酒井あゆみ 著
風俗に来る男の人をみても、ただ出しに来るんじゃないって分かった。みんな誰かと話したいんだよ
松井 美紀 25歳/山形県出身
建設会社で事務をやりながら、夜は性感ヘルスで働いてる。とても背が低く、身長が148センチしかないのが悩みだという。顔も小さいせいか、オカッパのヘアースタイルが似合って、日本人形みたいに可愛い。男性からは、よくタレントの鈴木杏樹に似ていると言われるが、本人はあまりそのことを気に入っていないらしい。昼の月収、手取り17万。夜の収入、月に80万くらい。
設計の仕事でいちばん好きなのは、家の見取り図を作ること。
それってすごくすごく楽しい自分が住む家でもないのに、何かその気になっちゃって、ワクワクしてくるんだよね。だから新聞のチラシで、マンションとか一戸建ての広告とかを見てるも好きで、そればかりずーっと眺めているよ。
昔は用紙に定規を置いて枠を計って、線を引いてと、けっこう面倒くさいことをやってたらしいけど、今はコンピューターで全部やっちゃう。それに設計専門のソフトが出ているからさ、なんか設計しているっていうよりも、パズルをして遊んでる感じなんだ。課長は自分が苦手なコンピューターいじりとか、すぐ私に押しつけてくるのよ。でも私は、お茶くみのような退屈な仕事よりは、コンピューターに向かってシコシコやっている方が好きだからいいんだけどね。
私って昔から人と接するのって苦手だったな。というか、人間に対してすごい醒めてたと思う。人が泣いてたり、笑ったりするのを見ても何とも思わない。人と一緒の気持ちになって感情を表すことって私にはできないんだ。たぶんそれって、母親が十歳のときに家の倉庫で首って自殺してしまったのに関係があるのかも知んないな。
最初に見つけたのはお兄ちゃんだった。私が部屋にいたら、「ワーッ」って家の表のほうかでびっくりした声が聞こえたの。それで外にでていったら、お兄ちゃんが呆然と立ってた。それで「こっちに来るな!」って思いっきり怒鳴ったんだ。最初はなんのことか分かんなかったよ。でもなぜか、だんだんとお母さんに何かあったんだなって分かってきて、私も急に恐くなって部屋の隅でずっとじっと座ってた。
結局お兄さんは最後まで、変わり果てたお母さんの姿を見せなかったな。お父さんって船乗りだったのね。船乗りっていってもすごい大きな船に乗ってて外国の方まで行くの。だからそのときは戻ってくるどころか、あと半月もしないと連絡すらつかない状況だったみたい。それでお兄ちゃんとお姉ちゃんだけで何から何までやって、母親を送り出したんだ。
それでね、お通夜とかお葬式とか慌ただしい日が終わると、私は居間に置いてあったテーブルの隅っこのほうに持ってってさ、布団のマットレスで囲いを作るようになったの。どうしてなんだろうね。私って勉強するの好きだったから、自分だけの空間が欲しいってのもあったんだけど、たぶんマットレスに囲まれたその空間がなによりも落ち着けたんだろうな。
私って三人兄弟のいちばん下なんだけど、上の二人とすごく年が離れているの。お兄ちゃんは私より十歳も年上で、お姉ちゃんは七歳も違うの。だから、相変わらず家を空けていたお父さんに代わって、二人は私の面倒をよく見てくれたんだ。私にとっては二十歳の兄がお父さんで、高校生の姉がお母さんのようだったよ。だからさ、べつに寂しいとは思わなかったな。
十五歳の時だったと思うけど、さすがに家がくたびれてきたんで改築しようってことになったの。そしたらね、お父さんが大枚をはたいて私の部屋も作ってくれると言うんだよ。あのときはほんと嬉しかったわ。飛び上がって喜んだもん。それでね、小さいときからずっと貯めてた貯金を下ろしてさ、家具屋に行ったんだよ。わざわざバスを乗り継いでさ、隣町にある大きな家具屋まで、それで前から欲しかった白い勉強机と、白い洋服ダンスを買ったのよ。
そしたらさ、持ち遠しくてたまんなくてさ、机とタンスが届く日がくるのを、カレンダーを見ながらずっと待っていたんだ。それでね、お父さんにそのことを言ったんだよ。そしたら怒っちゃってさ。
「そんな無駄なものどうするんだ」って罵倒されたよ。そんなこと言われる筋合いじゃないよね。自分で買ったんだから。だから私は、「これはずっと前から、どうしても欲しかったものなんだ」って負けなかったよ。
初めての自分の部屋、初めての自分の勉強机と白いタンス。もう嬉しくって嬉しくって、何度も部屋のドアを開けたり閉めたりしてさ、白で統一された自分の部屋をずーっと眺めていたよ。それから家に帰るのが楽しみになったもんね。その白いタンスだけはまだあるんだ。
お姉ちゃんが嫁いだ家に置いてあるよ。たまに遊びにいったときに見たりするんだけど、なんでか笑っちゃうんだよね。もう古くなってボロボロになってるのにさ、それを見ると「あー、私にもちゃんと小さいときがあったんだよなあ」って懐かしく思うんだ。
高校を卒業してスーパーのレジ打ちとか、デパートの店員とか職を転々とするんだけど、いつも人間関係が原因で辞めてた。相手は全然そんなこと思っていないんだろうけど、ちょっとでもきついこと言われると、途端に嫌になっちゃうんだよね。
そのあと広告を作る会社に入ったんだけど、そこもすぐに人間関係で挫折しちゃって辞めちゃった。就職して一ヶ月もしないうちに胃潰瘍になって入院するハメになっちゃったのね。
それで結構悩んでさ、地元の山形にいる、昔から付き合っている彼氏に相談したんだよ。その彼とは恋人じゃなくなっても、連絡だけは取り合う関係でさ、なんか私には唯一心を許せる人なんだ。でさ、その彼は私が愚痴をこぼしたら、「お金を捻出するためには、いつでもどこでも絶対人間と関わっていかなくちゃダメなんだ」って言うの。当たり前のことなんだけど、私はその言葉を聞いて急に楽になれたんだ。それもそうだよなって。
それでも、どうせだったらさ、自分の好きな仕事をやろうと思って、今の建設関係の会社に入ることにしたの。でもその会社って、社員の大半が男性で、女の子なんてほんの十数名しかいないの。だから働き始める前から、すごくヤバイなあって思っていたの。私って矛盾しているんだけどさ、人間に対して醒めているんだけど、一人でずっといるのも苦手なんだ。だから最低一人は女友だちがいなくちゃダメなんだよ。そんなもんだからさ、これまで仲良くなった女の友達とは、周りからレズと呼ばれるくらい、どこに行くのも一緒だった。でもさ、そういう友達が社会に出てからなかなか作れなかったんだよね。だからすぐ辞めちゃっていたんだと思うの。
だから女の子の人数が圧倒的に少ないこの会社で、心を許せる友達ができるかどうかほんと不安だった。私って友達が欲しいくせに、絶対に自分からは声をなんて掛けないからさ。そしたら、会社に入った最初の日に、三つ年上の先輩が「お昼ご飯食べようよ」って誘ってくれたの。
その先輩ってユミって言うんだけどさ、彼女が居なかったら、こんなに長くこの会社にいられなかったって、ほんと真面目に思うよ。後から聞いたらさ、ユミも人付き合いが苦手なんだって。
ユミ曰く、「自分と同じ空気を持っている」って感じたから、私に声をかけたんだって。それからはもう、いつもユミと一緒だよ。会社が休みになると一緒に出かけたり、長電話で彼氏の愚痴をきいてもらったりしてる。
私の家族って呪われてるんじゃないかと思うんだけどさ、去年の十一月にさ、お兄ちゃんが自殺しちゃったんだ。お母さんと同じやり方で。なんでみんな、私の前から勝手にいなくなっちゃうんだろう‥‥。その知らせは叔母がくれたのね。でもそのときは夜の十一時を回っていたから、すぐに飛んでいきたくても電車も飛行機も終わっちゃってるんだ。
だから次の朝いちばんで帰ることにしたんだけど、あまりのショックで頭が真っ白だった。でさ、ユミに電話したんだ。ユミは私がおかしいと思ったらしくて、タクシーに乗ってすぐに駆け付けてくれた。それで朝までずっと一緒にいてくれたんだ。もうユミは私の心の支えだね。
だからユミが、風俗でバイトしてることを聞いたときも、ぜんぜん許せた。逆になんで、すぐにそのことを教えてくれなかったのって、少し責めちゃったよ。なんかさ、ずっと変だなって思っていたの。だって最近、夜に電話してもいないことが多かったからさ。どうしたんだろうって。
彼氏とは、ずいぶん前に別れたはずだし、寝るには早すぎるしさ。それに前なら留守電にメッセージを入れておけば、必ず連絡をくれていたからさ。なんか私、嫌われたかなって思って恐る恐る聞いたんだよ。ユミには何でも頼っていたからさ、もううざったくなっちゃったのかなと思って。でも最初の頃は「このごろ疲れて、寝るのが早くなっただけだよ!」とか言うわけよ。
でもさ、いくらなんでおかしいと思って問いただしたの。そしたら、「実はね…」って教えてくれたの。それでも私は非難するわけでもなくも「興味があることだよ」って言うとさ、ユミは安心してたのかいろんなことを話してくれたんだ。ユミは、「ああいう世界にいる人達のほうが、人間味あるというか、優しいよ」って言うのね。ユミって滅多なことで人を誉めないからさ、そのときは相当なもんだと思ったよ。だからますます風俗という世界に興味を持つようになっていったの。
でさ、十二月に入って年末の休みが近くなってきたときに、「お正月はどうするの?」って聞いたら、ずっと風俗ではらくっていうのね。それでさ、私も田舎に帰ってももうお兄ちゃんはいないし、お兄ちゃんの嫁は大嫌いだったから、私も風俗やることにしたんだよ。でも風俗って何をやったらいいか全然分からないからユミに聞いたの。そしたら「手でも口でも、とにかく出せばいいのよ」って。だから、「なんだ、それなら私にもできるよ」って思った。
私ってさ、小さい頃から男の人のアソコって見慣れてたんだ。男と女は体の構造が違うんだって知ったのも早かったしね。だってお父さんなんか、お風呂上がりにはパンツも履かないで家の中をウロウロしてたもんね。それに中学生のとき、同級生の男の子のアソコが勃起しているのを見たときには、「うわぁ、こんな風になるんだ」って少し驚いただけでさ、あとはなんて可愛いんだろうって思ったよ。他の女の子は知らいけど、私って男の人の顔よりアソコを見て可愛いと思う方が多いもん。早く言えば、私ってセックスが好きってことかな。だからわりとすんなりと風俗の世界に入っていけたんだ。
ユミと同じ店に勤めると、昼間の延長でべったりになりそうだったから、同じビルの中だけと、ぜんぜん違う店を選んだの。それに何かあったら、ユミのところへ駈け込めばいいと思ったからさ。うーん。最初のお客さんが付いたときのことって、つい二ヶ月前のことなのに、ぜんぜん覚えていないんだよね。二人目からは鮮明に覚えているんだけどさ、最初のやつはどうしても思い出せないんだよ。
覚えているのって、三十代前半のスーツをカッチリ着て、メガネをかけた、勉強はできるけど女には全然モテないタイプの客だってことと、「どうやっていいか分からないんですけど、今日入ったばかりで」と思いきって聞いたら「え? 僕が最初の客?」って満足そうな顔で笑いながら洋服を脱ぎ始めたところまで。あとは記憶がプッッリ途切れているんだ。只々お客さんに言われてたとおり動いていたような気がするなあ。
講習がない店だったからさ、分かっていたことと言えば、男のモノを自分のアソコに入れてはいけないということだった。ユミに聞いても、「決まった流れでやることはないし、かえって決まった流れでやるとサービスって客にウケないらしいよ」って言うだけなの。でもさ、それっていちばん難しいことだと思わない?
それで客へのサービスが終わって、廊下まで見送ったら六千円もくれたんだ。「えっ、こんなにいいの?」って思ったよ。それでハマったね。それからは週三日の夜のバイトを続けている。ほんとは最初は面接のときに週五日って約束で入ったんだけど、何だかんだで今は週三日のペース。体がもともとそんなに丈夫じゃないからさ。昼の会社が終わって体の調子が悪いと休んじゃうの。そうしないと二、三日寝込むことになっちゃうから。だから、行けるときに行くようにしている。夜はあくまでバイトなんだからさ。
でも不思議なのは、夜のバイトだけ行く日もあるんだよねー。朝起きて体がだるくて、「あー、ダメだ」って会社を休んでボーッとしてるとさ、だんだんその状態に耐えられなくなっちゃって、夕方になるといそいそと店に向かっちゃうの。べつに店に仲のいい子がいるわけでもないし、とくにお金に困っているわけでもないのにさ、自分でもどうしてなんだろうと思うよ。
お客を待っているときって、お店の個室で持っているのね。だからそのときは、畳一帖もないマットレスの上にタオルを何枚も敷いてあるだけのところで寝てたり、漫画本読んだりしているの。その狭い空間がさ、なんか妙に落ち着くんだよ。それとお客さんとの他愛のない会話って結構楽しいの。その男の人がどんな人生を歩んでいようが、どんな会社に勤めていようが私には関係ないじゃない。男の人にとっても、私がどういう人間かなんて知りたくもないでしょ。やれればいいわけだからさ。だから、そのほうがかえって何でも言いたいことを言うるんだよね。
今付き合っている男は、妻子持ちなの。もちろんここで働いていることは話していないよ。話したって無駄だよ。どうせ分かってくれっこないって。店が暇なときにさ、そのことを店のボーイに相談したり、帰り一緒になった女の子と飲みに行って話題にしたりするんだけどさ、みんな同じことを言っている。分かりっこないって。それにその男だって妻子がいるのにこうして私と付き合っているわけだからさ、お互い負い目はフィフティー・フィフティーだと思うことにしている。
そう考えると、以前よりも良い状態で過ごせる気がするの。会社でも、夜に働き出してから、人間というものを許せるようになった。以前は些細なことでもカッときて、どんどん人間というものに醒めて嫌いになってしまうのに「ああ、この人はこういう思いで私にこうしたんだな」って、ある意味で慈悲に似た気持ちを持てるようになった。
まあ、楽しいことばかりじゃないんだけどさ。なんか、体質的にも性格的にも合わないお客さんに、自分を殺してサービスしてあげたのにさ、帰るときにフロントの人に「あの子、態度も悪いし、サービスも最悪だね」って言ったって聞いちゃうと。もうダメよ。
「私っていったい何なの?」って思っちゃう。そんなときは、次の日に店を休んで雑貨屋に行くの。それでもう、何百円の小物をバーッと一杯買っちゃう。どうせ使いもしないのにね。自分でもわかってるんだよね。欲しいんだろうけど、絶対欲しいってわけじゃないって。
だから私の部屋はすごいよ。窓際の本棚の上やベッドの周りには、陶器の小人やプラスチックのおもちゃがところ狭しと並んでいるもん。もう置く場所がなくて、洗面台やトイレのタンクの上までキッチリと小物が並んでるよ。彼が家に遊びに来るたびに「おい、また増えていないか?」ってびっくりしているもんね。だから、ちょっと大きな地震が来たら、もう大変。元にあった位置に戻すだけで何時間もかかるんだ。
もっと実用的なものを買えばいいのに、と自分でも思うんだけどさ。でも羽のついたキューピー人形とかの目を見ちゃうと、「私あなたのところへ連れっていって」と言っているように見えてくるんだよね。寝転んだ格好した猫や、あくびをしている牛もそう。もしかしたらそんなちっぽけなものが、自分の姿とダブっちゃっているのかもしれないね。
私さ、子どもが産めない体なんだって。なんか子宮に問題があるみたい。前からさ、生理が不順だったからおかしいなとは思っていたんだ。それで大きな病院で検査してもらったの。体中にゼリーみたいなものをベタベタ塗られて、血を試験管に十本以上採られるようなすごい検査だった。そしたら先生は「当分の間、妊娠は諦めて下さい」としか言わないんだよね。
当分の間ってどのくらいなのって聞いたら、「早くて五年、普通で十年」だって。愕然としたよ。あと十年も待ってられないよ。それって遠回しに産めないと言っているのと同じでしょ。やっぱり将来的には子供が欲しいと思っていたからさ、ほんと悲しかった。
だから今、会社を辞めてコンピューター技師の資格を取るために専門学校に行こうか迷っているの。今の会社にいたら学校に通えないし、会社に勤めながら勉強なんてしたら、何年かかるか分かんないしさ。みっちり勉強に集中して一発で合格したいし、早く資格を取っておかないと、どんどん職なんてなくなるじゃない。そのためには会社を辞めて、夜のバイトを朝の時間から夜の時間まで通しでやって、学校に入るための学費を貯めたいと思っている。やっぱり、一生一人で生きるためには手に職をつけないとダメでしょ。私、もうすでに一生一人でいる覚悟はできているんだ。
でもね、生命保険だけはちゃんと入っている。受取人はお姉ちゃん。お父さんのことは今でも大嫌いで、もう何年も口を利いていないけど、お姉ちゃんとは電話でもよく話してるんだ。高校に行きながらさ、私の食事の世話から何から何まで面倒みてくれたお姉ちゃんには、今でも頭が上がらないよ。だっていちばん遊びたかった時期に、私に時間を取られてろくに遊べなかったんだからさ。だから私が死んだ後には、そのお金であの時間を取り戻してほしいの。まあ、取り戻すのっていうのは大袈裟かもしれないけれど、少し贅沢してもらいたいんだ。
何かこんな行動的になれたのも、前向きに物事が考えられるようになれたのも、風俗で働いてるからだと思う。いろんなものを背負って生きているのは私だけじゃないんだよね。だから最近だと、風俗に来る男の人を見ても、ただ出しに来るだけじゃないんだって分かった。みんな誰かと話をしたいんだよ。
でもさ、最近ほんと悩んでいるよ。これからどうしようかなって。自分の子宮は放っておけば、生理が今にでも上がっちゃうしさ、昼の仕事は仕事で以前ほど面白くなくなってきたしね。なんか、他人が住む家の世話をしてもしょうがないって思っちゃうときがあるんだよ。ちょっと前までは「いつかは自分も」と思って楽しくやれてたけど、知らないうちに、そこに住む人たちに嫉妬するようになっちゃってるんだ。
いろんなこと考えて来たけどさ、やっぱりかなわぬ夢だって気づいた。私、少し悲しいよ。
つづく
第十一 「私はみんなの笑っている顔がみたいんだ。人って、笑っている時がいちばん人間らしい」