著者=亀山早苗=
「不倫」をしたくない、自分は絶対しないと言い切る男性でも
ある日突然、恋に落ちることはありうる。
「最後に一波乱起こしたい、という気持ちが心の奥に潜んでいたのかもしれませんね」
というのは、五十三歳の佐々木弘さんだ。一波乱と言うのは自分に対して、という意味だそうだ。
「五十の声を聞いたとき、自分はこのままでいいのか、という気持ちになったんです。
仕事である程度の地位についた。子供たちももう大学生で、あとは自分たちで生きていくだろう。
妻はパートで働きながら、自分の趣味や友だち付き合いに忙しいし、家族への責務は果たした。
一安心すると同時に、俺は一体どうすればいいんだ。家族のために働いてきたけど、本当の俺は何処にいるんだ、という苛立ちみたいなものがどこかにありました。
しかも、年齢とともに自分が精神的に固まっていくのがわかるんです。柔軟性がどんどんなくなっていく。
僕は家庭生活と仕事でずっと忙しかったし、恋愛なんてものはもう必要ない、と自らを封じてやってきたけど、もう少し自分を解放してやってもいいんじゃないか、と思うようになったんです」
そんな時、“出会い”があった。
ひょっとしたら、今までは出会いがあっても、彼自身が心を閉ざしていたから、気づかなかったかもしれない。
しかしその時は、佐々木さんの心境が変わりつつあった。だからこそ、出会いがおおきく感じられた可能性はある。
たまに行くバーで出会った女性は、三十代後半。離婚して独身だった。
初対面でお互いの仕事の事を少し話した。そのときは、「また」と別れた。一週間後、そのバーに行くと、彼女も来ていた。それ以来、週末金曜日の夜、そこで会うのが習慣となった。一ヶ月ほど経ったとき、食事に誘った。そうやって少しずつ少しずつ、関係は築かれていった。
「その時点で、彼女とどうこうなりたいという邪(よこし)まな心があったわけではないんです。いや、なかったと言ったらウソになるかもしれないけど、年も年ですから、いきなり押し倒したいというような気分になれないけれど、ただ、この人をもっと知りたい、話す時間がもっと欲しいと思ったのは事実です」
会いたい、知りたい、は恋愛の基本だ。そこから触れ合いたい、一つになりたいという気持ちになるのに時間はかからない。だが、佐々木さんは自制する。
「僕は彼女より一回り年上なのですよ。家庭もある。彼女は離婚しているとはいえ、まだ若いしこれからいくらでも結婚のチャンスがある。それを僕が奪ってはいけない。僕とかかわるのは、彼女の生活の彩(いろど)りでいい。そのためには深い関係になってはいけない、と自分に言い聞かせました。まあ、言い聞かせなくてはいけないような気分になっていたとも言えますね」
佐々木さんは、当時の自分の感情を細かく記憶している。
これはけっこう珍しいことだ。なぜなら、今回、取材の過程で改めて感じたのは、男性はどうして自分の感情を把握するのが、これほどまでに苦手なのかということだったから。相手の女性に対する自分の感情の移り変わり、愛情、喜怒哀楽を、事細かに記憶していて説明してくれる男性は、本当に少ない。そんな中で、佐々木さんの感情の変化の説明もわかりやすかった。
「ふたりきりで会うようになって半年くらいたったころ、僕は花火が好きだという話をしたんですね。
趣味と言えるほど追及しているわけではないんだけど、若い頃はよく日本中の花火を見て歩いたものです‥‥。
そのことを彼女に言ったら、彼女がじっと僕の目を見て、『一緒に花火を観に行きませんか』と言い出したんです。
その時の彼女の目を見て、このままの関係でいるほうが彼女を傷つけるのかもしれない。僕は自分自身にもウソをついている、と確信しました。『前へ進もう』という力がわいてくるような気がした」
季節はちょうど夏。ふたりは一泊の小旅行に出た。佐々木さんは、妻にウソをついた。結婚して以来、初めての確信犯的なウソだ。
「だけどそういう時って、まるきりのウソはつけないものですね。花火を観に行くということは正直に言いました。だけど、『ひとりで?』と聞かれたとき、一瞬、言葉につまってしまいまして、ちょうどコーヒーを飲みかけていたところだったので、わざわざ音を立ててコーヒーをごくりと飲み込んで、間を取ってから、『ちょっと若い頃を思い出して、行ってみたくなったんだ』と。
その直後、一人で行くのかという問いには答えていないと分かったんですが、妻は、まったく疑ってもいない様子で『ふうん』って。
ひとりで行くのか、という問いにもほとんど意味はなかったんでしょうね。
すごく理不尽な話ですが、そのとき、まったく夫を疑わない妻に一瞬、腹が立ちました」
佐々木さんは苦笑した。妻に隠れて他の女性と初めて旅行する。妻に疑われたら困るのに、まったく疑わない妻にムッとする。この矛盾が何ともいえず、人間くさい。人間というのは、そういう理不尽な気持ちを常に抱えながら生きているものなのだろう。
つき合い始めて二年が経って…
旅行先で、ふたりは初めて結ばれた。この時の気持ちを、佐々木さんはこう話す。
「好きな女性とひとつになることがこんなに素晴らしいことなんて、生まれて初めて知りました。結婚前は恋愛のひとつふたつしましたけれど、若い頃の恋愛だから、そうそう熟慮(じゅくりょ)の上で関係を持ったわけではない。若さに任せて突っ走っただけですよね。
でもそのときは、一年近くじっくりつきあって、自分自身の感情を見て見ぬふりをしたり、やはり好きだと葛藤したり、紆余曲折のプロセスがあったわけです。だからこそ、うれしかったですね。僕はこの人を生涯、大事にしたい。そう思いました」
以来、つきあいは二年になる。彼女も不惑(ふわく)を越えた。彼女の将来を思うと、佐々木さんは今もすっきりした気分でつき合っているわけじゃないと言う。
「深い関係になって一年くらいたったとき、彼女に聞いたんです。
『結婚したい?』と。彼女は黙って微笑みながら首を振りました。でも本当はどう考えているのかわからない。
それ以上、突っ込めなかったのは、僕のずるさでしょうね…。正直言って、離婚する気はないです。別にうちのヤツに悪いところがあるわけじゃない。今も、たまに夫婦で出かけたりしますよ。特に仲がいいとも言えないけど、まあ、二十五年近く連れ添ってきた気楽さというのはありますね。離婚となると、結婚の倍のエネルギーを使うというでしょう。今さら、そんなエネルギーを使いたくないというのが本音ですね。住むところはどうなるのか、経済的なことは、子供たちのことは、といろいろと考えると、家族に対する責任が全くなったわけでもありませんから」
佐々木さんの言葉を聞きながら、私は、彼にとって妻のことは「うちのヤツ」なのだ、彼女は「外のヤツ」ということになるのだろうか、と思っていた。
バツイチの彼女が、もう結婚はしたくないと本気で思っているのなら問題はない。だが、問われたとき、“黙って”首を横に振ったということは、心の底では彼と一緒になることを望んでいるのではないかという気もする。
今の生活がベスト
結婚は日常生活だから、悪い意味ではなく、習慣と惰性の積み重ねだ。
習慣と惰性を変えるには、恐ろしいエネルギーが必要となるだろう。
私たちは、睡眠不足で頭がぼんやりしているときでさえ、いつもの手順で歯を磨き、いつもの手順で顔を洗う。
お風呂に入れば、いつもの手順で髪や体を洗っていく。つまり、習慣と惰性とによって、何も考えなくても行動でき、ある程度の快適さが約束されているということだ。
それを振り捨てることができないのは当然かもしれない。ましてや、もし再婚となったら、そのよき習慣と惰性を、またゼロからふたりで作っていかなくてはいけない。二十五年かかって築き上げられてきた習慣をまったくのゼロに戻す。それは避けたいと思うのは理解できる。
恋愛は生活でないから、習慣と惰性は必要ない。だからこそ刺激的なのだ。彼女が、「好きなら結婚したいと思うのは当然」という考えの持ち主なければ、このふたりは変わらずいい関係を続けていけるのではないか。
「映画を観たり食事をしたり酒を飲んだりして、あとは彼女のひとり暮らしの部屋に行くのが、多いパターンですね。
でも会うのは月にせいぜい三、四回です。
最初のうちは三日にあげず会っていたんですが、最近はようやく落ち着いてきました。
彼女も仕事が忙しいし、なかなかスケージュールが合わないこともありますが、やはり一週間もすると会いたくなるんです。
僕はだいたい十二時をめどに家に帰ります。妻が十一時くらいには休むので、寝入った頃に帰るくらい。彼女の家に泊まったことはありません。引き止められることもないなあ。わりとさっぱりしている女性だから、こんなふうに続いているのかもしれませんね」
彼女の家を出てくるとき、どんな気持ちになるのだろうか。彼女はどんな目で見送るのだろうか。そう聞くと、これまでよどみなく話してくれた佐々木さんの口が重くなった。
「僕自身はいつも満たされています。彼女の家で必ずしも関係を持つとは限らないんですよ。
疲れているときは彼女がマッサージしてくれることもあるし、ふたりでビデオをみるだけのこともある。だけどいつも充実した気分になります。帰りは彼女が玄関で、『気をつけて』と見送ってくれますが、う―ん、どんな目をしているんだろう」
佐々木さんは、彼女の目を見て、深い関係になる決意をしたと言った。
だからつきあっている最中も、彼女の目から感情を読み取る努力は怠らないのではないか、と私は思ったのだ。
彼のように自分の感情、相手の感情への配慮が比較的こまやかにできる男性でさえ、彼女の心の揺れ動きには決して敏感とはいえないようだ。
だが、男性にとってはこれが最大限といえるのかもしれない。もっと女性の感情に敏感だったら、婚外恋愛は続けてはいない可能性は高い。
「彼女とは、ずっと一緒にいるわけでないから、また会いたくなるんでしょうね。ただ、帰りに外から彼女の部屋に灯る明かりを見ると、妙に胸がせつなくなることはありますね。踵(きびす)を返して、もう一度、彼女の家に戻ろうかとためらうことも何度かあります。
これから彼女はたったひとりで寝るんだな、と思うとなんだかかわいそうでね。でも、家が近くになると、自然と家庭用の顔と気持ちに切り替わってしまうんです。妻が起きていませんように、と心の中で祈ったりしてね」
はたから見ると、時計の振り子のように彼女と家とを行ったり来たりしているように感じられる。
だが、今のこの生活が、彼自身にとってはベストなのだと確信を持っているらしい。
「僕は彼女に会わなかったら、ずっと『俺の人生、損した』と感じながら生きていたと思うんです。そのままだったら、今はもっとくたびれたオヤジになっていたはずです。
顔中、不平不満だらけにして。彼女に出会って好きになったから、以前よりは女性の気持ちを考えるようになったし、生活自体に張りがありますね。
僕は家庭には仕事は持ち込まないでやってきたんですが、彼女なら仕事上の悩みや愚痴も少しは言える。映画を観ても食事をしても、彼女の意見や感想はぼくの今まで使っていなかった脳や心を新鮮に刺激してくれるんです。そういう意味では、彼女のいない生活は、おそらく非常にわびしいものになるでしょうね」
この先、いつまでもこういう生活が続くのか。それは彼にもわからないと言う。
堅物で、恋愛する気にもなれないと言っていた男性が、五十代になってから突然変わった。いくつになっても、何が起こるかわからないのが人生というのは真実のようだ。若いころから不倫など絶対しない、と言っている男性こそ、五十歳前後の第二次不倫時期が危ないのかもしれない。
つづく
恋愛謳歌型男だって悩みはある…?