べに家に帰ってきてた。絶対に泊まってきたりしない男やったん。はたからみれば父親は外に何人も女を囲ってて、母親は夫の帰りも待たない非情な妻ですっごく冷たい夫婦に見えるけど、意外と深いところで繋がってたのかもしれん。
お兄ちゃんの家庭内暴力が始まってから、あんまり家にいたくなかったら、私はアルバイトを始めたんよ。もちろん学校は禁止やったけど、親の承諾があればよかったから。うちは自分のものは自分のお金で買うという方針だったから、当然お小遣いというもんを貰ったことがなかった。だからお洒落するためのお金が欲しいんやったら、自分で稼ぐというのが身についていたから、ぜんぜん苦とも思わなかった。
高校三年生にもなって、門限が六時で外泊もダメやという家にいて、少し自由を求めていたのもあったんちゃうかなぁ。だからお兄さんのことで「チャンスやあ」と思ったんもん、きっかけができて嬉しかったからかもしれん。
デパートの最上階の食堂街のフルーツパーラーでウエイトレスのバイトを始めたんや。時給三百二十円と、当時にしてみたら平均的な時給だったな。そこにいつも決まった時間にくるお客さんに、私は一目惚れしたん。別にすごくいい男ってわけでもなく、ぜんぜん特徴もない普通のサラリーマンなんやけど、なんていうかな、清潔感が漂ってるっていう感じ。私、清潔感が漂っててスーツが似合う男に、メチャ弱いんよ。まあ、父親の影響が大きいと思うんだけどね。
そんである日、いつも通りコーヒー運んでいたら。「今日一緒に帰らない?」って声を掛けられたん。もう私にしてみればラッキーって感じやった。それでその男が従業員出入り口で持っててくれて、それからデートするようになったか。私が通っていた高校ってバリバリの進学校やったから、それまでぜんぜん色恋なんて話もなかったんや。同級生の男の子なんか子供に見えたしね。だからそれは、私にとって生まれて初めてのデートだったの。それから二回ぐらい食事して、その次はラブホテルに行くようになった。
私の生知識は疎かったゆうのもあるけど、自分自身に対してすっごく潔癖やったの。別にお父さんがどうのこうのというわけでなくって。だから初めて男の人のアレを見たときは、もう「何これ、汚な!」って思った。挿入されたときは「痛あ」って一瞬思ったけど、一方で「これでこの人と結婚せなあかんわ」って威圧感もあったなあ。ことが終わった後には「あーあ、これで汚れてしもたんや、自分が」って思ったん。今思うと、ほんま純情やったんやなあっ思うわ、笑えるけど。
それがあってその男は2DKのマンションを借りてくれた。家賃が月に三万円するとこ。当時にしたら、すごく高い所やったとおもう。ラブホテルにもいちいち人目を気にしていっておられんし、その男が勉強するところ欲しいやろ」っていってくれたから。それにその頃から家を出たくてしょうがなかったん。なんかお母さんと合わんかったし。
だからその男と一緒に、薄いピンクがベースになってて動物の絵がいっぱい描いてあるじゅうたんを買いに行った。その男には妻も子供もいたけど、そんなことぜんぜん気にせえへんかった。だって離婚して私と結婚してくれるっていってくれたから。
それから二ヶ月ほど続いたかなあ。ときどき家に帰って、マンションに行って男と会ってという生活が。でもなあ、だんだん私、疲れてきたんよ。だって相手は奥さんと別れるっていうけど、泊まらずに帰るんやもん。セックスが終わってシャワー浴びて、スーツに着替えて、それで玄関で「また明日ね」って抱き合ってから、男を見送ることの繰り返し。
私って処女を捧げてから「この男と結婚するんや」って真剣に思うていたから、もう夢見る夢子ちゃんやった。だから「今は、私が我慢して待つ時期や」って自分に言い聞かせてたん。それである日、いつもと同じようにセックスが終わって男がシャワー浴びるときに、脱いである下着や背広を用意したん。背広の手帳の中に、奥さんと子供が写っている写真が入っているのを見てしまうたんよ。そしたら、さあーって自分の気持ちが醒めてくんが分かった。体温が三度くらい下がった気分やった。「なんや、ぜんぜんその気がないこの男」って。
そのときからずっと男の人と一線を引くようになってもうた。絶対にある一線から踏み込まないゆうか。いまの旦那にさえもそう。旦那もそれが分かってるみたいで、「サッちゃんは僕を好きやけど、愛していないよね」って言ったこともある。エッチング、それって寂しいことなの? そうかなあ。でももう治らへんやん。そうなってしもたんはしゃあないやろ。
それで不倫に疲れて、その男とは一年くらいで別れたん。一年間って、その頃の私にしてみれば、すっごく長いと感じた。でも私、ちゃんと大学にストレートで受かったんやで。大学の名前は内緒だけど、たぶん聞いたらみんなびっくりすると思う。それで私、家を出たかったら、お金を早く貯めるために電信柱に貼ってあるスナックのチラシを見て、すぐに面接に行ったん。抵抗なんて全然ないって言ったら嘘になるけど、当時の時給八百円やったの。私にとっては高いも高い、メチャ高かったの。一ヶ月働いたらナンボになるって世界よ。両親も私が大学にストレートで入ったから、「ちゃんと卒業せなあかんでえ」って、私を自由にしてくれてた。
いまの旦那とは、そのスナックで会った。釘師の仕事で、大阪から北海道にちょくちょく来てたから。うちの旦那も不倫相手と一緒でなあ、スーッが似合って清潔感が漂ってる男やったんよ。だから、すぐに付き合うようになった。私も不倫で疲れていたし、旦那も当時付き合っていた彼女にキャンキャンうるさい女に疲れてたみたいやったし、すぐ結婚の話になったの。それを言い出したのは私からやった。私、夜、ことが終わって別の家に帰らない男が欲しかったんかもしれない。前の男のことが相当こたえてたんやと思う。私、本当に好きやったから。
それで出会って一ヶ月もしないうちにトントン拍子で結婚したんはいいけど、私の大学は北海道やし、旦那の会社は大阪やし、しばらく遠距離恋愛が続いた。私も勉強を途中で投げ出すのが嫌やったし、旦那もこれからの時代、手に職を持っていないとダメやから、どうしても手に職をつけたいって言うから、お互い我慢してた。でも、今思うとあのときの選択は正しかったと思っているよ。
大阪で一人暮らししていた旦那が北海道まで来ようとしても、交通費が高いから、なかなか来れへんやない。会いたいとき会えへん。その原因がお金というちっぽけなものためにそうなるのが嫌だったん。そんなとき、お店によく飲みに来てたヤクザ屋さんに「おまえ、こんな店に出てもったいない。俺の知っている店に行ったら。ここの一ヶ月の給料が一日で稼げるでえ」って話を聞いて、私びっくりしてもうた。
それで「そこ何するところですか」って聞いたら「男の人の体を洗ってあげるサウナや。それだけで、あんたやったら月に二、三百万は稼げるんちゃう?」って言われて、そんな夢のような金額聞いてもうたら、頭ん中そればっかりになってもうて、そのヤクザに次の日に連れてってもらう約束したんや。
そんなおいしい話、疑うのが普通なんだろうけど、疑う知識がまったくないほど私って世間からズレてたの。そこは総額六万円の、当時で最高の店やった。それでも私は、最初その場所に連れて行かれてもらっても、まだソープだって気づかなかったんよ。経営者が女の日だってことでまた安心してもうてね。すぐ講習になった。空気がバンバンに入ってるビニールのベッドに寝かされ、ママが裸になって、ハチミツの入れ物に入っている透明な物をお湯で溶いて私の裸に塗って、私の裸の上で動き始めた。
私の胸とかアソコを口で舐めたりするから「えっ、こんなことまでするんですか?」って聞くと、「こうやってね、お客さんをマッサージしてあげるのよ」って答えるの。私、こんなもんで月に何百万も稼げるだあって喜んだ。もう私の頭の中はお金ことだけやったわ。
そして当日出勤して最初のお客にマッサージしてあげたの。そしたら客が「ああっ、そこでアンタ入れなきゃだめや」って言われて驚いていたら、「あんた知らんな。ここ、そういうところやで」って言われて、やっとそこがどういうところか気づいたの。もう頭の中はパニックよ。「うっそ!」って。それが分かっても、お金の魅力には勝てなくって、結局大学に行きながらソープで働いてたの。
それに子供を産んだんよ。かわいい女の子や。もちろん旦那の子供やよ。私もともと心臓が悪くって、子供ができたときに、医者に産んだらあかんって言われたんや。旦那もそんな私のことを心配してくれて、おまえのほうが大事やから子供は諦めとけって言うてくれたけど、私はどうしても生みたかった。きっと生まれてくる赤ん坊が、世界中でたった一人の自分の味方なんやって思ってたんやろな。
それで無事出産したあとも、控え室に子供を置いて働いた。私、当時からメチャメチャ指名が多くて、すぐにそこの店で稼ぎ頭になったの。そりゃ店の人も、赤ん坊の世話くらい見るから仕事をしてくれってなるわね。その当時、託児所ってなかったから。学校に行ってるときは両親に見てもらって、学校終わって家に引き取りに行って、子供と一緒に出勤してたの。月に十八日くらいしか出なかったけど、最高六百万ぐらい稼いでた。それでもちゃんと大学卒業して、旦那と一緒に大阪で住み始めてたん。でも大阪に行ってからもな、雄琴のソープに子供と一緒に出勤したんやけどな。
その頃かな、旦那にソープで働いているのがバレたのは。ソープで使っている名刺を、間違えて家に持って帰ったの。そりゃ激しく怒られたわよ。でも私、子供は私が一人で育てるから、べつに別れてもええよって言うた。向こうは完全に私に惚れてるのが分かっていたし、男は旦那一人だけじゃないって思っていたから。で、旦那が折れて、今では公認で風俗で働いてる。
ああ、でもあのときは参ったなあ。子供が小学校一年のときの作文で「お母さんは、お風呂がいっぱいある所で働いています」って書いてしまって、学校に呼び出し喰らった。子供は「お母さんの仕事は何?」って聞かれると、「高級サウナって所で働いているの」って言ってしまうの。もう参ったわ。でも子供も、こういう所で働いてる女の人たちは、みんに苦労して訳ありで働いているっていうこと理解してくれた。私がそういうふうに教育したんやけどな。だからグレもしなかったし、全部自分一人でできるようになって、何も言わなくっても勉強していい大学に入った。
かれこれもう二十年この仕事をやっているけど、嫌って思ったことがないんよ。お客さんの喜ぶ顔見ると嬉しいっていうか。嫌な客はもちろんいるよ。そういうときはお金と思ってサッサッサーと済ませてる。もう二度と来んでもいいよと思っているから。店長とかに言わせると、私、天性のものを持っているみたい。子供を産んでもぜんぜん体形が崩れへんし。だから今でも続けてられるんちゃうんかなあ。
朝七時に旦那を起こすと同時に私も起きて、シャワー浴びてる間に朝ご飯を作って、八時三十分には家を出させて、それから掃除、洗濯、自分の用意とかして、子供が午後から授業のときは十一時ごろに起こして、十二時には仕事場に行くの。そして夜中の一時、二時に帰ってくる。旦那はその頃には帰ってくるから。そして風呂に入って寝る。ずっとこういう生活パターンやなあ。ぜんぜん苦とは思ったことがない。まあこの二十年間の間に二年間だけ休業していたときもあったけどな。腎臓が悪くなって入院してたんよ。あんときのほうが暇で、何をしていいか分かんなくて苛々してたわ。
でもなあ、阪神大震災のときらやわ、あんときからお金をためてない。一瞬で何もかもなくなるっちゅう言葉が現実に、しかもすぐそばであったんや。だから、今はお金使ってるよ。バブルのときは全然行かへんなかった旅行も、この頃やと年に二回は行くもん。海外とかにもね。それによう車買い換えるし。ほんま、この頃はお金を使うようになった。それに仕事もそんなに一生懸命しなくなったなあ。
勤めていたソープが八年前になくなって、それから性感ヘルスとかに行ったんだけど、ぜんぜん収入が違うんやんか。まあしゃあないって思ってやっているんやけど、この業界もそんなに稼げなくなったんやん。客は減るし、風俗をやる女の子も多くなってきたし。だから今は、本当にのんびり仕事をしている。
でもまだ辞める気はないねえ。だってお金はあることに越したことはないし、何かあったら困るやろう。それでもこの頃いろんなことを考えるんよ。まあ暇になって、お金を追い求めなくなってこともあるからかも知らんけど、私、人間を愛したかったなあって思う。本気で愛するってこと、メチャメチャになって愛することしてないなあって。
前はそんなこと思いもしなかったのになあ。まあ、今さら思ってもしゃあないけどな。今は充分なくらいに充実した日を送っているんやから。でもお金も生活も充分なのに、何かやり忘れたような気持ちに時々なるんや。なんか自分でもわからん。なんでやろうなぁ? なんか時々すごく侘しいちゅうか、惨めになるちゅうか。誰か教えてくれへんやろか。
つづく
第十五 「SMって究極の愛だよ。殴られても蹴られても、喜んでるんだからさ」